第18話 あたしの番

 愛羽と蓮華に麗桜は哉原に追われ、その後を豹那が追っていた。


 鬼音姫たちを悪修羅嬢が食い止め、五差路の付近で抗争が繰り広げられている。


 哉原の乗る単車はRZ350。


 RZ350と言えば750キラーと呼ばれた知る人ぞ知る単車だ。走行性能が高く、2人乗りのCBXの愛羽がこの直線の続く129で振りきれる相手ではなかった。哉原は追いつき愛羽の横まで来ると不敵な笑いを浮かべた。


『おい!観念しな!通行手形がねーなら止まりやがれ!』


 哉原は愛羽の後ろの蓮華をつかみ引っぱろうとした。こうなっては一旦停まるしかない。だが愛羽がそう思うより先に、誰かがその手を蹴り払った。


 それは他でもなく緋薙豹那だった。


『っ!?』


 哉原は意外そうに、でも確実に不機嫌そうな顔をして、2人はスピードを落とし129の道路の真ん中で停まり顔を見合わせた。


『緋薙。てめぇはこいつらの仲間ってことか?それともあたしに殺られたいってのか?』


『ふふ。あんたの笑った顔がキモいんだよ』


『今日だけは可哀想だから見逃してやろうと思ったのによ』


『さっきからさ…気になってたんだけど、あんたあたしに勝てるつもりだったのかい?』


 豹那は遠い目をして笑った。


 愛羽たちも少し離れた所で停まり、その様子を見ていた。2人は今にもやり合いそうだ。


『ねぇ愛羽…豹那さん大丈夫かな?』


 蓮華は心配でおどおどしている。


『分からない…でも、あの人がすごく強いっていうのは知ってる。』


『豹那さん…』


 哉原は平塚で雪ノ瀬と戦った時のように構えた。


『キックボクサーか?相手も多分やるぜ?あいつ』


 麗桜は哉原の構えを見ただけで実力の予想がついたようだ。


 その哉原が先にしかけた。パンチを左、右と打った後、多彩な蹴り技が次々に繰り出されていく。動きが速く技も綺麗で、確かに相当な実力なのが分かる。


 対する豹那はほとんどの攻撃をまともにくらい反撃できていなかった。


『くっ…』


 刺された傷が痛むのだろう。明らかに厳しそうな顔をしている。


『おいおい。その自慢の綺麗な顔でずいぶんいい表情してくれんじゃねーか。たまんねーよ。動画に撮りたかったぜ!』


 哉原は構わず拳と蹴りを浴びせる。あの化物のような豹那が全く戦えていない。


 愛羽は単車を降りると豹那たちの方へ向かった。


『愛羽!どーすんだ!?早く蘭菜たちに合流しねーと』


『分かってるけど、あの人このままにしたら後悔しそうだから!』


 愛羽はそう言うと走っていってしまった。


 豹那の特攻服に、今日の刺し傷と思われる辺りから血が染みてしまっているのが見える。当たり前だが今日は絶対安静のはずだろう。傷が痛み、それを無意識にかばってしまう豹那はただただ哉原の攻撃を受けるしかなかった。


(こりゃ楽勝だ。こいつ相当きてるな。バカな奴よ…)


 哉原がそう思った時、横から何かが飛んできた。


 愛羽得意の飛び蹴りだ。ふいをつかれた哉原はとっさに腕で蹴りを受けた。そしてその一瞬の隙を豹那は見逃さなかった。


 正に渾身の一撃と言うべき全力のパンチを哉原の顔面に叩きこみ、哉原は殴り飛ばされ地面を転がった。


『ぐぅっ!』


(この女バケモンか!?どこにそんな力残ってやがった…やべぇ、意識が飛びかけたぜ。コンクリートで殴られたみてーだ!)


