第十七歩 歩み

 12


 生誕祭から数日が経った。

 皆さんの前で正体を明かしてから会場は大いに沸き立ち、これはいつかの繰り返しになるのではと危惧していたのだが。

 そこはやはり絶対王政国家と言った所か、鶴の一声よろしくアイリスの一言で滞りなく事態は収束した。

 女神に返り咲けた以上、地上に長居する訳にも行かない。

 早急に天界へと帰還しようとする私を、皆さんがとても和やかな雰囲気でお見送りをしてくれたのは嬉しかったな。

 そして諸々の事情が一段落ついた所で――


「それでそれで、その後どうなったんですか⁉ もう、焦らさないで早くお姉ちゃんに教えて頂戴よ!」

「何度も言うけど今ので全部だってば‼ だ、だからそろそろ放してよー」

「いいえ放さないわ! 人の失恋だなんてそうそう拝めるものじゃないもの、詳細を放してくれるまでは絶対に放さない!」

「悪趣味⁉」

 以前お世話になった際にした約束を果たすべく、道端でばったり遭遇したセシリーさんを連れてギルドにやって来たのだが。

 あたしが何か言う前から勝手にシュワシュワを注文し数十分後にはこの通り、すっかり出来上がっていた。

 幸いにも調子づいてグビグビと煽っている内に、いつしかセシリーさんはあたしに抱き着いたまま眠りについたので、机に突っ伏す形で寝かしつけてその場を離れた。

 はあ、やっと地上に戻って来れたのに一気に疲れたよ。

 当時のあたしはどうしてこんな約束しちゃったんだろう。

「お疲れ様です、クリス。お姉さんに絡まれて災難でしたね」

「ちょっとめぐみん、セシリーが悪いみたいに言わないで頂戴。あの子は気になった事を突き詰めていただけよ、探求熱心で素晴らしいじゃない!」

「まあまあ、そう怒ってやるなアクア。クリス、時間があるなら私達と一緒にどうだ?」

 どうやらお昼ご飯を食べに来ていたらしい、ダクネス達が立ち去るあたしの背中に声を掛けて来た。

「キミ達、観てたんなら助けてよ」

 彼女達に罪はないけれど、どうしても恨みがましく思ってしまう。

「わ、私は助けに入ろうとしたのだが、その前にめぐみんに止められてな」

「当たり前ですよ。ダクネスが仲裁したら私の存在に気付いたお姉さんが、クリスから矛先を変えて絡んでくるかもしれないじゃないですか」

「だから、うちの子をチンピラみたいに言わないでったら‼」

 机をバンバンッと叩いて必死に抗議してるけど、めぐみんにアクアさんの声は届いていなさそうだ。

「あれ、そう言えば助手君は一緒じゃないの?」

 卓に三人しかいない事に不自然さを覚え、キョロキョロ見回すあたしにアクアさんが、

「カズマさんならあそこよ」

 頬杖を付いたまま、ぶっきらぼうにギルドの一角を指差した。

 そこには女の子に囲まれた助手君の姿が……。

「……なにしてんの、あれ」

 あまり面白く無い光景に憮然とした態度を取ってしまう。

 いや、あたしがどうこう言う資格はないんだけど。

「さあな、ちょっと用があるとか言って席を立ったから私達も知らないんだ」

 同じくカズマ君の方を確認もせず、手元のジョッキをあおるダクネス。

 めぐみんも素知らぬフリでモソモソと唐揚げを口に運んでいた。

「なんか皆ずいぶん素っ気ないね。めぐみんは彼の事が気にならないの?」

 あまりの反応のなさに話を振ってみるが、めぐみんは変わらぬ様子で口の中にあった物を飲み込み。

「そんなに気になるのでしたら声を掛けてきたらどうですか?」

「え……」

 その発想はなかった。

「で、でもいいの? あたしがその……」

 口篭もるあたしに、めぐみんは今度はアスパラガスをナイフで切りながら。

「いいんじゃないですか? 別に、カズマに声を掛けるのを規制する権利なんて私にはありませんからね」

「そ、そうだね……」

 なんかいつものめぐみんっぽく無いけど喧嘩でもしてるのだろうか。

 疑問に思いながらも、やっぱりカズマ君の事が気になったあたしは席を立って、周囲に女の子を侍らせ何やら楽し気に会話するカズマ君の背後に近付いた。

「ねえ、助手く……」

「――あたしだったら、どこか綺麗な景色が観れる場所だったら嬉しいかな。でもアクセル周辺にいい感じの場所なんかあったっけ?」

