第31話 絶望の淵で
「オマエ、おかしなことを言うナ?オレはどう見たってゴブリンだロ」
アースルドたちの前に現れたゴブリンは笑いながらそう答える。
確かに見た目はゴブリンに近い。しかし他の個体よりも身長も体型も人族に近く、何より他のゴブリンにはない太いしっぽのようなものが生えている。体は黒緑色をしており、その眼光は赤く光っており不気味な印象を与えていた。
「この集団の長はゴブリンロードではなかったのか...!?クソッ、こんな奴がいるなんて...」
アースルドが想定外の事態に悪態をつく。ロードやマザーがいるだけでも十分非常事態にも関わらず、ふたを開けてみればロードがちっぽけに見えるほどの存在がいるだなんて誰も想像なんてできないだろう。この時、アースルドは死を予感していた。
「ああ~、あいつがここのボスで間違いないゼ。オレは集団なんてまとめたくないしナ。オレはただ彼女と一緒に暮らす、ただそれだけサ」
ゴブリンはマザーの方を見ながらそう答える。
それを聞き、アースルドは少しの希望を見出した。このゴブリンには侵略などの攻撃の意思はない、こちらがこれ以上刺激しなければやり過ごせるかもしれないと、そう考えた。
「本当にマザーと暮らすことだけを望むのか...?人を襲ったり、町へ侵攻したりとかはするつもりはないんだな...?」
「あ~、そうだナ。少なくともオレと彼女はそんなことはどうだっていいサ」
「少なくとも...?」
アレンはゴブリンの発言にあった気になる表現を聞き逃さなかった。
その内容次第では状況は一変してしまう。
「ああ、"少なくとも"オレたちはナ。彼女から生まれた子たちがどうしようとあいつらの勝手だし、ロードにだって彼女を守ればそれ以外は自由にしろと言っていたしナ」
キキキキキキッ、と不気味な笑い声をあげながらそう告げる。
この回答はアースルドたちにとっては一筋の希望を打ち砕く最悪のものとなってしまった。
このゴブリンはマザーさえいればいいという考えで動いている。つまり冒険者たちがマザーに手を出さなければ敵対することはないということだ。しかし、マザーはその能力から子供を産み続けていくが、その子供たちは生活をするために人族を襲ったり、町へ侵攻する可能性があるという訳だ。つまりはマザーの存在は冒険者、すなわち人族にとっては排除しなければならない存在であるということになる。
そう、どうあがいてもこのゴブリンと敵対する道は避けられない。
ここでアースルドが思い浮かんだ取れる選択は2つ。
まず一つ目は、完全撤退をすることだ。おそらくここでマザーを討伐しないとすぐにマザーによる繁殖能力でゴブリンの集団は立て直し、今日行ったことは無駄になってしまうだろう。しかし自分たちは生き残れるかもしれない。そうなったら冒険者ギルドの本部に連絡し、Sランク冒険者やその他実力のある冒険者たちを大勢集めて再度挑むことだってできる。
ただ、この作戦の懸念点は生きて帰ってより戦力を集めて再挑戦するまでの間に町が襲われてしまう可能性があるということだ。そうなれば自分たちの命惜しさに町の住民を犠牲にすることになる。
二つ目は何とかここで討伐することだ。これは無謀と言って差し支えない作戦、いやもう作戦ともいえないような当たって砕けろというものになる。この選択を取った場合はほぼ間違いなく、今回の作戦に参加した冒険者たちの命は保証できない。その選択はギルドマスターとして、この作戦を率いる者として到底選べないものであった。
アースルドは他に良い打開策がないか必死に模索するが、全くいい案が思い浮かばない。自分一人で時間稼ぎをして他のみんなを逃がすというのも思いついたが、おそらくこのゴブリン相手に時間稼ぎは無駄に終わるだろう。それほどまでに実力差が明白なのであった。