 そもそも哉原は平塚で雪ノ瀬に相当やられている。自分も十分手負いなのだ。だがそれにしても今の豹那の1発は大きかった。


 横浜覇女の総長である神楽が神奈川一を歌われながら、真の神奈川一は緋薙豹那とも言われているのを哉原は思い出した。


『へっ。やれやれ、恐ろしい奴だぜ。嬢王さんよぉ』


 哉原は立ち上がると次に愛羽をにらんだ。


『おいコラ。ところで今飛び蹴りくれやがったチビ!こっちの揉めごとに首突っこんでくんじゃねーよ!』


『そうだ…誰が助けろなんて言ったんだ。とっとと消えな』


 豹那は正直かなり厳しい状態だったが見栄を張った。


『そんなに喋れるんだったらお願いだから蓮ちゃんと話してあげて。あの子、あなたと話したいって言ってるから』


『あたしはあんな奴知らないよ』


 愛羽は豹那の手を真っ正面からつかんだ。


『蓮ちゃんを傷つけるなら、あたしはあなたを絶対に許さない。あの子、今日子供をおろしたばっかなの』


 その言葉は、豹那の心を突き刺した。


『あなたとどうしても話したいって言ってた。だからあたしはそれを約束したの。お願い。ここはあたしに任せて蓮ちゃんのとこに行ってあげて』


『…』


 豹那は言われても黙っていたが、単車に跨がるとエンジンをかけた。


『あ?おい、なんだよ。結局逃げんのか?』


『あんたの相手はあたしがする。こっちの邪魔しないで』


『このクソチビ、誰に口利いてんだてめぇ!』


 哉原はムキになって愛羽にかかっていった。


だが余程あの豹那の1発が効いたらしく、さっきまでのような素早い動きは見せなかった。


 哉原は上半身をガードで固めながら蹴りで攻めてきた。さすがにその道の者の技はダメージがあっても鮮やかで、愛羽の体の至る所にハイ、ミドル、ローと叩きこんでくる。


『ぶっ殺す!死ね!』


『やってみなよ!』


 愛羽はその蹴りをくらいながらも、回し蹴りにソバットとあくまで蹴戦に応じていった。


 蹴り合いなら自分が有利と思った哉原だったが、とうとう自分の負っているダメージが思っているよりも大きいことを知った。哉原が蹴り勝てないでいる。


 それに加え、相手のこのポニーテールも「ただのガキ」ではないことを感じていた。


(ちっ…チビにしてはやれる方かとは思ってたが、こいつも大したもんだ。くそがっ!)



 豹那は蓮華の目の前でブレーキを踏んだ。


『乗りな』


 蓮華は麗桜の方を見た。


『あたし…』


『愛羽はその為に行ったんだ。話したいことあるんだろ?行ってこいよ』


 蓮華はうなずくと豹那の後ろに乗って行ってしまった。


 2人が走っていったのを確認すると哉原と距離をとった。すると構えるのをやめ、足を1歩引いた。


『じゃあ、あたしもう行くから』


 それだけ言うと自分の単車の方へ向かって歩きだした。戦うのは目的じゃない。愛羽は早く戻らなければならない。


 だが哉原は納得などしなかった。


 なんだと?緋薙豹那とのタイマンを邪魔された上、自分と決着もつけずに行く気でいる?


