第16話 七夕の空

『愛羽、あたし決めたんだ。赤ちゃん産むのは、今回諦めることにした』


 蓮華は1ヶ月程悩んでいたが、自分でちゃんと納得する答えを出せたらしいことはみんなの目から見ても分かった。


『蓮ちゃん…』


『そしたらあたしも暴走愛努流に入れてくれるんでしょ!?』


『えぇ!?何それ!』


『何よ。あたしみたいなぺーぺーには暴走族なんてできないとでも言いたいの?運転だってできるようになったでしょ!?』


 愛羽はやめた方がいいと何度も止めた。しかし蓮華は聞かなかった。


『妊婦だってバイク位乗ってみたいの!』


 なかば理由は無理矢理だったが、練習だけということで愛羽が必死につきっきりになって教えた。ストレスを溜めながらもタバコを控え、夜叉猫の集会などには万一の為自分だけ連れてってはもらえず。だからどうしても乗れるようになりたかった。そして幸か不幸か蓮華もセンスがよく、乗りこなすまでがなかなか早かった。


 結果的にそれが蓮華の中で良い方へ転がったのは事実で、仲間たちとの今を大切にしたい気持ちが子供を諦める決め手になった。


『蓮ちゃん。何も無理して暴走族までやらなくても一緒に走ったりは全然できるし、そうじゃなくたってあたしたちみんな友達なんだよ?』


 愛羽はうろたえている。


『うるさいなぁ。なんかあたしにはできないみたいな言い方ムカつく。あたしだってみんなと暴走愛努流の特攻服着て走りたいのよ!それがダメなの!?』


『ダ…ダメとかじゃなくて』


 もはや夫婦ゲンカだ。


『じゃあもう決まり。よーし、あたしの単車と特攻服のデザイン一緒に考えて』


『えっと、そういうのは自分で考えた方がいいと思うけど…』


 愛羽と蓮華はすっかりコンビになっていた。みんな仲はいいが、その中でも愛羽が1番蓮華の体を気遣い、蓮華も愛羽にずっとくっついていた。


『おいアホ羽。旗揚げは7日でいいのか?』


『あ、うん。みんな特攻服も揃ったし、7月7日なら覚えやすいし、いいかなと思って』


『よぉし!やっとだな!これからは堂々と自分のチームの特攻服着て走れるんだな。待ち遠しいぜー』


 結成記念集会を目前にして1番はりきっているのは玲璃だった。


『そうなったらとりあえずどっから潰しに行くんだ?やっぱ湘南か?』


『玲ちゃん。あたしたち5人なんだよ?ちょっとは考えようよ』


『え?ねぇ、待ってよ。土曜日にはあたしも間に合うんだから6人でしょ?ちゃんと人数に入れといてよ!』


 蓮華がチームに入るのを決めたらしいのを見ると、麗桜が後ろから肩に手を回しからんだ。


『お!ついに蓮華も総長から許しが出たのか?蓮華は何やるんだ?』


『色恋ざた専門だろ』


『ちょっと玲璃。それどーゆー意味?ひどくない?』


『じゃあ、最初はとりあえず、愛羽の付き人ってことでいいんじゃない?』


『付き人って何よ、蘭菜まで。あたしはなんなの?』


『心配ないよ。僕が2人共守るから』


『だからぁ!そーゆーみそっかす的なのはもー嫌なの!』


『まぁまぁ…みんな蓮ちゃんが大事ってことだよ』






 7月7日の土曜日、その日は徒歩集会の日でもあった。


 平塚の七夕祭りは、例年7月7日の週の大抵木曜日から日曜日まで行われ、その期間中の土曜日は特に人が多くなりにぎわう。その日に各地の暴走族たちが特攻服をまとい祭りに集うのだ。


 平塚の七夕祭りでは毎年何かしらの事件が起こる。ヤクザがスタンガンを振り回したり、ケンカ自慢の外人たちがヤクザ相手に熱い戦いを繰り広げたり、一般人でも酒の勢いでケンカになったり、とにかく揉めごとが絶えない。