「あんまりないよね。でも、カズマ君がそんな事を気にするだなんてね」

「ホントホント、まさかあのカズマさんがねえ」

「う、うっさいわ! と、とにかく、他にどこかいい雰囲気の場所は……」

 顔を寄せて姦しく、ねーっと言い合う女性冒険者達にカズマ君は頬を紅くする。

 しかし、いい雰囲気のある場所って……。

「もしかしてデートスポットでも探してるの?」

 ビクンッと背筋を正したカズマ君。

 後ろ暗い所でもあるのか、恐る恐る振り返ったその顔は真っ青になっていて……。

「く、クリス……っ? い、いつからそこに?」

 なんでそんな浮気現場を目撃された人みたいな反応なの。

「リーンがさっき綺麗な景色がどうのって言ってた辺りからかな。まったく、キミも隅に置けないね。めぐみんに内緒でそんな場所を探してたなんてさ」

「えっ……あっ……そ、そうだな! そんな感じだな‼ あは、あはははは!」

 うんうん、カズマ君がちゃんと考えてるようで安心したよ。

 ……でも。

 やっぱり、胸の奥がズキッと痛む。

「そうだ、あたしいい場所知ってるよ。よかったら今から案内しようか?」

「えええっ⁉ あ、いや……その……」

 あたしの言葉に、カズマ君はしどろもどろになって視線を泳がせた。

 どうしてそんなにギクシャクするかな。

 ……ああ、あたしに気を遣ってくれてるのか。

「大丈夫だよ、あたしなら気にしてないからさ。めぐみんを喜ばせたいんでしょう? 協力するよ」

 折角彼が気を回してくれたので、あたしも他の人に聞こえないよう顔を寄せた。

「……俺が気にするんだけど」

「? なんでキミがそんな心配するのさ?」

「ふぁっ⁉ い、いやいやなんでも、何でもない! と、とにかく、ありがたいけどわざわざお頭の手を煩わせる訳にはいかないからいいですよ!」

 意外にもそんな事を……。

「……もしかして、あたしじゃ役不足だって思ってる?」

 ジト目で睨むあたしにカズマ君は慌てたように手を横に振り。

「そそ、そんな事ないですよ! ただお頭に教えられたら困るっていうか意味が無いって言うか……てちょっ、どこいくんすかお頭⁉」

 言葉尻をどんどん小さくしていくカズマ君に痺れを切らしたあたしは踵を返し、ダクネス達がいるテーブルにバンッと片手を突いた。

「キミ達、ちょっとカズマ君を借りてくね。夜までにはちゃんと返すから良いかな?」

「あの、俺を物みたいに扱わないでくださいよ」

 それは単なる言葉の綾だ。

「別にいいけど。でもエリス、あなた今借りるって言ったわよね。だったら当然それなりの対価を払ってくれるんでしょ痛い!」

 凄んできたアクアさんが、物扱いされたカズマ君にダガーで叩かれているのを尻目に、あたしはダクネスとめぐみんに視線を向ける。

 すると二人はチラッとカズマ君に視線をやってから。

「ああ、勿論構わないぞ。その要件が片付いたらクリスも屋敷に来るといい。一緒に夕飯でも囲もうじゃないか」

 あたしの肩をポンと叩きそんなお誘いまでしてくれるダクネス。

 続いて隣にいるめぐみんもコクコクと頷く。

「そうだね、折角だしお邪魔させてもらうよ。そうと決まれば。ほら助手君、皆の了承も取れた事だし、暗くなる前にサッサと行くよ!」

「あっ‼ ちょっ、まだ俺は行くなんて一言も……」

 後ろでごちゃごちゃ言うカズマ君を無視してギルド入口へ向かおうと……。

「……クリス、これからは夜道に気を付ける事ですね」

「おっ、おい、めぐみん!」

 後ろからとんでもなく物騒な言葉を聞いた気がする。

 肌寒さを感じ恐ろしくなったあたしは今のは聞かなかった事にして、そそくさとギルドを後にした。


 13


 街を出発して暫く経ち。

 なんでもない会話を続けながら、あたし推奨の綺麗な場所へと向かっていた。

「そう言えば、まだちゃんとお礼を言ってなかったね。聞いたよ、助手君ってばカーラ先輩と色々あったみたいだね」


 天界で諸々の処理を終えた後、お詫びも兼ねてカーラ先輩に、どうして私が女神に返り咲けたのかを尋ねてみた。

 曰く、私が懲罰の対象となった法案の規定条件は、女神が特定の個人に寵愛を抱く事。

 もっと言えば、須らく大衆を愛する者は巡邏システムの対象から除外され、懲罰を受ける必要もないのだとか。

