第17話 なんの為に戦うか

 覇女や鬼音姫が必死になって周辺を捜索している頃、雪ノ瀬はもうとっくにかなり遠くまで来ていた。


 前を運転しているのは坊主頭の女で、顔の右半分、目から下に刺青が入っている。背が高く、金髪の坊主に耳には無数のピアスがぶら下がっている。外見では雪ノ瀬よりヤバそうだ。


『停めて』


 雪ノ瀬は後ろから肩を叩いて単車を停めさせた。坊主の女は仕方なく停まった。


『どうした?』


『ごめん千歌、(せんか)あたし忘れ物しちゃった』


 だいたい言いたいことは想像がつく、という感じで坊主の女は溜め息をついた。


『猫さんとさぁ、遊んであげるの忘れちゃったんだよね』


 そう言いながら雪ノ瀬はバッグから錠剤の入ったビンを取り出し、適当な数を手に出すと一気に口に放り込み噛み砕いた。


『精神安定剤か?飲みすぎはよくないぞ』


『分かってるよ、大丈夫。でさぁ、悪いんだけど、あたし1人で行くから千歌はタクシーで帰っててくれる?』


 坊主の女は「またか」というような渋い顔で、さっきより大きく溜め息をついた。どうやらこういうことは初めてではないようだ。


『…全く、結局これか。琉花(るはな)に責任持って連れて帰れと言われている』


『大丈夫大丈夫。神奈川はやっぱりまだ仲良くなれてないんだってさ。今頃バラバラになってあたしのこと探してるんじゃないかな?それに、みんな大したことなかったしね。遊んでくるだけだよ』


『薬はまだあるのか?』


『え?まぁ、まだあるけど、今飲んだばっかだから』


『いや、そうじゃなくて…』


 言われて雪ノ瀬はその意味を理解したらしい。


『あぁ…問題ないよ。まだあるし、なくても平気だしね』


『瞬…』


 坊主の女は急に強い眼差しを雪ノ瀬に送った。


『分かってるよ。安心して。まぁそういうことだから、あたし行ってくるね。あたしのつなぎちょうだい』


 雪ノ瀬は坊主の女からつなぎを受け取ると、ワンピースの上から慣れた感じで着替えていく。


『あ、ブーツ持ってきてないや。ま、いっか。千歌あたしのワンピよろしく』


 着ていたワンピースを坊主の女に投げ渡すと、1人で単車に跨がり一気に走りだした。


『…さぁ、猫さんはどこにいるのでしょう…少女は狩りに出かけました…』






 愛羽たちは気を取り直して旗揚げ集会を決行することにした。


『じゃあルートを説明しとくね!まず、こっから湘南の海岸をずっと走ってって、逗子で横横(横浜横須賀道路)乗って三ツ沢で降りて、横浜ぐるっとしてから16号(国道16号線)で相模原まで行って129(国道129号線)走って戻ってきて小田原帰るから!』


 簡単に説明した愛羽だったが、どういうことかと言うと湘南、横浜、相模原と敵の陣地を堂々と走って回るというのである。


『つまりどーゆーことだ?軽く神奈川1周して、他のチームにケンカ売ろうってのか?』


 玲璃は目をキラキラさせた。


『伴さんたちに迷惑かかるんじゃないかな?』


『ううん。それは伴さんと話して決めたの。』


 風雅が言うと愛羽は首を振り、麗桜もいよいよ始まる集会に意気込みを見せた。


『さっきそんなことがあって尚やるんだな。全く、肝が据わってるってゆーかなんてゆーか』


『でもね、さっきあの場にいて思ったの。あんな状況になっても話したり手をつなげないんだったら、分かり合えるまで戦ってみせるしか、ないのかもしれないって。さっきの東京のあの子、相当強かった。なんとか1つになれなきゃ、どの道みんな潰されちゃうだけのような気がするの』


 雪ノ瀬を見ていない5人はその恐るべき強さをまだ知らなかったが、愛羽の言葉には重みがあった。


『それにさ、神奈川全部の暴走族、1つになって走ってみたいじゃん。そうやって思ったらあたしたちにできることは働きかけることだけでしょ?だからね、この旗揚げは派手にアピールするべきだって思ったの。大変かもしれないのは分かってるんだけどね、伴さんに言われて、やってみたいって思っちゃったんだ。』


