第36話 凱旋前

「このようなことを申し上げるのは、大変不謹慎ですが、ご夫妻がこの地を離れられるのを大変残念で仕方がありませんわ。これは、ここでは誰もが思っていることですわ。」

 パエラの主催するサロンで、婦人の一人が、しみじみと彼女に語った。それは半ば吟味した外交辞令ではあるが、半ば本心であると感じさせるものだった。

“半分でも、以下でも、1/3でも、まあ、成功ね。”質素な、特に初めは資金もなかったからお茶菓子でもてなす形とならざるを得なかったが、感じの文化サロンで、貴族から平民、貧しい文化人などが次第に多く集まるようになっていた。アガレスも度々顔を出していたし、ウァサガは文化人達を感心させ、バイエンは男女、老若、階層の差なく、巧みなジョークなどで皆を笑わせた。才能のある者がアガレスやパエラの伝手で、王都などに勉学、修行、見習い、就職ができる、顔見せの場、面接試験の場にもなっていた。

 足かけ3年、実質2年に満たない期間であったから、産業が活発化してとかで、目に見えるように豊かになるということはなかった。そのようなことは、不可能でもある。治安も、社会全体も安定し、災害などの救済、復興も、各地の議会の設置や旧来の民会などの見直し、もちろんインフラ整備や産業支援、福祉事業にも努めた。それが理想的にうまくいったとかいうことはなかったし、喧喧諤々の論争、言い争い、対立に苦労させられることが多かった。それでも、閉塞感や暗い気持ちにが支配することはない程度に収まってくれていた。アガレスの周囲に集まっている男達の、彼の統治を喜ぶ言葉は、半ば近くは本心からのものだった。

“?”

 二人の女が、そのような雰囲気の場に相応しくない、深刻な表情でパエラのそばに歩み寄ろうとして、他の女性達と一悶着を起こしていた。ウァサガが、それを見て、両者を分かち、なだめて、その二人をパエラのところに案内した。一人は、よく知っている下級貴族の夫人で、彼女の娘を、彼女は聡明で気立てもよく、母娘双方の希望で、王都でダビ公爵家関係の仕事についていた。もう一人の女性も顔見知りだった。彼女の息子のバイオリンの演奏の腕前が見事だったので、当人の希望で、王都で宮廷学長の下で修行していた。アガレスとパエラの取りなしの結果だが、娘の方は家政や事業での仕事で評価されていると知らせが来ていたし、宮廷学長からは成長ぶりを書き記した手紙がきていた。そのことは、二人の女性にも伝えていた。だが、二人の口から出たのは、

「娘は、無事なのですか?」

「息子をすぐ戻して下さい!」

だった。

 一度、大急ぎで部屋の外に出ていたウァサガが、息を切らせながら戻ってきて、パエラに駆け寄った。

「二人とも、自分の子供が殺されたと思っているようです。皆を、すぐ呼びました。」

と耳元で囁いた。

「少し速いけど、仕方がないわね。」

とパエラはうなずき、二人の女達を見た。その時、廊下から人の争う音と声がした。

「落ち着いて。お子さんは、王都で活躍していますよ。」

 パエラの言葉にも、女達の顔は、“嘘!子供達を返して!無事な姿を見せて!”だった。パエラが目配せすると、ウァサガが、

「さあ、皆。お入りなさい。」

とドアを開けた。10人ほど若い男女が入ってきた。

 すぐに、部屋の中の男女が、驚きと嬉しさを顔面に表して、駆け寄っていった。彼らの娘、息子達だった。

「驚かそうと思って、隠していたのですよ、彼らが帰ってきているのを。」

 王都に、修行、学業などで行っていた若者達である、アガレスやパエラの紹介で。皆、洗練され、生き生きとし、一回りも二回りも大きくなったように、はっきりと感じられた。そのうちの二人をパエラは、その両親に詫びながら呼んだ。