 それを逆手に取り計画されたのが、あの王城での生誕祭。

 信者達が祈りを捧げる様子を視認する事で私の認識を改め、一度引っ掛かった巡邏システムから除名させるのが目的だったらしい。

 発案者は他ならぬカーラ先輩。

 なんでも、カズマ君が交渉に来た際にやり方を伝授したのだとか。

 当のカーラ先輩は今頃、降って湧いたバカンスを堪能している頃だろう。


「――やめてくださいよ。あれに関してはもう封印したいんですから」

 途端にテンションが下がってしまうカズマ君。

 ……これは、会話内容の選択を間違えたかな。

「ま、まあキミにとってはそうかもしれないけど。それでも、ありがとうね。あたしの為に色々動いてくれてさ」

 人知れず頑張ってくれた助手君を労うように、せめてものお礼にあたしは満面の笑みを浮かべた。

「……ま、まあ、こうしてまた一緒にダベれてるんです。それでいいじゃないですか」

 恥ずかしそうに顔を赤らめた助手君はふっと目を逸らし頭の後ろで手を組んだ。

 うん、全くもってその通りだ。

「あっ、着いたよ。ここなんてどうかな?」

 街から少し離れた場所にある丘まで登ったところで足を止め、隣を歩いていた助手君に声をかける。

「ん……おおっ!」

 手を指し示した方に映った景色に、助手君は感嘆の声を上げた。

 そこに見えるのはアクセルの街。

 傾き始めた日の光が街に降り注ぎ、それが雪で反射されてダイヤモンドみたいにキラキラと輝いている。

「アクセル周辺にもこんな場所があったんだな。アンドール程じゃないけど、これはこれでありだな」

「でしょ? この街にだって探せばいいところはあるもんだよ」

 隣に立った助手君は感心した様に街を一望していた。

 …………。

「ここなら、めぐみんも悦んでくれるんじゃない?」

 さらっと尋ねたあたしの言葉に、カズマ君はピタッと動きを止めた。

「……いや、まあ確かに良い場所なんだけど……良い場所なんだけどさあ…………。それを他ならぬお頭に教えてもらったんじゃ意味が無いと言いますか……」

 そんな事をぼそぼそと……。

「あたしが教えたら意味が無いってどういう意味? ここに来る時にも同じ様なこと言ってたよね? 一体何が気に入らないって言うのさ!」

「ち、違いますって! それは捉え方が違うって言うか思い過ぎしって言うか、別に気に入らない訳じゃなくてですね⁉ あの……」

「はっきりしないなあ。キミ男の子でしょ? 物事はしっかりと明言しなよ!」

「俺は真の男女平等を願う者。都合のいい時だけ男の癖にとかいう奴の発言には真っ向から突っ撥ねて……わ、分かりました話す話します! だからそんな人を射殺せるような視線で睨まないでください‼」

 どうやら至近距離で詰め寄ったあたしに畏怖したらしい。

 心外な事この上ないが、ここは助手君の言う事に従ってあげた。

「それで、あたしに何を隠してるの? 早く話してよ」

「そ、そんなに急かさないでくれよ、こっちにも心の準備って物が……」

 この期に及んで情けなくもそんな事を言う、何処までも小心者の彼に思わず苦笑する。

 そわそわとした様子でやたらと視線を動かすカズマ君が話し始めるのを、あたしは黙って見守った。

「だ、だから……俺が探してたのはめぐみんに見せたいからじゃなくて……」

 そこまで言ったカズマ君は、顔を真っ赤に染めたまま上目遣いにあたしを見て――


「クリスを連れて行きたかったんだよ」


 早口にそれだけ言ったカズマ君は瞬く間に視線を逸らし肩をプルプルと震わせ……。

「……いま……なんて言ったの?」

 聞こえはした。

 彼の言葉ははっきりとこの耳まで届いた。

 でも……何を言っているのかが理解出来なかった。

「⁉ おお、お頭は鬼畜ですか! 何が悲しくてこんな木っ端図かしい事を二回も言わないといけないんだよ!」

 彼のこの慌て様、やっぱり聞き間違いじゃないのだろう。

 だが、それはおかしい。

 だって、カズマ君が好きなのはめぐみんだ。

 本人もそう言っていたし、実際それを理由にあたしは振られた。

 でも今の発言だと、カズマ君が綺麗な場所を探していたのはめぐみんの為ではなくあたしの為だって言ってるようなもので。

 ……ん?

