第20話 匹夫の愛に未来はない

「今なら間に合いますよ、アガレス殿。大公様は、今回のことは、気になさらないと言っておられます。以前私が進言申し上げた、他の女を選び、パエラ様を捨てる策を、今からでも実行なさいませ。今なら、まだ間に合いますよ。」

 銀髪の美丈夫、ブエルは教え諭すように、席を立ち上がり、対面に座っていたアガレスの後ろに立つと、肩に手を置いた。

「パエラ様の幸せとあなたの保身のために、申し上げているのですよ。これが最後の機会ですよ。賢明なご判断をしていただけないでしょうか?」

 全てが優雅に、自然な動きだった。優しさと誠実さが感じられ、かつ、有無を言わせない圧力を感じた。

「わかっていただけましたね?」

 アガレスには、見えなかったが、彼は穏やかな笑みを浮かべていた。誰も見ている者がいないにもかかわらずにだった。だが、

「大公閣下のご配慮、深謝している。だが、私はもうパエラを手放すことが出来ないのだ。」

 絞り出すようにアガレスが言うと、ブエルは、大きな溜息をついた。それだけで、心を揺さぶられてしまうものをアガレスは感じた。

「匹夫の愛だと言うことが分からないのですか?パエラ様を物のように、ああ、なんと情けない。あの方は、大公陛下にこそ相応しい方なのですよ。」

“政治的な意味でね。”とは、分かっているものの、抗しがたい説得力があった、彼にかかると。

「それに、陛下の寛大なお心にも限度というものがありますよ。」

 優しさから、脅迫に変わっても、違和感が感じられず、それでいながら、背筋が冷たくなると同時に誠実さすら感じてしまうのだった。

 “パエラが、私の苦悩を見抜き、私を励まし、私のだめにつくし、私といることを決断してくれていなかったら、従ったかもしれない。”アガレスは、疲れきった表情をブエルに向けた。ブエルが、微笑で返すと、アガレスの表情は厳しいものに変わり、

「大公閣下には、匹夫の愛にこだわる小者の私を、お許しいただけると信じている。」

 しっかりとした口調で言い切った。ブエルは、短い溜息をつくと、

「見損ないましたよ。パエラ様が、お可愛そうだ。あなたには、人の情けというものがないのですね。」

 捨て台詞のように言って出て行った。

「パエラのおかげで、彼女と全てを失うことを逃れた…、とりあえずは。」

 アガレスは、心から思った。

「あいつの策だったのね。」

 後からアガレスに話の内容を聞いたパエラは吐き出すように言った。アガレスにも腹立たしく思った。そんな策に乗せられるなんて、と。しかし、あの時は自分は、彼の苦悩に気がつかず、脳天気に彼に甘え、両親に言われるままガミュギュンと合い、彼に熱い眼差しを送っていたことを思いだした。別に、アガレスよりガミュギュンを好ましいと思ったわけではない、大人の、頼もしい男に熱い思い、憧れに近いものだったが。それは、助ける者もない彼に、大きな一撃を与えたのかもしれないと思い返した。

「アガレス様。もう、私はあなただけなのですよ。あなただけが頼りなのですよ。どうか、お気を強く、私を見捨てないで下さい。」

 彼の両手を握り、懇願するように言った。彼女の本心である。実際、バッドエンドを選んでしまったかもしれないのだ。もう、アガレスとの一蓮托生にかけるしかないのだ。“ここまで、彼女は自分を犠牲にしている私に尽くしてくれているのに、私がここで迷っているわけにはいかないな。”彼女に力を与えられたように感じた彼は、彼女の目の前に迫っている唇に自分の唇を重ねた。

「明日は、次のより高い山場だ。」

「ええ。しっかりして下さいね。私も、頑張りますからね。」

「ああ、もちろんだよ。」

 明日の山場とは、アガレスの父、国王との対面のことだった。パエラの卒業と2人の結婚の報告である。どうなるか、そもそも、それを言わせてもらえるか、言えるかすらも分からない。機先を制して、言いたてるしかない。

 若い2人は、ベッドの上で、唇を重ねながら、明日の成功を誓っていた。


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