第十五歩 心遺り

 7


 知ってる天蓋だ。


 目を覚まして最初に分かった事だった。

 果てしなく広がる黒い空間に、宙を転々と飛び回る青い結晶体。

 見覚えのあるこの空間を、しかしそれが何処だったかはハッキリと思い出せなかった。

 あたし……何してたんだっけ?

 確かカズマ君に告白して……でも振られちゃって。

 すごく胸が痛かったんだ。

 これまでで一番ぐらい心が締め付けられて、諦めようとして。

 でもやっぱり彼の事が好きで……ああ、そうか。

 煮え切らない彼を見て、なにかが首をもたげたんだった。

 だからあたしは彼にお願いして……。

「…………」

 むくりと上体を起こしたあたしの手は小刻みに戦慄いていた。

 そうだよ、そうじゃん!

 あの時あたしはカズマ君とき、きき、キス……を…………。

「あ……ああ…………あああっ!」

 なんて、なんて馬鹿な事を!

 いくら精神が参っていたとはいえなにしてんだ、あたしは!

 カズマ君にはめぐみんがいるのに。

 告白にだって真剣に答えてくれたのに。

 なのにあたしってやつは……あたしってやつは!

「あああああああっ‼」

「急に叫ぶのは止めろ、煩い!」

 その声にはっと我に返る。

 恐る恐る首を向けた先には、耳を塞ぎとても迷惑そうに眉を顰めるカーラ先輩の姿が。

「か、カーラ先輩⁉ どどど、どうしてここに⁉ あれっ、と言うかここって天界? あたし、いつの間にここへ?」

 すっかり目は冴えたものの置かれた状況がまるで分らない。

 と、カーラ先輩があたふたするあたしに手を翳した。

 すると周囲を橙色の光が取り巻き。

「……脈拍……魔力循環……魂の結合、全て正常か。まあ、寝起きでそれだけ騒げるなら当たり前か」

 どうやら検査魔法を使ったらしい。

 よし、落ち着け。

 とりあえず現状の確認から始めよう。

 まず、身体が元に戻っている。

 ここは天界にある私の仕事部屋で、今は備品のベッドに横たわっていると。

 次に、どうして私が天界に送還されているかだが……これは考えるまでもないか。

 試しに意識を集中させてみるが……駄目だ、誰の声も聞こえない。

 どうやら私は、与えられた神権のほとんどを停止されてしまった様だ。

「取り乱してすいませんでした、カーラ先輩。看病をして下さりありがとうございます」

「警告を齟齬にするから命を脅かされるんだ。お前のように生真面目な奴が法に抗うのは荷が重かったろう。自覚症状が出た時点で諦めればよかったものを」

 返す言葉もない。

 先輩の言うように、倦怠感や熱っぽさと言った初期症状は随分前から現れていた。

 でも、それに気付かないふりをして続行したのは私。

 まったくもって自業自得だ。

 命が脅かされても文句は……命が、脅かされる?

「あ、あの先輩、それってどういう意味ですか? もしかして私、誰かに殺されかけたんですか⁉」

 声を裏返して叫ぶ私に、足を組み膝の上でペンを走らせている先輩は。

「あろう事かあの馬鹿は、魂の在り様を碌に確かめもせずにクリスの滋魂結合率を百パーセントにしやがったんだよ。お前、自分が司ってる物に感謝しとけよ。でなければ十中八九、あいつがやらかした時点で終わっていたぞ」

