第10話 これからよろしく(2)
「理工学部二年の~、monoで~す。配信終わりに寝てたら、外に放り出されてました~。なんかよくわかんないけど~、とりまよろしく~」
「……いや、あの」
「ん~、どしたの~? ミズミズ~」
「みっ、ミズミズ……?」
突然の愛称に戸惑いを隠しきれない様子の深月は、一度頭を左右に振ると、気を取り直して彼女に問いかける。
「じゃなくて! 名前よ、名前! mono……? って、それ、本名じゃないわよね?」
「ん~……まぁ~、そうですけど~。あたしのことは、そう呼んでもらっていいですよ~。というか、そっちの方が呼ばれ慣れてますし~」
「いや、でも……」
これまで冷静に進行役を務めてきた深月だったが、彼女の掴みどころのない雰囲気にすっかり呑まれてしまったようで、返しの言葉すらもしどろもどろになっている。
そんな中、一人の少女が勢いよく席を立ち上った。
「……もっ——」
一同の視線が、小柄な少女——茜音へと向く。
「……もっ! もももっ、monoさんって、あの〈mono〉さんっスかッ……⁉」
明らかに先程とは様子が異なる茜音。
今の彼女からは、自己紹介で感じたあのおどおどとした雰囲気が一切消えている。
それどころか、まるで好物の餌を目の前にした獰猛な肉食獣の如き迫力さえ感じられた。
そんな茜音の様子を見て、問われた彼女は絶えず笑みを浮かべたままそれに応える。
「ん~、どのmonoさんかは知らないけど~、多分それで合ってるよ~」
「ままま、マジっスか⁉ じ、自分、monoさんの大ファンなんス! あのっ、良かったら握手してくれないっスか‼」
「いいよ~。ほい」
「ふぉぉぉぉぉぉ―――――‼ 自分、もう一生手洗わないっス‼」
……と、声を掛ける間もなく三人の前で繰り広げられる二人だけの世界。
その様子を開口したまま傍観していた三人だったが、茜音が見せる興奮の隙をついて深月が問いかけた。
「あ、あの……」
「あっ! もしかして深月さんもmonoさんのリスナーっスか⁉ やばいっスよね! やばいっスよねっ‼ だって、あのmonoさんと生で話せるだなんて……! これ、夢じゃないっスよね! ねっ‼」
「い、いや、そうじゃなくてね……。その……、monoさんって一体何者なの……?」
「うぇぇぇぇ⁉ 深月さん知らないんスかァ⁉⁉ あのmonoさんっスよ⁉ 第一回BoF世界大会から先日行われた第六回大会までチャンピオンに君臨し続けている、あの〈mono〉さんっスよ!? なんで知らないんスかっ‼」
「あぅ……、ご、ごめんなさい……」
火に油を注ぐ……というより、オタクに推しを注ぐといった感じで茜音の興奮を再燃焼させてしまった深月は、反射的に謝罪の言葉を口にする。
そんな深月を見て、それまで無関心を貫いていた咲希が、お手本のような呆れ顔と共に二人の間に割って入った。
「……ちょっと、いい加減落ち着いてくれない? 結局、monoって何なの。分かるように説明して」
「……えっ、あっ……す、すいません……っス」
咲希の、静けさの中に確かな圧を持つ特徴的な強い声により、何とか冷静さを取り戻した茜音は、二、三度深く呼吸を繰り返してから、丁寧な口調で説明を始めた。
「monoさんは日本……いえ、世界を代表するゲーム配信者っス」
「……ゲーム配信者? それってつまり、インターネットで活動してる人ってことですか?」
「そうっスね。まぁ、中にはネットだけじゃなく、テレビ番組やリアルイベントに参加する人もいるっスけど」
「ほぇ~、そうなんだぁ……」
興奮を押さえながら話す茜音に疑問を投げかけ、理解したのかしていないのか、いまいちはっきりしない感想述べる由衣。
そんな由衣のことなど気にも留めない様子の茜音は、くりくりとした大きな瞳を目一杯輝かせながら、さらに解説を続ける。
「その中でもmonoさんは『BoF』、……『Bullet of Fierd』ってオンラインゲームにおいて無類の強さを誇るプレーヤーなんスよ! もうホント、ご本人とこうして話せるだなんて夢のようっスよ‼ 他の視聴者が知ったら、泣いて羨ましがること間違いなしっスね‼」
「いやぁ~、そこまで言われるとさすがに照れちゃうんですけど~。……でも、まぁ~、実際~、あかねるの言った通りなんだけどね~」
「あ、あかっ、あかねるッ⁉ ……ふはぁぁ~」
憧れを通り越し、もはや信仰の域にまで達している〈mono〉の存在。
そんな、彼女から見ればまさに神のような存在に愛称で呼ばれたことで、茜音の感情のキャパシティーはついに限界を迎えた。
「ちょ、ちょっと大丈夫……⁉」
