第17話 化け狸、イタチを使ってギャルの気を惹こうとする

 独りベンチでスケッチブックを広げて物憂げな表情の茉那香。

 宙吉は、茉那香の表情ならどんなものでも好きだった。


 泣き顔や怒った顔はまだ見ていないが、それもきっとステキだろうと妄想する。

 ひとしきり妄想したところで、もう一度物憂げな茉那香を見る。


 やっぱり、笑った顔が一番彼女らしいと宙吉は考えた。


「おっ、ゼラニウムだね」

「あー、タヌキチかぁ……。あーね、綺麗だから、この子にしようかなってさ」


 会話が終わってしまった。


 思春期の男女において、話しかけた側が会話を広げられず不意に訪れる沈黙ほどいたたまれないものはないとされる。

 話しかけた側は当然だが、実は話しかけられた側もかなり気まずい。


 諸君には、宙吉の愚行を反面教師として学んでもらい、正しい男女交際のあり方の模索を続けて欲しい。


 ところで、反面教師のタヌキはと言えば。

 これは、アレなのだろうか。「何言ってるんだい、君の方が何倍も綺麗だよ」とか、そんなセリフをのし紙でも付けて彼女に送れば良かったのだろうか。

 などと、訳の分からない事を考えていた。


 そこまで見事な反面教師になれとは言っていない。


 そんな事を言って「まあ、素敵っ」となるのは、絶世のイケメンか、そうでなければパンツェッタ・ジローラモくらいのものである。

 あいにく彼はどちらでもないので、愚直に真っ直ぐ一直線に行くしか道はないと考えたらしい。


「……隣に座っても良いだろうか?」

「あー、うん。座りなよ! あのー、アレだし! あたしのベンチじゃないし!」


 お許しを得て、静かにベンチの端に着席する宙吉。

 明らかに本調子ではない茉那香に気付け、宙吉。


「今日は雨が降るかと思ったけれども、意外と持ち直して良かったと愚考するが、茉那香はどうだろうか?」

「あーね。雨の日は髪がキマんないから困るんだよねー。……うん」


 会話が終わってしまった。


 思春期の、いやさ思春期に限らず男女の会話で天気の話を始めたら最後。

 行きつく先は会話の墓場である。


 天気の話から会話を広げて行き、いつの間にか「最近娘が露骨に俺を嫌うんだ……」と話題を七変化させる事ができるのは、歴戦のおっさんくらいのものである。

 おっさんのスキルを舐めてはいけない。

 ついでにおっさんの語る「家族との不仲」の話題ほど興味のないものもない。


 もしかすると、女子との会話とは砂漠の中で落とした砂金を見つけることよりも難しいのではなかろうかと、宙吉はようやく気付き始めていた。

 赤ペンで修正してあげるのならば、その上、相手が自分に対して気まずい想いを抱いていると分かった状態でとなると、難易度はさらに跳ね上がると付言するべきだろう。


 まるで、ボルダリング初心者にこの絶壁を登ってみせよと難題をふっかけられているようなものである。

 宙吉だって、チャレンジもせずに白旗を挙げるような男子にあるまじき振る舞いをしたい訳ではない。

 訳ではないのだが、初めの取っ掛りすら見つからなければ壁にぶら下がることも叶わない。


 結果、彼のボルダリングはスタートの号砲すら鳴らせず、三時間目が終わろうとしていた。

 その間に何をやっていたかと言えば、黙々とゼラニウムのスケッチ。

 実は宙吉、芸術分野に秀でており、かなり上手く描けていたのだが、奈絵にでも見つかろうものなら漬物石で殴打されるのは火を見るよりも明らかであった。


「うわわっ!! え、何なん!?」


 空回りした気合を全力で筆に込めた画用紙を眺めて陰鬱としていた宙吉の横で、茉那香がビクリと跳ねた。


「ど、どうした!? 僕に出来る事があれば良いのだが!」

「ほら、見て! あそこ、あそこ! マジヤバいって! ほーらぁー!!」


 茉那香が指差す先には小動物がいた。

 より正確を期すと、イタチがいた。


 イタチ科イタチ属、ニホンイタチである。

 山深い地域ならば日本全土に分布しているオーソドックスな種であり、割と害獣扱いされている辺りはタヌキに近しいように思え、宙吉からすればほどよく親近感のある動物であった。


 三珠村の環境を考えるとイタチがそこらを走り回っていても何ら不思議はなく、その証拠に眼前のイタチも人に慣れているようで、宙吉と茉那香を前にして逃げようともせず、足で頭を掻きながら欠伸をすると言うリラックスっぷりである。


「うっわー! 超可愛いし! なにこの子、どっから来たん!? 目とかヤバいんだけど!! ほら、タヌキチも見なよ! 激レア体験だってこれ!!」


 一瞬で茉那香の心を掴み、彼女をメロメロにした野良イタチに宙吉が激しく嫉妬したのは言うまでもないが、彼は柔軟な思考で考えた。

 これは、好機であると。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 茉那香はイタチに夢中になることで宙吉との間に生まれていた気まずさをすっかり忘れているように見える。

 先程まではベンチの端と端でお互いが座っていて、どちらかが急に立てばどちらかはその反動で転げ落ちるのではないかと危惧されていた惨状が、イタチの参上によって彼らの物理的な距離も急接近していた。


 つまり、イタチがこの場に居れば2人の間に気まずさはひとまずなくなるとも考えられないだろうか。

 そんな宙吉の考えなど知らぬイタチは、キョロキョロと周囲を見回した後、踵を返す。


 宙吉は慌てた。

 このまま好機を逃せば、四時間目も粛々とスケッチを続ける羽目になってしまい、行き場を失ったエネルギーを惜しみなく注ぎ込まれた彼の作品は市の絵画展に出品されて賞を取るだろう。


 それでは困る。困るのだ。

 彼が心から欲するのは、それじゃない。


 考えがまとまれば、やる事は一つである。宙吉の対応は早かった。


(ちょっと待て。そこのイタチよ。少しばかり待ちなさい)


 彼はイタチに向けて念を送った。

 化け狸である宙吉は、化け物と言う枠を外せばどちらかと言うまでもなく獣サイドに属している。

 なればこそ、他の獣とテレパシーで繋がることなど、造作もない。


 現に、彼の念を受けたイタチが、ピタリと足を止めたのが証明である。

 さらにイタチは念の送り主を宙吉と特定したらしく、彼の前にやって来てちょこんと座り込んだ。


(こいつは驚いた。あんた、人かと思ったら、タヌキですかい)

(そうとも。いかにも僕は、化け狸)


(それで、そのタヌキの兄さんがオイラに何のご用で?)

(頼まれて欲しい事がある。重大な任務だ。悪いようにはしない)


 どうやらイタチは話に応じてくれるらしい。

 なんだなんだ、なかなか性格の良いイタチではないか。


 そして宙吉とイタチが念で話している間にも、「すごっ、マジすごいっ! あたし、こんな近くでイタチ見たの初めてかもっ!! ヤバっ! 写真撮らなきゃ!!」と、茉那香のテンションはストップ高の様を見せている。


 宙吉はにんまりと笑みを浮かべた。


 「いいじゃないか。全て僕の計画通りだ」と思いながら。

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