 自分のダメージのことなんかより、完全に舐められたことにもう我慢ができなかった。哉原は走りだすと愛羽に後ろから飛び蹴りをくらわせた。


『うっ!』


『くたばれぇ!』


 そのまま倒れた愛羽を息もつかずに連続で蹴り、踏みつけ、一気にたたみかけた。


『オラ!舐めやがって!どんな気分だ?お前がいい奴でよかったよ!後悔しやがれ!ははは!』


 愛羽は地べたに転がったサンドバッグのように蹴られ続けた。


『ぶっ殺す!これでてめぇの旗揚げは終わりだぁ!ざまぁみろ!』


 哉原が夢中になって蹴りを浴びせていると肩をつかまれた。振り向いた時には殴り倒されていた。強烈な拳だ。


『ぐっ!』


 さすがに不意打ちをもろにくらってしまい、哉原も目の前に光が走った。次に目に映ったのは、怒りをあらわにしたピンク色の髪の女だった。


『いい加減にしろよ、クソ野郎!』


 哉原は立ち上がると血の混じったつばを吐き出した。


『あぁ…そうか、もう一匹いたんだっけなぁ。わーるい悪い。相手にしてほしかったんなら言ってくれよ。すぐ息の根止めてやんよ』


 麗桜は黙って構えた。


『へぇ。お前ボクサーか?』


 哉原も麗桜の構えを見て実力に見当をつけ、そして改めて構え直した。


『いいぜ、かかってこいよ。ボクシングかキックボクシング、どっちが上か白黒つけるにはいい機会だ』


『あ?なんだそりゃ。行くぜ?』


 先手は麗桜。麗桜は素早いフットワークで3発の拳を打ちこんだ。哉原はガードしてそれを耐える。


 愛羽は立ち上がり、麗桜が戦っていることを確認すると急いで単車に乗りエンジンをかけた。そしてホーンを2回鳴らすと行ってしまった。


『あーあー、ひでぇなぁ。味方置いてトンズラたぁとんだ大将だ。おい、入るチーム間違えたんじゃねーのか?』


 麗桜はニヤッと笑った。


『バーカ!あいつがそんなことする奴に見えたのか?お前なんざ俺で十分だって判断したんだよ』


『んだと!?ふざけんなよ、ガキが!どいつもこいつも舐めやがって!』


 哉原は怒りまかせにかかっていった。パンチとキックのコンビネーションで攻めるが麗桜はそれをよけると反撃した。


『それはそうと、さっきはよくもウチの総長様にひでーことしてくれたな。あいつは俺の夢なんだ。仇はとらせてもらうぜ』


 瞬時にまた3発の拳をヒットさせた。哉原はだいぶ息を切らしている。


『お前、さっきあの銀髪にもろいかれてたな。あいつもケガ人みてーだが、俺の予想じゃあれ相当効いたはずだぜ?あの女は化物だからな』


 哉原もさすがに痛い所を突かれた。


『ちっ、人の心配よりテメーの心配しやがれ』


『ついでに、その前にも相当なダメージを受けてるんじゃないか?動きを見りゃ、あんたがどんなもんかは分かる。そんで俺の前に愛羽ともやってんだ。タフなのは分かるけどよ、今日はもうやめて帰ったらどうだ?愛羽もきっとそう思ったんだろ、多分よ』


『てめぇ、そんなにあたしを怒らせてぇのか!かかってこい!刺し違えてでも殺ってやるよ!』


『へっ、いい顔になってきたじゃねーか』


 2人は激しく打ち合った。





 豹那は蓮華を乗せ、上溝バイパスを抜けて少し行った所で停まっていた。


『豹那さん、やっぱり血が出ちゃってる。どこでもいいから病院行こ!』


『うるさいね、平気だよ。傷は縫ったんだからその内止まるよ』


『なんでこんなケガしてんのに無理するの?豹那さんの体に傷が残るなんてあたしは許せない!』


『あんたは本当にうるさいねぇ。痛いんだからちょっとは静かにできないのかい?』


 豹那は呆れた様子で言った。


『ほら、やっぱ痛いんじゃん』


『ふん』


 ちょっとすねてそっぽを向くが、豹那は正直何を喋ればいいのか分からずにいた。


『てか、ちゃんと喋ってくれるじゃん。バカ。なんで暴走族になってんの?あたし、あれからずーっと心配してたんだよ?それなのに無視したりしてさ。本当ありえない。バカ。お姉ちゃんのくせに、バカ…』


 豹那は自分の中で葛藤していた。今自分の中には、人に裏切られ人生をめちゃくちゃにされた悪修羅嬢の総長として生きる自分がいる。


 だがそれでも蓮華と一緒に生きていたあの頃の自分もいる。もう自分に戻らないことを選び、どんなに振り向かないように生きても、妹と過ごした時間は消えていないのだ。悔しいが豹那はそれを実感していた。


 そして、今の自分を見てもあの頃と同じように自分の名を呼んでくれることが嬉しくもあり悲しくも思え、だから豹那は自分が許せなかった。


『蓮華。あたしはね、もうあんたが知ってるあたしじゃないんだよ』


『嘘。豹那さんは豹那さんでしょ?変な言い訳して逃げないでよ!ねぇ、何があったの?3年前、きっと何かあったんでしょ?どうしてあたしに何も言ってくれなかったの?答えてよ』


