第33話 パエラの不安
ウァサガの言葉を思い出しながら、“確かに、あの時より全てが…。戦力比は三乗の比、一人の戦力増が累増するのは確かだわ…。”2人を処刑したガミュギュン妃の時は、アガレスの周辺は推定しか出来ないが、その代わりガミュギュンの軍のことは多少分かる。彼と共に毒杯を飲んだ時には、アガレスの軍はかなり分かる、ガミュギュンの軍は推定に留まるが。バイエンはいなかった。彼はかなりの策士でもあり、将軍としてもかなりの働きが出来る。グシオンには、既に十数人の精鋭を持ち、即座に100名の軍を与えることが出来そうだ。彼なら、その兵力で数千人の部隊と戦える…と信じたかった。ウァサガは、更なる経験、選りすぐった部下も出来た。その外の人材もいる、あの時は彼を見限っていた。“それで、勝てる?”パエラは、ひどく不安になった。次々に裏切る臣下、軍。縦横無尽に駆け回る精鋭達、変幻自在な作戦。それを可能にするものを、ガミュギュンは全てを持っていた。
今まで、何とかするためにやって来た。その興奮が冷めると、“こんなに高い山を築いた。”と思っていたものは、本当の山と比べたて見てしまったと言うところだった。
「パエラ様。お一人では危ないです。」
騎士の一人が後ろから言った。
「一人?ウァサガも、修道女様もおられるでしょう?」
パエラは、振り向くこともなく、決然とした口調で答えた。
「私は、私自身にケジメをつけるのです!」
「もしもの場合は、わたし達が身を呈して、パエラ様をお守りしますわ。」
ウァサガが、後ろで皆を宥めていた。震える修道女と侍女も後ろに従えた彼女は、目の前の扉を開けた。血の臭い、血の海、死体の山の中に、アガレスがいるのが目に入った。
「おや、ガミュギュン大公夫人がどうしたのかな?ああ、毒杯か?私に士としての死を、とのありがたいお情けかな?だが、2杯とは?」
玉座に、剣を握りながら座る彼は、少し離れた所に呆然としている女を見た。
「イヤー!」
彼女は叫び声を上げ、立ち上がり、駆け出し、そしてパエラの足下に跪いて、神にでも祈るように、
「この男とは関係ないんです。私には、恋人がいるのです。こ、あ、あの人殺しに無理矢理…、助けて下さい!」
命乞いを始めた。
パエラはウァサガの方に顔を向け、穏やかだが呆れた、さらにほっとしたという表情で小さく頷いた。彼女は、直ぐにパエラにすがりつく女の傍に来て、
「大丈夫よ。分かっているわ。安心して。」
聖女の笑顔で女を安心させ、抱きかかえるようにして立ち上がり、涙と震えと嗚咽の止まらない女を扉の外に連れ出した。
「彼女をどこか休める所にお連れして、お茶とお菓子を出してあげるようにとのパエラ様のお言葉です。」
ウァサガが、扉の外の騎士達に命じている声を背にうけながら、
「妃にも見捨てられましたのね、哀れにも。」
“こんなこと言いたいわけではないのに!”
「妃?身のまわりの世話をする侍女の一人は必要だろう。彼女は、勘違いしていたようだがね。」
アガレスは、つまらなそうな、心ここに在らずという感じだった。
「いつから殺人鬼になったのですか?」
「は?正当防衛だよ。私に、自殺を強要してね。早く死んでくれないと自分達が死ぬことになると言ってね、私が拒否すると襲いかかってきてね。本当に、予想どおりのことをしてくれるものだよ。鎖帷子を着込んで、短剣を隠し持っていたから、奥の剣を取るのは、容易だったよ。即座に兜も被り…、完全武装の一人に、動きづらい高官服を着た非武装の十数人が束になってもどうすることも出来るものではないのにな。逃げればよいのに、余程北辺大公様が怖かったんだろうな。上手く私を殺しても、不忠者と処断されるというのにな。」
そして、アガレスは、自嘲気味に笑った。パエラは、敢えて無表情で、冷たい声で、
「その愚か者達を選んだのは、あなたですよ、国王陛下?」
「彼らは、私が選んだわけではないよ。」
「おお、そうですか?あなたは、最初からお味方は誰一人いなかったのですね、お可愛そうな方。最初からあなたに勝てるはずはなかったのです。それも、お分かりにならなかった。」
さすがにアガレスは、嫌な顔をして、睨みつけた。しかし、すぐに溜息をついて、
「その通りだよ。早く毒杯を飲ませてくれないか?醜態をさらさせないで。杯が一つ、無駄になるが。」
彼は、手を差し伸ばして、毒杯を求めた。パエラは、しかし、首を横に振り、毒杯を載せた盆を持つ侍女を手で制した。
「その前に答えて下さるかしら、アガレス様?」
「何をだね?」
「あなたは、私との婚約を破棄していないと聞いていますが本当ですか?」
「破棄も何も、君は既に人妻では…。」
アガレスは、その問いに困惑していた。他の者達も意図が分からなかった。しかし、ウァサガはパエラの一歩前に出て、
「陛下!パエラ様のご質問に、はっきりとお答えになって下さい!」
その言葉にアガレスは、しばし目を閉じ、それから思い詰めるような表情となって、真っ直ぐパエラを見据えて、
「君は、今でも私の婚約者だ。他の男の物に、妻になっていようと。」
それを聞いたパエラは、ふーと大きく息を吐いて、
「アガレス様。あなたには、最早毒杯を飲み干すしか道は残されておりません。」
「その通りだ。」
「?」
今度は、息を吸ったパエラは、少しの間言葉を選んでいるようだったが、
「共に毒杯を飲み干した婚約者を妻として、死での旅を共にしていただけますか?」
「な、なにを…。」
「アガレス様!」
アガレスの表情は苦悶から、何かが落ちたような、ほっとしたような、幸福そうなものに変わり、
「婚約者なのだから、何時でも望むなら結婚しよう。」
「杯を。」
パエラは、玉座に向かって歩みより、アガレスは立ち上がって、彼女を迎えた。
呆然としている侍女から盆を取ったウァサガは、2人に毒杯を載せた盆を差し出した。2人がそれを取ると、振りかえって、
「修道女様!結婚の…。」
事の成り行きに、呆然としていた修道女は、我に返り、意を決して結婚式の言葉を唱え始めた。
「すまない。君の願は拒絶すべきなのだが、私には、もう君を…。」
「あなたを信じてあげられなかった私を、お許し下さって…。」
修道女の言葉が終わった。
「誓います。」
二人は、同時に答えて、毒杯を軽くぶつけてから、
「結婚の祝いの杯だ。」
「美味しくはなさそうですわね。」
一気に飲み干した。
「ご結婚、おめでとうございます。」
ウァサガは、大粒の涙を流しながら、2人が飲み干した杯を盆に受け取った。
2人は唇を重ね、舌を差し入れ、絡ませあった。そのうち、目の前が真っ暗になった。
「パエラ様。どうか、アガレス様のお命をお助け下さい!」
ウァサガは、パエラの足下で土下座をして懇願していた。
パエラは彼女に冷たい視線を向けていたが、自分がガミュギュンの妻になり、アガレスがガミュギュンに王位を禅譲し、あてがわれた辺境の小領地に入ってから、彼の妻になったの彼女を責められないからと思い直しで、
「何を言っているの?すでに王位にない彼が問題になるはずはないでしょう?」
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