第2話:日野秀斗
日野秀斗は都内の神山学院高等学校に通う二年生であった。学業成績は極めて平凡、学習意欲は低いが持ち前の集中力で一夜漬けを敢行し、何とか平均点付近にしがみ付いているタイプである。まあ、一年の後半から成績に若干の陰りが見えているため、そろそろ一夜漬けでの戦いは厳しくなってきているのだが。
如何せん学習意欲が低いため、どうしようもない。
部活にも参加しておらず、直行直帰で寄り道ひとつしない真面目な生徒、と思いきやすぐに帰る理由が理由なので、どちらかと言えば不真面目な生徒になるだろう。身長百六十八センチ、体重五十五キロの痩せ型、授業中を除きヘッドセットを装着していることが多いのだが、音楽を聴いているわけではなく話しかけられないように、と言うとても暗い、暗すぎる理由がある。
ゆえに学校での友人はゼロ。話す相手もいない。
「日野っち。放課後皆でカラオケ行くんだけどどう?」
「……行かない」
「そっか。また機会があったら是非!」
まだ学年が切り替わって日が浅いため、こうした勧誘を受けることも稀にあるのだが、こんなこともひと月時間が進めばなくなっていくだろう。実際に一年時の後半戦で他者と会話した回数は両手の指で収まる程度だった。
誰とも接する気はない。触れ合う気もない。
この学校を選んだのは寮が存在するから。地元に帰る必要がなく、比較的個人の自由を得られるから、である。まあ、選んだと言うよりも受験時に条件が揃った学校を探す際、担任に勧められたから、という消極的な理由であったが。
学校自体にやりたいことはない。
行きたい大学もないし、なりたい仕事もない。
そんな先のこと、考える気にもならない。
日野は寮の自室に戻り、すぐさまPCを立ち上げる。授業中十分な睡眠は確保した。ここからが彼のやるべきこと、である。
「……よし、やるぞ」
必要なアイテムはバイザー付きのヘッドセット。VRゲームをする際には必須となるものであり、軽量化されゲーム音のみならず周囲の音も拾える眼鏡型や、廃人御用達のベッドタイプなどもある。日野は周囲の音を拾う必要が無く、むしろ完全に遮断したい性質なので耳まで覆うヘッドセット型、なのだ。
本当はベッドが欲しいのだが、高校生には高過ぎて現状手が出ていない。
そして、VRゲーム用のアイテムを用いるということは、当然だが今から起動するのはVRゲームである。来るぞ来るぞと言われ、ついぞ来なかったVR元年、皆が見切りをつけ始めた矢先に、彗星のごとく現れたのがこのゲーム、
『アガルタ』である。
オカルト伝説における理想郷、幻想都市の名前を冠すそれは、従来のVRゲームの概念を完全に覆した。グラフィック、操作性、一人称で動くアバターはまるで本物の人間のようであった。実際に何の手も加えていないアバターは完全に自分と同じ姿であり、こだわりの薄い者はリアルと同じ姿かたちをしている。
まあ、大体は整形などを繰り返し理想の自分を作ったり、あえて崩した怪物じみた外見にしたりとリアルとはかけ離れた外見にしている者ばかりである。
日野秀斗のアバターは自身の名前からそのままシュートとしており、外見も現実とほとんど変わらない。服装も現状は初期の状態であり、一見すると完全に初心者のそれ、どう見てもやり込んでいる者の姿ではない。
「相変わらず『ホーム』は人が多いな」
シュートは目の前に広がる光景にため息をつく。
そこには白を基調とした近未来的な都市、そこを徘徊する無数のアバターがあった。その数ゆうに十万を超えている。今は平日の夕方、ピークはまだ先であり、彼が『ホーム』と呼ぶ場所はまだまだこれから人が集まってくるのだ。
建物のほとんどが百メートル越えのものばかり。そこを繋ぐ連絡橋が網の目のように各建物を繋いで、多重構造の道路を造り出している。アバターの多さ、建物の大きさ、エキセントリックな構造、全てのスケールが現実離れしている。