もしアースルドが全盛期の頃の実力、かつ万全の状態でこの場に立っていたとしてもギリギリ時間を稼げるかどうかというところであろう。
「キキキキキッ。悩んでるナ、ヒューマン」
「もしかしたらココから逃げ出せる可能性があるかも~、なんて考えているんだロ?」
「キキキキキッ、残念でした~!オレたちの存在を知られた以上、ここから生きて帰すわけないだロ」
悩み苦しんでいるアースルドに追い打ちと言わんばかりの敵対宣告。絶望する人族の姿を見てまるで喜劇を見るかのように笑っている。その様子を見たアレンとデニムは一方的に笑われ、動けずにいる自分に腹が立ち始めていた。
「馬鹿にするのもいい加減にしろ!ゴブリンが!!!」
堪忍袋の緒が切れたアレンは一気に距離を詰め、手に持った剣を大きく振りかぶり攻撃を仕掛ける。しかしゴブリンはその攻撃を何事もなかったかのように二本の指だけで剣を挟み受け止めた。
「何だこれは、攻撃なのカ?おっそいナ~」
がっかりしたような口調でアレンにそう告げると掴んでいた剣ごとアレンを投げ飛ばした。
「アレン!!!」
物凄い勢いで投げ飛ばされたのでそのまま洞窟の壁に激突すればかなりのダメージを負うことになったのだが、その前にデニムが何とかアレンを受け止めることに成功したために最小限のダメージで済んだ。
「アレン、無理をするな!!お前では相手にならんぞ!!!」
「分かってますよ、ギルマス!でも...ここで逃げるわけにはいかないでしょ!!」
その言葉に「やれやれ...」とデニムもアレンと共に最後まで戦い抜くことを決める。二人とも万が一にも勝てるはずがないことは理解していたが、それでも彼らのプライドが逃げることを許さなかったのだ。
一方アースルドは同じ冒険者として彼らのプライドを尊重したい気持ちもあったが、若い二人をこのままここで無駄死にさせるわけにもいかなかった。だったら自分もともに戦い、自分が犠牲になってでも若い彼らを逃がすことに全力を尽くそうと誓うのだった。
「...分かった。ではアレンにデニム、私が先行するから二人は援護を頼む!」
「「了解!!」」
「カレンにニーアは安全な場所まで退避してゲングの治療を!そしてローナは二人を守るんだ!!」
「「「はい!!!」」」
覚悟を決めたアースルドはギルドマスターとしての最後の仕事を全うしようと決意する。何としてでも活路を見出して皆を逃がすこと、これだけはやり遂げなければと決心する。
「行くぞ、ゴブリン!!!」
最後の力を振り絞って身体強化魔法を発動させる。
もうMPが底をつきかけているので、これが彼にとっての最後の攻撃になるだろう。
アースルドは超スピード&超火力の連撃をゴブリンに繰り出す。おそらくロードですら避けることはかなわずに大ダメージを喰らうであろうその攻撃は、ロードよりも大幅に小柄なそのゴブリンの命を確実に刈り取ろうとする。
しかし、そんな攻撃でさえも容易に回避するゴブリン。
何度も何度も斬撃を繰り出そうとも涼しい顔をして全て避けられてしまう。
「うおおぉぉぉぉぉ!!!」
そんな中、アレンがゴブリンの死角から攻撃を仕掛ける。アレンの斬撃は完全に隙をつき、綺麗にゴブリンの首をはねる軌道を描いて繰り出されたのだが、そんな攻撃すら一瞬で認識し回避されてしまう。
「残念でした~、オレにはお前らの攻撃は通用しないようだナ。キキキキキッ、じゃあオレの攻撃はどうダ?」
今度は待ちに待った自分のターンだと言わんばかりに笑いながら攻撃を仕掛けてくる。そのスピードはアースルドの最高速度よりも数段も早く、彼らにそのスピードに対応できるだけの余力は残っていなかった。
「頑張って耐えろヨ!」