 それってつまり、あたしに気があると言ってるのとほぼ同義な訳で。

 …………あれ、これって。

「……カズマさん、まさかと思いますが二股かける気ですか? いくら私でもそれは流石に幻滅しますよ?」

「ちち、違います、違いますよ⁉ 俺にそんな度胸も器量もありませんしそこまで見下げ果てたクズでもありませんから!」

 おっといけない、憶測だけでついつい彼を疑ってしまった。

「……そうだよね、キミにそんな度胸があるんだったらとっくにダクネスにも手を出してるよね。疑ってごめん」

「謝られてる気がしないんですけど」

 というか、彼がそこまで酷い男だったら、あたしもめぐみん達も好きになどなっていないだろう。

「だったら、一体何の冗談? キミはめぐみんの事が好きなんだよね?」

「……めぐみんの事は今でも好きですよ……多分、異性としても」

 ズキッと胸の奥がきしむ。

 でもこれでいいのだ。

 あたしの好きな人達が、ちゃんと幸せになってくれるのならそれで……。

 だから決して表に出ないよう細心の注意を払う。

「だったら……」

「でも!」

 カズマ君の力強いその言葉に気圧され、あたしは口を噤んだ。

「……クリスが天界に連れ去られた後、俺の中で何かがすっぽりと抜け落ちた気がしたんです。あまりの喪失感に何とも言えない気分になって……何もやる気が起きなくて……。後からあいつ等に聞いたんですけど、どうも二週間近くずっと部屋の中に籠ってたらしいんですよ。当時の俺は何をしてたんですかね。結果的に何ともなかったとはいえ、エリス様が危険な状態だったって言うのに、我ながらマジで馬鹿な事したなって思いますよ」

 過去を思い出し自嘲気味に笑うカズマ君。

「情けない話、引き籠ってる間の事はほとんど覚えてないんですけど、ずーっとエリス様の事を考えてた気がするんです。一緒に盗賊団なんて馬鹿な事やったなーとか、いろいろトラブル続きだったけど、それでもデートも楽しかったなーとか。なんかそんな感じの事が延々と頭の中でグルグル回ってて……で、まあ思った訳ですよ。やっぱり俺はクリスの事が……エリス様の事がすげー好きなんだろうなー……て」

 横からの日差しがあたし達に向かって降り注ぐ。

 あと数分もすれば山裾に沈んでいく夕日から届く暖かな光。

 でも、彼の顔が一面真っ赤に染まっているのは、きっと夕日のせいではないだろう。

「今回の件で改めて思い知ったんですよ。俺とエリス様とでは立場が全然違って、こうして会話するのだって本当に奇跡みたいなもので、ちょっとしたはずみですぐに壊れてしまうぐらい脆い物だって。でも……俺にとって、エリス様と一緒にいる時間はすっごく楽しくて、これからももっと一緒にいたいと思えるぐらい大切で……どうしても、手放したくないんです」

 そこまで一気に言ったカズマさんは緊張の為に震えた身体を落ち着かせるよう、大きく深呼吸をし始めた。

 何度も、何度も、何度……。

「おえっ、げほっげほごほっ!」

「ちょっ、ちょっと大丈夫⁉ 何度も息を吸い込み過ぎたんだよ、完全に過呼吸になってるじゃない! ほら落ち着いて、落ち着いて」

 慌てて背中を摩ってやると荒い息を這いながらもなんとか持ち直す。

 だが、カズマ君は起き上がる事なくそのまましゃがみ込み顔を膝に埋めてしまった。

 しかし、これは……。

「……我慢しなくていいですよお頭。どうぞ思う存分笑って下さい。相手お勧めの場所で告るだけでは飽き足らず、ここ一番で格好も付けられずダサい姿を見せるしょうもない奴だって笑い飛ばしてください。むしろ変に気を遣われるよりその方が気が楽です」

