第4話 如月伴
愛羽の兄は現在捕まっている。
それはあまりにも突然のことだった。愛羽と兄が2人で生活し始め、やっと少し落ち着いた頃のこと。
その朝いきなり警察がやってきて兄を連れていってしまった。
兄が抜けてから兄のいたチームは、ライバルチームとの抗争が続いていた。街のあらゆる所でケンカや乱闘が起こり、仲間が拉致されボコボコにされたり、その報復として殴りこみに行くなど、その戦いは常にエスカレートしていった。それを止められる者もおらず、ついに死人が出てしまったのだ。それは他でもない兄の1番の仲間、あの副総長だった男だ。兄はその抗争に直接関わってなどいないが、仲間は皆味方の死に涙を飲み、全員取り調べで何一つとして語らなかった。そのせいで警察は元総長の兄に事情を聞くしかなかったのだ。警察署で事情を聞いた兄は自分に責任を感じ、あろうことか自分が主犯であると自供し、背負えるだけの罪を自分で背負うことにした。自分が警察に連れていかれた時「お兄ちゃんを連れてかないで」と泣いていた愛羽のことが心残りだったが、兄はかつての仲間たちを裏切れなかった。
結果、傷害致死事件の指示役として懲役5年の刑を受けることになり、今は少年刑務所で服役している。
愛羽の住んでいる所は玲璃の家からすぐ近くのワンルームアパートだ。
家に着き、愛羽は駐輪場でシートの被った単車の前まで来ると一気にシートを外した。その瞬間、如月の中で衝撃の事実が明らかになった。
フロントにはロケットと呼ばれるカウルが飛び出しており、ハンドルはエバハンという左右に大きく開いた長いハンドルがついている。シートは背もたれのある三段シートになっていてマフラーには有名なRPMというステッカーが貼られている。ずっと乗られていない割に綺麗で常日頃からよく磨かれているのが分かる。赤と白に紺のラインという純正のカラーを基調にしていて、色がフロントのカウルからタンク、サイドカバー、リアのテールまでつながっている。
『あの、愛羽ちゃん。お兄さんの…名前って…』
如月伴は中学生になってから荒れ始め、それは伴が中学2年の時で暴走族というものに興味を持ち始めた頃だった。
暴走族の集合場所に1人見学しに来ていると1台の車が伴の目の前に停まった。
『乗りなよ。集会連れてってあげるよ』
男が3人、それっぽい車で現れ伴に声をかけてきた。男たちは暴走族ではなかったが、いわゆる「もぐり」と呼ばれる一般人で、車でよく集会に参加しているということだった。憧れの集会に連れてってもらえるのならなんでもいいと、伴はウキウキしながら車に乗りこんだ。
その日は横浜の方まで行き、横浜のチームの集会に参加していて伴ははしゃぎまくっていた。
車の外は様々な暴走族と単車だらけでまず音がすごい。こんな間近で見たことはなかったし、何より今この大きな流れの1つとなっていることが実感できた。素直にそこに感動していた。だがこの時伴は、自分がすでにはめられていることを知らなかった。
車は集会の途中で流れから抜けるとひと気のない駐車場に停まった。そこでやっと伴は気づいた。だがもう遅い。男たちは3人で伴の服を脱がせようとした。伴は必死に抵抗し助けを求めたが、こんな時間こんな所に誰も来る訳がなかった。自分は犯られる。伴が諦めたその時だった。
突然、人の足が運転席の窓を蹴り破った。それを見てその場にいた全員が凍りついていた。誰もが警察が来たと思った中、蹴破られた窓からカギを開けると人が入ってきた。しかしそれは警察官でも警備員でもなく、たった1人の暴走族だった。
暴走族の男は車の中でつかみかかると一瞬で2人をボコボコにし、外に逃げようとした1人も逃がさず、その場であっという間にやっつけてしまった。伴は何がなんだか分からず、恐怖に次ぐ恐怖で震えて声も出せずにいると男は目の前にやってきた。服をズタズタにされてしまった伴に自分の着ていた特攻服を被せると
