第16話 卒業式の日
あの卒業式の日が来てしまった。アガレス王太子の卒業生に送る言葉は、長くもなく、短くもなく、何事もなく終わった。あの日は、彼は婚約破棄とパエラの断罪を唐突に始めたのだが、今回は当然のことながら何事もなく、退屈な校長を初めとするつまらない挨拶などが続いていくだけだった。ウァサガの卒業生代表の言葉、今回はつつがなく、よどみもなく、朗々て彼女は終えた。そして、しばらくの中断の後、卒業パーティーに移った。
豪華な食事や飲み物が、並べられていた。シックだが、胸元の開いた上質のドレスを着たパエラは、腹が減っては戦ができないとばかりに、と言うほどではなかったが、結構食べた。
「相変わらず元気だね。」
アガレスが、彼女のために、皿に食べ物を載せて、コップに飲み物を入れて持ってきた。かれは、士官の礼服姿だった。その彼も、決して食欲のないという感じではなかった。元はそれなりに上質だったことは分かるものの、流行遅れの、色だけは派手なドレスを着たウァサガはというと、自分も食べながらも、チョロチョロと隠し持っている箱に入れていた。母親に持っていきたいのだ。
最近使われ出したフォークを使いながら、パエラはスポンジケーキを食べ始めた。“ずいぶん柔らかくなったわね。”彼女が小さい時は、ずっと固かった。アガレスが持ってきたものだった。
「フォークが大きすぎますわね。デザートには、もっとチイサイ方がいいと思いますわ。」
一種類しかないフォークに、パエラは文句を言った。アガレスが笑いながら、
「そうだね。そのうち、食べ物に合わせたフォークを揃える必要があるね。」
彼も、タルトを食べながら言った。それから直ぐ、二人は次々に来る来賓達の相手で、食べる、飲むどころではなくなった。
不審そうな表情や皮肉っぽい表情を隠しながらの微笑みを浮かべる者達もいたが、二人は王太子、公爵令嬢、そして、婚約者として振る舞い、有力者達に応対した。そのまま波が、ある時引いた。北辺大公ガミュギュンが、側近達を従えて入ってきたのである。彼の所に早速駆けよる者達、恨めしげに躊躇する者達、さらには苦々しく、かつ羨ましげな視線を向けながらに立ち尽くす者達。
困っている顔で、自分の周囲に残っている連中に、気にしないから行けばよい、と微笑んで指し示すアガレスに、“甘過ぎるのよね。”とパエラは思わざるを得なかった。
ほどなく、ダンスの時間になった。ガミュギュンが、素早くパエラの前に立った。アガレスを、彼の側近達が立ち塞がった。
「私と踊ってくれないかな?」
“婚約破棄と断罪を、この場でされなかった時は、彼と躍ったのよね。”ガミュギュンは、ここでアガレスにパエラの夫が誰なのか、勝利者は誰なのか、はっきり示したかったのである。
気持ちは、何故か異なっていたが、ガミュギュンの求めに応じた。そして、その後、夫のためにアガレスの立場が悪くなるように、社交界、サロンで宣伝したものだ。
「毒杯を持ってきてくれたか?」
返り血を浴びて、しゃがみ込んでいるアガレスは、力無く語りかけた。
「アガレス様。もし、私を赦し、私を連れて逃げ、再起をかけるのであれば、お供します。そうでなければ、どうしても赦せないのであれば、どうぞ、この毒杯をお飲み下さい。私も供には飲みます。」
彼女の立場からは質素な、外出用の服を着ていた。同じような出で立ちのウァサガが、毒杯の入った杯が二つ載った盆を捧げていた。
「ん?」
半信半疑な表情の彼に、彼女は胸元を開けて見せた。
そこには、鎖帷子が見えた。アガレスは、パエラの決意を理解した。彼は起ち上がり、毒杯を手にした。そして、もう一つを払って、床に落とした。それは、床で割れ、中身と破片が広がった。手に持った杯を睨みつけるように見た彼だったが、やがてそれを投げ捨てた。それが、床に落ちて割れる前に、アガレスはパエラの手を取り引きつけて、抱き締めた。
「本当なら…、君の幸せを祈って…毒杯を飲むべきなんだろう。だが、…、もう君を諦められない、赦してくれ。」
「アガレス様。有難うございます。」
この時、涙を流しながら唇を重ねた時から、数年後には二人して燃える城の中で抱きしめ合うのである。
“だから、アガレスといると、バッドエンドなのよ!”頭に響きわたる、その声に反論できない。だが、弱々しいが、“アガレス様は裏切っていなかったのよ!“私がアガレス様に、最初から協力していたら…”という言葉にも反論は返ってこなかった。彼女は、まだ迷っていた。
迷って体が動かなかった彼女の手を取り、
「さあ。」
とガミュギュンは、当然彼女は同意するものだという感じで引き寄せようとした。“あの時とおなじみだわ。”
しかし、彼女は彼を押し離した。
「この場は、婚約者か、将来を誓い合っている者同士、又は、告白と受諾をした者同士が躍るのが慣習ですの。婚約者のいる身ですので、北辺大公様とはいえ、他の殿方と躍るのは不謹慎な、淫らな女と思われますから。それでは、大公様にも迷惑がかかりますから。ここは、お許しください。」
深々と、スカートの裾を持って、微笑みながら、優雅に断りを言った。
「叔父上。ここは、どうか私のの顔を立てて。」
いつの間にか、ガミュギュンの側近達を振りきって、パエラの隣に立っ手痛いアガレスが頭を下げていた。
ガミュギュンは、不快そうな顔だった。側近の筆頭格の男が、
「何様の…。」
とまで言いかけた。“忠義過ぎて、彼中心に後先みえなくなるのよね。…相変わらずね。”とパエラが思った時、
「若い婚約者の仲に割って入るのは不粋だな。それでは、今宵は二人で楽しみたまえ。」
“最後のダンスを。”とを含ませて、豪快に笑って背を向け、不満そうな側近達を連れて立ち去った。ホッとした指揮者が、タクトを振り始めた。
あまりダンスの上手くない二人は、ややぎごちない動きだったが、それなりに音楽に合わせて踊り始めた。
「すまない、パエラ。最後まで、苦労をかけてしまって。」
昨日まで、事態を好転させようとして失敗し、万策尽きていたアガレスは、力無く耳元で囁いた。
「何を最後などと…。まだ、最期ではありませんわ。」
囁き返すパエラの気持が嬉しいと感じたアガレスだったが、パエラは、“そんな目で見ないでよ!どうしよう、どうしよう…。まだ、今なら…。”
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