 せっかくの1年に1度の楽しいお祭りがくだらないことで年々規制を増やされつまらなくなっていく。なのでこの日だけは暴走族同士顔を合わせてもケンカはなしという暗黙のルールが守られていた。


 愛羽は自分たちの結成記念集会を、その日祭りの後、そこ平塚からスタートするという旨を如月伴に伝えていた。


『…分かったわ。その日は心しておくわね。何があっても私がその集会を成功させてみせるわ』


 伴はほぼ何かが起こることを確信しているような様子だった。


『あの…やっぱりその日はまずいですか?』


『それは関係ないわ。あなたたちがやると決めたらやるべきよ。ただ、その日そこからスタートするということは、そこに集まった他のチームに手厚い挨拶をすることになると思うわ』


 その日何があろうとその集会を成功させて初めて旗揚げとなる。


 伴は心の奥で、どんなことになろうと愛羽たちを守りきる決意を静かに燃やしていた。


『まぁ、その日はケンカなしのルールがあるから大丈夫とは思うのだけど』


 だが油断はできない。特に悪修羅嬢の緋薙豹那。あの女だけは何をしてくるか分からない。油断だけはできない。絶対に…


 そうして運命の日はやってくるのだった。






 その日蓮華は愛羽たちに見守られる中、子供をおろす為の手術を受けた。


 みんなの前では不安そうな顔など見せはしなかったが、いざその時を迎えると急に涙が流れた。


 この人しかいないと思えた相手、運命の妊娠、確かに感じた自分の中のもう1人の命。


 会いたい。


 会いたかった。


 会って抱きしめてあげたかった。


 それができなかった、それをしてあげられなかったこの気持ちは、忘れることなんてないだろう。


『バイバイ…』




 それから1時間程しただろうか。蓮華が術後ベッドで横になっていると、待っていた5人がそれぞれ何かを持って集まってきた。


『蓮ちゃん。実はね、あたしたちみんなで話し合ったんだけど、赤ちゃんにさ、次また生まれてくる時まで寂しくないようにって1人ずつ渡したい物考えてきたんだ』


『渡したい、物?』


 するとまず麗桜から前に出てきて順に手渡していった。


『はいコレ!俺が中学の時から使ってるピックなんだ。大事なんだけどさ、俺他になんもねーから。次生まれてくる時バンドやりたいってなったら、俺がギター教えてやるよ!』


 麗桜はピックの入った小さな箱を蓮華に渡した。様々な色のピックが10種類ほど入っていて綺麗だった。中学の頃からということもあって使い込まれた感が見れる。


『僕はこれ。子供の頃からずっと使ってた手ぬぐいなんだ。弟との思い出もいっぱい詰まってる。今度生まれてくる時は双子になってくれたら嬉しいなと思ってね。あ、ちゃんと洗ってあるからね』


 風雅の手ぬぐいも何枚かあり、色は風雅のカラーでもある緑が多かった。柔軟剤のいい香りがして、どれも綺麗に折りたたまれている。


『私は、香水と可愛いアクセサリーをいくつか。ウチのメンバーは男勝りの子が多いから、こんな風になると思ってたの。女の子だったら、こういう物の方が絶対喜ぶわ。可愛いでしょ?』


 この香水なら知っている。蘭菜が使っているのと同じ物だ。蘭菜が使っている位なので一般人ではなかなか買えない。蓮華もこの匂いがとても好きだった。他にもピアスにネックレス、ブレスレットなど女の子らしいアクセサリーが詰め込まれていた。


『あたしはね、このゴム。ごめん、色々考えたんだけど、こういうことだからお金かけたりするのはあんまよくないって言われて、でもあたし大した物持ってないからさ。これ、何気に小学校の時から持ってるやつなんだ。それでさぁ、玲ちゃんがね』


