第18話 ギャル、結構ピュアである
策謀を企てるタヌキ。
その名は宙吉。
本来ならば、愛する茉那香に対する隠し事など彼にとっては世界への反逆行為に等しく、絶対に犯してはならない罪である。
だが、時として優しい隠し事をする勇気も必要なのだと彼は知る。
イタチとの交渉が始まった。
(なに、簡単だ。少しの間、そうだな、1時間くらいで良いのだが。その辺に居てもらえないだろうか。実は隣にいる人が、お前の事をたいそう気に入った様子なのだよ。取り立てて急いでいるわけでもあるまい?)
(なるほど、なるほど。確かにそちらの人は、オイラの動きに見とれておりますな。これはイタチとしても鼻が高い)
(そうなのだ。引き受けてくれるか)
(いいですとも)
実に素直で見所のあるイタチだと宙吉は断定した。
心根が清らかで、若く才能に溢れていると宙吉は褒め称える。
うちの従者よりもよほど気が利くとも思った。
が、それも束の間、突然イタチはくるりと方向転換をする。
(おい、ちょっと待て。話が違うぞ)
(タヌキの兄さん。この世知辛い現代社会、親でもなければ兄弟でもないオイラにまさかタダで言うことを聞かせようなんて、そんな虫のいいことを考えたりはしませんわな?)
確かに、イタチの言うことにも一理ある。
(何が欲しい)
(へへっ、話が早くて助かりまさぁ。オイラ、人間の食べ物でソーセージってヤツに目がなくてねぇ。ああ、アレを今日の晩飯にでもできりゃ、こんなに幸せなことはないなぁ)
あまり知られていないが、イタチは小柄で案外可愛らしい外見とは裏腹に凶暴な肉食獣である。
ネズミやスズメは朝飯前。
自分よりも大きなウサギやニワトリなんかも平然と襲って食べてしまう、それはもう獰猛な生き物なのである。
人の食べ物の味を覚えると、深夜のゴミ捨て場を荒らしまわって住人の仕事を増やすこともある。
(ソーセージだな。用意しよう)
(まさか、1本なんてケチな事を言いやしませんよね? それに細いヤツじゃなくて、とびきり太いのでお願いしますよ)
(……分かった。承知した。2本。太いヤツな。それで良かろう)
交渉完了。
ならば、作戦決行の時。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「ちょいちょい、タヌキチ? さっきからイタチと向かい合って、何してんの?」
「ああ、今コイツに絵のモデルになってくれと交渉しているのだよ」
「えー、ホントに? あたしをからかおうったってダメだかんねー?」
「本当だとも。僕はイタチと話が出来るのさ。その証拠を見せよう。イタチよ、ちょっと二本足で立っておくれ」
…………。
…………。
宙吉は憤慨した。
なにゆえ立たない。話はついたはずではないか。
(おい、言うことを聞け)
(タヌキの兄さん。オイラはここに居るとは言いましたが、兄さんの言う通りに動くとは言ってませんぜ?)
前言を撤回する必要が生まれる。
このイタチ、性格が捻じ曲がっていた。
欲深い上に天邪鬼で、さらに人を食ったようなこの態度。
厄介なヤツに話しかけてしまったことを宙吉は後悔した。
(ほら、兄さん。早くしないとお隣の人がガッカリしてしまいますぜ?)
「よくもまあ、ぬけぬけと」と宙吉は下唇を噛む。
しかし、もはや後にも引けぬ。
(……3本だ)
(ウインナーも付けて下せぇ。オイラはアルトバイエルンが好みです)
このイタチ野郎。
今すぐ襟巻きに加工してやりたい衝動に駆られるが、このままでは自分は茉那香に嘘をついたことになってしまう事を宙吉は理解していた。
それはいけない。
彼女を謀るなど、この世の中で最も犯してはいけない罪だと彼は知っている。
(分かった! アルトバイエルンでもシャウエッセンでも、好きなだけ食わせてやる!!)
(ひょーっ! 兄さん、太っ腹! ようがす、ここはオイラにお任せを)
言い終わるやいなや、イタチはピシッと背筋を正して二本足で立ち上がった。
「えっ、ちょっ!? マジ!? ガチで立ってんだけど!! すごっ! うわぁ、超すごい!!」
かなり高い交渉料になってしまったが、こうなればもう不安要素はない。
「今度は、ベンチの周りをグルッと走っておくれ」
今宵の夕食が待ちきれないのだろう。
イタチはピョンとひと跳ねしたのち、ベンチの周りを駆けた。
3周も。何と言う変わり身だろうか。
「ちょちょ、ちょ!? どうやってんの!? タヌキチぃ!! うっそ! イミフなんだけど!! でもマジヤバい!! あー、興奮し過ぎて頭痛い! あははっ!」
茉那香は宙吉の肩を掴んでグイグイ引っ張る。
余程彼女の琴線に触れたらしかった。
「はははっ。それは秘密だよ。よーし、イタチよ。あとはその辺で好きにしていてくれ。授業が終わったら、帰ってくれていいからな」
イタチはコクリと頷き、茉那香は何度目か分からない黄色い声をあげた。
それからはまるで喉の奥につっかえていた魚の骨が取れたかのように会話が滑らかになり、茉那香も元気を取り戻したらしく張り切ってイタチを描いている。
時は過ぎチャイムが鳴り、美術の時間はお開きとなった。
立ち上がる茉那香に、宙吉は声をかける。
「その、茉那香。あの、なんだ。昨日は玉五郎が変なメッセージを送ってすまなかった。決して君を動揺させたり、困らせたりするつもりはなかったのだが、結果的にそうなってしまった。まっこと、申し訳ない」
すると茉那香は「ううん」と首を振る。
「あたしの方こそ、なんか、ごめん。あたし、初めてタヌキチと会った時の事とか、色々思い出してたら何だか頭の中が変になっちゃってさー。たはは、こんな外見してんのに、情けないっしょ。でも、もう平気だからっ!」
「そうか。良かった。本当に良かった」
「タヌキチ、また泣いてんの!? つーか涙もろいにもほどがあるっしょ!」
涙くらい流れないと嘘である。
彼は、茉那香に嫌われるくらいならば誇り高く死を選ぶ。
それほどの覚悟で村にやって来たのだから。
「恥ずかしいから、みんなには言うなよー? なんかさ、その、タヌキチはあたしにとってちょびっと特別って言うか。うん、よく分かんないけど、レアキャラなの、タヌキチは! だから、色々考えたいし! あー、はずっ! 何言わせんだ、こいつぅー!!」
「そうだな!! 確かに今のは少し恥ずかしいな!」
「あっ、そーゆうこと言うなよー! もー! あははっ!」
今回の件から宙吉が学んだことは2つある。
1つは、女心の難しさ。
これを解明するのと、数学オリンピックで金メダルを取るのとどちらが難しいかと尋ねられても、すぐには答えを出せそうにない。
2つ、イタチは狡猾な生き物である。
これは、晩になると教えてもいない宙吉たちのアパートにやってきて、当然のようにソーセージとアルトバイエルンをむさぼり食い、さらにはお土産にシャウエッセンを2つほど咥えて悠々と帰っていたので、もう議論すべきことはない。
その日の夕飯は彼らの方が質素になる有様で、玉五郎は不満げであったと言う。
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