 愛羽は申し訳なさそうにみんなを見た。


『…もう。まずはそれならそれで、副総長の私に相談してほしかったわ。まぁ、結果的には同じだったと思うけど』


『蘭ちゃん…』


 蘭菜は優しく微笑んだ。


『問題ないさ。君が背中を任せてくれるなら僕は何があっても君を守る。それだけだよ』


『風ちゃん…』


 親衛隊長の風雅は総長やみんなを守るのが仕事だ。大抵親衛はパトカーが追ってきたら、みんなを先に逃がし「ケツモチ」をする。だがそれだけではなく、何かあれば率先して対応しなければならない。


『まぁ、俺が特攻一番機ってやつなら守る出番もねーかもしれねーけどな。その東京のなんとかって奴、俺にやらせてくれよ』


『麗桜ちゃん…』


 特攻隊長の麗桜はいつも愛羽の前にいなければならない。特攻の集会における役割は主に「信号止め」となる。信号が赤だろうとなんだろうと交差点に先行して突入し、みんなが通れるように車を止めさせる。そして敵チームと遭遇した時には1番に突っこんでいく。


 風雅と麗桜の間に玲璃が割りこんだ。


『おい待て!勝手に話進めんなよ。ケンカはあたしが代表だって決めたろ!覇女も鬼音姫も悪修羅嬢も、このあ、た、し、が倒す。アホ羽、お前は偉そうに先頭走ってりゃいいんだよ。余計な心配してんじゃねーアホ!』


『玲ちゃん…』


 そして蓮華も口を開いた。


『愛羽。あたし、どうしても豹那さんと話がしたい』


 愛羽と蓮華は数秒見つめ合い、やがて愛羽がうなずいた。


『分かってる。話すことができるように考えてるよ。その時になってみなきゃ分かんないけど、蓮ちゃんの気持ちは優先する。それは約束するから』


 話がまとまると、それぞれ自分の単車に、蓮華は愛羽の後ろに乗りこんだ。


『じゃあ行くよ!あたしら暴走愛努流!今日がやっと旗揚げだけど、あたし頑張るから、みんなよろしくね!』


『おう!』『えぇ!』『あぁ!』『うん!』

『へっ!任せとけってんだ!』

 暴走愛努流よろしく~!!


 6人の声と共にエンジンがかかり、暴走愛努流は走りだした。


 集会スタート地点ではすでに伴たち夜叉猫が集合しており、愛羽たちが到着すると夜叉猫たちが愛羽たち全員に花を渡してくれた。


 集会によって、引退集会で引退する人に花を渡したり、追悼集会では亡くなった人の為に花を手向けたりする。今回は結成記念ということで夜叉猫のメンバーたちが愛羽たち6人に花を用意してくれた。


 受け取った花は単車に飾れるだけ飾り、ブーツの隙間に差し込んだり、それでも足りなければビニールテープで体にグルグル巻きにされる。


 見る見る内に色々な花で飾られた愛羽たちは、深々とみんなに挨拶し、それが済むと愛羽の合図で走り始めた。旗揚げ集会のスタートだ。


 平塚の国1から海沿いの134に向かい、湘南エリアを走っていく。茅ヶ崎から江ノ島を通りすぎていくが悪修羅嬢の人間は1人も現れなかった。






 その頃、その悪修羅嬢の緋薙豹那は病院で傷を縫われると休むこともせず、東京連合の雪ノ瀬を探しに出発していた。


『緋薙さん、今日は休んだ方がいいんじゃ…』


『うるさい』


『さっきの子、放っといてよかったんですか?結構知ってる風だったけど』


『うるさいね。あんなガキ知るかよ、放っとけ!あたしを怒らせたいかい?』


『い、いや、あたしらは別に、いいなら、それでいいですけど』


『それより、あの赤い髪のガキだ!いいかい?なんとしても見つけ出してあたしの前に連れてきな!このままじゃ済まさないよ、クソガキめ!』






 愛羽たちは横横を横浜方面に向かい、三ツ沢で降りると横浜駅周辺を走って回った。桜木町にみなとみらいを回ってから16号へ向かっていく。


 その中で伴は昔を思い出していた。ランドマークタワーやテーマパークの観覧車もあの頃と何も変わらない。まさか龍玖の後ろに乗せてもらって走ったこの街を、その妹と一緒にこうして走るなんて夢にも思っていなかったが、今はこの巡り合わせに感謝している。


