第11話 違和感

 

「それじゃあ、ここからは私たちが今、一番知らなくてはいけないこと……。つまり、ここが一体どこなのかについて、話を進めていきましょう」



 真剣な表情で話す深月の言葉に大きな違和感を覚えた由衣と茜音は、そろって首を傾げる。



「ここが一体どこか……なんて、そんなの分かりきってるじゃないっスか」


「うん。どう見たって、ここ、大学のカフェテリア……だよね?」



 あまり頻繁にこの場を利用するタイプではない二人でも、「ここがどこか」などという問いの答えはすぐに出てくる。

 そもそも、冷房が稼働してることを理由にこの場を選んだのは、他でもない深月だ。

 その本人が、そんな不可思議な問いを投げかけて来るとは、一体どういうことなのだろう。

 二人の頭には、終始疑問が浮かんでいた。


 深月は、そんな二人の疑問を理解した上で改めて口を開く。



「いいえ。私が言っているのはそういうことじゃないの。もっと広い意味で、ここはどこなのか、話していこうと思うの」


「広い意味? それは『ここは凪波大学だ!』とか、『ここは東京です!』とか、そういうこと?」



 由衣の問いに深月は静かに首を振る。



「うぅ~、わかんないっス! つまり、どういうことっスか? わかるように説明してほしいっス」



 増加の一途をたどる疑問符に圧し潰されかけの茜音は、降参するように頭を抱える。

 それから、沈黙を続ける残りの二人にそっと目を向け、同じ問いを投げかけた。



「咲希さんもましろさんも、そう思うっスよね? ねっ!」


「…………」


「……あれ、咲希さん? な、なんで黙ったままなんスか? それに、ましろさんも……」


「……あの……皆さん?」



 まるで、何も知らない茜音と由衣を憐れむように目を閉ざす咲希。

 そもそも、「ここがどこなのか」という問い自体に興味がないように見えるましろ。


 そんな二人の態度も相まって、次第に疑問が困惑へ、困惑が不安へと変わり始めた由衣と茜音。



「ね、ねぇ……深月ちゃん」



 自分たちだけがこの状況に置き去りにされていると感じた由衣は、不安げに眉をひそませながら深月に問う。



「これから一体、何を話そうとしてるの……?」



 深月は椅子に腰かけたまま瞳を閉じ、深く息を吸う。

 それから、ゆっくりと時間をかけながら、肺に溜まった空気を吐き出す。

 そして、自分がこれから口にする、到底信じられないような事実をもう一度脳内で整理し、静かに話し始めた。



「——今、私たちがいる場所……。いいえ、私たちのいる〝この世界〟が一体何なのか、これからみんなで話し合うのよ」


「……〝この世界〟って、ど、どういうことっスか⁉ 自分、全ッ然分からないんスけど‼」


「わたしも、ちょっとよく分からないかも……。へ、へへへ……バカですいません……」



 この状況においては、茜音と由衣の反応は至極真っ当なものだった。

 突然そんな話をされて冷静に理解できるものがいれば、それは狂人か、自分の世界に興味のない、人間として不出来な存在のどちらかだろう。


 深月はそんな二人の反応を見て、顔色一つ変えることなく言葉を続ける。



「気づかなかった? 私たちが目覚めてからここに来るまで、一切人と会わなかったのよ? それっておかしいとは思わない? それにこのカフェスペースだって、いくら夏季休暇中だからと言っても、店員の一人くらい普通いるものでしょ?」


