第9話 これからよろしく(1)
凪波大学中央棟一階。
学生たちの要望に応じ、モダンなデザインを意識して造られたガラス張りのカフェスペース。その中央に配置されたウォールナット材の円卓を囲むように、五人の少女がそれぞれ腰を下ろしている。
ある者は不安と困惑の入り混じったような表情で。
またある者は、理解できない状況に苛立った表情で。
ただひたすらに沈黙を貫いている。
そんな中、一人の少女が滞留する空気を切り裂くように口を開いた。
「とりあえず、自己紹介でも始めましょうか」
不純物が取り除かれたガラス細工のように、どこまでも澄んだ淀みのない声。
それまで散らばっていた四人の視線が、自然と彼女のもとへ集まる。
それから彼女は静かに席を立ち、長いポニーテールの髪を揺らしながら言葉を続けた。
「凪波大学体育学部二年、水嶋深月。陸上部に所属しています。出身は神奈川。部活の練習中、突然の眩暈に襲われて、気が付くとあの広場で横になっていました。……まぁ、まずはエアコンが使えるようで安心したわ。これからよろしく」
170㎝はあるであろう長身と、そこから生える獣の如くしなやかに伸びた長い手足。
月明かりの下で揺蕩う海を思わせる、深い青色のポニーテール。
口元に見えるチャーミングな黒子。
そんな特徴的なポイントを多く持つ深月は、一度も詰まることなく淡々と自己紹介を終えると静かに腰を下ろし、視線を左隣の少女へと向けた。
「……あぅ、じ、自分っスか?」
髪と同じ深い青色の大きな瞳を向けられた少女はそう言って、戸惑うようにキョロキョロと辺りを見回すと、やや俯くような体勢のまま話を始めた。
「か、環境学部一年、緒方茜音っス……。あのっ、えっと……現代文化サークルに所属してます……。しゅ、出身は山形っス……。自分もサークル中、すごい眠気に襲われて、目が覚めたらあそこに……。と、とりあえず! よろしくお願いしますっ!」
深月とは対照的に、所々で言葉を詰まらせながらも、なんとか自己紹介を終えた茜音。
彼女はそれだけを告げると、癖のついた栗色の髪と顔を隠すように、頭の上の真っ赤なベレー帽を深く被り直した。
続いて、視線は茜音の左隣に座る眼鏡の少女へと向けられる。
「…………」
「……どうしたの?」
周りから向けられた視線を意に介さず、瞼を固く閉ざしたまま沈黙を貫く少女。
そんな彼女に対し、深月がそう問いかける。
沈黙の中にいる彼女の表情には、明らかな苛立ちと不満が滲み出ていた。
それから彼女は小さく息を吐き出し、棘のある声音でその問いに応える。
「これ、本当にする必要ある?」
「これって、自己紹介のこと?」
「そうよ。今はそんな悠長なことしてる場合じゃないと思うけど。……それに、あんたも気づいてるんでしょ? 私たちが今いる世界が——」
と、彼女が何かを言いかけたところで、深月が静かにそれを制止した。
「えぇ、わかってる。でも、その話をする前にお互いのことを少しでもよく知っておきたいじゃない? それともあなたは、これから見ず知らずの相手と行動することに一切の不安はないの?」
相手を糾弾することも、言動に対する否定をすることもなく、柔らかな笑みを携えたまま問い返す深月。そして、微かに眉間に皺を寄せる眼鏡の少女。
そんな彼女たちのやり取りを傍観していた三人の少女は、恐る恐る眼鏡の少女へと視線を戻す。
それからしばらく続いた沈黙の後。
彼女は諦めたように再び息を吐き出すと、視線をどこかへ向けながら訥々と言葉を並べた。
「……人文学部二年、本城咲希」
「それだけ……っスか?」
あまりにも淡白な紹介に思わず茜音が声を漏らすと、咲希はまるで獲物を狙うような鋭い目つきで茜音をきつく睨んだ。
「……ひっ! な、何でもないっス!」
おとぎ話に登場するプリンセスのような、ウェーブのかかったブラウンのロングヘア。
「深窓の令嬢」というワードがぴたりと当てはまるような、白のワンピース。
知的さを醸し出すシルバーフレームの眼鏡。
そんな優雅で理知的な印象を一瞬でかき消してしまうような鋭い眼光に、茜音は軽く悲鳴を上げた。
対する咲希は、自分の番が終わるなり再び瞼を閉ざし、沈黙の世界へと入っていった。
それから、すっかり司会進行役にまわることになった深月は、「はぁ」と小さなため息を一つ吐き、咲希の左隣に座る少女へと目を向ける。
「じゃあ次、あなた」
「あっ、はい」
視線を向けられた少女は、そう言って深月を真似るように席を立ち上がると、一度小さく咳払いをしてから話を始めた。
「経済学部三年の穂積由衣です。あー、えっと、サークルとか部活とかは特にやってません。なんせ、バイトが忙しいもんで……へへへ。あ、出身は埼玉です。ついさっきまで心理学の補習受けてたんですけど、知らないうちに寝ちゃったみたいで……。気づいたら、空の下でこんがり焼かれてました。…………以上です」
茜音とはまた違ったタイプの動揺を見せながら、身振り手振りを駆使して紹介を終えた由衣。
彼女の頬には小さな汗の粒が見え、その自己紹介からもどこかぎこちなさが窺えた。
首下で切りそろえられた黒のセミロングヘア。
愛玩動物のように大きく丸い茶色の瞳。
白のTシャツに花柄のキャミソールを重ねた上からでもわかる、豊満な胸部。
そんな人懐っこさを感じさせる見た目とは裏腹に、彼女の立ち振る舞いはどこか、人に慣れていない生まれたての小鹿を想起させるものがあった。
……それが『穂積由衣』という少女を形成する重要な要因の一つであることを、まだ彼女たちは知らない。
しかし、それは由衣に限った話ではない。
この場にいる誰もが、未だに本当の自分を隠したままでいる。
……誰も、自分という存在を形成する重要な過去を、曝け出してはいないのだから——。
円卓を囲む全員がそのことに気づきつつある中、深月は隣で絶えず朗らかな笑みを浮かべる少女に声を掛けた。
「それじゃあ、最後はあなたね。名前を教えてくれる?」
「はぁ~い」
彼女たちの中でも特に異様な出で立ちの少女は、眠気を誘うような間延びした返事をした後で、ゆっくりと言葉を続けた。
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