『懐かしいわ…』


 爆音の中、それだけ小さくつぶやくと横浜の空気を胸いっぱい吸いこんだ。


 これだけ横浜を走り回ったのに、やはり覇女の姿も見当たらなかった。


 まだ例の雪ノ瀬を探しているのかもしれない。時間はもうすぐ0時になろうかという時だった。


 16号を相模原方面に向かっていると、反対側から大群が走ってくるのが分かった。黒い特攻服の集団、覇女だ。


 特攻隊長の麗桜は愛羽の方を見たが愛羽は首を横に振った。相手側は停まって明らかにこちらが通りすぎるのを見ていたが、愛羽たちはシカトして走っていった。麗桜は愛羽に近づいていき確認した。


『いいのか?あいつらずっとこっち見てたぞ。追ってくるんじゃねーか?』


『今日の目標はさ、あくまでこの集会を成功させることだから。もし追ってくるんだったら、それは風ちゃんたちの仕事だから、あたしたちは動かないでこのまま進む!』


 わずか15歳の女の子とは思えない判断力とその早さに、つくづく麗桜は驚かされたが黙ってうなずくと先頭のポジションに戻っていった。






 神楽は神奈川最大と呼ばれる覇女を引き連れ、血眼になって雪ノ瀬を探したがついに見つけることができず、16号を横浜方面に向かい戻る途中だった。


 前から白い特攻服の群れ、夜叉猫がやってくるがどうやらその先頭を走るのは如月伴ではなく、先程七夕のあの場にいたポニーテールのチビらしいことを確認した。当然狙いの獲物ではないが愛羽を見て気になることがあった。


『先頭走って花飾ってるってことは、なるほど、今日がその日ってことか』


 だが本当に気になることはそんなことではなかった。神楽は副総長の人間に言った。


『お前たちはこのまま横浜戻ってな。何かあったら連絡するんだよ。特に、あのガキを見つけたらまず連絡しな。あたしはあいつらに挨拶してくるよ』


 そう言ってニヤリとすると、1人Uターンして暴走愛努流と夜叉猫を追いかけた。


『あのCBX、どこかで見たことあるねぇ…』






 覇女をシカトして通りすぎそのまま走り続けた愛羽たちだったが、さすがに次は1度停まらなければならなかった。


 16号から129号に曲がっていく橋本五差路の所で、深紅の特攻服が道路一面をふさいでいたからだ。哉原たち鬼音姫がおそらく検問を張っているのだろう。いくらなんでも夜叉猫を引き連れて正面衝突はできない。愛羽は手招きをして蘭菜を呼んだ。


『五差路の手前で曲がって、夜叉猫と一緒に129を厚木方面に向かって行って!あたしは引く訳にはいかないから麗桜ちゃんと正面突破してそっちに合流するから!』


 蘭菜は理解するとニコッとして、手を上げ夜叉猫たちを導き手前で左折していった。


 愛羽とその後ろに乗る蓮華、そして麗桜は直進していく。五差路を埋め尽くすワインレッドの集団を2台でローリングをきりながら(ローリング走行をしながら)次々にすり抜けていく。このまま五差路を抜けたらあとは一気に飛ばして逃げきるだけだ。


 だが、もう少しで五差路の中心という所まできて事件が起きた。


『えぇっ!?嘘でしょ!?』


 愛羽たちが曲がるはずだった厚木方面から悪修羅嬢が現れたのだ。これには愛羽もさすがに想定外らしく唇を噛んだ。五差路の中央では愛羽たちと悪修羅嬢の存在に気づき、当然不機嫌そうな哉原樹が待ち構えている。


