第3話 緒方茜音〈序〉


 ——同時刻。

 凪波大学 学食エリア 中央スペース。


 夏季休暇中にもかかわらず、それなりの賑わいを見せる食堂エリア。

 そんないくつもの会話が横行する共同スペースで、一つの絶叫が生まれていた。



「ふぅおおおおおおおおおお!!!」


「ど、どうした茜音氏!」


「みっ、観てくださいこれ! スゴすぎるっス! 神業っスよ‼」


「え、なになに……【monoの『BoF』生配信】?」


「monoって、あのプロゲーマーのmono氏でやんすか?」



 横に伸びた楕円形の食堂エリア。

 その中央にある四人掛けのテーブル席に、中学生と見間違うほど小柄な少女と、身長も体格もバラバラな3人の男子学生がそれぞれ向き合うように腰掛けている。

 彼女たちの視線は、その中心に置かれた一台のスマートフォンへと向けられていた。



「そうそう! そうなんスよ! なんと‼ 試合開始わずか20分にして23キル! それだけでも十分凄いんスけど、それよりヤバいのが今のノールックヘッドショット‼ 相手は今頃、バグかチートでも疑って怒鳴り散らしてる頃っスよ!」



 目の前で起こったスーパープレイに興奮を抑えきれない様子の少女——緒方茜音は、その小柄な体を目一杯動かし、くるりと癖のついた栗色の髪の毛を揺らしながら、同じオタクサークルのメンバーである男子学生たちに対し、際限なく湧き出る熱い感情を曝け出していた。


 そんな未だ興奮冷めやらぬ彼女を前にして、彼らもまた、正体不明のプロゲーマーに対して各々の意見を述べ始める。



「えげつないなぁ……。ってか、monoって本当に人間なの? プロなのに顔出しとか全然しないっておかしくないか? ひょっとして、極秘に開発された自律式AIだったりして」


「たっ……確かに、こんこん氏の言うように『mono氏AI説』はネット上でまことしやかに囁かれている有名な噂の一つではあるが、俺氏はやはり! 超絶美少女説を唱えていきたいっ‼」


「同意! 完全に同意でありますよ、どんぶり氏‼」



 中肉中背で狐のような細い目が特徴的な青年の疑問に、脂汗を浮かべた巨漢が異議を唱え、細身で眼鏡の青年が強く同意する。



「お……おぉ! さすがは《黒の聖騎士ブラックパラディン》氏! やはり、顔出しNGの配信者に超絶美少女の夢を抱くのは、我々キモヲタのさがッ‼」


「まさにッ! まさにその通りでやんす! 小生等はこの忌々しい世界に生を受けた瞬間から、姿なき者に美少女の幻影を抱くようプログラムされているのでやんすよ‼」


「あのさぁ、ボイチェン使ってるただのおっさんの可能性だってあるんだから、過度な期待はやめておけよな」


「なっ……! 何を『俺はお前らと違て現実見えてるから(笑)』的なこと言ってるでありますか! こんこん氏‼ 例え、中身がおっさんでも萌え豚でも己の母であったとしてもッ‼ 真実が明らかになるまでは夢を見続けるのが我々キモヲタ同盟の責務であろう⁉」


「そうでやんす! その通りでやんす‼ 茜音氏も、このファッションオタクに何か言ってやって欲しいでやんす‼」



 既に会話の趣旨がプレイングの件からだいぶズレていることに関して、誰も意義を唱えないまま話はヒートアップし、眼鏡の青年は終始スマホの画面に釘付けになっている茜音に意見を求めた。

 彼女は、画面から目を離さずに答える。



「自分、monoさんの正体についてはあんまり興味ないんスよ。正直、AIでも美少女でもおっさんでも萌え豚でも構わないと思ってるっス。どちらかというと、自分はこの人の背景の方に興味があるっスね」