『着ろ』
と一言だけ言われた。それを聞いて安心したのか伴は泣きだしてしまった。男は伴が落ち着くまでずっと頭をなでたり背中をさすったりしてくれた。
伴が落ち着くと男は安心して喋り始めた。しかし伴がまだ中学2年だと知ると
『えぇっ!?中坊なの!?こんなロマンチックな出会いないと思ったのに~。そっか。中学生か…』
と自身の下心もさらけ出していた。
話を聞くと、急に集会からはぐれた車がいたので後を追ったのだと言う。
集会中トイレやコンビニに寄ったままはぐれきってしまうことは多く、自分ならどこを通るか道が分かっているので用をたした後、案内し合流させてあげられると思いそうしたらしい。だが追っていくといよいよ様子が変なので近づいてみると
『用ってそっちの用かよ』
ということになっていたらしい。
『どうしようもねぇ奴らだな。まぁ、実際結構いるんだけどな、そういう奴ら』
伴がまだ元気がないのを見ると男は笑ってみせた。
『そんな顔するなよ。助かったじゃねぇか。よかっただろ?お前、名前は?』
『如月伴…伴うっていう字で、伴』
『へぇ、可愛い名前じゃん』
あまり自分の名前をそういう風に言われることはなかった。伴と書いて、ともなと読むと言うとだいたい珍しがられる。だから可愛いと言われたことに対し伴は一種の衝撃を受けていた。
『よし、分かった。』
何が分かったのか、そう言うと男は伴に自分の特攻服を着せたまま単車の後ろに乗せ集会に戻った。現役の暴走族が異性を後ろに乗せて集会に出るなど、まずあってはならないことだ。
集会に戻ると周りが不思議そうな顔で伴を見てくるので伴は恥ずかしかったが、男は気にするなとでも言うようにニカッと笑ってみせた。
そのまるで5歳位の子供が見せるような顔と、あんなドラマにでも出てきそうな自分を助けてくれた場面。自分の特攻服を今も走る中着せてくれていること。そして自分の名前を可愛いと言ってくれたこと。その全てが、もう伴の心に火をつけてしまっていた。
集会が終わると男はわざわざ小田原まで伴を送ってくれた。伴は帰りたくなかった。この得体の知れない男ともっと一緒にいたかった。でも伴は自分の感情を抑え、番号交換をするだけに留めた。伴の分かりやすすぎる態度に男はもしかしたら気づいたかもしれないが、家まで送り届けると最後に頭をポンポンとした。
『またな、伴。なんかあったらいつでも連絡くれよ』
男はエンジンをかけた。行ってしまう。だが伴は肝心なことを聞いていなかった。
『あ、あの!あなた名前は?』
『俺か?横浜連合の総長やってる、暁龍玖だ(あかつきりゅうく)』
伴にとってそれは初恋というもので間違いはなかった。別れ際から聴こえなくなるまでずっと響いていた龍玖のCBXのアクセルコールは今でも伴の心の中に残っている。
2人はその後も連絡を取り合っていた。
というより言うまでもなく伴が積極的だった。
しかし相手は神奈川最大級の暴走族の総長。ただでさえ忙しい上に、ついに詳しくは聞かせてもらえなかったが家庭の事情も複雑らしかった。横浜と小田原で遠い上、龍玖は毎日朝から仕事なのでなかなか会いに行くことができない。それでも伴はたった少しの時間の為に会いに行ったりしていた。だが龍玖が愛羽を連れて家を出た時に携帯の番号を変えてしまい、突然連絡が取れなくなってしまってそれっきりだった。
伴は彼が捕まってしまったのかもしれないと思いながらも、いつか必ず連絡がくると自分に言い聞かせて決して番号を変えずに待っていた。
それから4年が過ぎようとしているが彼から連絡はなく、彼女は今も忘れずに生きている。
あの集会の時、振り落とされないように後ろから抱きついた感触と彼の匂いが今も胸に染みついている。