 背筋が凍った。

 アクア先輩も悪気があった訳ではないのだろう。

 だが神権を殆ど失い、非常に際どいバランスで肉体と魂の結合を維持していたであろうあたしにとって、それは即死級の処置であったことに変わりはない。

 幸運を司っていて、本当によかった。

「雑談はこれぐらいにして、お前の陳情を訊いておこうか。誰かさんのお陰でこの後も余分な仕事が山積しているのでな」

「うっ、お手数をお掛けして申し訳ありません」

 左手に持ったペンをこちらに向け不機嫌そうにするカーラ先輩に私は平謝りをする。

 でも陳情、か。

 …………。


「申し開きはしません。どのような判決であろうと、私はそれを受け入れます」


 青み掛かった黒色の眼を鋭くした先輩と視線が交差する。

 と、書類に目を移した先輩はさらさらと文字を書き連ねた。

「裁判まではこの空間で軟禁だ。希望するなら業務の一部を担えるよう手配しておこう。他に要件があれば、お前の傍付き天使に念話するといい。以上」

 今後の流れを伝達した先輩は部屋の中心に移動し指を鳴らした。

「……なにも聞かないんですね」

 私の言葉に、カーラ先輩は此方を振り返る事なく、

「自身を顧みない狭量な者に感ける時間を、私は持ち合わせていないのでな」

 そんな辛辣な言葉を残して立ち去った。

 ……。

 やっぱり、先輩も怒っていたのだろうか。

 日頃からズバズバ切り込んでくる人ではあるが、何だかんだで甘い先輩がここまで何度も貶める様な発言をするのは初めてだ。

 まあ、今の私には妥当な処遇か。

 自分のお粗末さ加減に失笑していたその時、部屋の中心に再び転移陣が出現した。

「お帰りなさいませ、エリス様」

 訪ねて来たのは、深々とお辞儀をした私の傍付き天使。

「ココさん……。お久しぶりですね」

 私の挨拶から数拍開け、ココさんがゆっくりと頭を上げてくる。

 しかしその視線は私の顔を直視しておらず、口端はぎゅっと結ばれていた。

 押し黙る彼女を、だが私は決して急かさずじっと待ち続ける。

「……エリス様」

「なんでしょう?」

 覚悟を決めたのか、真っすぐ私の眼を見据えたココさんは、

「お話、宜しいでしょうか?」

 強い意志を感じる瞳を前に、私は困ったように笑いかけた。


「――どうしてですか‼」

 激昂したココさんの声が居室に反響する。

「どうして……あなた程のお方が、そのような愚かしい事をしてしまわれたのですか?」

 ぎりっと奥歯を噛み締め、ココさんはなんとか平静を保たせていた。

「ごめんなさい」

 彼女に掛ける言葉が見つからず、私は頭を下げて謝罪する。

 ピタッと、膝の上で震わせていたココさんの手が止った。

「……私は謝罪をして頂きたいのではありません。結果は明白なのになぜ実行してしまったのか。その理由を窺っているのです」

 ココさんは重々しい口調でそんな事を。

 ……言えない。

 まさかダクネスとめぐみんの手前、全力で挑んでいる内に夢中になり、人法の事を半ば忘れていただなんて。

「……分かりました。きっとエリス様なりの熟考あっての事でしょうし、仰りたくないのでしたらこれ以上は伺いません」

 うっ、彼女からの信頼が痛い。

「ですが、せめて減刑嘆願は申請してください。貴方を失うのは天界の損失、それは上層部の誰もが理解しています。今回は初犯ですし、エリス様が情状酌量を主張さえすれば、あの面倒臭がりなカーラ様の事、必ずや略式を一考されます。ですから……!」

 ココさんは優しい。

 法を破った私をこれまで通り敬い、こうして解決策を模索してくれる。

 本当に、私は良い部下に巡り会えたものだ。

「心配してくれてありがとうございます、ココさん。ですが、減刑を打診するつもりはありません」

「どうしてですか!」

 冷静な彼女にしては珍しく、声を掠れさせ目は血走っていた。

 そんなココさんを諭すように、私は優しく語りかける。

「女神とは人が正しい道を進めるよう導く存在です。善行を積んだ者には恩寵と安らぎを与え、悪しき者には天罰と許しを与える。そんな仕事に私は誇りを持っていますし、そう在ろうと精一杯務めてきたつもりです」

 話を遮らず、ココさんはぎゅっと拳を握り締めていた。

「ですが、私は自らの意思で人法に背きました。そんな私にはもう、女神として職務を全うする資格がありませんし、そのつもりもありません。ですから、そんな哀しそうな顔をしないで下さい」

