第31話 化け狸、危機一髪

 宙吉の興奮冷めやらぬなか、玉五郎がやって来た。


「宙吉様。そろそろ刻限では」

「僕が天に召すまでのカウントダウンか?」

「何をおっしゃっておられるか……。今日は茉那香様とメニューの試食をするのでしょうに」


 そう言われてみれば、そんな気のするバカタヌキ。

 里一番の秀才が聞いてあきれる。


「だよねぇー。そろそろ2人は行ったほうがいいんじゃないかなぁ?」

「つか、そうだったじゃん! あたしが待たせちゃってたんだった!! すまん、タヌキチ! すぐ着替えて、鞄取って来るから、もうちょいだけ待っててー!」


 そう言うと茉那香は、バタバタと被服室の方へ走っていった。


「教室の作業の方は自分と美鈴様で足りますゆえ、宙吉様は茉那香様とアパートへお向かい下され」

「そうか。いや、何だかもの凄く疲れた気がするが、そうであった。僕の仕事はこれからだった」


 今のところ、あなたは茉那香を舐めるように見て「はぁはぁ」としか言っておられません、宙吉様。


 宙吉は昨夜、今日のためにアパートで食材の仕込みをしておいたのだ。

 先ほどの突発型桃色イベントによって失念した人もいるかもしれない。

 正直、宙吉自身も一時失念していた。


 諸君と宙吉のために振り返っておくが、彼と茉那香は山賊喫茶の料理担当である。


 今日はメニューの試食をして善し悪しを定め、お客により良いものを提供すべく精査するのだ。

 本来ならば家庭科室で行う予定だったのだが3年の先輩が先に使用を申請していたため、急遽タヌキのアパートに会場が変更となった経緯がある。


「今度こそお待たせー。いやぁ、超スピードで着替えたよー! あたしは多分、音を置き去りにしたね!! ドヤぁ! 制服姿の茉那香ちゃんもやっぱいいっしょー?」

「うむ。最高だ。どんな茉那香も最高だ」


「や、ヤメろー! そんな真顔ではずい事言うな!! 先に言ったあたしがバカな子みたいじゃんか!!」

「いや、しかし、真実を捻じ曲げる事はできないよ」


 もう付き合ったら良いじゃないか。

 そんな事を考えてはいけない。

 彼の恋物語がものすごく中途半端なところで完結してしまう。


「よーし、ここはわたしに任せてぇ! 2人は先に行って! 振り返らないで!!」

「ふざけていないで奈絵様も仕事をして下さいませ。お手すきならば、こちらでのぼりの模様を描いて頂けますか」


「もぉー。玉五郎くん、つまんないよぉー。乗ってよ、そこはー!!」

「自分はいつでも大真面目でございます。仕事は山のようにございますので、ささっ、お早く。では、宙吉様、自分たちはこれにて。作業終了後の点呼と施錠、比良坂先生への報告は自分が責任もって遂行致しますゆえ、ご安心を!」


「ああ。頼んだ。じゃあ茉那香、行こうか」

「おうよー! 実はねー、試食のためにさ、あたし今日のお昼ご飯少なめにしといたんだよねー! 食べるのは任せろーっ!」


「はっはっは。期待しているとも!」


 こうして舞台は宙吉のアパートに移動することとなるのだが、この時の彼はまだ気付いていなかった。

 無論、自宅にて女子と二人きりになるという行為に潜む魔物に、である。



◆◇◆◇◆◇◆◇



「おっじゃましまーす!」

「相変わらず酷くボロボロな我が家で申し訳ないね。本来ならば、こんなところに女子を、他ならぬ茉那香をお招きするのは避けるべきなのに。ああ、僕の力が、主に財力が足りないばかりに……」


「なんの、なんのー! 前に来た時も言ったけど、あたしは好きだよ、このお部屋さー! なんかね、タヌキチが毎日、清く正しく暮らしてる感じがするしっ」

「そう言ってもらえると僕も救われるよ。さあ、それでは早速取り掛かろうか」


「そうだったっ! メニューと言えば喫茶店の看板みたいなもんだし! あたしたちの手に、山賊喫茶の未来がかかっていると言っても過言ではないっ! よっしゃー、食べるぜー」


