《 第2話 娘の贈り物 》
エトワール王国は世界一安全な国と呼ばれている。
とある男が住まう王都は特に安全を保証され、国境を越えてまで王都に住みたがる者もいる。
とはいえ安全ではあるが、治安が良いわけではない。
華やかな街の裏側にはスラムが広がっている。そこは表舞台で食いっぱぐれた浮浪者や、表立って行動できない犯罪者たちの巣窟だ。
一度踏みこめば身の安全は保証できず、好き好んで近づく者などいやしない。
そんな治安の悪いスラム街を、ジタンは堂々と歩いていた。
ごっそりと色が抜け落ちた白髪に真紅の瞳。顔立ちは凶悪極まりない。背が高く、屈強な体つきで、ど派手な衣装を纏っており、ケロちゃんカバンを手にしている。
スラムで生まれ育ったジタンにとって、このあたりは庭みたいなものだ。暗がりで数メートル先すら見通せないものの、鼻歌交じりに夜道を進み――
「ま、待て! 待ってくれ!」
ボロ屋の近くを通りかかったところで、悪党顔の3人組が現れ、口から血を流した老人たちが這うように出てきた。
「頼む! 返してくれ! その金がないと飢え死にしちまうよ!」
「なんでもするから、
「家賃を払えねえのが悪いんだろうが!」
「そ、そんな……家賃なら2週間前に払っただろう!?」
「今月から値上がりしたんだよ。嫌なら出ていけ」
「ま、路上暮らしがどういう末路を辿るかは知っての通りだろうがな」
「死にたくなけりゃ今後も払い続けるこった。……あとてめえ、さっきからなに見てやがる!」
兄弟だろうか。顔のよく似た男たちが睨みつけてくる。
「そこの年寄り連中に用があってな」
「こっちは取り込み中だ。そのクソだせえ荷物置いてとっとと消え失せろ!」
「……あ? クソだせえ荷物だと?」
ジタンのこめかみに青筋が浮かぶが、暗がりのせいで男たちは気づかない。
彼らはバカにするような態度でケロちゃんカバンを見る。
「そのアホみてーなカエルのカバンのことだよ! さっさと置いてかねえとぶっ殺すがふあ!?」
瞬間。
男の身体が宙を舞い、冷たい路地に叩きつけられた。
「な!? て、てめえ、いきなりごっふぉ!?」
「ちょ、ちょっと待てや! てめえ猛獣か!? 弟たちが話してんのに殴ってんじゃねえよ!」
「俺の宝物をバカにしたんだ。話し合いの余地なんざねえだろ」
「だ、だからって普通いきなり殴るかよ!?」
「お前らに説教される筋合いはねえよ。おら、てめえもこっち来て頬出せ。ぶっ飛ばしてやるから」
「ふ、ふざけたこと抜かしてんじゃねえ! ぶっ殺してやる!」
男が指輪のついた手をかざす。
すると男の手がバチバチと青い光を発した。
「
「はッ! 後悔しても遅いぜ! てめーの神経焼き切ってやる!」
「ちげーよ。死ぬのはお前だ。俺は加減ができねえからな。おとなしく普通に殴られとけ」
「は? なに言って……」
そのときだ。
月にかかっていた雲が途切れ、通りに月明かりが射し込む。
半月の明かりに照らされた顔を見て、男が顔を青ざめさせた。
「ぎ、ぎゃあああああああああああああああああ!?」
「急に叫ぶな。うるせえな」
「ジ、ジジ、ジタンだ! ジタンだあああああああああああ!?」
悲鳴を上げ、全力で走り去る男。
ジタンは気を失っている男からオルゴールのような
「ほらよ、大事なものなんだろ?」
「す、すまねえ。恩に着るよジタンさん」
「けどあいつ、わしの金を持って逃げた……」
「命があってよかったじゃねえか」
「あれはわしの全財産だったんだ。しばらくメシも食えないよ……」
「メシの心配ならいらねえよ。今日はお前らに仕事を持ってきてやったからな」
「ほ、ほんとうかい!?」
「助かるよ! そ、それで仕事って?」
「これだ」
ジタンはカバンからじゃらじゃらと水晶を取り出す。
この世界で日常生活を送るのに、
家を明るく照らす照明も、料理に必要な火も、湯を沸かす熱も、食べ物を保存する冷気も、すべて
そして
ジタンは老人たちに知り合いを集めてこさせ、全員に魔石を配る。
「んじゃ、さくっと頼むわ」
「お安い御用だ」
老人たちは魔石を握る。
すると魔石がぼんやり輝いた。
まともな仕事にありつけず、スラム街へと追いやられた老人たちでさえ、魔石への魔力補給は造作もなく行える。それができないのはジタンくらいのものだろう。
「終わったよジタンさん」
「こっちも終わりだ」
「ありがとな。ほら、報酬だ」
ジタンは魔石を回収し、銀貨を1枚ずつ配る。
スラム街では3ヶ月分の生活費に相当する銀貨に、老人たちは顔を輝かせた。
「こ、こんなにもらっていいのかい?」
「銅貨と間違えてるんじゃ……」
「間違えてねえよ。今日は気分がいいんだ。俺様の好意、ありがたく受け取りな」
「ありがとうジタンさん! 本当に助かるよ!」
「それにしてもジタンさんがご機嫌なんて珍しいね。なにがあったんだい?」
「ルナがエトワール魔法学院から帰ってくるんだ」
よくぞ聞いてくれたとばかりに、ジタンは明るい声で言う。
ルナ・バニーニは世界一可愛い女の子だ。三大魔法学院のひとつ、エトワール魔法学院の1年生で、3ヶ月前から学生寮で暮らしている。
最初はなかなか帰ってこなかったが、最近は週末になるたび帰省している。きっとホームシックになったのだろう。
今週末も帰ってくるそうなので、ジタンは上機嫌なのだった。
「エトワール魔法学院か。そいつは将来有望だねぇ」
「あそこの卒業生なら、一生食いっぱぐれないだろうなぁ」
「将来はやっぱり魔法騎士団に入るのかね?」
「さあな。どんな仕事に就くにしろ俺は全力で応援するだけだ。んじゃ俺は行くぜ。逃げた野郎をぶっ飛ばさねえといけねえからな」
「わざわざ追いかけるのかい?」
「当たり前だろ。あの野郎、ルナがプレゼントしてくれたカバンをバカにしやがったからな。ま、今日は機嫌がいいから半殺しで済ませてやるが」
ジタンは愛おしげにケロちゃんカバンを撫で、その場をあとにした。男を見つけて殴り飛ばしてから帰宅する。
「……なんだこりゃ?」
家に帰ると、ポストに小包が刺さっていた。
差出人はルナだ。
さっそく中身を確かめると、手紙と指輪が入っていた。
「なになに? ――『大好きなパパへ。ルナからプレゼントです。大事にしてね』か。ルナは可愛いなぁっ!」
ジタンは指輪をはめ、ますます上機嫌で家に入るのだった。
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