『てめーら、こんな日にここ通るなんてずいぶん上等じゃねーか!』


 豹那たちは五差路に差しかかった所で停まり、哉原たちと向かい合った。そして単車を降りると豹那は哉原の方へ歩いていった。


『おい哉原、邪魔だよ。消えな』


『お前こそ2、3日安静にしてた方がよかったんじゃねぇのか?帰れ。ケガ人に興味はねーよ』


『あの赤い髪のガキはどこだい?』


『さぁな。絵本の中にでも帰ったんじゃねーか?』


『見失ったってことか。使えない女だね』


『それより、あれはひょっとしてお前らと待ち合わせか?』


 豹那がうながされた方を見ると愛羽たちが向かってくるのが見えた。


『なんであいつらがここに』


『如月も一緒みてーだな。1個手前で曲がってったけどよ』


『へぇ…大事な日ってのは、そういうことか』


 愛羽と麗桜はいきなり加速して突っこんでいった。豹那と哉原の間をすり抜けると五差路を左折し129号線に入った。あとは蘭菜たちと合流するだけだ。だが哉原は素通りなど許さなかった。


『行くぞテメーらぁ!五差路であたしシカトしてバックレなんて舐めやがって。あのガキ共を取っ捕まえろぉ!』


 哉原が声をあげると鬼音姫たちは単車に乗りこんだ。哉原はエンジンをかけるといち早く走りだし加速して愛羽たちを追いかけた。



 豹那は見ていた。


 愛羽の後ろに乗っていたのは間違いなく蓮華だった。



『緋薙さん、ウチらはどうします?16号行ってみましょうか?』


 悪修羅嬢たちは豹那の指示を待った。


 豹那は一瞬考えた。相手はそもそも1台で行動している。こちらが集団で動く限り、まだこの辺りに潜んでいたとしてもこちらの動きは常に筒抜けだ。そんな中、万に1つでも向こうが墓穴を掘るとは思えない。このまま探し続けても時間の無駄なのは分かりきっていた。



 豹那の脳裏に昔の映像が一瞬よぎった。



『…おい、お前たち。鬼音姫を行かせるな。いいね』


 豹那はギアを入れ哉原を追いかけた。







 神楽絆は1台で暴走愛努流と夜叉猫を追いかけると、ものすごいスピードであっという間に追いついていった。しかし最後尾が見えてきたかと思うと2台の単車が停まって待ち構えていた。


 XJとGSXE刀だ。神楽はそこで停まると、まずタバコに火をつけた。


『お前たちはあのポニーテールの側ってことか。へぇ…で、あたしを招待してくれるつもりかい?こんな所で待ってるってことはさぁ』


『あぁ、いいぜ。明日の朝まで合流できるか分からないけどな』


 金髪の方の女が言った。どうやら自分を食い止めるつもりらしい。


『はっはっは、おもしろい。このあたしとやろうってか』


 神楽はギアを入れると走りだした。すると前の2人も走りだし進行方向を妨害してきた。


『ちっ、こざかしい』


 神楽は右、左とハンドルを切り返して前に出ようとするが、前の2人は二車線を2人で上手く防ぎ、なかなか抜かせてくれない。


(まぁ、狙いは時間稼ぎってとこか。この集会を無事成功させなければ旗揚げにはならない。作法だけはわきまえてるようだね。だがそんなことはどうだっていいんだ。あのポニーテール。なんだってあのCBXに乗っていやがるんだ?あたしが知りたいのはそれだけなんだが。こいつらにそれを言った所で聞かないだろうけどね)







『しょうがねぇ。今日の所は人手の少ないケツ持ちさんをこのあたしが面倒見てやるよ!』


 集会前、玲璃と風雅は2人である作戦を立てていた。


『はは。助かるよ、番長』


『ばっ!番長!?おい風雅、あたしは代表だって言ってんべよ!なんだよ番長って』


『代表だね、分かったよ。でも玲璃。万が一何かあった時には僕を捨てる決断をしてくれよ?』


『は?なんだよ、カッコつけて』


『僕は愛羽の為に必ずこの集会を成功させてあげたいんだ。でも何が起こるか分からないから、その時は僕が1番始めに犠牲になりたいんだ』


『お前、そんなこと言ってんとあいつに怒られんぞ?』


『何故だい?』


『分かってねーなぁ。あいつが誰か1人でも犠牲にしてまで成功させて喜ぶと思うか?』


『それは…』


『その辺は勘違いしないことだな。なんでお前が親衛任されたのか、その意味をよ』


『その意味…か。分かったよ』


『でも確かに何が起こるかは分からねぇ。例えばどっちかがケツ持ちして、どっちかは緊急で連絡しなきゃいけないとかな。だからいつでも状況に合わせて動けるようにサインだけは決めとこう。指で1はあたしがケツ持ち。2は風雅がケツ持ち。いいな?』


