第十六歩 声

 10


「生誕祭?」

 え、えーっと、生誕祭ってあれだよね。

 知り合いや友達が集まってその人の誕生を祝うっていう。

 ……で、なんでそれがこのような場所で?

 横断幕を目の当たりにしてもまるでピンとこず首を傾げていると。

「カズマ、やっと来たのか。間に合わないのではないかと冷や冷やしたぞ」

 純白のドレスに身を包み、綺麗な三つ編みの髪を右肩から前で垂らしたダクネスが、ドレスの裾を持って早足で近付いてきた。

「悪い悪い、お頭が屁理屈ばっかりこねるから説得に時間が掛かってな」

「屁理屈ってなに! あたしはただ自分の置かれた立場を鑑みただけで……」

「みたいなことばっかり言うからさ」

「クリスの融通の効かなさにも困った物だな」

「ダクネスまで⁉︎」

 あんまりな言われように抗議したかったが、つい先ほど自分でも反省したばかりなので物申せないのが悔しい。

 やれやれと肩をすくめる二人への不満をあたしは内側に押し込め……。

「あああっ! 私がちょっと席を外してる間に滅茶苦茶食べられてる! あんたいい加減にしなさいよ! それは私が狙ってたんだからね‼」

 突然、アクアさんが大声をあげて駆け出した。

 視線を追ってみた先では、テーブルの上に山と積まれたお皿に取り囲まれ、運び込まれる料理を黙々と口に運ぶ銀髪の幼女が。

 と、別の場所から小さな爆発音が聞こえた。

 そちらにいたのは奇抜なファッションを身に付けた黒髪紅目の集団。

 きっと彼らにとっては日常茶飯事なのだろう、周囲が慌てふためいているのを歓声とでも勘違いしたのか、再び何か詠唱らしきものを始めた。

 そんな彼等を、見覚えのあるシルエットをした、頭部に帽子のアクセをつけた少女が止めようとあたふたしていて……。

「すいません、私もちょっと行ってきますね。あのままだとボッチが瞬く間に半泣きになるのが目に見えてますから」

「ああ、頼む」

 頭を抱えるカズマ君に一言残し、めぐみんはモクモクと白い煙の上がっている場所へと歩いて行った。

 王城の中だというのに自由に動く人もいるんだな。

 て言うか、両方ともあたしの知り合いだった気がする。

「まったく、あの連中は。それよりも、お待ちして……いや、待っていたぞ、クリス。席まで案内しよう」

「あっ、う、うん」

 ダクネスの背を追いながら改めて周囲を見回してみたが、そこにはいろんな人がいた。

 食事を堪能する者に世間話に花を咲かせる者。

 けばけばしい服装をした如何にも貴族と言った人や普段着を着た一般市民、全身鎧で女性に声をかけまくる人など、本当に多様だ。

 だが、中でも一番多いのは……。

「ね、ねえ、助手君。これは一体どういう状況なの?」

「見ての通りエリス様の生誕祭、つまり誕生日をお祝いしてるんですよ。別に改めて確認するほど珍しい事じゃ……もしかしてエリス様、今まで誰にも誕生日を祝われた事ないんですか⁉ …………あの、俺で良かったらいくらでもお祝いしますからね? プレゼント持参でちゃんと行きますからね?」

「ち、違います、違いますよっ! 有難いことに、毎年この時期になると信者の子達が自主的にお祝いしてくれます! だからそんな可哀想な子を見る目で見ないでください!」

 ここ最近は色々あったから、今日が自分の誕生日だってすっかり忘れていたけど。

 でも、そうではなくて……。

「どうして皆さん、声を張って祈りを捧げていらっしゃるのですか?」

 勿論、足を折って手を組み目を閉じるという基本スタンスの人も沢山いる。

 だけど、その人達は基本的に前方の舞台近くで固まっており、それ以外の人はジョッキを片手に肩を組んだり飲み代わしたりしながら、会食用のテーブル付近から叫んでいるのだ。

 そう、それはまるで……。

「ああ、なんか今回は特別仕様だそうですよ。偶には敬虔な信者だけじゃなく、普段は教会にも行かない人達も含めた皆で祈りを捧げようって事でエリス教会の人が計画して、それに乗っかったアイリスが主催と言う形で実現したんだとか。さっすが俺の妹!」