その暁龍玖が乗っていたCBX400Fが時を超え、今自分の目の前にある。
『お兄ちゃんですか?暁龍玖です!』
愛羽の声が彼女を現実に呼び戻した。
『お兄さん…今はどちらへ?』
伴が確信に迫ろうとすると愛羽が少し答えにくそうな顔をした。
『あっ!ごめんなさい!えっと…早く帰ってくるといいわね…』
伴らしくない不自然な態度になってしまったが、今ので事情を察した彼女は自分にも言い聞かせるように言った。
『じゃ、じゃあ、ちょっと見せてもらうわね。「動かない」だったわね。最後に動かしたのはいつ頃かしら?』
『はい。えっと、お兄ちゃんが最後に乗った時なので、4年前位です。すいません。あたし、単車のこと全然分からなくて、見ても原因も直し方も分からないんです』
伴はその会話から龍玖がやはり4年前にいなくなったことを知った。
『って4年前!?それじゃあかかるものもかかる訳ないわ。単車でも車でもそうだけど、あまり長時間放っておくとまずバッテリーが上がってしまうのよ。こういう旧車のように古いバイクなら尚のことよ。なるほどね、大した問題ではなさそうだわ』
タンクをノックすると中身の詰まった重い音が返ってきた。ガソリンが入っているのを確認するとカギをONにしセルスイッチを押すが当然のようにうんともすんとも言わなかった。
『ブースターがあれば助かったのだけど、これは押しがけしかないわね』
『オシガケ?』
『えぇ。エンジンをセルやキック以外でかける方法よ。カギをONにしてギアを入れたまま単車を押すとエンジンがかかるものなのよ。でもこの大きさのバイクを押しがけするとなると、ある程度助走とスピードが必要になるわ。ニュートラの状態かクラッチを握ったまま押して走っていきなりギアをいれるの。無理矢理力ずくでかけるイメージよ』
『へぇー、そんなことできるんだ』
『ほとんどのバイクがバッテリーがなくても走ることができるわ。ただそれだとセルが使えないから方法としては最後の手段になる訳よ』
2人は興味津々で聞き入っていた。
『まぁただ…これには絶対的に必要なものがあるわ』
『…なんですか?』
『情熱よ』
何故情熱なのか2人の頭にはそれぞれクエスチョンマークが浮かんでいたが、伴に流されるようにして3人は押しがけに挑戦することになった。
(龍玖のCBXですもの。絶対動かしてみせるわ)
まさかずっと思い続けた人の妹がこんな形で目の前に現れるなんて夢にも思わなかったが、伴は運命を感じこれは使命だと思っていた。
3人はCBXを押してすぐそこの道路まで出た。
『じゃあさっき説明した通り、まずは私がやってみるわね。2人共後ろから押してもらえるかしら』
伴の言う通り3人で押して走り、加速がついた所で伴が飛び乗った。そしてハンドルを握ったまま宙に一瞬飛び上がると、尻がシートに着地するのと同時に全体重をかけ、クラッチを放しギアを入れ叫んだ。
『動いてちょうだい!』
タイヤがロックし、ズザザと地面に音をたててこすれたが単車のエンジンの方はうんともすんとも言わず停まってしまった。
…気合?それともこれが伴の言う情熱なのだろうか。伴はその一瞬に意気込みを見せたがどうやら失敗したらしい。
『悔しいわ…さすがに4年も眠っていたとなると一筋縄ではいかないようね。2人共、もう1回よ!』
『はい!』
しかし、その後伴が
『動いてちょうだい!』
から
『動きなさい!』
に変えても
『動かないと、知らないわよ!』
に変えても一向にエンジンがかかる気配はなかった。
何回も繰り返し200kg近くある単車を押して走り愛羽と玲璃は汗だくだった。これを何回も連続でやるのはかなり体力のいる作業で、2人は息を切らしながら必要なのは情熱ではなく人手だと思っていた。
『おかしいわね。私が嫌われてるのかしら。こうなったら奥の手ね、私が押すわ。愛羽ちゃん、代わってちょうだい』