 蓮華の言葉は、豹那の心と心の傷に刺さっていった。蓮華は真相を知りたがったが、豹那は口を開こうとはしなかった。


『…あたしさ、今日ね、子供おろしたんだ』


 豹那に言葉は見つかるはずもない。


『運命の妊娠だって思ってたの。そう思う位彼のことが好きで、あたしママになるんだって思ったんだけどね。彼は本気じゃなかったんだって。あたしがヤリマンだから近づいて、あたしみたいな援交女なんかと結婚なんて無理だって、言われちゃってさ。…実際、ヤリマンで援交女ってのは本当だから、自業自得なんだけどね…』


 蓮華はそう言って無理に笑った。それが分かりすぎて豹那は目を見れなかった。


『あたしさ、あれからずっと1人だった。豹那さんみたいになりたいって思ってたけど、全然なれなかった。この3年位ですごい汚れたのも分かってる。寂しくてその辺の男に抱かれたことも、お金の為に自分を捨てたことも、いっぱいあるよ。そういう風に生きることしかできなかったの。いつかは変わるって思いながら、結局何も変われなかった。だから彼と結婚して、自分にとってきっかけにもしたかったんだよね。でもそれもダメになっちゃって、あたし、どうすればいいか分からなくなっちゃったの』


 豹那は責任を感じずにはいられなかった。罪悪感すら思った。


『だけどね、愛羽。あのポニーテールの子がね、産むなら学校も暴走族もやめて一緒に育てるって言ってくれたの。すごいでしょ?自分が支えるから最後までちゃんと考えようって言ってくれて。』


 たった1人の大切な妹を支えてくれた愛羽たちに自分がしたことを蓮華はきっと知っているだろうと思うと、もはやこの場にいることさえままならなかった。


『そうやって支えてくれるみんながいなかったら、あたしダメになってたと思う。おろしても産んでたとしても。だからあたし、あの子たちと一緒にいたいって思ってるんだ。豹那さんがいなくなってから、始めてそう思える人たちに出会えたんだよ。友達も、今の自分も大切にしたいの』


 同級生にいじめられ、人との関わりを怖がっていた蓮華の言葉とは思えなかった。


『ねぇ豹那さん。みんなと仲良くできないの?あたし暴走族のことよく分からないけど、今すごい大変な時なんでしょ?今日聞いたの。このままじゃみんな東京のチームにやられちゃうって。そうしない為にはみんなで手を取り合うしかないんだって』


『できないね』


『なんでよ!豹那さん落ち着いて考えてよ。豹那さん今日刺されたんだよ?おかしいよ。普通じゃないよ。今度もし刺されて死んじゃったらどーするの?絶対ダメだよ!愛羽たちにも豹那さんにも危ない目に合ってほしくないの。お願い豹那さん。みんなと協力して』


『断る』


『どうして?なんで分かってくれないの?』


 豹那は溜め息をついた。


『…蓮華。一緒にいれなくなって苦労させちまったことは謝るよ。あんたにはもっと平凡な人生を行ってほしいと思ってたよ。でもね、あたしは今、湘南悪修羅嬢の総長なんだ。もうアイドルなんて夢見てた女の子じゃないんだよ』


 豹那の心の奥底に、今までのことを全部話してしまいそうな自分がいた。だがそれはできなかった。蓮華を傷つけてしまう気がしたからだ。


 そこは今の自分を強く持ち、絶対に言わないことを強く決めた。


 同時に蓮華は、あの豹那をここまで変えてしまったものが何かは分からないものの、何かがあったのは間違いないと確信していた。だから少なくとも自分にさえ言えないようなことなのだと思うと、豹那の内面が心配になった。


『あたし、豹那さんと一緒にいたい…』


 今この場で、その言葉だけは聞きたくなかった。かけがえないはずのその気持ちに何もしてあげられないのがツラい。とっくに自分なんて捨てたはずなのに、心の中がもやもやしていていつもの自分でいられなかった。