 愛羽が玲璃の名前を出すと部屋の隅の方で玲璃がギクリとした。


『玲ちゃん、早く見せてあげなよ。せっかく作ったんだからさぁ』


『作った?』


 玲璃は珍しく恥ずかしそうにして、それを出すのをしぶっている。


『もぉー。いつもはオラオラしてるのにこういう時に限って女の子なんだから』


 愛羽は玲璃を引っぱって蓮華の目の前まで来させた。


『玲璃。何を作ってくれたの?』


 すると持っていた紙袋をそっと手渡した。


 蓮華は中を見て思わず目を見開いてしまった。その中には手のひらサイズの小さな人形が入っていた。1、2…全部で7体ある。それを1つ1つ中から取り出してもっと驚いた。


 それは自分たちだったのである。


 色や特徴でちゃんと分かるようになっている。そして、蓮華と手をつなぐようにして縫われているのは天使のように可愛い赤ちゃんだった。


 とても上手でビックリしたが何よりもまず心温まるものがあった。


『玲ちゃん、そういうのすごい得意なんだよ!こう見えて』


『そう…玲璃が。すごいね。可愛い。ちぇっ、ちょっと後悔しちゃったかな…』


 蓮華は涙ぐんでいた。


『寂しくないようにそれぞれって言うから、そういうのしか思いつかなかったんだよ。あたしはゴムもピックも手ぬぐいもねーからさ』


『ううん。すごく嬉しい。ありがとね、玲璃』


 蓮華が落ち着いた所で6人は病院を出た。






 7月7日 平塚 七夕祭り


 時間はすでに午後7時を回り、平塚の駅周辺は祭を楽しむたくさんの人たちで埋め尽くされている。


 商店街は右も左も上も、あらゆる所に七夕の飾りが見える。歩道に願いごとを飾るスペースがあり、家族の健康や恋愛が上手くいくようになど、ここを訪れた人たちの願いがいくつにもなって飾られている。


 普段は車が通る周辺の道路も完全に通行止めとなり、代わりに数えきれない程の屋台がどこまでも続いている。


 水風船のヨーヨーを指から下げた浴衣の女の子。金魚すくいを楽しむ甚平の男の子。あちこちで笑い声が聞こえ、はしゃぐ様子が目に映る中、1人の少女が人の流れと関係なく歩いていく。


 ピンクと白のいかにも女の子らしいワンピースを着て肩からバックを下げている。どちらかと言えば男がやりそうなウルフカットを赤黒く染め、瞳は青い。カラコンを入れているらしい。


 少女が目指していたのはりんごあめの屋台だった。


『くーださーいな♪』


『はいよ。300円ね』


 はたから見れば可愛らしい女の子だが、彼女の目は腹を空かせ獲物を探す狼のようだった。


『少女は…りんごあめを買うと、早速食べ始めました…そして、また歩きだすと…獲物を探すのでした…』


 七夕の夜空に危険な星が妖しく光った。






『ちぇー。あたしだけ私服なんて、つまんない!』


 蓮華の特攻服だけは数日前に注文したばかりなので間に合わず、みんな特攻服の中1人浴衣姿の徒歩集会になってしまった。


『そんなのいいじゃん。1人だけ特別だよ?』


『そういうの浮いてるって言うけどな』


 愛羽がフォローしたのに玲璃はすぐにちゃちゃを入れる。


『まぁまぁ。まだ病み上がりってこともあるんだし、仕方ないんじゃないの?』


 麗桜が更にフォローしたがやっぱり蓮華は悔しそうだ。


 平塚に着くと6人は屋台が並ぶ街並を歩き始めた。


『あ!あたしタコ焼き食べたい!』


『じゃ、俺のも頼む!』


『私も』


『あたしもー』


『アホ羽よろしくぅ!』


 愛羽がタコ焼きの列に並ぶと、みんな次々に愛羽に500円玉を渡し肩を叩いてとっとと先へ行ってしまった。人気で人が多く並んでいる物は並んだ人に任せるという、ついさっき決めたルールにまんまと自らはまった愛羽だった。


