第13話 化け狸、脅迫の主と相対する
約束の場所に着いた。
そこは公園だった。古ぼけた看板に「ワクワク広場」と書いてある。
多少回復したとはいえ、余りにも今の心境とかけ離れている名前に理不尽な怒りを覚えながら宙吉は辺りを見渡す。
敷地は広いのに設置されている遊具といえば、ブランコとシーソー、ジャングルジムくらいのもので、そのどれもが老朽化しており、早朝の薄暗さも相まって何とも不気味である。
近くの電柱にはカラスが数羽止まっており時折「カァー」と鳴いては、この場に不吉な予感をトッピングしてくれている。
サービス精神旺盛なカラスを睨みつけると、あちらからも「何見とるんじゃ、おおん?」と睨み返されたのでサッと視線を逸らす宙吉。
危ないところだった。
判断があと5秒遅ければ命を落としていただろう。
時計を見ると、まだ指定された時刻には20分の余裕があった。
もう諸君もお分かりかと思うが、彼は何事も万全の対策を講じる男である。
10分前行動など基本の基本であり、それが20分になったとて、取り立てて注釈するほどのことでもない。
今、彼の置かれている状況はどう好意的に解釈しても旗色が良いとは言えない。
パワーゲームでは、戦う前から既に降参しているようなものだ。
あちらには「自分の正体を知っている」と言う、意味深かつ別の側面では絶望的なカードがあり、片やこちらはと言えば何も持っていない。
厳密に言えば少し小腹が空いていたので、昨日作った食パンの耳をカリカリに揚げて砂糖をまぶしたもの、通称パンの耳ラスクを袋に入れて持参しているが、これが彼の唯一のカードであるとすれば心許なさだけは一級品である。
パンの耳ラスクを一つ摘み、かじる。
サクサクと小気味良い音がして、口の中に控えめな甘味が広がった。
小梅にも分けてあげれば良かったと考える。
美味い。
何もかもが不確定な今、この甘さだけが世界の真実なのではないかと思われた。
それから30分が経ち、午前6時になった。
相変わらずワクワク広場には宙吉しか居らず、いつの間のかカラスさえも飛び去ってしまっていた。
先程までは頼んでもいないのに「カァカァ」とけたたましく鳴いていたのに、今はそれさえもなくなった。
静寂に包まれた場にて人を待つという行為がここまで心細いものだとは。
彼は思った。
カラスたちよ、先程は言葉が過ぎた。
パンの耳ラスクを少し分けてあげるから、戻ってきておくれ。
宙吉はそう願うが、カラスは2度と戻ってこなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
さらに15分が過ぎた。待ち人、未だ来ず。
かつて巌流島で折り目正しく時間通りに現着し、宮本武蔵をまだかしらまだかしらと待っていた佐々木小次郎もこんな気持ちだったのかと妄想する。
宙吉は1つの可能性について考えた。
もしかして、自分はからかわれただけなのではないだろうか。
見方を変えれば、人は誰しも何かしらの正体を隠して生きているとも言える。
だから、唐突に「お前の正体を知っているぞ」などと言われると、あの事かしら、いやあの事かもしれないと、ありもしない自分の秘密について詮索し、結果、バレたら困る秘密を自ずと作り上げてしまう。
そんな真理を巧みに利用して、自分は一杯食わされたのではなかろうか。
そうなると、今度はなにゆえ自分がそんな悪質極まりないドッキリを仕掛けられなければならないのかと言う問題にぶち当たるが、相当強引な考えをすれば村の新参者への洗礼的な行事であるとも、思えたりしないだろうか。
しなくなくなくはないだろうか。
「……うむ。ないな」
彼は独りでブランコをキィキィ言わせながら呟き、パンの耳ラスクをモグモグするのだった。
その時、ガサリと草むらで音がした。
彼は盛大にビクリと驚き、ブランコから滑り落ちたあげく椅子の部分で後頭部を強打した。
「あふんっ」
痛みに耐えつつ音のした方を見ると、可愛らしい黒猫が「ニャー」と声を上げる。
ホッとしたのと同時に、まだ姿を見せぬ彼女を待ち続けねばならぬのかとため息が漏れた。
「こっちにおいでー。怖くないぞー。そーら、今ならこのパンの耳ラスクをあげるぞー」
ついに猫との対話を試みる宙吉。
このままだと、赤ちゃん言葉で話し出すのも時間の問題か。
「……あんた、馬鹿なんじゃないの?」
黒猫に猫なで声で話しかけていた彼の背後に突然降って湧いた彼女の声で、先ほどの比ではない驚きの結果、宙吉は心臓が停止する寸前まで追い込まれた。
彼女は顔色を青や白に変えるのに一生懸命な宙吉を見下ろし、さらに続けた。
「猫は、そんなもの食べないし。って言うか、いつまでバカ正直に待ってんのさ」
「いや、しかし来いと言われたから。話の内容はともかくとして、約束の時間を少々過ぎたからといって帰ったあとに、君が来たら悪いじゃないか。奈絵さん。それに結局こうして会えたんだから、待っていて良かった」
「そもそも、僕を脅かして呼び出したのは君ではないか」と一言物申すのも忘れて、彼はパーカーにスウェット姿の橋本奈絵と対峙する。
まだ1日しか彼女と接していないのでこう言うのも妙に思えるが、奈絵は昨日の雰囲気と打って変わって、なんだかクールに感じられた。
「呆れたお人好しだし。……はい、これ」
そう言って彼女は宙吉に缶を放って寄越す。
受け取ると、それはコーヒーだった。
3本目のコーヒーの登場にも宙吉は嫌な顔をせずに、お礼を言う。
「ありがとう。ちょうど喉が渇いていたところだったんだ」
「嘘ばっか。アンタ、小梅ちゃんと一緒に遊んでる時にコーヒー2本も買ってんじゃん。わたしにまで気を遣うとか、意味分かんない」
「見てたの?」
まるで彼をずっと見学していたような言い回しである。
しかし、周囲に小梅以外の人の気配はなかった。
それこそ、カラスと猫しかいなかった。間違いはない。
「今日呼び出したのは、アンタの真意を確かめるため」
奈絵は彼の質問に答えず話を進める方向のようで、それは有無を言わせないただならぬ空気を生み出していた。
「真意とは?」
「昨日、メッセージ読んだでしょ。わたしは、アンタの正体を知ってるし」
迫る奈絵の鋭い視線。
学校で見せるほわっとした雰囲気と今のクールな彼女、どちらが本物なのだろうか。
なるほど、ギャップ萌えってこういう事かと宙吉は納得していた。
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