『…もう行こう。お前の仲間の話なら、このまま行けば本体が待ってるはずだ』


 豹那はエンジンをかけてしまった。


『ねぇ、この単車なんて言うの?』


『カワサキのSSだよ。500のね』


『あたしもこれに乗る。決めた』


 豹那は吹き出して笑っていた。


『せっかくだけどやめときな。どうせなら250とか350の方がいいよ。こいつはあんたよりクセがキツいからさ』


『それどーゆー意味よ!』


 これだけ時間が経っても、やはり2人には深い絆が見えた。


『ねぇ、これ見て』


 最後に蓮華はある物を見せた。


『なんだい?それ』


『これね、玲璃が作ってくれたんだって。手作りなんだよ?可愛いでしょ』


 それは今日病院でもらった、玲璃が作った暴走愛努流6人と蓮華の赤ちゃんの人形だった。


『さぁ。よく分かんないけど、可愛くはないね』


『え!ひどい!あたしすごい気に入ってるのにー』


 八洲玲璃。自分にかかってきた金髪のガキ。それは覚えていた。


『ふふ。蓮華…よかったね、いい友達ができて』


 豹那は蓮華に聞こえない程の声で言うとギアを入れた。






 車が走る音が聞こえる。


 静かな中だんだん近づき、また遠くなっていく。


 目を開けると、まず真っ暗な空が見えた。風雅は気づくとバス停のベンチで寝かされていた。


『おっ、気づいたかい?まだそう遠くへは行ってないはずだよ。連絡とって早く行きな。あたしゃ帰るからね。気をつけて行くんだよ』


 風雅は状況が全く飲みこめなかった。だが、おそらくこの女、神楽絆にここまで運ばれたどころか、どうやら目が覚めるまで待っていてくれたらしい。


『何故…』


 風雅の言葉に神楽は続けた。


『放っておいて行かなかったんだ、とでも言うつもりなのかい?あんたあたしを殺人犯にするつもりかい?あんたがいつ死のうと、そりゃあんたの勝手だろうけどね、こんな所でぶっ倒れたまんまにしてトラックにでもはねられてごらんよ。全部あたしのせいじゃないか。悪いけどあたしは捕まるつもりも人殺しになるつもりもないんだよ。』


『でも…』


『まぁ、そうだね。1つ付け加えて言えることがあるとするなら、あんたにちゃんと役目果たされちまったってとこかな。このあたしにビビらず真っ正面から打ちこんでこれるなんて大したもんさ、ぶっ倒れてまでね。あんたの総長は幸せもんだって言っときな。挨拶はまた今度にしとくよ』


『ま、待って下さい!』


 さっさと単車に跨がり行ってしまおうとする神楽を風雅は引き止めていた。


『…なんだい?』


『あの…』


 風雅はこの時、愛羽の言葉を思い出していた。手を取り合えなければじきにみんなやられてしまう。だがそれを言い出すのはムシがよすぎてできずにいた。


『無駄さ』


 神楽はそんな風雅の顔を見て、それを察していた。


『お前たち如月と一緒に動いてるってことは、神奈川を統一して東京と構えるつもりなんだろ?ふふ、無駄だよ。哉原も緋薙もそう簡単には話に乗らないさ。そもそもそんなことに何年かかってると思うんだい?』


 確かにそれはその通りだ。風雅は言葉を失っていた。すると神楽が何かを手渡してきた。名刺のようだ。


『気が向いたら遊びにおいで。またゆっくり話そうじゃないか』


 そう言うと神楽は走りだし、行ってしまった。






 麗桜対哉原のボクシング対キックボクシングという対戦はまだ続いてはいたが、麗桜に言い当てられた通り今日すでに受けているダメージが大きい哉原は、かなり体力も消耗していて麗桜があと1歩という所まできていた。


 そんなことは戦っている2人が1番分かっている。ただ、この哉原のしぶとさも驚異的で麗桜も油断はしていなかったが、手負いの人間をこのまま叩くのもどうしたものかと思い始めていた。


『あー!よし!もういいや!』


 麗桜は踵を返すと単車の方へ歩いていく。それを見て哉原が数秒呆気にとられた。


『もういいだぁ?ふざけんな!舐めてんじゃねー!来いよホラ!』


『いいや、俺にはできない。たとえ敵が汚い奴でも俺はちゃんと勝負がしたい。相手が自分より強くてもね。あんたが万全の状態だったら俺は勝てないかもしれないけど、どうせならそんな時に手合わせしたいよ。できたらリングとかでね』


