第7話 これも売り言葉に買い言葉?
アガレスの別邸には、大きな居間の他に、小さな、あくまで比較の上のことだが、居間が別にあった。親しい者だけのため?内々の打ち合わせのため?のものかもしれない。夜もふけてから、パエラは、夜着の上に上衣を羽織り、その部屋に入った。既に、アガレスは座っていた。パエラは、なにも言わず、彼の向かい側の、テーブルをはさんだ椅子に座った。東方の絨毯のような敷物が敷かれていたので、座り心地は良かった。彼は、黙って瓶から二つのコップに中身を注いだ。膨れ上がる泡をほどよく調整しながら八分目ほど注いだ。カシスの香りが、あたりに広がった。
「これは?」
「ビールだよ。ただ、3年カシスをつけて塾熟成させたものさ。アルコール度は低いが、寝酒にはちょうどいい、話しをしながらの。」
二つのコップを持って、一つをパエラに渡した。
「健康を!」
と2人は言って乾杯した。グッと飲むと、カシスの香とカシスの甘酸っぱさが、ビールの苦みと絶妙なバランスで口の中で広がっていった。
「それで、アガレス様はなにをお悩みになっておられるのですか?」
「そうだね。婚約者の君には、聴いてもらいたいな、やはり。」
彼の顔からは、いつもの優しさが消え、暗い、怪しいものに変わった。“この人。策士のような顔もするんだ。”少し意外に思い、不審を感じ、感心もした。アガレスは、まだ迷っていた。婚約者に負担も心配もかけるのを、まだ躊躇していた。しかし、彼女に話して楽になりたい、話しをすれば、より一体感が強まるような気がした。“甘えだ。甘えたいんだ。そんなことは…。”後ろめたいものも感じたが、彼は甘える方を選んだ。
「父上が…、陛下が義母(はは)に夢中なのは周知のことだ。そして、彼女は妊娠し、出産ももう間近だ。産まれてくる子供に、王位をつがせたいと考えているのではないかという噂が流れているのだ。」
「まさか…。」
“確かにそうだったわね。でも、こいつが、あんなスキャンダルを起こして、陛下の怒りを買ったからじゃないの?その結果、あるいは、それを利用して、その第三王子を王太子にした…あくまで結果であって…。”屈辱感と怒りが甦ってきた。慌てて、その感情が顔に出てくるのを抑えて、あくまでも、心配そうな表情を装った。
「陛下が、そのような不法なことをするとは思えませんわ。しかも、アガレス様は亡きご正室の王妃様を母にし、ご長男で、既に陛下に代わり国政を担われておられるのですよ。それを…。」
“私を婚約破棄して、他の女を妻にして、私を無実の罪で断罪なんかしなければね。”そんな思いが湧き上がり、顔に現れるのを必死に抑えた。
「そうだね。異母弟妹も黙ってはいないだろうしね。だが。」
彼の顔は、更に策士のそれが強まった。
「だけどね、やろうと思えば、できないことではないよ。無実であろうと、私に罪を着せることができる。古来、例はよくあることだ。」
“無実の罪ですって?”怒りと皮肉が顔に出てしまった。しかし、アガレスには、パエラが自分のために怒ってくれたと受け取った。
「宰相以下高官達にも、枢密院でも、議会にも、私の政策などに反対している者は少なくない。彼らを利用するのは容易だろうね。」
「でも、お父様が…。」
国第一の大貴族であるダビ公爵が反対すれば、そう簡単にはいかないだろう。彼は、自分の娘が王太子妃、王妃でなくなるのは我慢できないはずだ。
「その通りだね。まあ、ダビ公爵家から王妃がでることに反感を持っている、不信感を持っている勢力も多いとはいえね。それに、我が叔父である北辺大公がいる。王太子が無体な理由で地位を失い、母親の出自が低い身分の幼子が王太子になるのは、絶好の大義名分を、大公に与えることになるからね。」
“何よ!言いがかりを!”と怒りかけたが、“う~ん。”と思い直さざるを得なかった。
「するとダビ公爵と北辺大公が提携して決起したらどうなるか?更に、私も反発して、2人に加われば、大義名分は万全になる。僕は、王太子に復帰、さらには父上を退位させ、王位につくことも可能だろう。」
“そんな野心を。本性を現したわね。やっぱり、こいつは父親殺し、義母殺し、弟殺しの簒奪者よ。”彼女は、感情が表情にでるのを抑えるのを忘れていた。彼の方は、その選択を非難、反対しているのだと思っていた。
「しかし、その後、北辺大公は、その私を簒奪者と呼んで、兵を挙げるだろうね。」
“当然よ。そして、あんたは敗者になって、処刑されるのよ。”直ぐに、“あれ?婚約破棄されていないと、私もこいつと一緒に処刑されてしまうじゃない?”