まあ、ゲームであるので現実離れするのも当然ではあるのだが――
「さっさと艦回収して、抜けるとするか」
シュートは圧巻の光景を尻目に地下行のエレベーターに乗り込む。そこから『ホーム』の中心部まで下り、目的地目がけて上がるのだ。
その行動の説明にはまず、このゲームがどのようなものなのかを説明し、その上でこの『ホーム』の役割を述べる必要がある。
まず、このゲーム『アガルタ』はプラットフォーム型ゲームだと言われている。従来のプラットフォームゲームとは異なる意味で使われるそれは、言語そのまま『基盤』の意味で使われている。また、駅の乗り場としても意味は通じるだろう。
『アガルタ』自体の役割はゲームと言うよりも、各種機能、ゲーム、あらゆるに繋げる駅なのだ。イメージとしてはゲーム機に近い。まずは『ホーム』にログインして、そこから各種サービスを受ける。ゲームの中でゲームをするのだ。
サービス内容は多彩かつ日々更新されており、当初はFPS、MMORPG、MOBA、などのゲームをリアルかつ自身のアバターを用いて体感できるとあって、コアなゲーマー層に人気を集めていたのだが、その拡張性に着目したあらゆる企業が怒涛の勢いで参入し、現実にあって『アガルタ』に無いモノなど無い、と言われるようになった。もはやゲームの枠を超え、世界基盤の一つと化しているのだ。
そして、その中にある『ホーム』はまず皆がログインした際に集まることになる惑星を指す。木星のようなガスを主成分とするガス惑星であり、それを覆う形で各国サーバーを表す都市が形成されている。あくまでそう見せている、そういう設定と言うだけであるのだろうが、使用者の目にはそう映るし、皆そういう説明を受けている。それを疑う者など誰もいないだろう。
一部の、奇特な者以外は。
それゆえ、反対側の都市に接続するためには表側を回っていくよりも、一度地下にもぐり、そこ目がけて上がった方が早い。だからシュートは地下行のエレベーターに乗ったのだ。ちなみにこのエレベーター、凄まじい速さであると有志の暇人が算出していた。大体一分もかからずに中心部まで到達するのだが、惑星の大きさから考えれば爆速であり、爆速エレベーターと『揶揄』されている。
揶揄されている理由はこれがゲームであり、仮想領域ゆえに距離の意味はなく、ロード時間だろ、という指摘が頻出しているためである。
この『アガルタ』というゲームで最も頻出する不満点が、先のロード問題、アバターそのものの移動が必要なゲーム、サービスに接続する際、かなりの時間を要する点が挙げられる。今でこそ全体的に早くなったが、サービス開始時にはまともに遊ばせる気が無いとゲーマーたちからの不満が爆発していたことも記憶に新しい。今は全体的な移動にかかるロードも早くなったし、そもそも長時間の読み込みを必要としないサービス、ゲームも増えたのでそういった声は減ったが。
依然としてもう少し何とかなるだろう、仮想世界なのだから、現実に寄せるべき点は其処ではない、などと苦言も出ている点は無視できない。
そんなこんなで『ホーム』の中心部にして、『アガルタ』というゲームそのものの中枢である地下都市アスガルタにシュートは到達する。各国サーバーの人間が入り乱れる場所であり、表側よりも混沌とした光景が広がっている。
そもそも、このアスガルタは『ホーム』自体のインフラが整備される前に建造されたモノであり、現在ではほとんどの機能が地下まで下りてこなくとも使用可能となっている。そのためビジネスなどでサーバー間の移動をしなければならない者やこの都市自体に用がある者以外には基本使われなくなっていた。
だからこそ――
「Skewを確保、抜ける」
穏当ならざる者たちの温床にもなるのだ。