 哉原は舌打ちをした。


『おい!お前名前は!』


『暴走愛努流 初代特攻隊長任されてる春川麗桜だ。あんたは?』


『鬼音姫総長、哉原樹だ。お前今日のこと忘れんなよ』


 麗桜は笑って手を振った。






 蘭菜と伴、そして夜叉猫たちは橋本五差路の1歩手前で厚木方面に曲がり、すでに国道129号に出ていた。そこで一先ずガソリンスタンドに寄って、全員ガスを入れるなどして愛羽たちが来るのを待っていた。


 しかしそこへ1番に現れたのは、思いもよらない人物だった。


 背中には東京連合焔狼という文字が大きく見える。さっきまでの可愛い女の子チックなワンピースなどではなく、右足に堂々と「殺人上等」の4文字が施されたもはや戦闘服と言うべき灰色のつなぎを身にまとい、雪ノ瀬瞬が現れてしまった。


『…少女は…猫さんを見つけました…さぁ、可愛い猫さん。たっぷり遊んであげる…こっちへおいで』


 目が普通ではない。雰囲気もだ。放つオーラが危険を感じさせる。


『…私に会いに来た、ということかしら?』


 伴は前に出ていく。


『そうだよ。さっき君だけかかってこなかったからね』


『蘭菜ちゃん。みんなも離れていて』


『カッコいい。やる気だね』


 雪ノ瀬は真っ直ぐ走って伴に突っこんでいく。体でぶつかった瞬間に伴の頭をつかみ、おもいきり頭突きした。


『あはは。どう?猫さん』


 続けて右の拳で伴を狙いにいく。伴もひるまず右の拳で顔面を狙い打った。


『やってやるわよ!』


 ほぼ同時に打ち合った2人だが、雪ノ瀬は伴の胸ぐらをつかみ続けて2発目の右拳を打ってきた。


『うぅっ!』


 伴は想像以上の威力に驚きながらも雪ノ瀬の胸ぐらを同じようにつかみ返した。


『覚悟しなさい!』


『それは君だよ!』


 そこから2人はほぼ同じ数の拳を叩きこみ合っていくが、圧倒的に雪ノ瀬には余裕が見える。伴も1発1発に力を込めてはいるのにほとんど効いてなさそうだ。反対に伴には明らかなダメージが見える。すでに左目の上辺りが切れてしまっている。だが伴は雪ノ瀬の胸ぐらを放そうとしなかった。


『へー、やるね。案外猫さんが1番強いんじゃないの?』


『あら、あなた目がいいのね。でも、余計なお世話よ!』


 伴は果敢にパンチを打っていく。押されているのは確かだが逃げずに攻めている。しかしそれがこの雪ノ瀬を本気にさせた。


『ちょっとペースを上げるよ』


 伴の胸ぐらをつかみながら一瞬放しては両手で拳を叩きこみ、また胸ぐらをつかみと伴を逃がさずに攻撃の回数を増やしていった。伴が殴られ顔を歪める度に、雪ノ瀬はそれを見て狂気に満ちた表情で笑っている。


 だが、胸ぐらをつかむ手の力が弱くなっているのが周りで見ていても分かるのに、伴はその手を放さないでいる。


『おい。なんのつもりだよ、この手。いい加減放せよ。殺しちゃうよ?』


 伴は片方目が開いておらず、息を切らしフラフラだ。


『約束、したのよ…』


『は?』


『今日は大切な日なの。何があろうと、たとえあなたが相手でも私は負けられない!』


 雪ノ瀬はふと蘭菜を見てその意味を察した。


『…あぁ、なるほど!あの謎の女の子と同じ特攻服。飾られた花。若そうだし引退じゃないよね。ってことは今日がこの子たちの結成記念ってことかな?そっか、そういうことね。あたしとしたことが間違えたよ。』


