アカシック・レコーズ

富士田けやき

第1話:いつかの夢

 青々とした芝生の上で少年は白黒模様のボールを蹴る。自由に、自在に、心底楽しそうに、少年は毎日日が暮れるまで遊んでいた。一人なのに全然寂しそうではなくて、まるでそこに友達がいるみたいに見える。

 そこには自由と楽しさだけがあった。それは誰もが最初に通り、いつか忘れてしまう原体験。自分にとっての『道』に触れ、狂ったように熱中する。そんな、誰しもに在ったはずの景色が広がっていた。

 徐々にそれは色づき、成熟し、広く知られるようになっていく。その度に自由は削がれ、笑顔は少なくなっていくが、それは成長のために必要な過程。『道』を生業にしたいと思えば、如何なる天才でも何かを捨てる必要がある。

 遊び、旅行、休日――金も時間もどんどん消えていく。

 そこまでして九割九分九厘の人間が進み切れない、到達出来ないのが、『道』を生業とする狭き門。ほとんどが零れ落ちる。それを残酷と呼ぶ者もいる。

 だけど、この光景を見つめる者は思う。

 その門を潜った先で、自分より圧倒的な才能に出会ってしまい、さりとてその『道』を生きる以外の手段を知らぬ者こそが残酷なのだと。

 そしてそれ以上に――

「動け動け動け動け動け動け動けェェ!」

 門などは通過点ですらない。天を掴んだであろう才能が、地に堕ちる残酷に比べれば、途中自らの決断で降りた者の悲哀など――

 少年は地に堕ちた。翼をもがれ、暗い地の底で這いずり回る。誰が悪いわけでもない。彼は決して自らの過失により翼を失ったわけではないのだ。

 少年は翼を失い、自由を失った。

 彼は『道』を諦め、自由を求めてさまよった。

 求めるのは失われた翼の代替、現実には存在しないそれを仮想の世界で探す。確かにそこには自由があった。だけど、熱くなれなかった。あの芝生の上で、自由と笑顔を引き換えに手にした炎の、闘争の世界。どれもそれなりに楽しかったけれど、自分の翼に、もう一度羽ばたいて向かう『道』にする気にはなれなかった。

 しかしある日、少年は世界を逸脱する。

 秩序と安全を引き換えに存在する未知なる混沌。圧倒的な広大さ、圧倒的な解放感、全ての鎖が取り払われたような、究極の自由が其処に在った。

 そして、其処で暴れた。誰に構うことなどない。どうせここは仮想空間で、こちら側に至った連中は皆、『規約違反者』である。

 どうなろうと知らないし、どうでも良い。そう思って少年は暴れ、自由を謳歌し、その果てで――敗北した。

「生き急ぎ過ぎだ」

「……クソ、はは、手も足も出ねえ」

 その男は本当に強かった。たぶん、少年が知る誰よりも。

「最近このゲームを始めたんだが、遊び方がよくわからん。俺に遊び方を教えてくれ。その代わり俺が人生の楽しみ方を教えてやる」

 細く、今にも消え入りそうな男が差し出した手を、少年は握った。その男が誰よりも自由に見えたから。ただ、それだけの理由で。

 こうして二人は出会った。仮想世界のことをほとんど何も知らぬ者同士。全てが手探りだった。お互い得手とするジャンルが違い過ぎて会話も噛み合わなかった。だけど、とりあえず二人とも強かった。滅茶苦茶強かった。

 ゆえに気付くと、

「ユオの野郎、また星軍(マリーナ)に喧嘩売りやがった!」

「新入りのカヴォードもだ。ヴァンガードの奴もこの前星軍の艦沈めてたしな。ったく、キャプテン、いい加減連中に注意してくださいよぉ」

「ん、まあ、別に良いだろ。暴れたらダメ、なんてルールは無い」

「駄目だこりゃ」

 多数の曲者が集う大所帯となっていた。仲間の抜け駆けに怒っている方はもちろんのこと、常識人ぶっている方もいざ戦闘と成れば目の色を変えるバトルジャンキーである。類が友を呼び、集い集った無秩序極まるクソ野郎集団。

「シュート、楽しんでるか?」

「まあ、ぼちぼちっすね」

 人は彼らを『ロディニオン』と呼んだ。

「なら、上々だ」

 自由を求め、仮想世界の裏側に広がる星の海を駆ける、宇宙の海賊である。

 これが少年の、シュートの、第二の翼と成る。


     ○


 発見者がロディニオンと名付けた星の衛星、灰色の大地に両雄並び立つ。

 片方は仮想世界の裏側に秩序をもたらさんとする星軍、ステラ・マリーナ。大半は略してマリーナと呼ぶ。一説にはゲームマスター、運営が絡んでいるとの噂もあり、艦隊の性能や装備など、物量面で他全ての組織を圧倒する。人材も豊富で普通にこの世界に『馴染んだ』程度では及ばぬほど、高いシックスセンスを誇る。

