第6話 彼の苦悩は始まっていた

「本当は、君と二人っきりで過ごしたかったんだけどね。」

「あら、私が友人達を誘ったから、アガレス様もご弟妹様や色々な方々をお呼びになったと言われるのですか?」

 二人が小さな声で、言い争っているのは、アガレス王太子の湖畔の別邸の庭園であった。三十人以上の若い男女が、昼の会食を楽しんでいた。ウァサガも、その中にいた。“お膳立てしてあげたわよ。どうよ?”

「君は、ウァサガ嬢を度々招待しているそうじゃないか?」

「ええ。我が校創立以来の才媛の方に興味を持って、親しくしたいと思うのは、当然ではありませんか?それに、アガレス様の婚約者として、当然のことではありませんか?」

「それで、あちらの母上の分までお菓子を?」

”誰が知らせているのかしら?“少し疑ってみたが、”お互い様のようだし。“と思って、考えるのは止めにした。

「彼女は、本当に素敵な方ですわね。初めは、頭がいいだけの娘かと想っていましたが、気立てもいいし、思慮分別もあって、しかも美人で、素敵な方でしたわ。」

 実際、何度か親しく話してみて、“前世で、あなたが夢中になったのも分かりますわ。”と感じた。前世では、ほとんど、彼女が死ぬ直前に話した以上に話したことはなかったから、単なる頭のいい、悪女だと思っていた。“その娘があなたなんかと。”とすら思ったくらいだった。今、やっていることと矛盾しているが。

「何だか、君は彼女を私の愛人にしようと勧めているようにみえるけど、私は君以外は見ていないんだけどね。特別な感情ではね。」

「な、何を言っておられるのですか?自意識過剰というものですよ。それに、アガレス様が、彼女であっても、愛人にというのであっても、許しませんからね。」

「大丈夫、多分。努力するから。」

「多分?努力する?ですか?」

 彼が、肩を抱いた。彼の肩に頭を預ける。頭や意識では、彼に疑わしいものを感じるが、どうしても今の彼女は、つい、かつてのように甘えがちであることに戸惑いを感じた。ウァサガのことで、アガレスが褒めると、面白くなくなるし、関心をあまり示さないのを見てホッとしてしまっている。“だめよ!騙されては!夫のためにならないでしょう!”

 アガレスが連れて来ているのは、身分的にも様々な男女だった。それぞれの方面で、新進気鋭の面々の男女だった。彼が、将来側近、近臣にと思っているのだろうことは、彼女にも分かった。かなりの者を知っている。ただし、誰一人、アガレスに加わった者は、確か誰もいなかったりはずだ。あのスキャンダルのような事件で王太子の座を失った時に、彼との絆が切れてしまったのだろう。“彼らが、あいつに馳せ参じていたら、もっと苦労していたわね。”

 パエラは、アガレスに彼らを紹介してくれるように、ねだった。前回ではそこまではしなかったが、彼らの全員親しく話をした。“今度も、彼に馳せ参じる者が一人も出ないようにしないと。”

 穏やかな湖畔の別邸での日々に、一つ大きな波乱があった。北辺大公ガミュギュンが訪問したことだ。あの時もそうだったが、突然の訪問で彼の家令達も、彼すらも驚いて、あたふたしたものだった。今回も同じだった。

 パエラは、アガレスとともに彼を迎えた。彼は豪快に笑いながら、非礼を詫びながら、元気かどうか見たいと思い立ってやって来た、元気そうで良かったと言った。アガレスは、3か月前、王太子として軍を率いて、北辺に赴き、ガミュギュンとともに、魔族の軍と1か月近く対峙した。幸い小競り合い程度で終わり、無事魔軍の撤退が確認されて大事にはいたらなかった。ガミュギュンは、アガレスの将としての成長ぶりを褒め、アガレスはしきりに恐縮するばかりだった。そこは、前回通りである。そして、これまた前回通り、ガミュギュンは、国王の若い愛妃の妊娠のことに話題を移した。既に7か月である。彼は、産まれた子供が男の子だった場合、古来の例を挙げ、国王が産まれたばかりの子供を王太子にしようと考えるかもしれないと言った。言外に、お前は如何すると聞いていた。

「もし、そうなったら、義母上への孝行と幼い弟へは愛情を向けて、守ろうと思うのと同様に、国王陛下と王太子閣下と国に忠誠を尽くすだけです。」

 静かに、言葉を選びながら言った。それを聴いて、ガミュギュンは満足そうに肯き、

「それこそが、王太子閣下の言だ。私も同じだ。安心したよ。」

 満足した、嬉しいよというように笑った。そして、顔を見たくなったから寄っただけで、若い二人の邪魔はしたくない、と言って豪快に笑って行ってしまった。

「あなたは、あの方の苦しみに気がつかなかったじゃない?」

 ウァサガの言葉を思い出した。アガレスを注意深く窺うと、苦しそうな表情をしていた。

「どうかなさったのですか?」

 直ぐに、彼は、いつもの穏やかな表情に戻していたが、不自然さが見て取れた。つい、

「どうか、お悩みがあるなら、婚約者の私にも分かち合わせて下さい。それとも、私を信じていただけないのですか?」

 胸のあたりで手を組んで、必死の表情で、訴えてしまった。自分自身の言葉に酔うように、心から心配する気持になっていた。

 彼は、彼女の言葉に心を打たれた。彼女は、“何やっているのよ!彼のために何かする必要なんてないでしょう?”と理性が語りかけてくるのだが、どうしようもなかった。あの言葉が悔しかった、あのとき言葉を言えた彼女に嫉妬し、負けたくないと思ったのである。

「分かったよ。夜、二人だけで話そう。」

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