第16話 化け猫、化け狸の恋をちょっとだけサポートする
睡眠不足の頭で受ける英語と世界史の授業は、非常に辛いものであった。
しかし、居眠りなどできようはずもない。
宙吉が転校して来てまだ2日。
生徒の数が少ない三珠高校で、わざわざ教師の覚えを悪くする必要がどこにあろうか。
そんな目の下にクマを作っているタヌキ、宙吉にとって僥倖であった。
3時間目と4時間目の授業は美術で、今日は校内で自由に写生をせよとのことである。
これならばケンとメアリーの会話の真意を探る英語や、耳慣れぬ異国人の名前を呪文のように唱える世界史の授業よりはリラックスできるし、眠気を晴らす良い気分転換にもなるとも思われた。
「そーらよしくん! みんなで中庭に行こうよぉ。せっかく天気も良くなってきたんだしー!!」
奈絵さん登場。
今朝のクールな振る舞いが嘘のようである。
流石は化け猫。ネコ被るなら任せとけ。
そんな彼女に呼応するがごとく、曇天だった空も薄日が差し込むまでに回復していた。
「そうだな。行こう」
「じゃあ、私はみんなの分も画用紙を貰ってくるわね」
スマートフォンよりもスマートに仕事をこなす女子、美鈴が美術室へ向かうようである。
「美鈴様、自分もお手伝いします!」
それに玉五郎も続く。
お前はいつの間に美鈴を名前で呼ぶようになったのか。
宙吉も同じことを考えたらしく、玉五郎に後れを取ってなるものかと、この時より仲良し5人組のメンバーは全員名前で呼ぼうと彼は決意した。
「…………はぁ」
そして、1人元気のないのは茉那香。
これはどうした事であろうかと彼女に接触を試みようとした宙吉の首根っこは、奈絵に掴まれる。
ネコに、猫を摘まみ上げるように掴まれた。
「ちょい待ち」
ネコの皮を脱ぎ捨てて、クールな物言いになった奈絵。
彼女はそう言うと、宙吉の顔をグイと寄せて、耳打ちをする。
「茉那香は、昨日のグループチャットのこと気にしてるんだし。あの子、色恋に関してはウブだから。で、アンタの事を変に意識し過ぎて、朝からカチコチに固まってるってワケ」
「なんと、そうだったのか。しかし、どうすれば」
この場合の正しい立ち回り方が彼には分からない。
里での研鑽の日々に、どうして異性との社交性を磨くメニューを取り入れなかったのかが今更になって悔やまれる。
「そんな顔するなって。わたしがここは一つ助けてあげるし。まあ、今朝のお詫びみたいなもんだし」
地獄に仏とはまさにこの事。
自分の抱える事情を知っている人物が存在すると言うことは、ここまで心強いものだったとはと宙吉は感服した。
彼女は続ける。
「これからみんなで中庭に行って、絵を描く。んで、途中で適当に茉那香の隣に行って、そこでどうにかギクシャクした関係を改善するし。オーケイ?」
「えっ、ちょっ、待ってくれないか! 一番大切なところが分からない。どうやって関係を改善すれば……?」
「そこはまあ……。流れ?」
「そんな八百長相撲みたいな!?」
その流れが見えたなら苦労はしない。
この意見に賛同する者は、挙手を。
確認のしようはないが、今、数多くの悩める男子諸君の真っ直ぐ伸びた手が彼には確かに見えたらしい。
キンコンカンコンとチャイムが鳴る。
場面転換のお時間が迫る。
「男なんだから、それくらいは自分で考えなって! 大丈夫、大丈夫。何とかなるし、多分。きっと。メイビー!!」
「そんな! 結局、根本的なところがボヤけている! 僕はどうすれば!?」
親指をグッと立てて、宙吉の前を行く奈絵。
とりあえず、眠気だけはすっかり覚めたようで、まあ良かったじゃないか。
◆◇◆◇◆◇◆◇
三珠高校の中庭は自動販売機が数台と雨よけの
と言うのはこの場所をかなり好意的に捉えた表現で、悪く言えば木やら草やらが最低限の整備をされただけであり、生命力満開の様相で生い茂っている。
よく見ると野菊からコスモス、ベゴニア、マリーゴールドなど、草の中に花が混じっていた。
これは意図して雑多な生態系を生み出しているのか、それとも手入れをする者の怠慢か。
何となく後者の予感がするものの、これはこれでふんわりとした風情を感じなくもないので結果オーライなのかもしれない。
いずれにしても、これだけ花が咲いていれば被写体に困ることはないと思われた。
「田沼くんは何を描くの?」
顎に指をあてて、美鈴が宙吉に声をかけた。
「そうだね。僕はそこの、何故こんな所に咲いているのか分からないアッサムニオイザクラでも描こうかと。こやつ、栽培が難しいはずなのだけど。伸び放題の草に囲まれて綺麗に咲いているねぇ」
いざ気を付けて見てみると、珍しい花だらけである。
これは、三珠の地の恩恵の一つではなかろうか。
化け物だって活性化するのだから、植物だって以下同文。
「へぇ。田沼くんって植物に詳しいのね。私、この花の名前を初めて知ったわ」
「いやいや、そんな大したものではないよ。元々、里……前に住んでいたところが、植物の多い場所だったせいで、自然と覚えてしまったんだ。ちなみにそっちの花は、キバナコスモス。向こうのはヒメアリアケカズラで——ああっ、痛いっ!?」
褒められたのが嬉しかった宙吉。
調子に乗って片っ端から花の名を紹介して悦に浸っていたら、側頭部に石が飛んできた。
凄まじいジャイロ回転によって威力の高められたその投球術たるや、相当な達人のものに違いない。
宙吉が石の飛んできた方向を見ると、奈絵が一回り大きな石を手に振りかぶっているところだった。
つまりもう数秒反応が遅れれば、彼のこめかみを彼女のレーザービームが的確に撃ち抜いていただろう。
続いて奈絵さん、珍妙なダンスをする。
タコのように体をくねらせている。
何だか楽しそうなので真似をしてみる宙吉。
秒でとんでもない速さの石が飛んできた。
そいつを眉間に喰らって彼は、ようやく彼女が「くだらない解説をしていないで、さっさと茉那香の所へ行け」とサインを送っていた事に気付く。
「ああ、やっぱり、僕はあっちにしようかな」
「あら、そうなの? 私はこのヒメアリアケカズラを描こうかしら。せっかく名前を教えてもらったのだし、小さくて可愛らしいのが気に入っちゃった」
「うむ。清楚な美鈴さんにピッタリだと思うよ。……はっ!? で、では、僕はあちらに」
まごついていたら、次に飛んでくるのは岩になるだろう。
宙吉はいささかわざとらしく、反対側のベンチに座っている茉那香の元へ移動することにした。
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