 彼ら独自の調律技術があるそうだが、詳細は不明。

「ったく、俺らは機関の調律受けてんだぞ。どうなってんだよ」

「わかってるでしょ。シックスセンスは、人間は、平等じゃない。身体能力に差異があるのと同じ。努力じゃ、埋められない壁もある」

「……そりゃあ、そうだけどよ」

 もう片方はとびっきりの荒くれ者が集う宇宙海賊ロディニオン。大船団を率いる船長が一人、彼が乗る旗艦を守護するように囲う七つの艦、七人の艦長がいる。船長は星軍の中核を成すメンバーも良く知る男で、強いのも十分承知している。しかし、在野の七人、彼らに関してはほとんど情報がない。

 もちろん、『顔見知り』でもない。

 それなのに――

「どいつもこいつも、化け物みたいな数値叩き出しやがって」

 七人全員、怪物。

「気合入れろよ! 何考えてんのか知らねえが、これ以上の蛮行を認めてちゃ星軍が存在する意味がねえんだよ。討たせてもらうぜ、ゴスペルさんよォ!」

 その怪物どもを取りまとめる船長ゴスペル。福音の名を冠する男は静かに座す。まだ、やる気はないのだろう。

 この陣容ならば自分が出るまでもない。眼が、そう言っている。

 そして実際に――

「来るぞ!」

 船長の自由を、強さを、才能を、慕って集った彼ら七人全員、凄まじいほどのシックスセンスを持ち合わせていた。

「俺が一番槍だ!」

 誰よりも速く、灰色の大地を爆走するのは一番艦艦長『ガンブレイズ』のシュート。炎を推進力とし、圧倒的な速力を得る。ロディニオン自体結成して日は浅いが、彼が最古参のメンバーでもあった。

「俺が止める」

「任せたわ」

 星軍の男もそれに呼応し、一気に距離を詰める。相手が馬鹿正直に真っ直ぐ突き進んでくれているおかげで、自分も『加速』することが出来る。

「シングルアクセル」

 一段階、

「ダブルアクセル」

 二段階、

「トリプルアクセル」

 三段階、この時点でシュートの速度を、男は超える。

「んな⁉」

「星軍を舐めるな、クソガキ!」

 圧倒的速度で側面を取った男は剣を引き抜き、全力で突く。これは仮想空間、突き殺しても死ぬこと『は』、無い。

「へえ、おっさん結構強い奴か」

「……参るぜ、ほんと」

 その突きは相手の蹴りに阻まれていた。剣の切っ先と咄嗟に出した蹴り足が拮抗する。つまりは、基礎の魔力、ゲーム内ではエーテルと呼ばれる力に差があるということ。速さに特化した男の能力に対応した上で、当然のように出力も上。

 しかも、

「良いね、熱くなってきたァ!」

 体捌きも素人のそれではない。ほとんどが足技、攻撃を受ける時などで手を使うこともあるのだが、基本的に手は使わない。だが、その不自由を感じさせないぐらい、この少年の足は自由自在に動く。その足を生かす体捌きも、ある。

 そして何よりも――

「パセ・フエルテ」

 凄まじい火力。地面に蹴りが叩きつけられた瞬間、灰色の大地が炎熱で溶け消える。かわさねば男が蒸発していただろう。エーテルを全力でコントロールし受けたとしても、果たして受け切れたかどうか。

「まだまだァ!」

 攻撃の連なり、組み合わせ、戦闘センスの塊である。そこに馬鹿げた出力のシックスセンスが備わっているのだ。弱いわけがない。

 一番艦艦長、当然のように強者である。

 他でも戦闘が始まっていた。

「黒旋風(ヘイスーシェンファン)!」

「かわしなさい! バラバラになるわよ!」

 風を操る怪物。

「リンファの邪魔はさせない。貴方たち、全員沈んで」

「何故、フィールド外の、真空中に、水、が」

 水を操る化け物。

「戦うってんなら仕方ない。やってやるぜ!」

「は、速過ぎる⁉」

 雷と化すバトルジャンキー。

 どいつもこいつも曲者揃い。そして、強い。強過ぎる。

「退け、シュート!」

「邪魔すんじゃねえよ、ヴァンガード!」

 ヴァンガードと呼ばれた男が割って入り、振り下ろした拳が地面に突き刺さる。対峙していた男は悪寒と共に全力で後退する。

「まとめて死ね!」

 ヴァンガードは能力を全開放し、灰色の地面が隆起、次の瞬間には巨大な地震と共に隆起した大地が山と成り後背に位置していた敵艦隊を飲み込む。

 男は顔を歪めていた。本当にこの世界は不公平で、宇宙に出て制限を失ったシックスセンスと言うものには際限がなかった。

 あとはイメージできるかどうか。自分が成せると信じられるかどうか。星を滅ぼす力を個人が有してなお、それを振るう勇気があるかどうか。

「相変わらず、派手好きだなァ、ヴァンガードは」

「ッ⁉ いつの間に、俺の、背後を――」

「俺はァ、誰にも、何物にも、縛られんのだァ」

「カヴォードォ!」

 カヴォードと呼ばれた男は質量を操作し、自らの手に在った小石を粒子と化す。それを男に向ける。絶命の間合い、回避不能な、光速の――

「「邪魔すんなァ!」」

「おっとォ」

 その一撃は、獲物を横取りされかけたことで憤怒するシュートとヴァンガードが止める。あくまで彼らにとってはゲーム、遊興、それは理解している。だからこそ、能力が伸びている面もあるのだろう。