満面の笑みを浮かべたまま机に伏す茜音に、深月が慌てて声を掛ける。
「ダメね。気絶してる」
「そ、そんなに嬉しかったんだね……」
「あは~♪」
あたふたと混乱する深月とは対照的に、極めて冷静に状況を分析する咲希。
もはや何と言っていいか分からず、愛想笑いを浮かべる由衣。
他人事のようにケラケラと楽しそうに笑う〈mono〉。
そんな混沌を長時間煮詰めたような空間が広がる中、一人その空間に呑まれずにいた咲希が、苛立たし気に口を開いた。
「もう茶番は充分でしょ。だったら、いい加減答えて。あんたの本当の名前は何……?」
未だ混乱の最中にいる深月は使い物にならないと判断し、速やかに本題へと切り込んだ咲希。
そんな咲希の問いに、〈mono〉と名乗る白髪の少女は、真顔で言葉を返す。
「……言いたくない、って言ったら?」
それまでの柔和な雰囲気から一転。
まるで人格が入れ替わったのかと錯覚するほどの変化に、茜音を除いた全員が息を呑む。
「ダメに決まってるでしょ。さっき、そこの委員長気取りが言ってたじゃない。『これから見ず知らずの相手と行動するのに不安はないのか』って。わたしは不安しかないわ。自分が何故この場にいるのか。自分が何故、こんな状況に置かれているのか。何一つはっきりしたことが分からない。だから少しでもその不安を解消するために、仕方なくこの提案に乗ったの。……あんただけパスするなんて、そんなの許されるわけないでしょ?」
棘を隠そうともしない咲希の言動に、周囲の空気が重く圧し掛かる。
ここでもう一度彼女が返答を拒めば、蓄積された咲希の怒りは間違いなく爆発するだろう。
そう、誰もが予感した直後。
白髪の少女〈mono〉が、諦めたように「ぷはぁ~」と息を吐き出した。
「もぉ~、サキサキ怒りすぎ~。はいはい、わかりました~。ちゃんと教えますよ~だ」
「…………」
気の抜けたような〈mono〉の言葉に、何か言いたげな表情を浮かべながらも口を閉ざす咲希。
そして、混乱から復帰した深月と今しがた意識を取り戻した茜音、冷や汗を浮かべて傍観していた由衣は、同時に視線を白髪の少女〈mono〉へと向けた。
「じゃあ~、改めて自己紹介しま~す。理工学部二年の夢野ましろで~す。ミズミズ、あかねる、サキサキ、ゆいにゃん。とりま、みんなよろよろ~」
「あっ、わたしは『ゆいにゃん』なんだ! よろしくお願いします、ましろちゃん」
「は~い、よろよろ~」
彼女の本名よりも、自分の愛称に対して感想を述べる由衣。
そんな彼女に「その呼び名、気に入ったの……?」と、困惑しながら訊ねる深月。
「〈mono〉さん……いや、ましろさん! 改めて、会えて光栄っス‼ 再度握手を……‼」と、頬を上気させながら鬼気迫る表情で迫る茜音。
——と、誰も自分の名前を聞いて、特に何の反応も示さないことにほっと胸を撫で下ろそうとしたましろ。
しかし、またしても彼女だけが、他とは違う反応を示していることに彼女は気づいた。
「……夢野……ましろ?」
「どうしたの? 咲希ちゃん」
由衣の問いかけで、他の二人も咲希の異変を察する。
「どうしたんスか? そんな怖い顔して」
「もしかして、気分でも悪い? 水、持ってきましょうか?」
一段と険しさを増した咲希の表情を見て、それぞれ声を掛ける二人。
だが当の本人には、そのどちらの声も届いてはいなかった。
咲希は自身の頭の中の記憶に疑念を抱きつつも、核心へ触れようと静かに口を開く。
「……あんた、もしかして——」
と、そこまで口にしたところで、沈黙を続けるましろの表情から、喜怒哀楽といったあらゆる感情が抜け落ちていることに気がつき、咲希は言葉を止めた。
──これは、他人が軽々と踏み込んでいい内容ではない。
そう、咲希の本能が訴えかけていた。
彼女は中途半端に開いた口を一度閉じると、ましろから目を逸らすようにして言い直す。
「……いえ、なんでもないわ」
そんな咲希の挙動に首を傾げる三人だったが、おおよそましろの過去に何かあるのだろうと、全員が察していた。
そして、同時に思った。
「彼女も、自分と同じなのだな」と——。
何はともあれ、ひとまず無事自己紹介を終えた五人の少女。
彼女たちは、円卓越しにそれぞれ向かい合う。
「と、まぁ、そこまで深くお互いを知るには至らなかったけれど、これで知らない相手同士ではなくなったわね」
そう言って、再び進行役に戻った深月が胸の前で両手を合わせる。
それからぐるりと周囲を見回し、数秒の間を開けてから、深月は静かに話の本題へと入った。
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