「逆に、2人を味方にすれば上手くいくことになる。その鍵が君だよ。」
「え?」
突然、自分が主役にされて戸惑った。
「私が、アガレス様との婚約を解消させて、ガミュギュン大公様の妻になるということで?」
“さすがに、パエラは賢いな。”
「その上で、ダビ公爵と北辺大公が、幼い王太子の後見人になる。私は、多分、辺境公に、事実上の流刑にされるだろうな。昔のように、処刑とはならないだろうとは思うが。」
「そんな…。」
“そんなことまで、見通していたの?”その顔を、自分の身を心配してくれたと思ったアガレスは、“さらに心配させるのは…。”と思ったものの、止められなかった、自分の舌を。
「これで、目出度し目出度しとはならないだろう。多分、義母は頭がいいだけに心配になるだろう。北辺大公殿が王位を狙っている。ダビ公爵にとって彼は娘婿、あてにならないとね。父上も罪悪感があるだろう。私を呼び戻す、第三勢力として2人の抑止を期待してね。2人を敵にして、徒手空拳の私に何ができるだろうか?どのような形にしろ、ろくな運命が待っていないだろうな。」
「でも、それは想像ですよね?」
「慰めてくれてありがとう。でも、北辺大公殿との、昼間の会話だけどね、大公の情報網は、陛下の意図が私の王太子の座を逐うつもりだと、掴んだのだろう。はっきり実感させられたよ。可能性を考えてもいるだけだった、私はまだ。そして、彼は、私に提携を打診し、私は断ったんだ。」
“あの会話は、そうだったのね…。”知っていた、2人の間でその会話が交わされることは。だが、あの時は気がつかなかった。“くっそ~。”屈辱的なまでに感じた。
「国の混乱、内戦は避けたいというのは本心ではある。でも、それより、自分の身の方が心配なんだよ。それ以上に、君を失い、君が他の男の物になり、他の男が美しい君を自由にするかと思うとたまらなく、嫌なんだ。君にとっては、その方がずっと幸福になるというのにだ。」
彼は自分自身の言葉から、裸のパエラがベッドの上で、ガミュギュンが嘗めまわしている妄想が目の前に浮かんでいた。体が震えるのを感じた。その姿を見て、“どうしたらいいのよ?どんなことを言ったらいいのよ?”混乱し、焦って出てきたのは、
「何を言ってますの?私は、アガレス様の婚約者ですのよ。どんなにことがあっても、アガレス様以外の男の方の妻になるとは考えておりませんわ。いえ、どんなことがあっても、私達の婚約は解消させません、絶対、アガレス様の妻になるのは私、私ですのよ。」
“なに言っているのよ?つい…。売り言葉に買い言葉よ~!”“どうすることもできないだろうけど…。俺をとにかく、今は慰めたいと思っているだけだろうけど…。そう言ってもらえて嬉しいよ。”互いに見つめあっていると、“止してよ。その捨てられた犬が、見つめるような…。”“だめだ。彼女の優しさに甘えてしまう。”惹きつけられるように、2人は唇を重ねてしまった。今までの口づけのような軽いものではなく、強く押し付け合い、舌を差し入れ、舌をらませ合っていた。さらに、テーブル越しに抱き合ってしまった。互いに、これ程までに強く抱きしめ合った。“だめだ。止められない。”と2人は思ったが、それ以上は進まなかった。テーブルの上の瓶が床に落ちて、大きな音をたてて、割れたのだ。それで、2人は我に帰った。慌てて体を離した。“危なかった。”異なる意味で2人は思った。なんとなく気まずくなって、沈黙がちになり、
「君に聞いてもらえて、楽になったよ。」
「私は、何時でもアガレス様の味方ですわ。」
それで2人は、
「おやすみ。」
「おやすみなさい。」
と言って別れた。
“良かった。”自分の寝室に戻って、別の意味で、2人は同じことを思った。
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