「……い、いや! ただ単に、わたしたちに気付いてないだけかもしれないよ? ね、ねぇ? 茜音ちゃん!」


「そ、そーっスよ! ……そんな、人がいないくらいで世界がどうとか……深月さん、アニメの見すぎじゃないっスか? はは、あはは……」



 たった一席を除いて、空席が占めるカフェテリアに乾いた笑い声が空しく響く。

 それを聞いて、深月も今一度状況を整理する。


 ……そうだ。まだ、そうと決まったわけではない。

 由衣や茜音の言う通り、何かしらの特別な事情があって、構内から人の姿が一時的に消え

 ているだけかもしれない。

 暫くすれば、ひょっこりと何事もなかったように皆、姿を現すかもしれない。


 そんな現実的な可能性を導きかけたところで、同じく現実的な冷たい事実が突きつけられた。



「人だけじゃないわよ」



 沈黙を決め、傍聴にまわっていた咲希がそう口にした。

 それに付け加えるように、ましろが口を開く。



「あんなにうるさかった蝉の声も~、なんか聞こえないよね~」


「……そう言えば、さっきから何も……」



 そう言って、由衣は耳を澄ます。


 ……雑音にしか聞こえなかった人間の話し声も、あんなに耳障りだった蝉の鳴き声も、空

 を舞う鳥のさえずりも、街を走る自動車の走行音も。


 何も聞こえない。

 ただひたすらにどこまでも、静寂が続いている。


 それに気がついた時、由衣の背中には悪寒が走った。


 ……いや、由衣だけではない。

 この場にいる誰もが、同様の不安と恐怖を確かに感じ取っていた。



 得体のしれない静寂が支配する世界に、時を刻む秒針の音だけがやけに大きく響き渡る。


 ——カチコチ、カチコチ。


 時が進むにつれて、彼女たちの心音も次第に早くなる。

 血流が全身を巡る音すら、今は煩く聞こえる。


 不安、焦燥、困惑、……そして、恐怖。


 それらが血管を通して、体内を循環していく。


 そんな吐き気を催す不快な感覚を味わいながらも、深月は言葉を口にした。



「……私も、実はまだ混乱してるの。今もこうして進行役なんてしているけど、本当のところ、そんな余裕なんて全然ないのよ……。一体、自分の身に何が起こってるのかさっぱり分からないし、正直逃げ出したい……」



 何かに祈るかのように指を組み、視線をテーブルに落す深月。

 その美しい顔には、濃い影がかかって見えた。

 凛とした瞳は影の中で不安定に揺れ、きつく結ばれた口元は微かに震えている。


 しかし、それでも彼女は言葉を続けた。

 この正体不明の感情の原因を突き止めるために——。



「……でも、そう思ってるのはみんな同じ。だから一刻も早く、この現状に対する理解と対策、……ひいては問題の解決をするべきだと思うの。……どう、かしら?」



 深月は、今の自分が考え得る最善の策を恐る恐る提案する。

 例え、否定されても構わない。

 これ以上にいい案があるなら、そちらを採用するまで。


 今の自分たちに一番必要なのは、この世界が一体何なのかをはっきりさせること。

 それを第一に行動しなければならない。



 刹那の沈黙の中、そんなことをひたすら考えていた深月だったが、周囲の空気を和ませる

 間延びした声と同時に、その思考は霧散した。



「はぁ~い、賛成~」



 深月の視線は、椅子の上で胡坐をかきながら右腕を高く上げるましろへと向いた。



「あたしは~、そういう頭使う系の話無理だし~、しっかり者のミズミズに任せまぁ~

 す」


「夢野さん……」



 この場にいる者の中で、最も現状に興味を示していないと思っていた彼女の言葉に、あっ

 けにとられる深月。


 そして、そんなましろの声に続くように、円卓からは次々と賛同の声が上がり始める。



「……じ、自分も賛成っス!」


「わ、わたしも!」


「……いいんじゃない。どうでも」



 相変わらず周りに確かな線引きをしている咲希を除いて、全員が深月の提案に積極的な姿

 勢を示した。


 まだ、出逢ってそれほど時間は経っていない。

 自己紹介だって、表面の薄皮一枚程度しか共有できていない。


 それでも、今確かに、私たちは共通の目的に向かって歩き出そうとしている。


 その瞬間、深月は心の内でそんなことを思ったのだった。


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