『え!?え!?もう…一緒に並んでくれたっていいのに』


『僕が並ぶよ』


 風雅が1人横にいてくれた。


『風ちゃんありがと!でも風ちゃん、あたしよりみんなを見ててあげて。七夕物騒だって言うし、何が起こるか分かんないから』


『愛羽総長が言うのであれば、仰せの通りに』


 風雅はそう言って微笑み、人混みに紛れていった。


 七夕祭りに夜来るのは愛羽は初めてだった。


 友達何人かで来ている人もいれば恋人と2人で来てる人もいて、家族で来てる人がいたり、辺りを見回しては憧れたり羨んだりしていた。


『そだ。後でみんなで願いごと書いて飾ろ』


 タコ焼きを買い終わると愛羽は仲間を探しに1人で歩き始めた。


『あれぇー?みんなどこ行ったの?』


 しばらく歩くと屋台を抜け交差点に出た。人が大きな川の流れのように行き交う交差点の真ん中に見た顔ぶれがいる。伴と夜叉猫のメンバーたちだ。


『あら、愛羽ちゃん。探したのよ、よかったわ。1人なの?』


『あ、いえ。ちょっとはぐれちゃって。伴さん、今日はよろしくお願いしますね』


『私たちは、あなたたちの仲間よ。それより特攻服可愛いじゃない。あ、ちょっと待って。今写真撮りましょ』


『あ、あたしも撮りたいです!』


 愛羽と伴が自分たちの携帯を出し、ツーショットを撮ったり夜叉猫たちと記念撮影をしていると、反対方向から集団が群れをなして真っ直ぐ向かってくる。


 銀色の長い髪に紫の特攻服。それを見て2人はあの日の悪夢が甦った。


 その美しさに通りすがる男たち、女でさえも振り向き目を奪われていた。その後ろに紺の特攻服の集団を引き連れ、まるでモデルがファッションショーを歩くかの如く、自分という人間を見せつけるようにして堂々と歩いてくると、ついに2人のすぐ目の前までやってきた。


 湘南悪修羅嬢とそのカリスマ的総長、悪修羅嬢王緋薙豹那が再び愛羽と伴たちの前に現れた。


『これはこれは、驚きだね。お前たち、どの面下げてここにいるんだい?今日こそあたしのオモチャになってくれるってことと思ってもいいのかい?』


『緋薙…』


 伴は愛羽の前に立つと豹那とにらみ合った。しかし豹那の興味は愛羽にいったようだ。


『おちびさんもカッコいい衣装じゃないか。暴、走、愛、努、流?へぇ、まさかとは思うけどさ。お前、それ、新しいチームのつもりかい?』


 愛羽と伴は豹那と目をそらすことなく、じっとにらみ合っていた。3人を中心にして夜叉猫と悪修羅嬢もにらみ合っている。


『え?口がないのかい?それとも耳がないのかい?それとも…今すぐここで引きずり回されたいか?』


 この前の一戦もあるせいか、ケンカなしのルールを無視して今にも乱闘が始まってしまいそうだ。


 ガンのたれあいが始まると、そこへまた2方向から別の団体がそこを目指して向かってきた。人数で言えば、おそらく夜叉猫や悪修羅嬢と同じ位。いや、もっとかもしれない。


 愛羽は左右から迫りくる2つの集団を確認すると、さすがに嫌な汗をかいた。交差点とその周辺は瞬く間にそれら4つの集団で埋め尽くされてしまった。


『おやおや?こんな所で何やってるのかと思ったらお前たちか。今からやり合おうってのかい?おもしろそうだねぇ。見ててやるから早く始めとくれよ』


 愛羽たちの右から来たのは黒い特攻服の集団。その先頭の女が鋭い目つきで偉そうに言った。


 長い黒髪に前髪だけが染めているのでなく白髪で生え揃っていて、それが目立ち異様だった。10代の少女なら気にして染めたりして隠しそうなものだが、彼女には微塵もそんな所がない。


 両手をポケットに突っ込みながら肩で風を切って歩く姿など正に不良そのもので、その辺にいる最近の男たちより数段男っぽい。


 しかしまだ18でありながら横浜でキャバクラを経営し自分でママを務める程の女で、彼女の女としての魅力も言うまでもなく、街では暴力団の人間とさえも対等に話ができる人物だった。


