第12話 処女だな

 あの日に向けて、情勢はどんどん動いて行った。アガレスの王太子剥奪の噂を何気なく父に言うと、笑って否定し、軽く

「そんなことは言うものではない。」

と言っていたのが、少し顔色を変えて、否定すらせず、さらに震える調子で、

「そのようなことは、口にするな。」

と厳しく叱るようになった。

 北辺大公の家臣が、度々訪問し、かつ、パエラに必ず挨拶するようになった。

「どちらに?決まっているでしょう?アガレス様の館へよ!先程も言ったではありませんか?」

 パエラが、馬車の前で苛立ちのあまり声を荒げた。執事が、恐縮しながらも、

「お嬢様もご存知の通り、今は事情が複雑な時でございます。お父上のお立場もありますし、アガレス様にも、よからぬことになるやもしれず、しばらくはお控えはされたほうがよいかと。」

 パエラに睨みつけられて、彼は一歩後ろに下がった。パエラは、気を静めるために、小さく息を吸った。

「私も、公爵家の娘として、その立場も、義務も、現在の事情も、父上のお立場も分かっておりますわ。」

 打って変わった落ち着いた調子に安心したのか、彼は一歩前にでで、

「そうでしたら。」

 しかし彼女は、

「だからこそ、今、異なった素振りをしてはならないのですよ。今までと変わらぬ態度でないと。だから、いつもと変わらずに、アガレス様のもとに行くのです!」

 もう止める手段は彼にはなかった。彼女を載せたい馬車は動き始めた。

“もうかなり進んでしまっているようね。”

 彼女がついた時には、アガレス王太子の館は騒然としていた。

「パエラ様。」

 彼の使用人達が、彼女を見る目は、救いを求めるそれだった。広い居間は、かなりの数の男女の喧騒で包まれていた。それが、パエラが入ってきたのに気がつくと、一瞬収まった。一瞬だった。すぐに、

「アガレス様が、王太子を剥奪されるというのは本当ですか?」

「このような非道、許されるのですか?」

「パエラ様は、アガレス様との婚約を破棄して、別の男と婚約されたて言うのは事実ですか?」

「パエラ様は、アガレス様を捨てて、何を今さらここに!」

 彼が引きあげた、目をかけていた軍人、役人、学者達だった。彼らは彼女の周囲に集まって、思い思い叫んでいた。

「落ち着きなさい。今は、軽挙妄動を慎む時。そうでなければ、王太子様にご迷惑がかかりますよ?」

 彼女の言葉に収まりかけたが、

「パエラ様は、他の男との結婚の約束をしたというではありませんか?殿下を裏切られるのですか?」

 女性士官の一人が叫び、また、騒然となりかけたが、

「私は、アガレス様の婚約者です!それ以外の何者でもありません!」

 また、おさまったのを見て、彼の侍女が、

「パエラ様。王太子様がお待ちです。」

 手を引くように、彼の部屋に連れて行った。

 その部屋の中には、アガレスと2人の異母弟妹がいた。

「今さら、何しに来たの?!他の男に乗り換えたくせに!」

 王女は、パエラに飛びかからんばかりに怒鳴りつけた。パエラは、怯まず、

「私は、アガレス様の婚約者です!他の男と約束してなぞいません!」

「そうだよ。だから、彼女はここに来たのだよ。」

 アガレスは2人を宥めて、パエラを座らせた。

“私が一番知らないのね。”パエラはあらためて思った。色々な所から、半ば故意に情報が流されている。はっきりした形ではないが、それを感じさせる内容なのだ。広間にいる者達は、有能な者達ばかりであるだけに、情報をいち早く集めている。それに、アガレスの失脚は彼らの人生にとって、未来に取って重大な、あまりにも重大な意味を持つのだ。

「先週、バル市の市長も長官も調整を拒否したのだ、私の。」

 バル市とその周辺地域は、市長の汚職、市参事会の内部抗争、国王派遣の長官の政策への不満等から、市民、農民各層からの大々的な抗議活動が起こった。ここまで烈しくなると、旧来の有力者による市長や参事会と独占を廃止して、かなり制限される有権者による地方議会を設立し、国王任命の市長を監視するなどに移行させ方向に調整する。命令ではない。王の調整なしには、有力者達はどうしようもなくなっていたから、スムーズに行くはずだった。が、ここに来て、市長も長官も拒否したのだ、アガレスの調整を。反対は、既得権を失いたくないからであるが、アガレスの権威を認めなかったのだ。もう直ぐ失脚するアガレスの言うことなど聞けないと言うことだったのだ。露骨に、匂わすことが何度もあった。王権は、決して国民を統治してはいない。都市、農村の各身分、職業団体、地域組織、部族の組織、上層部を押さえることで、ある意味間接的に統治しているのだ。しかし、社会、経済の変化で階層分化が進み、ある程度秩序、連帯、相互扶助、意見の集約ができなくなってきて、そのやり方では統治が困難になりつつあった。さらに、各地域で事情も異なり、一律な体制を強制することは困難だったし、政府=王権にはその力もなかった。そのため、事情に応じて、また、起こった問題に応じて、様々な程度の新体制を少しづつ導入させていた。それが、アガレスに引き継がれた政策であり、彼はより積極的に進めてきた。それが正面から、しかも政府直属の官僚である行政長官まで拒否したのである。

「そのようなことで、心を折ってはなりませんわ!今、ここでことを荒立てるのは避けるとしても、アガレス様は必ず復帰します。そのことを考えて、行動すべきですわ。私はアガレス様の婚約者として、そうありますわ!アガレス様にも、私の婚約は破棄させませんわ!」

 パエラが、アガレスを支えると言いだしたので、皆は少し落ち着いて帰宅していった。

“何言っているんだろう、私って?いえ、私に結びつけているのよ。彼から引き離しているんだから。”

「君の父上からね、来月北辺大公が、自宅を訪問し、君も彼との会食に同席すると言ってきたよ。」

 2人だけになってから、彼は彼女に言った。

「それが何ですか?アガレス様は、そんなことで私を棄てるのですか?他の女を恋人に仕立てて、婚約破棄なんて猿芝居は許しませんからね!」

 彼に詰め寄り、結果抱き合うところまでいってしまった。そこまでだったが。

 そして、ガミュギュンの訪問を受けたのである。

 愛人達の話を聞いても、彼女の目には、彼は輝いて見えた。愛人達のことなぞ、正妻としてドンと構えていればよいのだ、と思えるくらいだった。彼の一挙一動に目がいくが、豪放磊落でかつ繊細優美、惚れ惚れするものだった。“ああ、あの時も、この時期に会食したのよね。どうしてかは知らずに、そして分からなかったのよね。こういうことだったのね。”そう思うと、何か別の思いが湧き上がってくるのを感じた。“何?何なの?”心の中で彼女は慌てた。

 そして、会食後、彼が部下に耳打ちした言葉が耳に入った。

「処女だな。」

「おわかりになりますか?」

「ああ、もちろんだ。感だがな。」

“ああ、私のことだったんだ。品定めされていたのね、私は。”怒りはなかった。合格点をつけられていたと安心する程度だったが、やはり何か違和感を感じてならなかった、自分に。


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