第2話 化け狸、恋のために高校生になる

 狸の里の首長は世襲制で受け継がれている。

 大じじ様と呼ばれているのが宙吉そらよしの祖父で、両親は彼が小さい頃に亡くなっていた。

 つまり、彼が狸の里をこれから背負って生きていく予定なのだが、当人にはそんなつもりがさらさらない。


 その現首長である大じじ様に宙吉は『研修』を申し出ていた。

 研修とは期限付きの村での生活のことである。

 平たく言えば、「人間社会に混じって生活して色々学んできなさい」と言う古くからある里の修行の一つなのだが、彼はそれを願い出ていた。


 熱烈に、苛烈に、猛烈に。

 里のご意見番たちが若干引くくらいの勢いで願い出ていた。

 それが1年前の事。彼は16歳だった。


 むしろ、勢い余ったせいで許可が出るまで1年かかったのではないかと思われるが、それはまあご愛敬と言う事にしておこう。


「では、参りましょう。皆様がお待ちかねです」

「そうだな。行こう」


 とにかく今日は宙吉にとって記念日。

 古いしきたりから解放され、彼は愛に生きると決めているのだ。


 樹齢数百年の大杉が、里の催事場となっている。

 齢を重ねた杉は何とも神々しいオーラに溢れているようにも見えるが、所詮は杉である。

 思うことはもし花粉症の者が里に住んでいたらさぞかし大変だろうなといったところで、宙吉にとってはイベント事をする時に集まる公民館的存在以外の何物でもない。


 大杉の前にはすでに大じじ様と里のご意見番が二人、でんと構えていた。

 しつこいようだが齢を重ねたものは不思議なことに荘厳な雰囲気を漂わせるもので、年寄りの化け狸が三匹いるだけなのに言葉では表せない圧のようなものが周囲を覆っていた。


「宙吉、参上いたしました」

「うむ。刻限通りじゃな。結構」


 彼は、わざと仰々しく頭を下げる。

 そんな宙吉の態度を見て大じじ様も、脇の古狸たちも満足げである。


「それで、本日のご用向きはいったい?」


 何と白々しい。

 実は宙吉、事前に「今日は僕についての話があるらしい」と情報を得ていた。

 シンプルな言い方をすると、寄り合いを盗み聞きしていたのだ。


「……ええと、なんじゃったかの。ああ、そうじゃった。今度やる里の秋祭りの出し物、何にしようか迷っておってなぁ。宙吉の意見を聞きたいと思っての」


「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」


「ワシを侮ったのぉ? お主がこそこそと嗅ぎまわっとる事くらい承知じゃったわい。今のはちょっとしたフェイクじゃ」

「ぐっ……。これは、まことに申し訳ありません。……ちっ」


「舌打ちも聞こえとるが?」

「あいすみません。思わず聞こえる大きさにしてしまいました」


「お主ここ数年、日頃からワシに対して若干不遜な態度が目立つように感じるのじゃが」

「いえ、そんな。滅相もございません」


「例えば、ほれ、半年前にお主が街に行くと言うのでワシは『島風』の模型を買ってくるよう頼んだ。ワシが戦艦を好んでいるのは知っておったはずじゃ。しかし、お主が持って来たのは美少女のフィギュアじゃった。しかも、とんでもなく破廉恥な格好をした。寄り合いでワシが意気揚々にそれを取り出したあと、その場がどんな空気になったか、お主に分かるか? のう、宙吉よ」

「あ、あれは、その、座興と言いますか。ほんの茶目っ気で……」



 何をやっているのか、宙吉くん。



「さらに、さらにじゃ。そのあと、ワシは再び買い物を頼んだ。今度は『瑞鶴』のフィギュアを買ってきてくれと。覚えておるな?」

「も、もちろんです。それは、確実に任務を果たしたかと」


 さすがに宙吉も悪ふざけは2度すると怒られる事を承知していた。

 しっかりとおつかいミッションをこなした記憶が彼にはあった。



「この、痴れ者がぁぁぁぁっ!!」

「ええええっ!?」



「ワシは言ったはずじゃ! 瑞鶴の、フィギュアを、買って来いと! 誰がぁ、無機質な鉄の船の模型なんぞをぉぉ、頼んだかぁぁい! 凛々しいツインテールの美少女を期待して箱を開けたあとの、あの虚しさ。お主に分かるか!? おお!?」


 宙吉の茶目っ気が、大じじ様に新しい扉を開かせていた。


「ちょ、長老、それほど興奮なさってはお体に障りますぞ! 気をお沈めくだされ!!」

「はぁ、はぁ、ふぅ。ああ、もう良い。お主と喋っとると血圧が上がって仕方がないわい。今、研修の誓文を持ってくるから、ちょっと待っとれ」


 そう言って、大じじ様はご意見番を引き連れて蔵の中へと入って行った。

 彼らも研修は初めから認めるつもりだったらしく、すぐに巻物を持って帰って来る。


 巻物に名を記し、血判を押したら手続きは完了。


「……これで、研修は承認された。宙吉、これよりお主は姓を田沼たぬまと名乗れ。これは代々続く、里の首長にだけ許された名じゃ。人間社会では姓がないと何かと不便じゃからの」

「はい」


「それから、玉五郎。面倒をかけるが、宙吉と一緒に村へ下りてこやつの助けになってやってくれ。お主には、金城かねしろの姓を授けよう」

「ははっ! 拝命いたします!!」


 こうして、2人は人里へ下りることとなった。



◆◇◆◇◆◇◆◇



「宙吉様。こちらがお住まいです。高校の方の手続きは全て私が済ませておきましたので、明日から2人は三珠みたま高校の二年生ですよ。何かあればすぐに申し付けて下さいね。それでは」


 宙吉たちを案内するのは、人里で生活している丸川まるかわさん。

 当然彼女も化け狸。スタイルもよく太った狸の信楽焼みたいである。


「玉五郎よ。このアパート……いや、廃屋は、築何年になるんだろう?」


「お待ちを。ええと、資料によれば昭和38年となっていますね。六畳間の和室と、四畳半の部屋が一つ。風呂にトイレまで付いているようです。2人で生活するには十分です」


「いや、ちょっと待て。間取りは良いが、作られたの50年くらい前じゃないか! ……しかもこの部屋をよく見てくれ。木が壁を突き抜けているように見えるのだが」


「お待ちを。ああ、これは柿の木ですね。そのうち実がなりますよ。ラッキーでございますなぁ」


 宙吉は、色々と言いたい事があったがそれらを全て飲み込んで、部屋の掃除に1日をかけてどうにか生活できる環境を整えた。


 何だってスタートは波乱が付きもの。

 その波を乗りこなせないようでは、恋の荒波などには挑む資格すらない。


 翌日、三珠高校の制服に身を包んだ宙吉と玉五郎。

 この日から彼らの高校生活が始まるのだ。

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