 今、神奈川一と言われる暴走族、横浜の覇女。


 その総長神楽絆(かぐらきずな)が交差点の中央まで迫ってきた。そして…


『ははは!久しぶりだな。どいつもこいつもまだ生きてたのか。頼むからさっさとパクられてネンショーでもどこでも行っちゃってくれよ』


 左から現れたのは深い紅。ワインレッドの特攻服の集団。


 大きさで言えば神奈川二という所だが勢いは決して覇女にも負けてはいない。自分たちをストリートファイトガールズクラブと称する程で、ケンカ自慢の超過激派武闘派集団だ。


 普通暴走族の特攻服と言ったら赤か臙脂色(えんじいろ)になるのだが、彼女はこだわってワインレッドの特攻服を特注して作った。


 相模原の暴走族鬼音姫。その総長哉原樹は中央の髪だけ立ててセットし、余った髪を後ろで縛るという個性的でどこかオシャレなモヒカン頭をしていて、本人はとても気に入っていてカッコいいと思っている。


 この女は陽気でいつもヘラヘラしているが、キックボクシングをしており、自分のジムを持っていて毎日トレーニングしている。その実力は言うまでもなくエグく、相模原一は当たり前で「神奈川一」という言葉に特別ある情熱を燃やしていた。しかし覇女、夜叉猫、悪修羅嬢とその前にはいつも敵が立ちはだかり、この4人の因縁も今年で3年目に突入している。


 1年程前にあった、この4チームの戦争で結局決着はつかず、それ以来それぞれが出方をうかがい、にらみ合うだけの日々が続いていた。


『揃いも揃ってお前たち、このあたしを舐めてるってことでいいんだね?ここ湘南にそうやって看板ぶら下げて歩き回りにきたってことはさ』


 突然の覇女と鬼音姫の、参上に豹那はとうとうイラつきが治まらない。眉毛をハの字に曲げ顔をひきつらせている。


『あぁ~、今更気づいたのか?この状況を見れば一目瞭然じゃないか。今この場で1番舐められてんのは、あんたに間違いないだろうねぇ』


『なんだと?このクソババァ!』


 今の一言で完全に豹那の標的が神楽に変わった。


『口の利き方に気をつけな?明日の朝死体で見つかったら大変だよ?』


 神楽も豹那の実力を知っていて尚1歩も引かない。


『ははははは!いつ見ても醜い争いだなぁ。よぉ、動画で撮るから、もっかい最初っから頼むよ』


 哉原は2人をあおった。ここでこの2人が始まってしまえば、おそらく2人共無傷では済まない。哉原にとっては願ってもないシナリオだ。


『相変わらず、趣味が悪いのね。悪いけど、今日は大切な日なの。あなたたち、お喋りしてなくていいから、とっとと消えてちょうだい』


 逆に伴にとっては最悪の事態だ。今ここでそんな戦争が起きてしまったら、東京という巨大な敵と戦う為の和睦への道は少なくともまた当分は閉ざされる。それだけはさせられない。豹那と神楽がやり合おうものなら力ずくでも即止めるつもりだ。


『よぉ如月ぃ。その口の利き方、前から気に入らなかったんだよ。なんなら今すぐちゃんと喋れるようにしてやろうか?』


『いいえ。結構だわ。消えて』


 4人は1歩も引かず、にらみ合いは続いた。


『…ところでよぉ、そこのおチビちゃんは一体誰だ?迷子か?あたしの目がおかしいんじゃなきゃ見たこともねぇ特攻服みてーだが、静岡の方からでも来たのか?暴走、愛努流?聞かない名前だよなぁ』