 ⁉

「し、しょうもないだなんてそんな事ないよ! 一生懸命気持を伝えようとしてくれてる人が失敗したのを笑うなんてそんな失礼な事しないって!」

 噴き出しそうになるのを全力でこらえながら真剣な表情を作る。

 でもカズマ君はただ首を横に振り。

「もういいです。そもそも俺みたいな十把一絡げな冒険者風情がエリス様に告白すること自体が分不相応だったんです。これからはミミズみたいに土の中で暮らします」

 そ、そこまで卑屈にならなくても。

「だ、大丈夫だよ、あたしは全然気にしてないから! ほ、ほら、その後は何を言ってくれるの? なにか格好良い事を言おうとしてくれてたよね? あたし、カズマ君の口から聞きたいなっ!」

 必死の声援が通じたのだろうか、こちらをチラッと覗き込んできたカズマさんにあたしはこくりと頷く。

 暫くの逡巡を経てようやく気持ちを盛り返せたらしく、カズマ君はゆっくりと自力で立ち上がった。

「わ、分かりました。では改めまして……って言われても、もう緊張感も雰囲気もあったもんじゃありませんけど」

「そうだね。でも、これはこれでキミらしくてあたしは好きだけどな」

 ふっと笑いかけたあたしを見て苦笑したカズマさんはふーっと息を吐き、今度はしっかりと眼を見てくれた。

「まあ、そんな訳で。俺はエリス様との繋がりが、誰の眼から見ても強いものだと思われるようにしておきたいんです。すげー自分本位なのは分かってるんですけど、でもこれだけは確実なものしておきたくて……だから、恥を承知でお願いします。お、俺とっ! つつ、つき……つきあっ…………てくれませんか?」

 上擦った声でそう言ったカズマさんは頭を下げ、バッと片手を突き出してきた。

 ……………………。

「二つほど、聞いてもいいですか?」

 ゆっくりと顔を上げたカズマさんはキョトンと首を傾げた。

「……めぐみんの事はどうするつもりなの?」

 あたしの問いにビクッと身体を震わせる。

「め、めぐみんとは……その…………話がついてるというか、つけられたというか。俺に譲歩してくれたって言うのが正確かな……」

「……そっか」

 なるほど、それでさっきの言葉になる訳か。

「キミは本当に愛されてるね。これでもう二度と、彼女には頭が上がらない訳だ」

 思わず苦笑いを浮かべるカズマさん。

 これで大きな問題は一応片付いた。

 …………でも。

「そ、それで、もう一つ聞きたい事ってのは?」

 話を促してくるカズマさん。

 そう、あたしが聞きたいのは……いや。

 聞きたいというより、これだけは確かめなければならない。


「……いいんですか?」


 彼に見詰められる中、あたしはすっと目を閉じて意識を集中させる。

 数瞬の刻、意識が切り替わるのを感じ――

「遥か昔、こことは別の世界で暮らす一人の人間だった頃とは違い、今の私は女神。あなた方人間とは従う法も価値観も異なります」

 目を見開き驚嘆を露わにするカズマさんの前に、エリスの姿で降り立った。

「私は人間が好きです。長い女神生の中で、人として生きていきたいと思っていた時期もありました。そういう理由もあって、時々こうして前世の姿で地上に降りてきたりする訳ですが。でも、女神と言う立場もやっぱり好きで。私はこの仕事に誇りを持っています。ですから、先日のように天界関連の事であなたに迷惑を掛けてしまうかもしれません。お付き合いすると言っても人間同士の場合と同様にはいかないでしょう」

 女神とは、世界を管理する者。

 当然、その伴侶となる者にもそれ相応に重圧な責務という物が発生する。

 それは彼が一番嫌いとする部類の物だ。

 おまけに天界の規則は人間社会以上に複雑で煩わしい。

「私と深い関わりを持つという事は、天界の法律に少なからず関わるという事。それはカズマさんにとってかなりの重荷になってしまうと思います。めぐみんさんやダクネス、アイリスさんとお付き合いするのとは全く異なる生活を送る事になるはずです」

