第5話:西園寺那由多
『夜に連絡しますね』
勝負を終えイシュヴァラ、周防宗純がこっそりと耳元でささやいてから――
「ジェネラル!」「ジェネラル!」
「……は?」
情報の時間が終わってもずっと、シュートの、日野秀斗の周囲は騒がしいままであった。普段、他者と関わることを極力避けているにも関わらず、売られた喧嘩を買って勝負したら全然関係ない所で盛り上がっていたのだ。
「日野っち凄かったね。ゲーム得意なの?」
「……いや、別に」
無駄だらけで下手くそなサッカーをしていた女子に絡まれたり、
「やるじゃないか、日野。見直したぞ!」
普段最低限の関わり方しかせず、その部分が当たりだと思っていた担任が、目に炎を浮かべて感動していたり、
「ウッゼ」
「小田切に話しかけられて調子乗ってんじゃねえよ」
何故か話したこともないイケてる男子に目の敵にされていたり、
何が何だかわからぬまま昼食込みの昼休みに入る。
チャイムと共に日野はその場から消え、するすると人の群れを抜けてパンを購入、そのまま人の気配がない場所を探しに放浪を始めた。
「ジェネラルが消えたでござる⁉」
「ば、馬鹿な。ずっと昼休みこそは、と注視していたのに!」
教室でバタバタと日野を探す者たちから逃げるように――
それからしばらくして、
「ふう」
日野は安住の地を見つけることが出来た。神山学院は東京郊外に校舎があり、敷地面積も広いのだがそれ以上に生徒が多い。彼氏彼女は今の日野同様、イチャイチャできるスポットを求めて死角を探し、皆がどこかしらを埋めている。
そんな長い旅路の果て、とうとう古い校舎の裏側、建物の影に誰もいない場所を見つけることが出来たのだ。この校舎は現在あまり用いられておらず、その裏側ともなればクラスの人間に見つかる可能性は万が一にもないだろう。
今までは空気のように扱われていたため、教室で一人黙々と食べていたのだが、これからは状況が落ち着くまではここにお世話になろう、と考えていた。
「……うま」
ここの購買の卵サンドは絶品だな、と日野は一人笑みを浮かべる。いつも美味しいが周囲の目があるため素直に感想を吐き出すこともなかったが、ここならば誰も視線もないため、いくらでも称賛出来るのだ。
どのパンも旨いが、この卵サンドが最強だと日野は思う。東京は食べ物のレベルが高いと常々思っていたのだが、こいつは間違いなくその中でも最上位。
実は毎日食べているほどの愛好家であった。
少しカリッと焼き目が入ったパンに、ふわふわの半熟卵がマヨと絡めてサンドされ、カリふわの絶妙なハーモニーを生み出している。卵は近くにある付属の大学、その農学部が飼育する鶏が産むものを使っているらしい。品種改良に余念がなく、神山産の畜産物と言えば界隈ではそれなりの付加価値があるそうな。
まあ、そんなこと日野は知らないのだが。
「うんめ」
日野、満面の笑み。普段我慢していた分、零れ出てしまう。
そんな小さな幸せをかみしめている中――
「…………」
それは油断だった。絶対に、こんな場所に人は来ない。その慢心が彼に周囲の警戒を怠らせた。
「「…………」」
立ち尽くす少女と卵サンドを幸せそうに頬張る少年。互いに目と目が合うも言葉が出てこない。そもそも日野は頬張り過ぎて物理的に話せない。
「……す、すいません。その、誰もいないと思って。お邪魔しました!」
そそくさと去ろうとする少女。
さすがに悪いと思った日野は卵サンドを飲み込み、
「いや、俺もうすぐ食べ終わるし、邪魔とかないけど」
と、フォローなのか何なのかわからない言葉を投げかける。それでも少女は立ち止まり、ぎくしゃくした動きで少し離れたところに座った。
何とも言えぬ空気感。日野は早々に食べ切ってしまおうと思い、卵サンドにかぶりついた。少女も銀色の包みを破いて、謎の細長いレーションのようなものを口に含む。さらに手元の本を開いて、食べながらそれを読み始める。
(器用だな。と言うか、食べながら勉強するとはこいつ、さてはSクラスってやつか。やっぱ勉強できるんだろうなぁ)
Sクラスを何か勉強が出来そうなクラスとしか認識していないのは、この神山学院広しといえども、日野ぐらいのものであろう。
「あ、あの、卵サンド、好きなんですか?」
本に集中していると思い、まさか声がかけられると思っていなかった日野は不意を突かれる。とは言え、無視するのもあれなので、
「ん、まあ、ここの、旨いから」
無難極まる答えでお茶を濁す。
「「…………」」
またしても沈黙が横たわる。ここで日野は少し考える。一度声をかけられた手前、声をかけ返した方が良いのでは、と。コミュニケーションとは双方向のやり取りであり、人に声をかけるという動作はカロリーを消費する(と日野は考えている。コミュ障だから)。相手に消費させて、こちらは消費しない。
これはあまりよくないのでは、と言う発想である。
「あ、あー、ここ、いつも使ってるの?」
「え、あ、はい。その、誰も、いないので」
「そ、そっか。なら、俺が悪かった。もう来ないから、気にせず使ってくれ」