アスガルタの中でもひと際混沌とした場所までシュートはやって来る。道行くアバターは弄り過ぎて原形を留めぬ状態の者が大半だが、一部にはシュートのように初期アバターの見た目もした者もいた。いたと思ったら消えたり、いないと思ったら出てきたりなど、何とも挙動が妖しげであるが。
シュートは何気ない所作で壁に近づき、その物理干渉無効の壁に対し、エーテルをぶつける。エーテルとはゲーム内でのMPのようなものであり、魔力と呼ぶ者もいる。アバターに与えられた特殊な力と言う認識で構わないだろう。それを本来、ぶつける意味が無い場所に一定以上の出力でぶつけることで、干渉無効の見えざる壁が揺らぎ、壁抜け出来ると言うもの。
このグリッチ、つまりバグ技に必要な動作がそれであり、それを発見したゲーマーたちが以前から使っていた用語に当て嵌めた、と言う流れである。
ちなみにこのグリッチ、そもそも正常な状態のアバターでは行うことが不可能である。何らかの方法で『脱法』し、本来設けられているエーテル出力の制限を解除せねば、グリッチに必要な出力を確保できないのだ。さらに監視が厳しい上層部でこれを使うと、漏れなく運営に発見されてしまい、垢BANなどの罰を受けることになる。最も大きな罰としては他者に害を与えた者への裁判が行われ、多額の賠償金を請求された、という事件が起きた。リスクはそれなりにあるのだ。
つまりこうして壁抜けを成功させた時点でシュートは『アガルタ』でも忌み嫌われる存在、チーターと言うことになる。
そして、壁を抜けた先には――
「おかえりなさいませ、ご主人様」
「……は?」
無表情な少女が一人、立っていた。ふざけているのか、真面目なのかはわからないが、とにかく感情を全て排したかのような表情に、何処で手に入れたのかメイド服を着こんでいる。虚無の美少女によるメイド姿でのお出迎え。
「……何のつもりだ、シューニャ」
「男性にとってこの姿は大変有意義であり、性的興奮を刺激するとの情報がありましたので、試行をしてみました。効果は見受けられません」
「そりゃそうだ」
「シュートは特殊な性癖を持つ人物と記録を追記しておきます」
「……やめてくれ」
彼女の名はシューニャ。銀髪銀眼の少女である。わけあってシュートと行動を共にする唯一の存在である。彼女以外の仲間はいない。作るわけにもいかない。
そして彼女とも別に仲が良いとか、湿っぽい感情は無い。
ただ、互いにとって互いの存在が必要なだけである。
「トールは?」
「一番艦の修理を終えたので、別の仕事に向かったものかと」
「そうか。ま、あいつらしいか」
シュートは納得して、壁を抜けた先に存在する空間を歩む。裏返ったような景色の中、それは秘かに鎮座していた。
真紅の艦、一番艦『ガンブレイズ』。流線型のフォルムに潜水艦と戦闘機を足して割ったかのような姿。見た目からして速そうだが、実際に走らせても速いとシュートは胸を張る。海賊時代からの相棒であり、すでにかつての面影はないが船長と一緒に星軍を襲って奪った思い出の愛機である。若干不穏な思い出だが――
「さっさと出るぞ。こんなとこいても永遠に謎は解けないままだ」
「キャプテン・ゴスペルの回収であれば不可能であると何度も申しておりますが」
「それを決めるのは俺たちだ。テメエらじゃねえ」
殺意に満ちた視線を向けるシュート。それを無表情で受け流しシューニャは艦に乗り込む。暖簾に腕押し、糠に釘、相変わらず理解する様子も、揺らぐ様子もない相手にため息を重ね、シュートもまた艦に乗り込む。
ここからが、彼にとっての『アガルタ』、その本当の姿である。
「機関、正常に作動。いつでも発進出来ます」
「……立ち上げまでやってくれていたわけか。相変わらず戦闘以外は完璧な男だわ。なら、重力圏を抜け次第、『裏抜け』して目的地付近まで跳ぶぞ」