 これを言ったら断られてしまうかもしれない。

 怖気づいて離れて行ってしまうかもしれない。

 それはとても辛いし、正直言って拒絶の言葉なんて彼の口から聞きたくない。

 でも、これを言わない事には、私達は前に進むことも出来ないのだ。

 真剣に私の話を聞いてくれるカズマさんを見据え、

「カズマさんは、それでもいいんですか? こんな私を、受け入れてくれますか?」

 私は胸の前で手を組み、そう尋ねた。

 気が付くと陽の光はとっくに立ち去っており、空にはチラホラと星が照り始めていた。

 だが、空に霞でもかかっているのだろうか。

 その光は何処かぼんやりとしており、淡い光が夜空を柔らかく留めていた。

「前々から思ってはいたんですけど……」

 ぽつりと呟いたカズマさんはふっと笑いを零し、


「エリス様って、結構抜けてるとこありますよね?」


 なっ⁉

「普段は完璧に何でもこなすしっかり者なのに、いつも何処か詰めが甘くて相手に隙を突かれやすくって。他人の事をとてもしっかり見てくれてるようで、肝心な部分だけは微妙にずれた見方をしてて。まあ、そんなところも可愛いんですけどね」

 呆気に取られて口をパクパクさせる私に、カズマさんはひょうきんとして笑いかける。

「俺の事を誰だと思ってるんだ? 我が名は佐藤和真! アクセル随一の冒険者にして、癖のある仲間達を率いる者! 女神の加護を受けし最運の勇者にして、果ては魔王さえも屠りし者!」

 大仰な手振りと共に紅魔族みたいな名乗りを上げたカズマさんは、ちょっと照れたように頭を掻きながら。

「俺がこっちの世界に来て一年半。あいつらが休む暇もなく次々と厄介事を持ち込んでくるんで、もはや俺にとって厄介ごとのある日々の方が日常なんですよ。めぐみんは誰彼構わず喧嘩するは所構わず爆裂魔法を放つは、ダクネスは勝手にクエスト受けては一人で特攻してはあはあ悶えるは。極めつけにアクアなんか、クエストに出ればアンデッドに集られ、街に出れば借金したりあちこちで物を壊したり、屋敷に居たらソファーに根を生やしてダラダラし続けて、時間が来れば飯を寄越せと文句を垂れる。我ながら、ここまでよく忍耐が持ったものだと感心しますよ」

 何度もうんうんと頷き、カズマさんはしみじみと訴える。

「それに比べたら、エリス様が持ってくる天界の厄介事なんか軽いものですよ。勿論これからも義賊活動は協力しますし、何だったら女神の仕事なんかも暇な時なら手伝います。まあ暫くは勘弁願いたいですけど」

 そう言って、カズマさんは私に向き直り。

「これで心置きなく俺とイチャコラできますか?」

 悪戯っ子みたいな笑みを浮かべた。

 …………。

 ……まったく。

 彼はいつだって私の想像を裏切ってくれる。

 本当に、この人はズルい。

「ッ⁉ ちょっ、あ、あの、エリス様⁉」

「どうかしたんですか、助手君?」

 感極まって抱き着いた私に、カズマさんが慌てたように尋ねてくる。

「いや、いやいや、な、なんでいきなり抱き着いてくるんですか?」

「そんなの嬉しいからに決まってるじゃないですか。それとも、私にくっつかれては迷惑でしたか?」

「そんなことないです」

 そこは即答するんだ。

「あ! でも、こんな事して大丈夫なんですか? また天界規定とかを破る事になって倒れたりするんじゃ……」

 私を抱き返そうとした直前に思い付いたらしく、ピタッと腕を止めたカズマさんが不安げな表情を見せる。

 まあ、あれだけの騒ぎを起こした後だから、警戒するのは当然か。

 …………。

「カズマさん、少しの間目を瞑ってもらってもいいですか?」

 彼の温かさから離れるのを少しばかり惜しみながらも、私は彼の胸に手を当て半歩後ろに下がった。

「え? な、何で急にまた?」

「いいから、ほら」

 訳が分からなさそうにしながらも、素直に目を瞑ってくれたカズマさん。

 出会った当初に比べてカズマさんは身長が伸び、今では私との身長差は十センチ程であろうか。

 流石に少し、いや、かなり緊張するし恥ずかしさで一杯だ。

 頬が火照ってきているのを感じるけど、この雰囲気を逃す訳にはいかない。

 ふーっと息を吐いた私は決意を固め、一思いに背伸びをした。

「っ⁉」

 数秒経った処でサッと距離を取る。

「え、エリス……様?」

 唇を手で覆い、闇夜の中で顔を深紅に染めたカズマさんの様子をくっきりと確認して満足した私は、ふふっと笑い。


「この事は、内緒ですよ!」


 イタズラっ子ぽく目を瞑り、人差し指をピッとたてた。

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