「立派になって。」

「見違えて…。」

 彼は、顔見知りであり、自分の子供達の友人だった。先に王都に行くことになったというより、彼らのことが刺激となり、彼らの紹介でパエラのサロンに出て、才能を認められ王都に行くことになったのである。彼らから、王都での自分の子供達のことを聞くと、さすがに信じる気持ちになった。

 また、騒ぎが聞こえてきた。

ドアが開き、髪を振り乱し、服も乱れた侍女が、グシオンの部下の女騎士、シュトラに引きずられて入ってきた。両手を既に縛れていた。

「離せ!このクソ男女!」

 その叫び声を聞きながら、

「北辺訛りね。」

 化粧が落ちて、髪型も乱れて、“見覚えがあるわ。”とはっきり分かった。ガミュキュンの妻であった時に見た記憶があった。小柄でも、ひ弱でもない、軍人であるはずなのだが、確かに女として大きい方だが、大女というほどではない、ラグシオンの部下のシュトラに完全に押さえつけられて、動けないでいる。押さえつけられている侍女も大柄な方で、破れた服の下には、かなり筋肉がついており、二人にさほどの体格さはないように見えた。それでも、シュトラに女は、完全に押さえつけられている。彼女を心服させ、従えているグシオンの人を見る目と統率力に底知れぬものを感じた、あらためてアガレスが信じるのが分かる気がした。

「ほくそ笑みながら、盗み聞きをしていたので、声をかけたら襲ってきたので、拘束しました。」

 アガレスは、バイエンとグシオンに視線を向けていた。そのアガレスに、二人は頷いていた。北辺出身者、ガミュキュンの手の者だということだ。

 今回の騒ぎは、この女が彼女らをそそのかしたものだった。

「そうだったのか。パエラが、そんなに美しいのは、うら若い処女の美少女の血をあびていたからなんだ。」

 冗談ぽく、笑いながら言ったのは、二人だけで寝室で茶を飲んでいた時だった。

「あら、そういうアガレス様は、美少年を陵辱するのが趣味の変態親父だそうですわよ。」

と言って悪戯っぽい表情でのぞき込んだ。

 あの侍女が、二人に吹き込んだ話だった。他の男女も、王都に行って長い、といって1年くらいだが、まだ帰ってきている者がいないから、馬鹿馬鹿しい話だが、不安を感じたのだ。それだけでなく、不安を煽ることを他にもしたのだ。ここで騒ぎを起こして、波紋が広がることを狙ったのだ。それがちょうど、里帰りのグループが来た時で、そのまま粉砕されてしまったわけだ。

 執拗に、アガレスやパエラの悪評をたてることを策しているが、これもその一環だったらしい。

「パエラが、哀れで仕方がない、助けに行きたい、と僕自身が思ってしまうよ。」

 それだけアガレスに対しては、容赦がない内容になっていた。それに比べると、パエラは半ば、アガレスの被害者、悲劇のヒロインのようになっている。アガレスの酷さを引きだたせるためでもあるが。

「では、哀れな私を助けに来て下さいませ。」

 そう言って、立ち上がって手を差し出した。

 彼も、カップを皿に置くと立ち上がって、その手をとって、握った。テーブル越しに、体を伸ばして口づけをした。

 そのまま、アガレスはパエラをベッドに連れて行って、押し倒した。彼女を全裸にして、その体を確かめるように見、なで回し、舌を這わせて、自分も全裸になって、既に喘ぎ出している彼女の上に体を重ねた。上になり、下になりし、激しく動いた後、ぐったりとしながらも、二人は抱き合って眠りに落ちた。アガレスは、夢の中でパエラを守るためと叫びながら、若い男女の死体の山と血の海の中で、全身が血で塗れている自分を見ていた。目が覚めた時、“彼らの犠牲にして…、私は血を浴び、陵辱して生きようとしているのかもしれないな。”と思った。“それでもだ…。”彼に抱かれて微かな寝息を立てているパエラを愛おし気に見た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る