第4話 化け狸、茉那香との出会いを語る

 その日は二学期の始業式だったため、授業はなく午前中で学校は終わる。


「タヌキチー! タヌキチー!! ちょっとお茶していこー!」


「あなた! 宙吉そらよし様を何と言う呼び方うぐっ!?」

「玉五郎、良いんだ、あれで良いんだ。お前の首を僕は折りたくない。分かるな?」

「は、ははっ! 委細承知いたしました!」


 茉那香まなかは宙吉の事を「こいつ引っ込み思案っぽいから助けてやんないとなー」と思っていた。

 もはや、宙吉からすれば望むべくもない僥倖だった。


 しかし、アパートを住める状態にすると言う名の運命が、2人の間を引き裂いた。


秋野あきのさん、すまない。僕はアパートの壁をどうにかしなくてはならないんだ。お茶のお誘いは本当に嬉しいのだが、す、すまない!!」


「うおっ、マジメか!! かたいよ、タヌキチー! あたしの事も茉那香でいいから! 今日から三珠みたま村と言う名のド田舎仲間だしー? もっとフランクにいこう! んじゃ、お茶は明日ってことで! 壁の修理? がんばー!!」


 そう言うと、茉那香は自転車にまたがって元気よく走り去って行った。


「なんと申しますか、豪快な女子おなごでございましたなぁ」

「ふふ、そうだろう? そこがまた愛おしい。可愛かろう? うふふ」


「えっ? あの、宙吉様? もしかして、恋をした人の子と言うのは!?」

「ああ! 茉那香だ! まさか転校初日に会えるとは! しかも僕と同い年だぞ!! これこそが運命! そうだ、彼女との出会いについて語らせてくれ!! 2時間もあれば足りる!!」


 玉五郎は、主人をいさめた。

 「それ、アパートに帰って穴を塞ぎながらではダメですか?」と。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 帰宅後、速やかにアパートの壁の修繕を始めようとしている2人。


「あのな、あれは僕が3つの頃だったか」

「ああ、もう語り始められるのですな。分かりました。拝聴いたします」


 化け狸は学術上のタヌキと呼び名が似ているだけで、中身はかなり違う。

 彼らはだいたい6歳頃まではタヌキの姿から変化できず、野生のタヌキと違って体も弱いため、里の外へは絶対に出てはならない掟があった。


 それを破ったのが幼き日の宙吉。


 まだ幼かった宙吉は、好奇心に任せて里の外に度々出掛けていた。

 外といってもせいぜい里から数キロ離れた場所までで、今にして思えば大したことのないものだが当時の彼にとっては大冒険だった。

 大人の目を掻い潜り、周囲の子よりも早くに覚えた『人化じんかの術』を使って人間の子供のように野山を走り回っていたのだ。


 そんなある日、宙吉はいつものように里を抜け出し山へ向かった。

 そこでとても美味しそうな木苺がなっているのを見つけ、彼は何の迷いもなく手を伸ばした。


 木苺は手のひらに収まったが、時を同じくして体が宙に浮く。

 それが切り立った斜面を落下しているということに気付いた時には、もう遅かった。

 ゴロゴロと勢いよく転げ落ちた宙吉は足を痛め、身動きが取れなくなったのだ。


 それから一日が経ち、二日が経ち、三日目の朝を迎える頃には彼も憔悴しきっており、『人化の術』で人の形を維持するのもままならず、ついに狸の姿に戻り、本当の死を間近に感じるところまで来てしまっていた。


「覚えておりますぞ。自分の父も里の大人たちと一緒に捜し歩いておりました」

「若気の至りだな。すまぬことをした。だが、そのおかげで彼女と出会えたのだ」


 きっとそのうち里の誰かが助けに来てくれるだろうと言う希望も、時間の流れとともに何処かへ溶け出していた。

行き先も告げずに出掛けたのだから、宙吉の不在に気付いても探し出すのは容易ではない。

 捜索も相当に難航した。


 ついには宙吉も意識が朦朧とし始め、少し気を失っては痛みで目を覚ます流れを繰り返し、いよいよもって今際の際に立たされたであろう、その時だった。

 彼の頭上で声がしたのだ。


「ねえ、だいじょうぶ?」


 宙吉は天上からの迎えが来たのかと目を開ける。

 そこには人間がいた。澄んだ目をした幼女だった。


 身を守らねば。人間は何をしてくるか分からない、危険な相手だ。

 里でそう教えられていた彼は身構えようとしたが、もはやそれすらも叶わない。


「けがしてるの?」


 幼女は宙吉をしげしげと見ていた。その瞳を宙吉も見ていた。

 だがそれも続かず、彼の意識は途切れる。


 しばらくして目を開けると、幼女はもういなかった。


 「そうか、僕は誰にも看取ってさえ貰えないのか」と宙吉は感じた。

 そう思うと無性に悲しくなり、涙が溢れた。

 皮肉なことに喉の方はカラカラで、喘ぐことすらできない。


 ポタリ。


 そんな哀れなタヌキの口元に、雫が落ちてきた。


「たぬきさん、これのんで、げんきになって。いまね、おとうさんと、おかあさんもきてくれるよ」


 先ほどの幼女であった。

 彼女は持参した水筒から、優しく宙吉の口へ水を注いでくれていたのだ。

 彼はそれを夢中で飲んだ。飲みながら、滂沱の涙を流した。


「まっててね。すぐもどるから」


 そう言い残して、彼女は駆けていく。

 恐らく、両親を迎えに行ったのだろう。


 程なくして、里の大人たちが宙吉を発見し保護。九死に一生を得るに至った。

 結局彼はその幼女にお礼の一つも言えず終いであったが、彼女が彼の命の恩人であることは変えようのない事実であり、体の傷が癒えたのち決心をしたのである。



 彼女に恩を返したい。

 許されるならば、彼女の近くで。



 想いはいつしか恋心に変わっていたが、その強さは変異などせず順調に芽が伸び枝葉を育み、いつしか花を咲かせていた。


「しかし、宙吉様。お話は分かりましたが、我ら化け物ですぞ」

「それがどうした。玉五郎は『ごんぎつね』という児童文学を知らぬのか?」


「存じております。あの、それって悲しい結末になるのを宙吉様こそご存じで?」

「ぐっ。じゃ、じゃあ、『猫の恩返し』だ! スタジオジブリの傑作だぞ!!」


「ああ、そちらは存じ上げません。猫と人は恋人同士になるのですな!」

「…………それは、まあ。なんだ。別に良いじゃないか」



「ならないのですな!」

「良いじゃないか! 僕がタヌキの恩返しとして、初の幸せの形を提言するよ!!」



 そんなやり取りをしているうちに、玉五郎が壁の穴をどうにか修理する。

 2人の協議の結果「柿の木は実を食べたいから保存しておこう」と言う運びになった。



◆◇◆◇◆◇◆◇



「いやはや、この、かっぷらぁめんなるものは、相変わらず美味ですなぁ!!」

「お前は本当に人の世界に疎いな。今どき、カップ麺の味を知らぬ化け狸など、玉五郎くらいのものだぞ」


 今日は忙しかったため、即席麺での夕食になったが、明日からはしっかりと献立を考えなければと宙吉は思った。


 健康な体がなければ、想い人の茉那香へ恩を返せないではないか。

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