「え、あ、その、私の場所、と言うことではないので、日野君が使っても、全く問題ない、かと思います。むしろ、領有権を主張する方が、間違って、いるので」
どうやら互いにコミュニケーションは難有りの様子。歯切れが悪い、悪過ぎる。
「……あれ、俺の名前、知ってるの?」
ふと、引っ掛かりがあったので口に出してみる。すると、少女は顔を盛大に赤らめて本に顔をうずめた。何という本好き、と日野は感嘆する。
「き、今日、『アガルタ』で、BGをされていた、ので」
「あ、やっぱりSクラスだったのか」
「は、はい」
「そっかぁ」
「ひ、日野君は凄いです。片手間でしかやっていないのに、ランカークラスの周防君を下していたので。中盤、終盤のスタッツも圧倒的、でした」
「……ど、どうも」
褒められて照れる日野。何故自分が片手間にしかやっていないことを知っているのか、と言う疑問はするりと抜けて行ってしまう。
「わ、私は、その、西園寺那由多、です」
「ん、ああ、俺は日野秀斗だけど」
ほんの少し、その名前に聞き覚えがあった気はするものの、この会話の中で初めて本から視線を外し、本の端から自分を見つめる眼を見て、その疑問もまた消える。分厚い眼鏡とまとめる気のない髪型のせいで気づかなかったが、この西園寺と言う少女はかなりの美人である。髪色、鼻の高さ、彫りの深さから見てハーフかクォーターか。両目とも蒼い眼であり、染めているのかと思った茶髪も、おそらく地毛。
これまた覚えがるような、無いような――
「……あの」
「ん、なに?」
「いえ、その、何でもないです」
安堵するような表情、それを見て日野は卵サンド最後の一口を食べ切る。
「じゃ、食べ終わったし行くわ」
「あ、その、ひ、日野君」
「なに?」
「た、卵サンドばかりだと、その、栄養価が偏る、と思います」
「卵は完全栄養食品だってばあちゃんが言ってたけど」
「完全、ではないです。完全栄養食、と言うのはそれ一つで完結せねばなりません。加えて個体によって人体に必要な栄養素は変動します。個人に合わせたPFCバランスを模索、過不足なくその他栄養素も補完し、初めて完全栄養食品と言えるのです」
急に饒舌になり始めた西園寺を見て、日野は驚きに目を見張る。
「私は現在、神山学院大学のとある研究所に属しています。そこでは人体についての幅広い研究を行っておりまして、この食品もその副産物になります」
西園寺は先ほどから咀嚼しているバー状の食べ物を見せる。
「現在当研究所ではこちらの食品を広く普及するために、数多くのデータを必要としておりまして、もしよろしければ、その、私の研究をお手伝い頂けないでしょうか。もちろん、お金は要りません。必要であれば謝礼をお渡しいたします」
日野は頭をかく。まず、高校生であるはずの彼女が大学の研究機関に所属していること自体意味が分からないし、会ったばかりの自分に振る話ではないだろう、とも思う。ただ、必死さは嫌と言うほど伝わってきた。
それが研究のためか、はたまた別の理由かはわからないが。
「きゅ、急に言われてもな」
「そ、そう、ですよね。すいません」
肩を落とす西園寺を見て、日野はため息をついた。何が彼女をここまで駆り立てているのかわからない。だけど、情熱の有る無しは、わかる。
それが茶化すようなものか、本気かは、目でわかる。
「……手間がかからないなら、別にいいよ。そもそも何をすればいいのかもわからないけど、ちょっとぐらいなら」
「本当ですか⁉」
どういう理由かはわからないけれど、西園寺はとても嬉しそうにはにかんだ。ちょっと、僅かに、見惚れてしまいそうなほど、心の底から喜んでいる。
「言っとくけど、俺は馬鹿だから勉強は出来ないぞ。あと運動も出来ん」
「知っています。あの、やって頂くことは食品を定期的に摂取して頂いて、味の感想などを教えて下されば結構です。明日、ここに持ってきますので、その時詳しいことを説明させて頂きます。では! また明日!」
ばくりと残った謎の食品を頬張り、すたこらさっさと去っていく西園寺。小難しいタイトルの学術書をほったらかしのまま――
「あ、おい。意外と足速いな、あいつ」
日野は本を拾い、パラパラと眺める。英語のタイトルに、中もすべて英語表記と日野からすれば読むだけで凄い本であった。まあ、明日会うなら渡せばいいか、と思ったところで、中ほどのページにある写真が目に飛び込んでくる。
そこには――
「……なんだこれ」
何かの液体に浸かる手や足、その他部位ごとに『培養』されている人間の構成パーツがあった。何処か不気味な写真である。何かこう、倫理観を逸脱しているような、そんな不気味さがあった。
「見なかったことにしよ。どうせ内容わからんし」
日野もまたそれを小脇に抱えてこの場を後にする。ちなみにこの本の中にはいくつかの語句が頻出する。一つはRegenerative medicine つまり、再生医学。
そして最も多く出て来る語句はclone 本来の意味は挿し木。
生物学用語では――
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