そういうと右手を大きく引き、アレンとデニムに向かってストレートパンチを繰り出す。その攻撃にデニムが何とか大盾を構えて対応することが出来たが、攻撃の威力があまりにも強すぎたためにガードしきれなかった。そのままの勢いでデニムは構えていた盾ごと大きく吹き飛ばされる。
「デニム!!!大丈夫か!!!??」
「す、すまない、腕をやられた...」
完全に防御したはずなのに吹き飛ばされ、しかも腕には相当なダメージが入っていた。そのためデニムにはもう大盾を構えるだけの力は残っていなかった。
「な~んダ、今のでもう終わりなのカ?脆いな、ヒューマンってのは!」
キキキキキッと冒険者たちを嘲笑うゴブリン。先ほどまではその馬鹿にする態度に怒りが募っていたが、嫌でも見せつけられた圧倒的なその力にアースルドたちは焦りの方がより強くなっていた。
「あ~あ、正直期待外れだゼ。これじゃあ、あの頃とは逆で俺が蹂躙しちまってるナ!」
ゴブリンの言う『あの頃』とは何のことなのか分からないアースルドたちだが、今はそんなことを考えている余裕は全くなかった。全力の攻撃がいとも容易く避けられ、しかも相手の攻撃は避けることも防御しきることもできない。完全に戦いになっていなかったのである。
「キキキキキッ、まあ...これ以上長引かせても時間の無駄かもナ」
不気味な赤い眼光がより輝きを増して冒険者たちを睨みつける。その体から発せられる強烈な重圧(プレッシャー)はまるでその場の重力が増したかのように重くのしかかってくる。アースルドたち三人はそれをまともに受け、立っているのもままならないほどであった。
「じゃあナ、ヒューマン。あの世で自分の弱さを後悔するんだナ」
そう告げるとゴブリンは一歩前に踏み出した。
アースルドやアレン、デニムは何とか戦闘態勢に入ろうとするがゴブリンから発せられる重圧(プレッシャー)が強すぎて思ったようにすぐに動けない。ロード戦での疲労も影響して体がとてつもなく重く感じられるのである。
そして一気にゴブリンが距離を詰め、一瞬でアースルドの目の前に現れる。その右手は先ほどゲングを貫いた時のように鋭く、そして今度はアースルドの左胸をめがけて突き出されていた。この一連の動作をアースルドは死の間際に起こるスローモーション現象によってはっきりと認識していた。
じわじわと迫ってくる死神の鎌。
アースルドはこの避けることのできない事態に完全に諦め、死を受け入れ始めていた。
その時、このスローモーションの世界で背後から高速で何者かがやってきた。その者は一瞬にしてゴブリンとアースルドの間に入り込むと、ゴブリンの左頬に強烈な一撃を喰らわした。突然のことにゴブリンも対処できず攻撃をまともにくらってしまい、吹き飛ばされ洞窟の壁に激突した。その攻撃の威力はすさまじく、そのゴブリンのぶつかった壁の周囲が大きな音を立てて崩壊するほどであった。
「なっ...?!」
アースルドは思わず驚愕の声を上げる。
Sランクにも匹敵するような、そのスピードに攻撃力。
まさかSランク冒険者が応援に駆けつけてくれたのかと一瞬思ってしまう。
しかしそこにいたのはもちろんSランク冒険者ではなく、まだ少し幼さが残る黒髪の少年だった。
「き、君はたしか...Eランクの...」
彼は今回の作戦を決める際、レイナがDランク部隊に推薦してきた例のEランク冒険者。あのレイナが一人の冒険者にあそこまで肩入れすることが滅多になかったので記憶に残っていた。
名前は...
「ユウト...、ユウトか」
そこに立つ彼の後ろ姿には痩せ体型からは想像もできないような頼もしさ、そしてとてもEランク冒険者とは到底思えないような強大な力をアースルドは感じていた。その姿はまるで英雄譚に登場する勇者と重なって見えたのだった。
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