第10話 化け狸、正体がバレる?

 ようやく宙吉が風呂掃除を終え和室に戻ると、玉五郎がコメントを送信したところだったらしい。

 楽しい楽しい、何回でも楽しいと言っちゃうグループチャット。

 彼も再び輪に入るべく画面を覗き込んだ。


 そこには、簡潔な文章があった。

 「茉那香様は、宙吉様のこと好きですか?」と。


 宙吉の背筋が凍った。


「ばぁぁぁぁっ、おまぁぁぁっ、玉五郎! なんちゅう事をしとるんだ、お前!!」

「……はて? いけませんでしたか?」


 まったく邪気のない少年のような瞳をしている玉五郎を見て、時として悪気のない者の繰り出す一撃は邪な考えを持った者の一太刀よりも鋭く身を斬ることを宙吉は知る。


「あのなぁ、僕は確かに茉那香を好きだと言ったが、それはもう色恋の枠に収まる話ではなく、もっとスケールの大きい、大局的な話なんだ。僕は彼女を幸せにする義務がある。もちろん、僕が隣にいられたらそれが一番良い。だが、そうして生まれた幸せに私が立ち会う必要などない。分かるか? 僕の愛は壮大なのだ。第一希望は茉那香と恋人になりたいで違わないが、その根底には彼女の幸せがあって……ああ、分かっていないな、その顔は。もう、いい。この話は後で、小一時間みっちりすることにする!」


 とにかく、今は玉五郎を責めている場合ではない。

 事態の沈静化をはからねば。


 宙吉はものすごく早口で玉五郎をまくしたてながらも、冷静だった。


『いや、今、茉那香はモテるだろうなぁと言う話をしていてな! それで、玉五郎が何やら勘違いして飛躍した解釈をしてしまったらしい。ははは、困ったヤツだ』


 今日買ったばかりとは思えない、超速のフリック入力を見せる宙吉。

 誰よりも早く次のコメントに滑り込めたことで、以降の追求にも幾分か有利に対応できるだろうと思われた。


 そう思った矢先、ピロンとスマホが鳴る。


『ハッハッハ。宙吉様、照れておりますぞ(笑)』


 続けて、腹を抱えて笑うタヌキのスタンプが並ぶ。


 宙吉は何を置いても、まずちゃぶ台の向かいに座るバカ狸を殴りたいと思った。

 だが、狸の里で300年に1人の切れ者と呼ばれた宙吉。

 彼はほんの少し残った理性を振り絞って、とりあえず弁解をしなければと前を向く。


 さらにピロンとなるスマホ。



「ハッハッハ! 宙吉様、真剣な表情で照れておられます(笑)」

「おい、お前。ちょっと話がある。こっち向かんかい」



 玉五郎の頭を力任せに殴りつけようとしたらば、ヒョイと身軽に躱される。

 それもそのはず。

 彼の頭は良くないが、その分運動神経にステータスを極振りしている化け狸。


 宙吉のひょろひょろパンチでは残像すら捉えられない。


 それでは、これから宙吉くんが心中を叫びます。

 どうぞご静聴ください。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 何をしてくれとるんだ、おのれは!?

 そして、おもむろにスタンプを送信するな。

 タヌキのキャラクターが爆笑しているスタンプを送信するな。

 なにをお前、グループチャットの機能に馴染んでいるのだ。

 (笑)だと!? 笑えない、全然笑えない!!

 これが変に拗れて、茉那香と気まずくなったらどうしてくれるのだ。

 僕の十余年に渡る計画が水の泡ではないか。

 ええい、そうこうしている間にもスタンプを連投するな!

 ポ○タが大笑いしているスタンプをヤメろ!

 ポン○、お前もいい加減に口をとじろ!!



 宙吉はパニックに陥り、時間にして3分程、放心状態になっていた。


 その間に、美鈴からじっとりとした目の犬のスタンプが送られ、奈絵からもじっとりとした目のネコのスタンプが送られ、当の茉那香からの反応はなく、最後に再び玉五郎が爆笑タヌキのスタンプを送信してグループチャットは終了した。



 時、すでに遅し。



 彼は悟った。

 そして明日、どの面下げて学校に行けば良いのかと考えると胃がキリキリと痛んだ。


 玉五郎には来月の小遣い全額カットと、アパートの庭の草むしりを申し付けた。

 彼は説教をされている間中、終始「わけがわからないよ」と言う顔をしていたが、それはこちらのセリフであると宙吉は憤る。


 しかし、いつまでも過ぎたことに悔いていても仕様がない。

 事態が好転するというのなら悪鬼の形相で「ギギギギギ」と歯ぎしりするもやぶさかではないが、そんなことをしていてもすり減るのは彼の繊細な心と、奥歯だけである。


 とにかく、もう寝よう。

 寝て起きたら、もしかしたら全部夢だったと言う素敵なご都合主義的展開が待っているかもしれない。そうだ、それに賭けよう。


 もはや完全に現実からの逃避行を始めた宙吉はヨロヨロと布団を敷き、まだ22時過ぎだと言うのに床についた。ちなみに玉五郎はとっくに寝ている。


 それから、1時間が経ち、2時間が経つ。



 ——眠れるはずがなかった。



 繰り返すが、彼のハートは飴細工のように精細かつ壊れやすくできている。

 そんなハートにドロップキックを不意打ちされて、のうのうと惰眠を貪れる精神構造をしていれば、そもそもこれ程までに思い悩んでもいないだろう。


 そうだ、スマホで何か心のスカッとする動画でも見よう。

 馬鹿馬鹿しい話でも聞けば、幾分か心も軽くなるはずだ。

 そう思い立ち、暗い部屋の中で宙吉がスマホを手に取った瞬間、再びピロンと聞き慣れた電子音がして彼のハートが飛び跳ねた。


 そこに表示された短い文章はいよいよ宙吉の息の根を止めにかかっているようで、瞬間、顔や背中やその他体中の汗腺から汁が吹き出し、シャワーを浴びたあとのように水も滴るタヌキとなった。


『あなたの正体を知っている。口外されたくなければ、明朝6時、指定の場所へ来い』


 彼にとって、これほど猟奇的な脅し文句はなかった。

 ここで言う正体とは、どういう事なのか。

 何を示しているのか。


 物事の推移を考えるとき常に最悪のケースを想定するのが基本的思考の宙吉は、静かに震えた。

 それが今日と言う楽しい時間をともに過ごした仲間からのメッセージであることが、彼を余計に混乱させた。


 事の真相はどうあれ、行かねばなるまい。

 完全にイニシアチブはあちらにあり、彼に抗う術はないかと思われた。


 当然のように一睡もできず、朝を迎える。


 昨日の鮮やかな夕焼けから、どうしてこのような曇天の朝を予想できようか。

 今にも雨が降りだしそうな早朝の空は、まさに宙吉の心模様そのものであった。

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