 雪ノ瀬は伴を突き飛ばした。


『今日潰さなきゃいけないのは、そっちだったんだね』


 今度は狙いを蘭菜に変え向かっていく。


『逃げて!蘭菜ちゃん!』


 蘭菜は恐ろしさから身動きができずにいる。とても自分が相手になれる次元ではない。


『ほら、潰してあげるよ。こっちにおいで』


 雪ノ瀬が蘭菜の方へ向かっていくと、単車の音が近づいてきた。


『ん?』


 1台で飛ばしてくるのが分かる。次の瞬間にはその場に突っこんできた。単車はブレーキを踏むと蘭菜と雪ノ瀬の間で停まった。


 XJ400。やってきたのは玲璃だ。


『なんだ、こっちも客か。人気者だなぁ、暴走愛努流は。順番からいって、ここはあたしの出番って訳だ』


『玲璃!』


『蘭菜。ぼちぼち愛羽たちも追いつくはずだ。こいつあたしが任されるから、伴さんたち連れてもう行ってくれ』


『無茶よ!あなた1人で!』


『信用ねーなクソ!いいから行けって!』


 雪ノ瀬は勝手に話を進められ、かなり不機嫌そうな顔をしている。


『…いきなり現れた…金髪の少女は、どうやら…自分が生け贄になる…ことを望んでいるようです…狼は…ありがたくその生け贄を頂くことにしました』


 玲璃は単車を降りると助走をつけ飛び上がり、空中回し蹴りで顔面を狙っていくが、雪ノ瀬は軽々と腕でそれを受け弾き返しニヤリと笑った。


『壊してあげるよ』


『こっちのセリフだ!』


 玲璃は拳を振りかぶり、あくまで先手で攻めていく。伴が負傷している所を見て、この少女が問題の東京の相手らしいことは分かった。そしてほんの10数秒やり合っただけで相当な強さであることを知った。


『ねぇ、君ところで誰?』


 雪ノ瀬は蹴りや拳をかわしながら普通に話しかけてくる。


『そうだ!さっき猫さんとやってた遊びやろうよ』


 玲璃の胸ぐらをつかむと、伴にしたのと同じように右拳を叩きこんでいった。玲璃はその時初めてこの少女の放つ攻撃の重さを知った。殴られると顔が取れそうに思えた。


(信じられねぇ!どーゆー力だ、この女!)


『玲璃ちゃん!』


『玲璃!』


 見ていられず伴と蘭菜が助けに入ろうとしたが、すると雪ノ瀬はナイフを取り出しそれを見せつけた。


『邪魔するとコイツ刺しちゃうよ?それでもよければ、どうぞ、どこからでも』


 夜叉猫たちも全員で取り囲んでいるが、これでは手が出せない。


『伴!一気に突撃しよう!』


 夜叉猫の1人がそう言うと、周りもこの雪ノ瀬をここでなんとしても叩くべきという雰囲気になっていた。


『…ダメよ。みんな絶対にそんなことしてはならないわ』


『そんな!あの子見殺しにするの!?』


『今みんなが手を出したら、多分すぐに東京連合全軍がここに集結して、1人残らず完全に潰されるわ。そういう状況にあるのは、私たちの方なのよ』


 伴たちはただ見ていることしかできない中、玲璃はどんどんボコボコにされていく。


『くっ、ふざけやがって!』


 玲璃は覚悟を決めた。雪ノ瀬の拳をまともにくらう代わりに抱きついていくと、片方の足を踏み、もう片方に足を絡ませ力いっぱい押し倒した。玲璃の想定外の行動に雪ノ瀬は受け身をとるのが遅れ、2人は共に倒れた。


 だが上になったのは玲璃の方だ。


 この機を逃す手はない。玲璃はすかさず拳を打ちこんだ。馬乗りになって右、左と力を振り絞ってパンチを打ちこむ。今度は的を確実にとらえている。いくらなんでも効いてるはずだ。


『どうだ!くそヤローめ!』


 しかし、雪ノ瀬の表情にはなんの感情もなく、殴られながら玲璃のことをずっと冷たい目で見ていた。


『痛っ!』


 足に鋭い痛みが走り玲璃はすぐ雪ノ瀬から離れた。右の太ももから痛みと共に血が流れ出し、特攻服のズボンに染み渡っている。


『気持ちよかった~?』


 雪ノ瀬は血のついたナイフを見せ、うすら笑いを浮かべていた。


 足をやられた玲璃は、もはや勝ち目どころか逃げることもできなかった。雪ノ瀬はナイフを投げ捨てると、刺した方の玲璃の足をおもいきり蹴りつけた。


『うぅっ!』


 玲璃のうめき声を聞くと、もう1度傷めがけて蹴りを入れた。


 さすがの玲璃も立っていられずしゃがみこんでしまうと、雪ノ瀬も玲璃の前でかがみ顔を覗きこんだ。


『決めた。君殺しちゃお』


 ニターと笑って言うと、立つことも防ぐこともできない玲璃を問答無用でいたぶり始めた。その重い攻撃は玲璃の記憶の中で、あの緋薙豹那を越えダントツの1番だった。そのコンクリートで殴られたような、砂の詰まった袋で殴られたような信じられない力で、もう自分が何回殴られたのか分からなくなる程徹底的にやられた。