『分かった』







『風雅!逆サイ!逆サイ!』


 一瞬のことだった。スピードをゆるめ、しばらく抜いてこようとしなかった神楽が、風雅の一瞬のふいをついて対向車線まで出ると一気に抜き去り前に出た。そして1度抜かれると神楽はもう抜かせてはくれなかった。


 神楽の単車はKZ550。玲璃も風雅もついていくのがやっとだった。


『くそっ!やられた!』


 風雅は自分の油断を責めた。だいぶ時間は稼いだはずだが、これでは追いつかれるのは時間の問題だ。風雅は玲璃に向かって指を示した。


『風雅!お前!』


 出した指は2。僕が残る、君は行け。風雅の目がそう言った。


 丁度交差点が見える。ここで1人曲がって本体にすぐ連絡しなければならない。1人は残って神楽を食い止める。決めるのは今。話す時間はない。


『くっそぉ!てめー絶対戻ってこいよ!』


 玲璃はもうどうしようもなく交差点を右折し他の道を行った。風雅はその姿を確認し安心すると、前を向き覚悟を決めた。


『愛羽。君はきっと僕を信じてくれてるんだね。だから僕が親衛隊長なんだ。そうなんだね?』






 神楽は2人を抜き去るとどんどんその差を広げたが、しばらくして1人が消えたことに気づいた。


『ほーう。これで前を走る意味がなくなってしまったね。この一瞬で、大した判断だ』


 神楽がブレーキを踏むと、そこで風雅も停まった。


『スピードでかなわないと見るや、布石を打って自分は囮。やるじゃないか。まんまとやられたよ』


『あなたを本体に合流させると僕の総長の邪魔になるんだ。相手なら僕がするよ』


『ふっふっふ。あのチビが総長か。お前たち若そうだけど、今いくつだい?』


『…15だ』


『やっぱりガキか。あたしが誰だか分かってるんだろうねぇ』


『覇女の神楽絆だね』


『ほう。1年生でも知っていてくれるとは嬉しいねぇ。どれ、お前の名前も聞いておこう』


『暴走愛努流 初代親衛隊長、鞘真風雅』


『覚えておくよ』


 神楽は単車を降り、風雅の2メートル程手前まで来た。そして両手をポケットに突っ込むと、少し下から風雅を見て笑った。


『お?思ったよりいい女だね。自己紹介はいらないみたいだけど、これだけ言っとくよ?あんた、今日は運が悪かったね』


 風雅は拳を構えたが、まず目にも止まらぬ速さで神楽の右拳が飛んできた。風雅は紙一重で数ミリそれをかわすが、次にすぐ左拳が打ちこまれ風雅は殴り飛ばされた。


(剣でもないのになんて間合だ!それに速い!)


 風雅は立ち上がるとシートに収めてあった木刀を手にした。食い止めるなんて言ってられない。本気で戦わなければあっという間にやられる。そう感じた。木刀を構え自分の間合をとった。


『へぇ~?腕に覚えがありそうだねぇ。おもしろい、おもいっきし打ってきな。そっちのが得意ならね』


 なんという威圧感だろう。剣道の全国大会でもこれ程の迫力がある人は、少なくとも風雅は見たことがなかった。神楽は左右の拳に蹴りも重ね風雅を追い詰めていく。


『動きはなかなかのもんだ。上手くよけるじゃないか』


 防戦一方の風雅は、一瞬も気が抜けないまま攻撃を受けながらも反撃の時を待っていた。神楽が体重を乗せた大振りのパンチにくると、風雅はよけない代わりに打たれる時を狙って同時に胴を打ちこんだ。しかし振り払った全ての力が伝わる前にまたも殴り飛ばされてしまった。


