第8話 始まり

 

 目が覚めると、そこは炎天下だった。


 八月の鋭い陽光が眼孔を通って、目覚めたての脳を強く刺激する。


 夢と現実の狭間を漂っていた五感が、瞬く間に現実側へチューニングされていく。



 ……あれ、わたしいつの間に眠っちゃってたんだろう。

 講義って、もう終わったのかな。終わったなら早く帰らないと……っていうか——



「あっつい‼」



 数秒前まで、心地のいい脱力感に身を預けていた由衣は、自身の背中に感じた焼けるような痛みで飛び起きた。



「熱い熱い! えっ、なに⁉ 火事⁉ ははは、早く逃げないとっ‼」



 ろくに状況も理解しないまま、一人勝手にパニックに陥る由衣。

 そんな彼女を見かねて、一人の少女が口を開いた。



「あぁ、よかった。やっと起きたのね」



 それまで周囲の景色すら見えていなかった由衣は、突然耳に入ってくる自分のものとは異なる声音で冷静さを取り戻した。



「まずは落ち着いて。このとおり、火事にはなっていないから」


「…………あのぉー」


「なに?」


「あなたは一体……」



 そう言って由衣は、自身の目の前に立つ長身の女性をまじまじと見つめだす。


 青みがかったポニーテール。

 獣のように伸びた長い手足。

 深い水の底で妖しく光る宝石を想起させるような、美麗な瞳。

 どことなく妖艶さを感じさせる口元のほくろ。


 競技用のユニフォームを着ていなければ、真っ先にモデルか女優だと勘違いしてしまいそうなほど整った顔立ちと体型。


 リンゴが枝から真下に向かって落ちるように、時の流れが後退することはないように、当然の原理として、由衣もまた彼女の美貌に目を奪われていた。



 ……同じ大学の人かな。

 それにしても、すごい美人。寸胴体型のわたしとはまるで比べ物にならない。

 比べ物にならな過ぎて、早くこの場から消え去りたい。……っていうか、ここはどこ? 

 さっきまで講義室で授業を受けていたはずなのに、いつの間に外へ?



 視線だけは彼女に釘付けにしたまま、心の内でそんな疑問を浮かべる由衣に対し、ポニーテールの少女は軽く笑みを浮かべて応える。



「自己紹介は後にしましょう。とりあえず、どこか涼める場所を探すのが先決ね。もそれでいいかしら?」


「あなたたち……?」



 そう言って、ポニーテールの少女が目を向ける先。

 彼女の言葉にさらなる疑問を抱きながら、由衣も同じように目を向ける。


 瞳の先に映るのは、由衣の通う大学の本館。広場で青々と茂る街路樹。

 そして、目に染みるとスカイブルーの空と、聳え立つ真っ白な入道雲。


 それらを背景に、背丈も格好も、顔に浮かべる表情も異なる三人の少女が、その場に佇んでいた。


 少女たちは、ポニーテールの少女の呼びかけにそれぞれ応える。



「……は、はいっ! 異議無しっす‼」


「右に同じく~」


「どうでもいいから早くして。……暑すぎて吐きそう」



 ポニーテールの少女は、彼女たちの反応を受け取った後で由衣に視線を戻し、告げる。



「そういうわけだから、あなたも考えるのは後にして、まずはついてきて。……まぁ、涼める場所なんてあるのかわからないけれど……」


「それって、どういう……」



 由衣は、彼女の発した言葉の意味を問い返そうとして、ふと言葉を止める。


 それは本能か、直感か。はたまた、それ以外の何かか。

 どちらにせよ、由衣はその違和感の正体に近づきつつあった。



「さぁ、行きましょう」



 ポニーテールの少女は微かに笑みを浮かべると、大学の本館に向かって歩き始めた。

 その後を追うように、小柄な少女はおどおどと、白髪の少女は踊るように、眼鏡の少女は気だるげに歩みを進める。

 そして、由衣も——。


 未だ互いの名前も、置かれた状況も、何一つ理解することが出来ていない。

 ただ、その歩みの目的だけは全員一致している。


 どういうわけか由依は、彼女たちの後ろ姿を見てふと、そんなことを思った。



 ***



 こうして、払拭出来ない過去に縛られた五人の夏は、音もなく唐突に幕を開けた。


 少女たちはひと夏の幕間の中、それぞれの"過去"へと向かって歩き出す。




 それが終わることのない、永い夏の幕間だとも知らずに——。



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