「背景……。つまり、スーパープレイを生み出すmono氏の成り立ち……ってことでやんすか?」


「そうっス! 一体、どれだけの努力や経験の上に、今のプレイング……いや、monoさんというプレイヤーが出来上がったのか、自分はそこに興味があるんスよ‼」



 そう言って、茜音は小動物を思わせるくりくりとした大きな瞳を輝かせ、手の中のスマホを強く握りしめる。

 画面上では、見事勝利を収めた『mono』に対する祝福のコメントや、圧巻のプレイングに魅せられた者たちの驚きのコメントがいくつも寄せられていた。



「本当に、凄いっスよ……」



 自分とは遠くかけ離れた存在に、羨望の眼差しを向ける少女。

 そんな彼女を見て、同じサークルメンバーである彼らもまた、優しく笑みを浮かべる。


 ……と、そんなやり取りを小一時間ほど続け、共通の趣味について互いに熱く語り合ったところで、狐目の青年が時間の確認する素振りを見せながら静かに席を立ち上った。



「そんじゃあ、俺はそろそろバイトいくよ。お前らはこれからどうする?」


「そうであるな……。俺氏も夏アニメの考察に新作ラノベのレビューと、いろいろやることが立て込んでいるゆえ、そろそろ退席させていただこう」


「小生はこれから夏期講習に参加してくるでやんす」


「……茜音っちはどうする?」



 狐目の青年の問いかけに、茜音は少し悩んだ素振りを見せて答える。



「んー、そうっスね……。自分はもう少し休んでいくっス」


「そっか、了解。……あー、そうそう。夏コミのリハーサルも明日辺りやっておかないか? 本番も近いし」


「あっ、そうっスね! それじゃあ自分、重要サークルとかその他グッズとかリサーチしておくっスよ」


「おっ、サンキュー。一応、俺らも各自で周りたいサークルとか調べておこうぜ」


「そうでやんすね!」


「承知! ……それじゃ、茜音氏、こんこん氏、《黒の聖騎士ブラックパラディン》氏。良い一日を! また明日‼」



 そうして、巨漢の言葉を締めに本日のサークル活動が終了すると、テーブル席には茜音だけが残った。



「……夏コミっスかぁ」



 サークル仲間から発せられたその言葉をきっかけに、茜音の脳裏には初めて参加したあの夏の日の光景が鮮明に蘇る。


 蒼穹の下に集う、幾万もの仲間。

 照りつける陽光と蒸し返すような会場の熱気。

 夢が、愛が、感動が、果てしなく詰め込まれたくつもの作品たち。


 あの日、あの場にいたすべての者が、溢れんばかりの自分の『好き』を求めてやってきていた。


 当時、まだ中学生だった茜音には、そんな彼らの姿が真夏の太陽よりも輝いて見えていたのだ。

 あの瞬間、彼らの存在は茜音にとっての憧れとなった。


 そして、「自分も誰かを心の底から楽しませるような、感動させるような、そんな〝何か〟を創りたい」と強く思うようになった。……いや、



「…………」



 茜音はほんの一瞬、過去の自分が下した〝あの決断〟を思い出し、その大きな目をそっと伏せると、再びいつもの明るい表情に戻り、スマホで明後日から三日かけて行われる夏のコミックマーケット参加団体ページを開いた。

画面上には『コミックマーケット公式サイトへようこそ!』の見出しと共に、いくつものイラストや会場で行われるイベントのバナーが表示されている。



「うわぁ、すごい数っスね……」



 世界一の同人誌即売会とも称されるこのイベントには、毎年約3万のサークル、200の企業・団体が参加すると言われるが、それは今年も同様だった。

 茜音はそんな膨大な数の参加団体から、目玉となるサークルや企業をいくつかピックアップし、印をつけていく。



「とりあえず、みんなで周る所としては、ここと……ここっスかね。あとは、こっちの企業ブースもグッズ次第では周ることになりそうっスけど、みんな個人的に見て周りたいサークルとかあるみたいっスから、まずはこんな感じで——」



 と、それまで順調に下調べを進めていた茜音だったが、ふと、自身の身体の異変に気が付き、言葉を停止した。



「……あ、れ……?」



 ——意識が、遠退く。



「……なん、か……眠気が……」



 まるでオーバーヒート寸前のコンピューターが強制スリープするかのように、突如としてやって来た睡魔。


 先程の興奮がようやく冷めてきたことの表れか、はたまた深刻な病によるものか。

 原因が分からないまま、彼女を取り巻く風景が、喧騒が、次第に歪んでいく。


 そうして意識が途切れる間際。

 彼女の脳裏には決して忘れることのできない、あの日の記憶が映し出されていた。



『……分かってた。分かってたっスよ。……だって、自分には——』



 ゆっくりと音が消え、匂いが消え、やがて視界が暗転する。

 そして、纏わりつくような夏の暑さと、消えることのない胸の傷跡だけを鮮明に残したまま、彼女は逃れられない陽炎の世界へと堕ちていった——。



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