 哉原は愛羽ににらみを利かせた。


『猫さんのお友達さ。いや、飼ってるネズミさんだったかな?』


 豹那は愛羽をあおった。いや、伴をあおっているのかもしれない。


『へぇ~?小田原には新しいチームができたのかい?おいチビ、どうだい?今ならあたしたち横浜覇女の傘下に入れてあげてもいいんだよ?』


 伴は愛羽の前に立ち怒りをあらわにした。


『この子に余計なことしたら、誰だろうとタダじゃ済まさないわよ!』


 その時だった。


『ねぇ、お姉さんたち…そこ、どいてくれる?』


 いきなり激痛に顔を歪ませた豹那の横から、りんごあめを片手に持った少女が顔を覗かせた。


『刺さったの、だーれだ?』


 少女は5人の中心に立つと血のついたナイフを見せた。ぐるっと1周振り回してから鞘に収めるとバックに閉まった。


 見ると豹那が左脇腹後ろから血を流しているらしいことが分かった。


 少女は呆然とする5人の中心でりんごあめをペロペロと舐めている。5人は一斉に身構えた。


『くっ…このガキぃ!』


 豹那は傷口を左手で押さえながら右の拳で少女を殴りにいった。しかし豹那の拳をヒョイっとかわすと、少女はかわしながら豹那のあごにひざ蹴りをくらわせ、そのまま足をかけると勢いよく後ろに倒させた。


『緋薙!』


 伴は思わず豹那に駆け寄った。


『触るな!放っとけ!』


『ふざけないで。そうはいかないわ』


 豹那の脇腹からは目に見えて大量の血が流れている。


『あらあら。…猫さんは、お嬢さんを助けようとしましたが…お嬢さんはカッコつけて…それを拒みます…さて問題です。りんごあめが赤いのは何故でしょう』


 少女は次に、愛羽が手から下げていたタコ焼きの袋を神楽と哉原の方へ蹴り飛ばすと、瞬時に2人の方へ詰めよった。


 哉原はさっきまでのヘラヘラした顔から変わって、真剣な表情で構えリズムをとり始めた。ジリジリと間合を詰めていくと、少女より圧倒的にリーチのある手足で攻めこんだ。


 中でも1番スピードに自信のある右のローキックだ。哉原は完全に「とらえた」と、そう思ったはずが哉原の右足は勢いあまって空振り、少女はそれをすれすれの間合でかわした。


 その目で見ているのに理解ができなかった。外れるはずがない。いや、当たったはずだ。すり抜けたようにさえ感じている。


(幽霊か、こいつは!)


『答えはりんごさんが体中から血を流しているからでした』


 少女はそう言ってりんごあめを哉原に投げつけた。哉原は構わず次も右のローキックにいき、それがかわされると今度はそのままの勢いを利用して回転し、左手で裏拳を絶妙なタイミングで狙いにいった。しかしまたもギリギリの間合で嘘のようにかわされてしまった。


『オトヒメサマは…どうやら身の危険を感じ、へぇ…なるほど、君はそういうのができるんだ。…自分の得意なキックボクシングで闘いを挑みましたが』


 少女は飛ぶように右、左とステップし一気に間合に入っていった。しかし、それを待っていたかのように哉原の左拳が少女の顔面に向かって放たれた。今度こそとらえるかと思われたが、ここまで至近距離からの攻撃も難なくかわし、下から哉原の顔面を蹴り上げると直後に首の後ろめがけて組んだ両手を振り下ろした。


『少女には及ばず、倒れてしまうのです』


 一瞬でひざを着かされた哉原だったが、なんとかすぐに立ち上がりすかさず挑んでいく。だがパンチはガードされ、今度はそのカウンターで腹に強烈な拳を叩きこまれた。


『ぐっ!』


 そしてそこから少女の連続攻撃が始まっていった。


 右から左から、速い拳が的確に自分の顔面とボディーを襲ってくる。いや、哉原の感じ方で言えば速くて重い、衝撃的な破壊力のある拳という所だが。こんな、自分よりだいぶ背の低いワンピースを着てるような女の子ちゃんが信じられない程に強い。外見からは想像もつかないが、スピードも重さも技も相手が上。ダメージを受ける中でやっとそれを理解した時には、鋭くて強烈な蹴りに倒されていた。それも哉原には、ず太い丸太でフルスイングされたように思えた。