 そう言って、今にも涙を零しそうなココさんに笑いかけた。

「……エリス様のそう言った、ご自身の身を顧みない点は、尊敬できません」

 俯いたままココさんは言う。

「あなたの言う通りかもしれませんね。でも、これが私ですから」

 私の言葉に、サッと涙を拭い立ち上がったココさんは、天使流の完璧な一礼をし、

「エリス様の意思は尊重します。が、まだ納得はしていません。私は断じて、貴方が救われる道を諦めませんので」

 真剣な表情で、そう断言した。


 8


 時間はあっという間に流れ、審判当日。

「――確かに受け取りました。それでは失礼致します」

 ココさんを見送り、私はグーっと伸びをした。

 これで頂いていた仕事も終わりだ。

 何もこんな時まで仕事をする必要はないだろうに、とココさんには半分呆れられたが。

 平常通りの方が余計な事を考えなくて済むので、此方の方がありがたい。

 さて、これからどうしようか。

 託された仕事がない以上、他にやれる事も……いや。

 あと一つだけ。

 もう一度試しておきたい事があるのだ。

 楽な姿勢を取った私はそっと目を瞑り、深層領域に意識を集中させる。

 だが、いくら待っても信者達からの祈りは届かない。

 当たり前、か。

 神権を殆ど失い、いわば女神もどきの様な存在に成り下がった私が、信者達の声に耳を傾けるなど土台無理な話なのだ。

 最後に少しでも彼等の力になれればと思ったのだが仕方がない、潔く諦めよう。

 しかし、これでいよいよやる事が無くなってしまった。

 後は判決が下るのをただ待つだけ。

 私に出来る事など、もう何もない。

 …………。

 なんとなく、部屋の中を俯瞰した。

 よくよく考えてみたら、この部屋を使い始めて結構な歳月が経っているのか。

 この机もこの椅子も、長いこと一緒に働いてくれたんだよね。

 普段から手入れはしているつもりだったが、それでも小さな傷は残る物で。

 表面にそっと手をあて、労うように撫でてあげる。

 思い返せば、これまでいろんな事があったな。

 仕事を始めたばかりの頃は右も左も分からなくてよく失敗して。

 苦しむ人々を思うように救えず眠れない日もあったっけ。

 幸いにも同僚や部下には恵まれたから苦しい時も乗り越えられたし、何人かの先輩とは良い関係を築くことも出来た。

 とりわけ、アクア先輩とはいろんな話をしたな。

 ま、まあ、理不尽に仕事を押し付けてきたり、私の仕事中に隣で漫画やゲームを楽しんだりするから苦手意識はあったけど。

 そんな先輩が面会に来てくれたのは素直に嬉しかった。

 しかも、カーラ先輩に直談判して来るとまで言ってくれて。

 申し出を断った時はあんな真剣に引き留めてくれた。

 色々問題はある人だけど、本当は誰よりも慈悲深く、人の心に寄り添えるアクア先輩の事を、やっぱり私は嫌いになれない。

 先輩と言えば、他の皆は今頃どうしてるんだろう。

 ダクネスは怒っているだろうか。

 めぐみんさんはまた爆裂散歩に行っているかもしれない。

 そして……カズマさん。

 あの人は元気にしているだろうか。

 ちゃんと朝は起きてるかな。

 昼からシュワシュワばっかり飲んでないよね。

 クエストには行って欲しいけど、どうせ面倒臭いとか言ってすぐサボるんだろうな。

 そうだ、今後はもし死んだとしても案内するのは私ではないのだ。

 今までみたいに簡単に蘇生出来なくなるから気をつけるよう、カーラ先輩あたりに言伝を頼んでおこうか。

 勿論、死なないでくれるのが一番なのだが。

 近頃部屋に籠って落ち込んでるって聞いたけど、もう立ち直っている頃合いだろうか。

 私がいない事を寂しがってくれるのは、正直嬉しい。

 嬉しいけど、やっぱり彼にはいつも楽しそうにしてて欲しいから。

 って、私は何を考えているんだろう。

 気が付いたら彼の事ばかり考えているとか、これはかなり重症だ。

 意外と単純な造りだったらしい自分に苦笑する。

 そう言えば、私が倒れたせいで途中までしかデート出来てないんだった。

 しかも動けない私を助ける為に随分と苦労を掛けたらしい。

 我ながら何とも締まらない終わり方だ。

 私との思い出はいい形で締めくくって欲しかったけど、こればっかりはもうどうしようもない。

 本当に、どうしようも……。

 …………。

 背もたれに寄りかかった私は、ぼんやりと天蓋を見上げた。

 黒一色の中に点々と光り輝く小さな結晶体はくるくると自転しており、不規則な軌道を描いている。


 結局、私は何がしたかったんだろう。

 知らない間に成長し、気付いた時には自分でも止められないくらい大きくなっていたこの気持ち。