 どうしてキミが自慢げに話すの。

 しかし……。

「私の……信者達が……?」

 普段はあまりこう言った派手な事をしない彼等がどうしてまた。

 それにカズマ君の口振りもどことなくぎこちないし。

「おおっ、カズマ! 遅かったじゃねえかー!」

「どわっ⁉ ……ってダストか、驚かせんなよ。にしても酒臭いな、お前どんだけ飲んでんだよ」

「いいじゃねえか、腰が重い連中をアクセルの街から大量に連れてきてやっただろ、酒ぐらい好きなだけ飲ませろ!」

 ダスト君まで来てるのか。

 既に顔を赤らめ上機嫌に助手君の肩へ腕を回すダスト君に背を向け、あたしはベールを深く被りダクネスの陰に隠れた。

 彼とは一度エリスの姿で対面している。

 バレないとは思うが念には念をと言う事で。

「にしてもカズマ、お前またえらくぶっ飛んだ計画を立てたもんだな!」

「はあ、なにがだよ?」

 面倒くさそうに絡んだ腕を払い距離を取るカズマ君など気にもせず、ダスト君はゴクゴクとシュワシュワを飲み。

「ったは! とぼけんなって、女神エリスの誕生日を祝う為だけにわざわざ世界中から参加者を募るとか、お前ほんとよくやるよなっ! しかも参加費はお前持ちだから飲み食いし放題。かーっ、やっぱ世界を救った勇者様はやることが違うな! 理由はわっかんねえけど、取り敢えず女神エリスに感謝だ‼︎ あと、クリスにも……」

「だああストお前ちょっと黙ろうか⁉」

 続けてあたしにとってなにか大事な事を暴露しかけたダスト君の口を、助手君が慌てて塞ごうとしている所に。

「はあー、ダスト、あんた飲みすぎ。クリスの前では言わないでくれって頼まれてたでしょうに。ごめんね、カズマ。ウチのバカが変な絡み方して」

「リーンかっ! いいタイミングで来てくれた。悪いんだがコイツ引き取ってくれ!」

「なに言ってんだよ親友、俺を邪魔者みたいに言うんじゃふげっ⁉」

 ダスト君の首根っこを引っ張り押し留めた、確かリーンと言った正統派魔法使いの女の子は深々と溜息を吐いた。

「ほんとこのバカがごめん。今日は誘ってくれてありがとうね。それとクリスも……なんでそんな格好を?」

「え、えーっと、気分転換! みたいな? あ、あは、あははは!」

 咄嗟に誤魔化してみるあたしに、リーンさんは怪訝そうな目を向けてきた。

「ふーん。まあ、エリス様は寛大な女神らしいし大丈夫か。実際すごく似合ってるし。そう言えばカズマが言ってたんだけど、今日ってクリスの誕生日でもあるんだってね、おめでとう。折角来たんだから楽しんでいきなよ」

「う、うん、ありがとう」

 いきなりのお祝いの言葉に戸惑ったが、ベールを下に引っ張りながら頷いておく。

 どうやらそれ以上はツッコまないでいてくれるようで、呼吸が出来ないのか顔を青くしたダスト君の首根っこを引っ張り、リーンさんは仲間の元へと帰っていった。

「……な、なんですか?」

 ジトーッとあたしが視線を送っているのが気に掛かったらしく、バツの悪そうにするカズマ君。

 その頬はとても赤く染まっていた。

「ふふっ。いいえ、特に深い意味は」

「だったらその生暖かい視線は止めてください、妙にくすぐったいんですよ。てか、お前もニヤニヤしてんじゃねえ! ほら、あっち行って! そんな気持ち悪い眼で人を見てくるんだったらあっち行って!」