『ごめんなさいって言える?いい子はちゃんと言えるよね?』


 玲璃は口の中の血をつばと一緒に吐き出した。


『へっ…あたしが、いい子に…見えるのか?』


 その瞬間、雪ノ瀬の助走をつけた蹴りが玲璃の胸辺りに直撃し、玲璃は蹴り飛ばされ倒れてしまった。


(ダメだ…こいつ…強ぇなんてもんじゃねぇ…)


『玲璃!』


 蘭菜は玲璃に駆け寄り、伴が雪ノ瀬の前に立った。


『もうやめてちょうだい。これ以上この子たちに手を出さないで』


 雪ノ瀬は鼻で笑った。


『先にしかけてきたのはその金髪だよ?ジョーダンじゃない。そこをどいて』


 そこへ今度は豹那と蓮華がやってきた。すぐに玲璃がケガをして倒れているのが分かった。驚いたのはそのやられ方だ。蓮華は恐ろしくなって両手を思わず口にやった。


『玲璃…嘘でしょ?』


 豹那は雪ノ瀬をしっかりとにらみつけた。


『あれ?ケガ人のお嬢さん。今日は安静にしてないとダメじゃん』


『この野郎…』


 豹那が単車を降りると蓮華が豹那の腕をつかんだ。豹那はもう行かせられない。少なくとも今日は。蓮華だってそれ位分かっている。


 するとまた何かがものすごい速さでやってくるのが分かった。4発の単車の音。CBX。愛羽だ。


 愛羽はそのまま猛スピードで雪ノ瀬に向かって突っこんでいった。


『ちっ』


 雪ノ瀬はそれをよけると距離をとった。


 蓮華は愛羽に近づいていこうとしたが途中で足を止めてしまった。


 あの愛羽が、まるでキツネにでも取り憑かれたような顔をしている。蓮華は愛羽の顔を見れなかった。


『あぁ。君はたこ焼きの女の子。ねぇ、何?その顔』


『許さないからね、あんただけは』


『?あぁ…もしかして友達やられて怒ってるの?でも君さぁ、誰にケンカ売ってるか分かってるの?』


『あんたが誰だろうと関係ない!あたしはあんたを許さない。分かってるのはそれだけで十分!』


 雪ノ瀬は今日で1番機嫌の悪そうな顔をした。


『へぇー。その言葉、忘れないでね。絶対後悔させてやるから。あたしが東京連合総會長、焔狼の雪ノ瀬瞬(ゆきのせしゅん)だよ』


『暴走愛努流 初代総長、暁愛羽だ!!』


 雪ノ瀬は不気味に笑うと単車に跨がりエンジンをかけ、一気に加速して行ってしまった。


『玲ちゃん!大丈夫!?しっかりして!』


 愛羽はすぐに玲璃に駆け寄り声をかけた。玲璃はボコボコの顔で蘭菜に支えられ、なんとか立ち上がった。


『…わりぃ、愛羽。あたし、今日ちょっと調子悪くてさ…次は勝つから、絶対…』


 玲璃は悔しそうに申し訳なさそうに目を赤くした。


『なんで無理するの?まともにやり合ったらダメって言ったじゃん!』


 愛羽は泣いてしまった。


『バカ。泣いてんじゃねーよ。あたしが死んだとでも思ったかよ』


『血流して倒れてたら心配するに決まってるでしょ!』


 豹那は単車のエンジンをかけギアを入れた。


『じゃあね、蓮華』


 豹那も走りだし行ってしまうと、その後麗桜と風雅も合流してからやっと集会を再開し、暴走愛努流の旗揚げ集会は形としてなんとか無事走りきることができた。



 だが、今日の出来事は神奈川の暴走族全員の胸に深い傷跡として残るのだった。

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