 何度も理性に訴えかけて、何度も我慢しようと心に決めて、それでも溢れ出てしまったこの気持ち。

 そんな感情に振り回されて、いつの間にかこんなところまで来てしまった。

 後悔はしていない。

 でも、これが正しい選択だったのかと聞かれたら即答できない。

 私自身、自分の事が分かっていないのだ。

 だからいつも漠然とした恐怖を抱えていた。

 信頼を失う恐怖、何を仕出かすか分からない恐怖、先行きが視えない恐怖。

 挙げ始めたらキリがない。

 これだけの恐怖に苛まれながらよく今まで女神業などやって来れたものだ。

 廃業して正解だったかもしれない。

 はあ、最近なんだか悩んでばかりな気がする。

 一体どこをどう間違ってこうなったんだか。

 いや、最初から間違っていたのかもしれない。

 こうしてめでたく破局しているのだから、そう考えても腑には落ちる。

 けれど、ここまでの道筋を振り返ってみても存外悪い気はしなくて。

 揺れ動く気持ちに翻弄されたり悵然させられたり。

 そんな日々を楽しむ自分がいたのは紛れもない事実で。

 ………………。

 ああ、そうか。

 これが私。これが私なんだ。

 喜びや悲しみ、慈愛や嫉妬、恐怖なんかも含めて。

 それら全部まとめて私なんだ。

 ここにきてようやく理解した気がする。

 まったく、こんな当たり前の事を理解するのにどれだけ時間が掛かってるんだか。

 色んな人から頭が固い、融通が効かないと言われるのもご尤もだ。

 今まで散々ダクネスをからかってきたけど、これじゃあ人に言えた義理じゃないな。

 ……でも…………だったら。

 もう遅すぎるかもしれないけど。

 この気持ちは消えてしまうけど。

 最後ぐらい、認めてあげてもいいんじゃないだろうか。

「……カズマさん」

 ボーッと虚空を眺めながら。


「……会いたいなあ…………」


 誰に言うでもなく、ポツリと呟いた。

 その時――


「どもっ、お久しぶりですエリス様!」


 聞こえるはずのない声が、私の鼓膜を震わせた。

「いやー、エリス様の仕事部屋って初めて入りましたけど、なんていうか随分とスッキリしてるんですね。てっきり豪勢な家具やら装飾やらで溢れてるもんかと。あっ、そう言えば前にダクネスが、エリス教は清貧を美徳としてるとか言ってたな。その趣向に合わせてるって事か」

 …………なんで。

「にしても、やっぱりお頭を見てるだけで心が安らぎますね。あいつらといたら、それだけでいつ心労で倒れてもおかしくないですから。流石に慣れてはきましたが、偶にはこうして心のケアをしないと」

 ……どうして。


「どうしてここにあなたがいらっしゃるんですかっ、カズマさん⁉」


 感傷に浸っているのか、しみじみと頷いているカズマさんに私は絶叫を上げた。

「そんなのエリス様が俺を呼んだからに決まってるじゃないですか」

 呼んだ? 私が?

 そんな覚え全くないのだが。

「あれ、覚えてないんですか? ついさっき呼んでくれたじゃないですか。しかもかなりエモいシチュエーションで! 暗い部屋の中、一人物憂げな表情を浮かべる可憐な少女。想いを募らせ悩んだ末、彼女は遂に、今まで誰にも打ち明けた事のなかった本当の気持ちを露わにする……っ! やっべえ、思い出しただけでもドキドキする‼」

 ッ⁉

「エリス様ってばあんな事も言えたんですね。『カズマさん……会いたいなあ』て。なんですか思わず悶え死ぬかと思いましたよもっとください!」

「〜〜ッ‼」

 やだ、恥ずかしすぎる。

 よりによって一番見られたくない場面を一番見られたくない人に目撃されるだなんて。

 声にならない悲鳴を上げた私は顔を両手で覆い、その場に崩れ落ちた。

 そんな私を見てご満悦なカズマさんがとても恨めしい。

「そ、それで、カズマさんが何故ここにいるんですか?」

 なんとか気力を奮い起こした私はスカートを払い、上目遣いにカズマさんを睨んだ。

「いや、ですからエリス様が『カズマさ」

「いいですからっ! それはもういいですから忘れてください‼ というか、声真似上手すぎませんか⁉ 私にしか聞こえませんでしたよ?」

「この世にはとても便利なスキルがあるもんでして」

 確かに、こんな完璧な変声が出来るのはかなり羨ま……って、そうじゃなくて。

「誤魔化さないでください。ここは天界の、それも他から隔離された部屋です。神様だろうとそう簡単に入れる場所ではないのですが?」

 到達経路に見当がつかず、私はカズマさんに怪訝な視線を向けた。

「ああ、はい。送ってもらったんですよ」


 …………?