 悦に入ったダクネスに牽制を掛けたカズマ君は肩を切って前へと歩き出す。

 そんな彼の様子にあたしとダクネスは顔を見合わせ、お互いにくすっと笑い合った。


 一歩前へ進む。


「――おや、そこにいらっしゃるのはもしかしてクリス様ですか?」

 横合いから聞き覚えのある声が耳を突いた。

「服屋のお爺さん、いらっしゃっていたんですね。それに他の皆さんも」

 立膝になって祈りを捧げてくれていたのは、アンドールで出会った服屋の店主さん。

 他にも、魚屋のおじさんやホテルのドアマン、庭園の叔母さんなど、沢山の見覚えのある姿が伺える。

 その人達もあたしに気が付き、軽く会釈をしてくれた。

「私共とてエリス教徒の一員、エリス様の為でしたら微力は惜しみませんよ」

 微力だなんてそんな。

 この方々の故郷からこの地まではかなりの距離がある、テレポート代もかなり高額だったはずだ。

「遠路はるばる本当にお疲れ様です。きっと、エリス様もとても喜んでいると思いますよ」

「ありがとうございます。そう思って頂けているのでしたら、この上ない誉れですね」

 本当に、そう思っていますよ。

 そう声を掛けてあげられたらどれだけよかっただろう。

「……しかし、失敗しましたね。クリス様がいらっしゃるのでしたらあれを持参して来ればよかったです」

「あれとは?」

 たった今思い出したかのようにお爺さんは少しワザとらしく声をあげるが、示された物に心当たりがない。

「サトウ様のケープですよ。お預かりしたままご返却が出来ていないままでしたから」

 ああ、そう言えば。

 いけない、すっかり忘れていた。

「ごめんなさい、あの後に私が体調を崩してしまって。それで対処に追われて回収しに行くのを忘れていたんだと思います」

 慌てて頭を下げるあたしに、お爺さんは手を横に振り。

「お気になさらないでください。貴方が無事この場にいてくださる、それ以上に求める事等ございませんとも。では、次の機会が訪れるまで私の方でお預かり致しますので、その時は是非ご来店ください、サトウ様と一緒に」

 チラッとカズマ君の方に視線をやり、お爺さんは優しく微笑んでくれた。

「何をやってるんだクリス?」

「距離が開くと逸れてしまいますよ!」

「うん、すぐ行く! それじゃあ、お爺さん。またいつか」

 ぺこりとお辞儀をしたあたしは駆け足でその場を離れた。


 更に前へと進む。


「――さあ、かけてくれ」

「……ねえ、本当にここに坐っていいの? 明らかに場違いな気がするんだけど」

「なにを遠慮してるんですか、お頭。今日の主役はお頭なんですから、もっと堂々としてていいんですよ?」

 いくらなんでもこの場で堂々としろと言うのは無理がある。

 なんせここは……。

「あっ、クリスさん……ですよね? お待ちしておりました。体調も戻られたようで、健康そうで何よりです。そのエリス様の様な修道服もお似合いですね」

 サッと立ち上がったアイリスがドレスの裾を軽くつまみお辞儀をしてきた。

「イリ……いや、王女様。私なんかがこんなところにいて本当にいいんですか?」

 仮にも一国の王女様が、一介の冒険者に過ぎないあたしの出迎えをするのは立場上まずいのではと思ったのだが、当のイリスは全く意に介する様子もなく。

「そんなに畏まらないでください。大衆の前でもありませんし、普段と同じようにイリスとして接して頂きたいのです。それに、クリスさんは私の大切なお友達ですから、お出迎えぐらいはちゃんとしたくて」

 そんな理由でいいのだろうか。

 でも、王女様本人が良いと言っているのだからあまり深入りしないでおこう。

「アイリス様、それではご準備の程をお願いします」

「分かりました。それではお兄様、私達は準備をしてきますね。クリスさんも、心行くまでお楽しみください」

「おう、頼んだぞ」

 再度お辞儀をしてきたアイリスとダクネスに、カズマ君はサムズアップをした。

 というか、頼んだぞ?

「助手君助手君、二人はなにしに行ったの? また何か企んでるようだけど、危ない事はダメだからね?」

「俺に盗みの片棒担がせてくるお頭には言われたくないですね。そんな警戒しないでくださいよ、大丈夫ですって。アイリスにはこの会を締める挨拶を頼んだだけですから」

 その割には、アイリスが随分と真剣そうな表情を浮かべていたのだが。

「危険じゃないならいいんだけど。あっ、そう言えば助手君、もしかしてあたしが体調を崩した事をイリスに話した?」

 会って直にアイリスが何処かへ行ってしまったので聞きそびれたが、さっき話していた内容に引っ掛かりを覚えていたのだ。

「そう言えばまだお頭には話してませんでしたね。アイリスには出島手続きとか王都へのテレポートとか医者の手配とか、諸々の事を手伝ってもらったんですよ。あの島の病院だと初診で言われた、なんちゃらトロフィーって病気の処置は出来ないらしくて。おまけに夜間に島を出る事も禁止されてたんで、あの時はマジで焦りましたわ」

