第9話 化け狸、グループチャットを嗜む
駅で「また明日」と茉那香たちに別れを告げて、宙吉と玉五郎はアパートに帰って来た。
あれほど煌めいていた街での1日を思い出すほどに、未だすきま風が我が物顔で通り抜けていく自分の住処が切なく思える。
宙吉は現実からやや逃避を試みるべく、台所へと向かった。
「申し訳ありませぬ、宙吉様。よもや食事を作って頂けるとは、この玉五郎、恐悦至極に存じます。早く自分も料理の腕を磨きますゆえ、今しばらくのお時間を……」
どんなに刺激的な1日だって、終わりはマッタリとしたものである。
「いいよ、いいよ。構わぬとも。里を出た僕に付き合ってもらっている訳だし、日々のご飯くらいは任せてくれ。出来ることを、出来る者がする。共同生活のコツじゃないか」
トントンと小気味良く響く包丁の音。
丸川からの差し入れの野菜と村の精肉店で買った鶏肉があるので、今晩は鍋にすることにした。
諸君は、狸なら狸らしく生のサツマイモでも豪快にかじっているがよかろうと憤るかもしれないが、そこはご容赦願いたい。
以前にも少し触れたが、人の生活に関わるようになった化物は様々な事情が時代とともに変化しているのだ。
記録によると、明治の初め頃に三珠村が出来たのがきっかけで、食事も人間のように素材に手を加え、料理として摂取するようになったそうだ。
理由は実に明快である。
そっちの方が美味しいからだ。
元々雑食の狸が彼らの祖先なので、人間の食べ物が合わずに体を壊すことなどもない。
ハンバーガーだって食べるし、ハワイアンパンケーキだって大好物だ。
里ではまだまだタピオカミルクティーが流行っている。
「よーし、よし。あとは、煮立つのを待つだけだな」
「ご苦労様です。ささ、タオルを用意してございますぞ!」
「いや、なに、大したことじゃないよ。里でも僕は自炊していたからな。出来合いの惣菜を買っても良いのだけども、自分で作ったほうが安いからなぁ。いくら里から必要な分の仕送りを貰えるとはいえ、節約できるところはしていかないとな」
「おおっ、見て下さい宙吉様! この猫、うたを歌っていますよ。可愛いですなぁ」
玉五郎は先ほどからテレビにかじりついている。
具体的には、テレビと彼との間は50センチもないと思われる。
良い子は真似をしてはいけない。確実に目が悪くなるだろう。
このチャンネルでは「うちのペット自慢」と言うコーナーをやっているようであった。
「……お前。いま僕、結構いい事を言ったんだけどな。まあ、テレビが珍しいのも分かるが。私も初めてテレビを見たときは感動したものだよ。玉五郎は猫が好きなのか?」
「ええ、大好きです! 彼らは賢いですし、見た目も気品に溢れている。同じ愛玩動物の子孫として尊敬しております!! かぁぁっ! 今度は水を飲もうとして頭に!! これはたまりませぬな!!」
いや、狸は別に愛玩動物ではないだろう。
獣だぞ。時代や地域によっては害獣扱いすらされているのだが。
まあ玉五郎の幻想をわざわざ打ち砕くこともないし、ちょうど鍋もいい具合に仕上がったので、彼らは夕飯を食べることにした。
「くっはぁー!! まっこと、美味しゅうございます! それに、このメロンソーダなる飲み物の甘美なこと! 昼に飲んだコーラ同様、喉をバチバチと刺激しますが、これは慣れるとクセになりますなぁ」
「おっ、玉五郎もなかなかイケる口だな。僕は飲み物の中ではメロンソーダが最も好きなのだよ。食事に甘いジュースなど邪道だとお叱りを受けるかもしれんが。まあそこは、我々ってタヌキだから、少しくらいは大目に見てもらおう。ん、皿が空じゃないか。貸してみろ、おかわりをよそってあげよう」
「申し訳ございません。では、肉を多めでお願い致します」
「野菜もしっかり食べなさい。この人参なんか、実に美味いぞ」
旬の素材がたっぷり入った鍋を堪能するタヌキたち。
締めはもちろん雑炊であったことを付言しておく。
ただし、もしもうどんがあればどちらにするか迷ったことは間違いない。
食後、一息ついてから洗い物をしていると、宙吉と玉五郎のスマホが同時にピロンと鳴った。
「宙吉様、茉那香様ですぞ」
告知音が同時になったのでグループチャットの通知だろうと宙吉にも大方の察しはついていたが、やはりそうであったかと頷く。
タイミングよく作業も終わったので、いそいそとスマホを手に取った。
画面を開くと、「おっつー。みんな、ご飯食べたー?」との文言と、お腹を膨らせたウサギのスタンプが踊っていた。
すぐに「わたしは食べたわよ。ハンバーグ」と美鈴がコメントし、「我が家はねー、焼き魚。ちなみにとっても美味しかった!!」と、奈絵が続く。
「我々も参加致しましょう」
「当然。そのために買ったスマホだからな」
宙吉が「うちは鍋にしたよ」とコメントすると、「宙吉様のお手製ですぞ。自分、満腹です」と玉五郎も負けていない。
少し間を置いて、「すごっ! タヌキチ、料理得意なんだ! マジか!!」「意外と女子力高いわね」「やりますなー、田沼くん!」と、なにやら宙吉を褒め称えるメッセージが並んだ。
素直に喜べばいいのに、なんだかむず痒い様子の宙吉。
それから、取り留めのない話題で盛り上がる彼らのグループチャット。
なんだ、なんだ、思っていたよりもずっと楽しいではないかと宙吉ははしゃぐ。
そんな気持ちが前のめりになり、気付けば現代っ子の仲間入りを果たしていた化け狸。
情報化社会の風はタヌキにも届いているらしい。
それからしばらく。
「そう言えば、宙吉様。お聞きしたいことが」
玉五郎が言った。
宙吉は、風呂場で湯船を掃除している。
「なんだー?」
頑固な水垢が取り除けず、彼は親の仇に出会ったが如く執拗にゴシゴシとスポンジを動かしながら、返事をした。
「茉那香様のことですが、宙吉様は、あの方を心からお好きなのですか?」
「んー。そうだなぁ。なんと言えばいいか。彼女は確かに、僕にとって特別だ。好むか好まざるかで言えば、当然前者ではあるが。恋もしていると言っていい。人間の中で1番好きだ。タヌキを含めても1番好きだ。だがな——」
彼はなんの気なしに返事をした。
そしてこれより宙吉は、グループチャットに潜む大いなる恐怖を味わうことになる。
なんとなくオチが見えているかもしれないが、見えているオチを見てみぬふりするのもまた優しさなのではないかと、声を大にして世界に伝えたい。
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