 それは、わかっているのだが――

「第零世代もピンキリ、ですか」

「影の中から……ってことはテメエが、ユオ、か」

「ええ。とりあえず喰らってみましょうか」

 首から下が夜色、『ウェスペル』のユオ。星軍、と言うよりもその上の組織と深い繋がりがある彼の出自と能力だけは皆共有していた。

 まあ、共有していたとしてもどうにかなるものではないのだが。

「俺じゃテメエらには勝てねえ」

「でしょうね。シックスセンスが弱過ぎます」

「ただ、あの人は別格だぜ」

「……ああ、なるほど」

 そう呟きつつ、ヴァンガードが隆起させた山が、ものの見事に切り裂かれた姿を見て、その直線上にいたユオもまた両断され、崩れ落ちる。

「王様が来ましたか」

 影はそう言い残し、どろりと消えた。

 現れるは星軍における最高戦力であり、この『裏世界』における最強の一角。星軍の剣王レクス。紅き刃があまねく全てを断ち尽くす。

「レクスか。俺の獲物だ!」

 シュートが、

「させるかよ!」

 ヴァンガードが、

「まだ足りんと思うが、ふは、挑戦するのは、自由だァ!」

 カヴォードが、

 三人の怪物が各々の力を全力で解放し、炎が、衝撃が、光が渦巻く中――

「未熟」

 それら全てを、鎧袖一触。あっさりと切り伏せた。

「……元気そうだな、友よ」

 だが、次の瞬間には吹き飛ぶも斬られていない三人に認識が切り替わる。

 レクスは耳に触れ、どうやら自分は切ったと錯覚させられたようだ、と王は微笑む。相変わらず厄介な能力であるが、あの男の真骨頂は其処に無い。

 特に、今のこの男は――

「ああ。おかげさまで。そっちは元気じゃなさそうだな」

「それを今のおぬしが、言うか」

 切られたと思った三人を吹き飛ばし、戦場の真ん中に現れるはロディニオンの船長ゴスペル。彼は単身、剣の王レクスと対峙する。

「総員撤退! 私たちがいると邪魔になるわ!」

 星軍は迷うことなく撤退を選択。

「こっちも退くぜ。キャプテンのガチだ。邪魔になる!」

 ロディニオンもまた退避することを選択した。それだけ双方、自分たちの最強に絶大な信頼を置いているのだ。片や秩序維持のための武力の象徴、片や荒くれ者どもと自由を謳歌する無法者。相容れぬ二人である。

 そしてその力は――

「良い場所だろ」

「ああ。綺麗な星だな」

「でも、俺の記憶だとここに、衛星は二つ無いんだ」

「……まさか、そういう、ことか」

「だから、思いっ切りやろう。今この場で、俺たちを縛る物は何もない。足元の星すらも……今の俺は強いぜ。ろうそくの炎が消え入る、間際だからな」

「承知した!」

 星すらも、飲み込む。

 当時の最強同士が衝突する。

 そう、これは過去の、思い出なのだ。二つ目の『道』を見出した少年が見る夢。たぶん、この時が絶頂期であったと思う。短くも熱い時代だった。

 充足していたと、思う。

 だけど、終わりは突然やって来た。

「……何だ、あの銀色のやつ」

「とりあえず喰ってみろよ、ユオ」

「……いいえ。私なら、あれには近づきませんがね」

「あン?」

 その日、宇宙海賊ロディニオンは『裏世界』のとある場所で未知の存在と遭遇。好奇心と闘争心旺盛な彼らは接触し、絶望の一部を垣間見ることとなる。

 犠牲者は一名、

「見捨て、ろ、ヨ。俺ハ、モう、だメ、ダ」

「シュート、気にするな。俺は、これで――」

「やメ――」


     ○


「ハッ!」

 良い夢は、いつだって悪夢と隣り合わせになる。

 日野秀斗は額に滲んだ脂汗を拭う。もう、一年以上前の記憶であるが、未だにこれは消えてくれない。いや、永遠に消えることはないだろう。

 自分の無知と無力を味わった日。一度目とは比にならぬ残酷、であった。自分に非のない痛みの何と楽なことか。二度目は、自分にも非があったのだ。気にするなと彼は言ってくれた。リアルではどこの誰かもしれぬ相手だが、間違いなく自分の人生に彩りを与えてくれた人で、恩人でもあった。

 それが、自分のせいで――

「……っ」

 じくりと、右ひざが痛む。これは二つの傷痕である。

 一度目は現実で、二度目は仮想空間で。

 二つの痛みが、彼を苛み続ける。

「必ず、俺が、あんたを取り戻してやる」

 これは一人の男が『あるゲーム』を通して世界の真実に近づく物語である。

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