「ああー、確かあの島は……」

 カズマ君は忌々し気に。

「出島時には必ず、役所で持ち物検査や検診を受けさせる規則があるって警備員に言われたんですよ。なんでも自然保護区内の生物を持ち出してないかとか、余計な菌が付着していないかとか、色々制限があるらしくて。ったく、入島はあんなに簡単だったのに何で帰りだけ無駄に厳重な制度取ってるんですかね? こっちには急患がいたんだから免除してくれてもいいだろうに。お陰でどれだけ時間をロスした事か」

「まあまあ、深夜帯となればそもそも職員は誰もいないし仕方ないよ」

 ブツブツと文句を言う助手君を、苦笑しながらもそれとなく窘める。 

「甘いですよ、お頭。今回は大事にならなくて済みましたけど、本来お頭が診断されたなんちゃらって症候群は、発症してすぐに対応しないと死にかねない即時性の高い病気らしいですから。まあ、今回は誤診だったみたいですけど。それでも白スーツとレインが対応してる間に、俺がヒールをかけまくったりアイギスの中で休ませたりアイリスの剣の鞘を持たせてみたり、色々大変だったんですからね」

「そ、その節はどうもありがとうございました。でも、イリス達には随分と迷惑を掛けたみたいだね。後でお礼を言っとかないと」

「そうしてやってください。アイリスもすげー心配してましたから」

 あたしの無鉄砲な行動で多くの人に迷惑と心配をかけてしまった。

 後でしっかり謝りに行かなくちゃ。

 そんな事を話している間に、どうやらダクネス達の準備が整ったらしい。

『本日の昼の部も終盤に差し掛かって参りました。会場にお越しの皆様はお楽しみ頂けているでしょうか?』

 拡声の魔道具に向かって声を吹き込んだダクネスが登壇し会場中を見渡した。

「よっ、可愛いぞララティーナ!」

「ドレスなんか着てお綺麗ですね、ララティーナ!」

「いいぞ、ララティーナ! もっとやれー!」

 すかさず入る合いの手に、ダクネスは忽ち顔を朱くして肩をプルプルと震わせる。

 か、可哀想に。

『……こ、ここで主催者で在らせられる第一王女アイリス様よりお言葉を頂戴します。お食事を楽しみながらで構いませんのでご静聴頂きますようお願いします』

 アクセルの皆の声援を受けながら恥ずかしそうに舞台袖に引き下がるダクネス。

 それと入れ替わりに皆が見守る中、アイリスが流麗でありながら凛とした佇まいで舞台の中央へと足を運んだ。


 11


『この度は私の突然の招集にも拘らず駆け参じて下さり、ありがとうございます。皆様のエリス様への真摯な信仰心を目の当たりにして、感慨深いものを感じております』

 会場中の注目を浴びながら、それでも臆することなく王族の風格を醸し出す。

『エリス様の恩寵が弱まって約二週間。エリス教の最高司祭様が仰るには、かつてこれ程までエリス様のお力を感受できなかった事はなかったそうです。これはきっと、エリス様の身に何かが起こったに相違ないでしょう』

 ……当たらずも遠からずと言った所だろうか。

 横目でチラッと横にいるカズマ君の様子を確認する。

 しかし彼はあたしの方を決して視ず、じっとアイリスを見守っていた。

 言葉を止めたアイリスは、胸の前で手を組むとすっと目を閉じ。

『エリス様がお困りになる程の事態です、私達人間に出来る事など何一つないのかもしれません。たとえ行動を起こしたとしても、反ってエリス様のご迷惑になってしまうだけかもしれません。それでも私は、これまでずっとお傍にいて下さったエリス様に何かをしたい、ほんの少しでもエリス様のお役に立って今まで頂いた恩恵の感謝を伝えたい。そう思い至り、私はこの宴を企画しました』

 買い被り過ぎだ。

 あたしは決して、アイリスが言うほど優れた女神ではない。

 アイリスの言葉に、いつしかあたしは顔を俯かせていた。

『私が思い付いた事と言えば、日頃から内に募ったエリス様への敬意を、感謝を、そして想いを、言葉に乗せて祈る。ただそれだけです。きっと、私一人の声では余りにも微力でしょう。ですが、この場には皆様がいらっしゃいます。会場中におられるエリス教徒の皆様。そして、この放送をお聞きになられている、王都におられる全ての皆様! どうか私にお力をお貸しください‼︎ そして――』