『ぐっ!』


 想像以上に神楽の攻撃は鋭く強烈だ。何よりもケンカ慣れしている。隙がないというよりは常に攻撃されていて、その都度どこを攻撃するのが1番かを的確に捉えられている。その上打撃の重さときたらハンパではない。あなどっていた訳ではないが、改めて感じた力の差はあまりにも大きく、風雅はなす術なく打たれていくだけだった。


『どうだい?もう諦めて降参しなよ。言って聞くか知らないけどね、あたしゃあんたのボスに聞きたいことがいくつかあるだけなんだよ』


『断る。彼女を守るのが僕の仕事なんだ』


『ふっ、こっちが気ぃ使ってやってんのにそれか。いいだろう。ならあたしも気が楽だよ。遠慮なくぶっとばさせてもらうよ』


 そこからは先にも増して凄まじい攻撃のラッシュが続いた。完全な一方的攻撃にボロボロになりながらも風雅は耐え続けた。目の上は腫れ、口の中は切れ、体中痛みでどうしようもないはずなのに何度倒されても彼女は立った。


『まだ立ってこられるとは、これは驚いた。あんたに守られる総長は幸せだね。だがもうとっくに限界のはずだ。悪いことは言わないからもう倒れちまいな。あたしも神奈川を背負う者として挨拶に行かなきゃならないんだ。お前の根性に免じて邪魔はしないと約束するよ。それでどうだい?』


 しかし風雅はどかないどころかまた剣を構えた。その目つきと気迫に、神楽も相手が倒れる寸前なのを分かっていながら凄みを感じひるんでしまった。


(こいつ…死にたいのか?ふふ、こんな「バカ」は、久しぶりに見た)







『はーあ、なんであんたいつも弱っちぃのに剣道だけはそんなに強いの?』


 まだ小さい頃、風雅は双子の弟美雷に勉強で勝てても駆けっこで勝てても、たった1つ剣道では勝つことができなかった。始めた時期は一緒で同じように稽古してきた2人は、一見力は互角に見えるが、いざ勝負になるとだいたい美雷が勝った。


『なんでって言われても僕、強くなんてないよ。でも、僕が負けちゃったらそれってさ、風雅が負けるってことになっちゃうから、僕ね、だからいつも自分の後ろに風雅がいるって思って試合してるんだ。そうすると、なんか勇気が湧いてくるっていうかさ、負けられないって思えてくるんだよね』


 その頃名前と人生を交換していた2人は、剣道でも風雅は美雷として、美雷は風雅として試合に出ていた。


『何それ。じゃあ、あたしはあんたが後ろにいるって思ってたら勝てんの?はっ、バカ言わないでよ。そんなんで剣が上手くなったら苦労しないわよ。なんかもっとコツとかないわけ?あたしは強くなりたいの。勇気が湧きたいんじゃないの』


 風雅はほほをふくらませて美雷に手ぬぐいを投げつけた。


『うーん。そう言われても僕は風雅が弱いなんて思ってないし、僕より強いと思ってるよ。でもさ、多分、何の為に戦うかって意外と大事だと思うよ?』


 美雷はぐしゃぐしゃに丸められて投げられた手ぬぐいを綺麗にたたみ直すと、風雅に手渡した。







 風雅は小さい頃のそんなやり取りを思い出していた。


(なんだか…やっとあんたが言ってたことが、分かったような気がするよ)


 風雅は構えを変え左の腰に木刀を収め、そこから刀を抜くような構えをとった。神楽を目で捉えると、神楽のもっと後方を見るようにしっかりとにらみつけた。


 風雅は神楽が一瞬ひるんだのを見逃さなかった。大きく踏み出すと跳び、抜刀の構えから横一線に木刀を振り抜いた。


 だが神楽はそれをもろにくらいながらも風雅を殴り飛ばした。


 風雅の一撃の方が確かに一瞬早く神楽を一刀両断にしたように見えたが、神楽はそれでも攻撃を返してきた。


 風雅は完敗の2文字を思ったが、それでも立ち上がった。しかし全身から力が抜けるような感覚に襲われると意識が遠くなっていった。


(愛羽、すまない。勝てなかった…)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る