「了解。では、発進」
全長五十メートルほどの小型戦艦だが、その内半分近くを主砲が占める歪な形であり、火力は大型戦艦に負けぬものを持つ。ただ、機構としてのそれは小型戦艦にしては火力があるというだけで、それほど特別な性能ではない。
乗り手が平凡であれば、少し火力に寄っただけの艦である。
乗り手がシュートであれば――
「征くぜ、ガンブレイズ」
自らが腰に差した二丁の拳銃、その内の一つをブリッジの中央、艦長である自分の席の前に存在するコンソールに突き立てる。この拳銃が主砲の安全装置、認証キーであり、そこからシュート自身のエーテルを流すことにより、
「充填、四一八%」
「一々面倒くさい手順だなっと!」
『ホーム』であるガス惑星を飛び出し、この『アガルタ』を構成する各惑星が目に入る。太陽系とは異なりガス惑星を中心とした星系、各惑星はそれぞれ大掛かりなゲームの舞台になっていたり、別荘地になっていたりするのだが、割愛。
大事なのは、
「擬装境面認識、座標ロック。あの当たりならどこに撃っても無問題です」
「了ッ解!」
ガンブレイズの主砲とシュートのシックスセンスは同調するように設計されている。この艦が本領を発揮するのは艦長であるシュートが乗ってこそ。その彼がシックスセンスを発動し、艦にくべてこそ真価を発揮する。
「星軍、向かってきます」
「もう遅い」
要領は先ほどの壁抜けと同じ。異なるのは『裏抜け』には必要とするエーテルの総量が『壁抜け』の比ではない、と言うことだけ。他にも方法がいくつか見出されつつあるらしいが、最も手っ取り早く知識も必要ないため、シュートはこの方法で『裏抜け』を敢行している。ちなみに当然だが、仕様外の行動である。
ついでに規約にも堂々違反している。
シューニャが擬装境面と呼ぶゲームの行動制限領域。通常であればそこから出ることは出来ないし、進もうとしても見えない壁に阻まれる。
だが、主砲でぶち抜き、もとい干渉させてやれば――
「アルクビエレ・ドライブ起動。跳躍」
『裏抜け』可能となった瞬間、シューニャが空中に展開されている投影モニターにぽちっとタッチすると、艦に備わっている動力及びシュートのエーテルを消費し、艦の姿が揺らぐ。その現象から数秒後、
「くそ、またロディニオンの残党が!」
ガンブレイズは忽然と姿を消した。
○
「前回到達地点まで跳躍完了」
「……わかった。じゃあ、いつものを頼む」
「了解。『文明』の探知を開始します」
その瞬間、シューニャの髪が形状を変化させ、うねうねとまるで生き物のように動き始める。ただし、其処に生命の息吹は感じられない。
それと同時に、
「っ」
シュートの右膝も、じくりと痛む。頭の中で浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返す何か。それは何かの、呼び声のように感じる。
だから、探すのだ。果てのない旅だとしても。
ここはVRゲーム『アガルタ』に用意された行動可能領域の外側。未だかつて誰も果てを見たことが無い無限に広がる、まるで本物の宇宙が其処に在った。
「文明を発見。隣の星系ですが、すぐに着きます」
「向かうぞ」
「座標軸の設定、動力のみでのアルクビエレ・ドライブの起動には四十八分ほどの充填が必要となります。如何いたしましょうか」
無言でシュートは自らのシックスセンスを発動し、エーテルを流す。
「充填完了。ドライブ起動、跳躍」
そしてまた、ガンブレイズはここではないどこかに消える。
そんな日々を、彼はずっと繰り返していた。
「……このゲームの果ては、何処にあるんだよ」
砂漠で砂粒を探すかのような、日々を。
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