 会場中に響き渡るアイリスの声。

 その場にいる者は皆アイリスに釘付けになり、黙って見守り続けている。

 僅かに聞こえる咀嚼音など誰も気に掛けない。

『私達の罪を全て許して下さる程に慈悲深く、私達の為に自らを律し日々邁進して下さるエリス様が、ご自身の事も許してあげられるように!』

「えっ⁉」

 バッと顔を上げアイリスを直視する。

 その視線に気付いたらしく、他の人に気付かれないよう自然に顔を向けたアイリスは、悪戯っ子の様な、でも少し寂しそうな、そんな複雑な笑みを口元に浮かべた。

 だがそれはほんの一瞬で、再び真剣な面持ちで睥睨したアイリスは腕を大きく広げ――


『共に祈りましょう、私達がお慕いする女神エリス様に!』


 全ての人の心を揺るがすかのように、力強く懇願した。

 波を打ったようにその声は人々の中に浸透し。

 やがて会場中にいた人々は手を組み、口々に祈りを捧げ始めた。

「エリス様、私は矮小な存在でしか御座いませんが。それでも貴方様をお慕いする気持ちは誰にも負けません。この声が貴方様のお力になりますように」

「ああっ、エリス様! 長い間、難病を患っていた妻が……妻が先日、遂に完治して私の下に戻ってきました。本当に、本当にありがとうございます‼ 今こそ頂いたご恩をお返しする時。貴方様が再びお元気になられますよう、私も全霊をもって祈りを捧げさせていただきます!」


 ――膝を折っている女性プリーストや、むせび泣いている年配の貴族。


「実は最近、詐欺にあって無一文になってしまい……。でも、そんな落ちぶれた俺を彼女は決して見捨てないで、ずっと隣から励ましてくれるんです。こんな素晴らしい恋人と出会う幸運を下さったエリス様には感謝しかありません!」

「若い頃、魔が差して人を殺めてしまった私ですが。今では人々の生活を守る者として、こうして真っ当に生きる事が出来ています。これも全て、エリス様の御名があればこその立場です。罪深い私をその清らかな御心でお許し下さった事、心より御礼申し上げます」


 ――頭を床に擦り付ける年若い青年に、胸に拳を当てた聖騎士風の男性。


「日々の糧を与えてくださり、ありがとうございます。お陰様でうちの娘達がこんなに元気に育ちました。あなた達もエリス様にありがとうっていいましょうね」

「エリスさまー、ありがとー」

「ありがとござます!」


 ――古着を身に纏った奥さんとその子供達。


「そもそもエリス様が裏で頑張ってくれてなかったら、この世界はとっくに滅びてる事だろうしよ。だから、感謝してますよ、エリス様!」

「ホントホント。今のあたし達が無事なのも、エリス様のご加護ってやつなのかもね」

「死んでもあんたに会えるって思えるから、俺は心置きなく命張れてるんだ。もしも会えないなんて事になりゃ未練たらたらで、下手したらアンデッドになっちまうからな!」

「あ、あの、私が祈るというのはお門違いなのでしょうが、もうちょっとお店が儲かるように図らって頂けたらなって……」

「やっぱエリス様がいないと始まんねえよな。てことで、ちゃんと元気になってくださいよエリス様!」


 ――会場中にいる冒険者達までも。


 各々が今思っている事をそのまま言葉にし、祈りを捧げてくれている。

 その想いはどれもが美しく輝いていて。

 なんだかとても繊細でかけがえのない物のように感じて。

 ……………………。

 ……なんだろう。

 皆さんの姿を見ていたら、なんだか胸の奥が暖かくなってきた。

 心が満たされていく感覚と呼べばいいのだろうか。

 この瞬間、この場所で。

 皆さんの声を直接聞けることが本当に、本当に嬉しい。

 不甲斐ない私の為に、こんなに大勢の方が真剣に祈ってくれる。

 女神の力をほとんど失ってしまった私の為に、王都中の人々が応援をしてくれる。

 こんな贅沢な経験、私には勿体ないぐらいだ。

 ………………。

 ……本当に。


 この世界は、なんて素晴らしいんだろう――


「――カズマさん、今日は連れてきてくれてありがとうございます」

 そっと目を開き視線を下ろした私は、隣にいるカズマさんに微笑みかけた。

「近頃聞けていなかった信者達の声を聞けて、お祝いや応援の言葉まで頂いて。これ以上ないぐらい最高の誕生日を過ごす事が出来ました。思わず、もう一度女神に戻りたいなと願ってしまいました。まあ、判決が変わる事はありませんし、逆転生してしまったらこの記憶も消えてしまうんですけど。それでも、私が感じているこの感覚は、私の魂そのものに深く刻み込まれました。例え記憶を失ったとしても、この想いはきっと、私を未来永劫ずっと支えてくれることでしょう」