「頼もしいな。では一品ずつ準備するから、それまで適当にくつろいでいてくれるか。ああ、そこの本棚には玉五郎が買って来た雑誌なんかがあるから、読んでいても構わないよ」


「はいはーい」


 宙吉は台所に行き、冷蔵庫に入れておいた食材を取り出す。

 そして、最近買ったばかりの電子レンジのボタンを押す。

 中古品とは言え、グリル、オーブン機能付きのなかなか出来るヤツである。


 回る電子レンジを眺めながら、ふと、なんの気なしに茉那香は何をしているだろうと茶の間を覗いた。

 彼の脳裏に、不吉な予感が死神のように忍び寄る。


 あれは数日前。

 確か玉五郎が、八百屋の主人の麦畑さんから貰ってきた雑誌だったか。

 それが、本棚に。


 本棚に。


「おおーっ。料理の本があるじゃんかー。さっすがタヌキチぃ、研究熱心だぜー。えっと、こっちはDIY……? あーね、自分で家具とか作ったりするヤツだ! きっと玉五郎くんのだねー。ふむふむ、そんじゃあこっちはー?」

「うぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!!」


 宙吉の体は、風よりも早く台所から茶の間へ。

 確かあの本は左から三番目……やはりあった。

 この見る者の目に優しくないショッキングピンクの装丁。


 表紙にはデカデカと「たわわに実った魅惑の果実」の文字。

 お分かりかと思うが、植物図鑑ではない。

 その横に、「ぽよよんプリン! スイーツグラビア18ページ!!」と、読むと頭の痛くなるような見出しが書かれている。


 ご明察、これは猥褻な雑誌である。

 なんでも、玉五郎が八百屋へ買い出しに出掛けた際に「お二人も若いから、アレでしょう。ナニがアレで? これをお持ちなさい」と言われて受け取ったと言う。


 中を見ると、品性を疑う内容の書物であった。

 18ページにも渡って、女性の柔らかくて揺れるしか取り柄のない部分にフォーカスを当てた写真がこれでもかと並んでいた。

 宙吉は紳士らしく1ページ1ページ念入りに中身を確かめた。

 この世の中、いつ何が入用になるかは分からない。


 だからもしもの時の備えとして、捨てずに取っておいた。

 本棚に空きスペースがあったことも、その判断の背中を押した。


 宙吉はバカだった。


 今日、茉那香が家に来ることは分かっていたのに、何たる足元の甘さか。

 ならば、どうする。

 知れたこと。彼女の目に穢れた書物が映る前に、その存在を消のだ。


「そぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉいっ!!」


 勢いそのままに茉那香の前を速度超過で通過した宙吉は、素早く例の本を手に取り、そのまま窓際へ。

 ダッシュで奪取とはまさにこの事。

 普段はギシギシと立て付けの悪さを自己主張してくる窓を屈服させ、開けた先にある山に向かって彼は力いっぱい振りかぶり、それを投げた。

 ショッキングピンクはすぐに見えなくなった。


 この間の経過した時は、一瞬であった。


「うひゃあっ!?」


 あとは自然な言い訳をトッピングすれば緊急任務は完了する。


「ああ、ごめん。虫がいたから、ちょっと窓を開けたんだ」

「あ、あれ!? タヌキチ、いつの間に窓のとこまで行ったん? あたし疲れてる?」


 好機は逃さぬタヌキ。

 自分のミスは自分で挽回する。


「きっと茉那香は本棚に夢中で気付かなかったのだろう。何かお気に召すものはあったかな? はっはっは」


 宙吉は肝を冷やしていた。

 よもや、このようなところで自分の生涯を賭けた目的が台無しになるところであったのだ。

 何をこの程度と諸君は思うかもしれないが、想像して欲しい。


 例えばこの先、茉那香に相応しい男を見つけ彼女との仲を取り持とうとしたとする。

 その時に、彼女は思うだろう。


 「ぽよよんプリンを好む者の知り合いが、清らかな心を持っているはずがない」と。


 彼女の良縁をぶち壊すようなこととなれば切腹ものの失態である。

 返す返すも、危ないところであった。


 諸君も自室に大切な人を招く際は、本棚のチェックをお忘れなきよう。

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