そう言うと自分の単車を乗ってきて今度は単車で単車を押す作戦になった。愛羽がCBXに跨がり押される側になり2回戦がスタートした。
『愛羽ちゃん。分かってるわね?情熱よ』
『は、はい!』
伴は念を押すが愛羽は正直ちょっと恥ずかしかった。
伴は愛羽のCBXの後部ステップに後ろから右足をかけ、単車で単車を押し始めた。少女2人の力ではあんなに重かったCBXが押されるままスピードを上げ、あっという間に40キロを超えた。
『今よ!愛羽ちゃん!』
愛羽はクラッチを放しギアを入れ声を出した。
『動いて!』
愛羽は伴の見様見真似をしたが、やはりエンジンはかからなかった。
『あなた、それで本当に動かす気あるの?』
『すいません…』
自分と伴の違いは分からなかったが伴からダメ出しされ、その後も
『動いてくださーい!』
とか
『動かなきゃだめぇー!』
と恥ずかしいのを我慢しながら大きな声を出して続けるもエンジンはまだかからない。
『分かった。こうなったらあたしも押します』
愛羽もバイクを乗ってきて今度は2台で押すらしい。愛羽と伴が玲璃を振り返った。
『い!?あ、あたし!?いいって、あたし押す方やるから愛羽やんなよ』
玲璃は思った。
(…絶っ対やりたくねぇ)
しかし2人共押す気満々のようだ。
『玲璃ちゃん、順番よ』
『玲ちゃん、情熱だよ』
2人の変なテンションにもはや逃げられる雰囲気ではなかった。
『…う、分かったよ。やりゃーいーんだろ!やりゃー!』
玲璃が渋々CBXに跨がると愛羽と伴は2台で押していった。2台の単車で牽引し十分すぎる程にスピードがついた時、伴が声をあげた。
『今よ!』
玲璃は1度飛び上がると着地と同時に尻全体で単車全体にショックを与えクラッチを放しギアを入れた。
『動けこのオンボロがぁー!』
すると、さっきまで全く手応えがなかったエンジンがここへきて反応を見せた。マフラーから「ブゥーン」とエンジンが止まっていくような音が漏れている。手応えがありながらもまたダメかと愛羽と伴が思った時、玲璃が2人に言った。
『諦めんな!このまま押し続けろ!』
愛羽と伴は押すのをやめ、放しかけていた足をCBXのステップに踏んばりまだ押し続けた。
『動いて!』
『動いてちょうだい!』
『このオンボロがぁー!』
3人がまた情熱を燃やすと、マフラーから白い煙が放出したのと同時に伴のとは別の、CBX独特の突き抜けるような音が響き渡った。まるでそれは生まれたばかりの赤ん坊の産声のように思えた。「フゥアァン!」
『かかったわ!』
『動いた!』
『どうだ!見たかこのポンコツめ!へへ』
愛羽と玲璃は抱き合い、とびきりの笑顔で喜んだ。伴はその様子を微笑みながら見ていた。
『1度かかったらそんなに心配はないわ。走ればバッテリーも充電されるし。大切なのは毎日エンジンをかけること。念の為このままバイク屋に行って点検してもらった方がいいわ。また何かあればいつでも言ってちょうだい。私はこれで帰るわね』
『あ、あの!』
愛羽は思わず引き止めた。
『本当に今日はありがとうございました。如月先輩に会えてよかったです。楽しかったし助かりました。先輩も何かあったらいつでも言ってくださいね!それと、番号教えてもらってもいいですか!?』
『えぇ。私こそ今日はありがとう。覚えておくわね』
伴が自分の番号を見せると、そこにあった伴の名前を見て愛羽が言った。
『伴って、こう書くんですね。字も可愛い♪』
そう言われはっとして伴は愛羽の方を見た。その視線に気づいて笑った彼女の表情には、遠い日の彼の面影が見えた気がした。
伴は帰り道、1人単車で走りながら一筋の涙をこぼした。しかしそれは寂しさや悲しみから出たものではなかった。
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