 カズマさんの前に立った私は一つお辞儀をし、


「この世界の女神になれて、私は幸せです!」


 心からの笑顔を浮かべた。

 私の言葉に、頬を赤らめ呆然と見上げていたカズマさんは、はっとしたように慌ててぶんぶんと顔を振り。

 取り繕ったようにニヒルな笑みを浮かべた。

「その言葉、皆に言ってあげたらどうですか?」

 皆に?

 言っている意味がよく分からず小首を傾げる。

 そう言えば、やけに会場が静かになっていますね。

 先程までは祈りを捧げる声で溢れていたのにどうしたんだろう。

 疑問を浮かべながら、私はカズマさんが親指を指した方へ視線を向けた――

「な、なあ、やっぱりあれって……」

「いやいや、まさかそんな……でも、さっきご自分で……」

 あまり大きくなり過ぎない程度に、しかし確実に騒めき立つ会場。

 この場にいる殆ど全員が一様に動揺を隠し切れない様子で、隣の人と顔を寄せあったり呆然と立ち尽くしていたりしながらこちらに視線を向けていた。

 あれ、この光景には覚えが……。

「ちょっと、アクア! そんな強引に進まないでください。こめっこへのお土産が落ちてしまうじゃないですか‼」

「そんな事言われても。でも、どうしてみんな固まっちゃったのかしら。もしかして前触れもなく石像になる遊びでも流行ってるとか? ……あら? この気配……」

 料理を口に運び続けているアクア先輩とめぐみんさんが人混みを掻い潜って、オドオドしている私の下までやってきた。

 そして、こちらを一瞥したアクア先輩はフォークを私に向け、


「エリス、あんた神権戻ってるわね」


 喧騒がぴたりと止んだ。

 それ程大きくない声だったのだが、その言葉はハッキリと会場中に伝達したらしい。

「……へ?」

 神権が……戻った?

 慌てて身体に流れる魔力に意識を向けると……。

「本当だ、戻ってる」

 えっ、ど、どういうこと?

 私の身に一体なにが起こったんですか?

 なぜこのタイミングで神権が……⁉

「カズマさんカズマさん、エリスってば面白い顔してるわよ。あれで女神だって言うんだから笑いものよね。プークスクス!」

「そう言ってやるなよ、普段お前がする変顔よりははるかに可愛げがあるから良いじゃねえか……っておい! 引掻こうとすんな、お前はネコか!」

 キシャーッと唸り声を上げるアクア先輩を押しのけたカズマさんはズイッとこちらに顔を寄せ。

「ほら、世界中の人があなたの言葉を待ってますよ、エリス様!」

 こ、この人は、私の名前をわざとらしく立てちゃったりして。

 恨みがましく頬を膨らませてみるが、カズマさんは頭の後ろで手を組み嘯いてしまう。

 今一度周囲を確認してみる。

 周囲の人達は私達の動向を固唾を呑んで見守っており、その目には少なくない期待の色が宿っていた。

 これは……誤魔化せないな。

 はあっ、と一つ溜息を吐き、気を改めて舞台の上へと足を運ぶ。

 ダクネスとアイリスさんが嬉しそうに微笑み、手で示した場所に立った私はサッと伊達眼鏡を外し――


「皆さん、今日は私の誕生日を祝って下さりありがとうございます。お陰様で、この通り元気になりました」


 人々を見渡しながら、ふっと微笑みかけた。

 その瞬間、会場中で歓声が沸き上がった。

 熱狂的に私の名前を連呼する人、嗚咽し涙を流す人、恍惚とした表情で一心不乱に手を合わせる人と反応は多種多様だ。

「女神エリス様が王都にもご降臨なされたああああああっ!」

 忽ち湧き上がるエリス様コールを受け、私は苦笑しつつ頬をポリポリと引掻いた。

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