『さて、みんながやられるのを黙って見ていたオバアサンですが…腰を抜かして動けません。人間が1番勝てないのは…やはり歳、ということなのでしょうか』


 少女が蔑んだ目で挑発するように言うと神楽が目を細めた。


『ガキが。痛い目見るよ?』


 神楽が少女の方へ向かうと、そこで愛羽が口を開いた。


『拾って』


 愛羽は少女の方に強い眼差しを向け、もう1度言う。


『拾ってよ、それ』


 みんなの為に買ってきたタコ焼きは蹴り散らかされ地面でバラバラになっていた。


『そうそう。気になってたんだけど、君は誰?』


 少女は地面に転がったタコ焼きを踏み潰し、靴の裏で念入りにこすりつけ、愛羽の目を見ながら嬉しそうに微笑んだ。


 愛羽は助走をつけた。それと同時に神楽も反対側から走りこんだ。愛羽は迷わず飛び蹴りにいき、神楽もそれに合わせて飛び蹴りにいった。話し合った訳でもないのに見事なコンビネーションだ。少女はよけられないと見るや愛羽の蹴りを左腕で受け、右手で神楽の蹴りを弾き返した。なんという反射神経だろうか。


『オバアサンと謎の女の子は…1人1人ではかなわないと見て、息の合った挟み撃ちで見事少女に一撃返すことができました。でも大変。オバアサンと女の子は少女の怒りを買ってしまいました。お嬢さんも猫さんもオトヒメサマも心の中で叫びます。やめろ!勝てる訳がない!逃げて2人共!でも、もう遅い。戦いの火ぶたは今、開いてしまったのです』


 少女は愛羽に狙いをしぼり、体を回転させながら右、左、右、左と連続で回し蹴りを放っていく。愛羽はよけられずガードして受けたが、見かけよりだいぶ重い。足を1歩引いて踏んばって耐えたが、腕は一蹴り一蹴り簡単に弾かれ、最後に空中で回転に勢いをつけた強烈な蹴りで愛羽はふっ飛ばされた。全く手も足も出ないことに愛羽は衝撃を受けていた。


 あっという間にその場を蹂躙してみせたその少女に、現神奈川一の暴走族の総長神楽絆も翻弄され、うかつにかかっていけずにいる。


『お前、一体何者だい?まさか…』


 少女はにこやかな笑顔で両手を広げ、その場をぐるっと歩いて回った。


『これまでも何回も遊びに来たのに、神奈川の暴走族は隠れるのが上手でなかなか姿を見せてくれないから、こうやってここまで会いに来たんだよ。だから、もう隠れんぼは終わり』


 綺麗に染まった赤黒い髪が、まるで頭からかぶった血を思わせる。青い瞳は本物の狼の目のようだった。少女は可愛い声で言い終わると、周りをにらみ回した。


『初めまして、みんな。神奈川4大暴走族だっけ?覇女に鬼音姫、夜叉猫と悪修羅嬢、それと変なのがもう1匹。どんなにすごいのかと思ったら、やっぱみんなその程度なんだね。』


『聞き捨てならないねぇ。』


 少女が勝ち誇った顔で挑発すると、神楽が踊るようなステップで近づき一気につかみかかった。


『さぁ、お尻ペンペンだ』


 しかし少女はつかまれた腕をつかみ返すと、神楽の腕をまるで鉄棒代わりにして、逆上がりをするように飛び上がり1回転して逆に後ろをとると神楽の腕をひねり上げた。


『さぁ、どうする?』


『くそっ!』


 神楽は振り向きざまに踏み込みパンチにいった。だが少女はそれをカウンターのパンチで迎え撃った。神楽の拳がわずかに外れるとその瞬間、少女の非常に重い拳が神楽の顔面をとらえた。もはや女の力とは思えないパワーで神楽を文字通り殴り飛ばした。


『どうしたの?本気できていいんだよ?』


 神楽絆と言えば横浜の女たちの頂点に立つ女だ。特攻服の前面に「喧嘩常勝無敗伝説」と「タイマン実力超一流」という言葉をでかでかと刺繍しているだけあり、その実力は誰もが認め分かっている。その神楽を殴り飛ばしたことに、その周りにいた誰もが言葉を失い、おそらく本人が1番驚かされていた。


『この小娘ぇ!』


 神楽は立ち上がると、また向かっていった。拳を構えて飛びかかっていく。渾身の全体重を乗せたパンチが今度は少女の顔面にヒットした。


 だが神楽は冷や汗をかいていた。驚くほど手応えがなかったからだ。むしろ少女は、今わざとよけなかった気がする。目も閉じることなくパンチを顔で受け止めた。そう感じてしまっていた。


『これが君の本気かな?』


 躊躇する神楽に少女はニヤッと笑うと腹に真っ直ぐ拳を打ちこんだ。さっきから見ていて、自分でも対峙して分かっていたことだが速くてとても重い。神楽は苦しそうに腹を押さえた。


『くっ、くそ…』


 少女が続けて神楽に向かっていこうとすると、そこで単車の音が響いた。見ると、この祭りの人混みの中を1台の単車が走ってくる。


『あーらら、タイムアップ。もうお迎えが来ちゃったよ』


 単車が目の前まで走ってくると横から飛び乗った。


『また遊ぼうね、お姉さんたち』


 単車はそのまま人混みを突っ切って行ってしまった。


『ふざけやがって。おい!追うよ!絶対生かして帰すな!』


 神楽と覇女たちはぞろぞろと足早に引き返していった。


『まさか、こんな所に1人で来るたー相当な自信家だな、ありゃ。それか狂ってるぜ。あれが噂の東京の狼か。へへっ、いいもん見れたぜ。よしっ!あたしらも追うぞ!あのガキを逃がすな!あっ、「お嬢さん」早く病院行くんだぞ』


 最後に刺された豹那を気にしたのか冷やかしたのか、そう言い残すと哉原たちも小走りで行ってしまった。それと入れ替わりで玲璃たち5人がやってきた。


『あ、いたいた愛羽。あれ?なんか乱闘騒ぎになってるって聞いたから見にきたのに、もう終わったのか?』


 何も知らない玲璃はのほほんとしていたが、5人もすぐにその場の空気のただならぬ重さに気づいた。


『おい…何が、あったんだ?』


 愛羽はまだ蹴られた腕がしびれ、頭の中で整理もつかず無言になってしまっていた。


『…豹那さん?』


 蓮華は驚き目を見開いた。あれ以来会えなくなり、どこで何をしているか分からずにいた豹那がそこにいて、こともあろうか脇腹から大量に出血している。


『え?どういうこと?すごい血が出てるじゃん!何してるの!?どうなってるの!?』


 蓮華は悪修羅嬢の人間をかき分け豹那に駆け寄った。先程から伴が自分のハンカチで傷を押さえてやっていたが血はやはり止まらないらしい。


『豹那さん!大丈夫!?あたし蓮華だよ!分かるでしょ!?すぐ病院行こ!立てる!?』


 見ていた愛羽たちは、どうやら知り合いらしいことに驚きを隠せなかったが、かなり親しい仲なのが分かった。


『うるさい。誰だい、お前。おい!行くぞ!』


 豹那は蓮華の手を振りほどくと仲間に支えられながら行ってしまった。


 その場には沈黙だけが残ってしまったが蓮華は愛羽と伴を見て言った。


『どーゆーことなのか教えて。なんで豹那さんはケガしてたの?あと、あの人のこと知ってるんなら知ってること全部教えて』


 愛羽も伴も事情を察して気まずい思いだったが、隠すこともできず、今あったことと前に伴が拉致された時のことを話し、伴は何年もいがみ合っていることまで全て伝えるしかなかった。


 蓮華はこわばった表情で全てのことを目をそらさず聞いていた。ということは、直接関わったことがない風雅以外は全員豹那のことを敵として認識し、当然嫌な思いしかしていない。彼女にとって、とてもツラい現実となった。


『伴さん。あの女の子は誰なんですか?さっきいた人が東京とか言ってたけど、もしかして…』


 蓮華の気持ちを思うとツラい所があるが愛羽は本題に入った。


『えぇ…そうよ。おそらくあの子が今の東京の中心人物、神童(ゴッド)と呼ばれる子。東京連合焔狼の総長にして、その総會長、雪ノ瀬』


 ついに東京が本格的に神奈川制圧に乗り出してきた。未だに1ミリも歩み寄れていない神奈川4大勢力の現状に伴は焦りを感じていた。

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