「カーラとか言う女神様いるじゃないですか。あの人に直談判してここへ転送してもらったんですよ」

 ッ⁉

 この人は何を言っているんだろう。

 いや本当に、この人はなにをしてくれてるんだろう。

「苦労しましたよ……いや、ほんっとうに苦労しました。もう二度とやりたくないです」

「……あの、カーラ先輩に何か言われたんですか?」

 眼が死んでるのだが。

 するとカズマさんは血を吐くように切実に。

「思い出したくもありません……」

「そ、そうですか」

 本当に何があったんだろう。

「って、俺がここに来た方法なんてどうでもいいんです。そんな事よりほら、出掛ける準備をしてください。エリス様に見せたい物があるんですよ」

 気を取り直したらしく、カズマさんがそんな提案を出してくる。

「折角のお誘いですが、私はこれでも軟禁されている身。気軽に外出なんて」

「そっちの許可ももらってきましたよ。ほら、これが仮保釈証明書らしいです、俺には読めないですけど」

 はい⁉

 懐から取り出されたのは一枚の書類。

 そこには神語ではっきりと『仮保証証明書』という文字が。

 カーラ先輩の直筆サインも記入されているし、間違いなく本物だ。

 ……なんというか。

 本当にこの人は毎度毎度、私の予想をはるかに超えてくる。

「仮にも女神様がそんな面白い顔しないでくださいよ。さっ、納得したならちゃっちゃと行きますよ。有効期限も開廷時刻までですし」

 絶句する私の手を取り、カズマさんはテレポートの詠唱を……。

「いや、待って、待ってください!」

 私の言葉に、カズマさんが詠唱を止めた。

「どんな手段を使ったのかは知りませんが、私は懲罰から逃れるつもりはありません。犯した罪は本人が償わなければならない、それが全世界共通の規則です。そして、人々の模範たる私達神々がそれを放棄する訳にはいきません」

 私は繋がった彼の手に自分の左手を重ね。

「ありがとうございます、カズマさん。あなたの図らいはとても嬉しいです。でも、もういいんです。私は貴方から既に十分すぎる程沢山の物を頂きました。女神を辞める前に、こうして貴方の顔が見られて、言葉を交わして……手まで握ってくれて。ですから、カズマさんは私の事は忘れて、皆さんと一緒に楽しんで生きてください」

 カズマさんが安心して帰られるよう、朗らかに微笑んだ。

「…………俺の国には『家に帰るまでが遠足です』っていう有名な諺があるんですけど」

「えっ?」

 いきなりの話に、私は疑問符を浮かべた。

「俺、一つだけ心遺りがあるんですよ。お頭とじゃなきゃ果たせない心残りが」


 手をぎゅっと握り絞めたカズマさんは、実に楽し気に笑う。


「デートの続き、いってみませんか?」


 9


 騙された。

「ね、ねえ……」

「なんですお頭、もしかして歩き疲れました? 分かりますよ、長期間家に引き籠って久しぶりに外へ出たら信じられないぐらい体力落ちてますよね」

「ニートとデスクワーカーを一緒にしないでくれるかな! いや、そうじゃなくて……」

 変な勘違いをしてくる、半歩前を先導している彼に顔を寄せ、

「ほ、本当にこの格好で来ないとダメだったんですか?」

「なに言ってるんですか、お頭はいつだって可愛いですよ。その格好もなんかイメチェンしたみたいで新鮮ですし」

「それはどうもありがとう! でも、服装の話じゃなくて……いや、それも関連してくるんだけどさ。やっぱりこの姿は不味くないですか?」

 両手で胸を指しもう一度尋ねた。


 ――女神の姿で。


 髪を結ったり伊達眼鏡を掛けたりと多少の変装はしているが、こんなもの気休め程度にしかならない。

 クリスの姿になれない今、人目の少ない場所だと言うからついてきたのに。

「大丈夫ですって。聞きましたよ、地上に直接降臨でもしない限り普通の人は神だと気付かないんですよね? 現に誰も注目してないじゃないですか」

「そ、そうですか? いくらか視線を感じるんですが」

 軽く周囲を見回せば、明らかに何人かと目が合い視線を逸らされたのだが。

「それは単にお頭が美人だからですよ。ほら、明らかに野郎の視線が多いでしょう?」

「い、一々からかわないでください!」

「いや、十割本気だったんですけど。まあ多分、さっきからお頭がそうやってキョロキョロしてるからじゃないですかね。もっと落ち着いて下さいよ」

 うぐっ、それはそうなのだが。

 理屈では分かっていても落ち着かないものは落ち着かないのだ。

「それで、どうしてカズマさんは王城に? やけに一般人が多い気がしますが」


 そう、ここは王城。

 この国の首都に位置する、王家の者が住まう居城だ。

 当然、一市民が気軽に立ち入られる場所ではないはずなのだが――


「まっ、どうせすぐに分かりますから黙ってついて来てください。俺を信じろ」

 ここまで胡散臭い台詞もそうそうないと思う。

 私に右手を伸ばしニッと笑うカズマさんにジト目を向ける。

 でも、これは多分どれだけ食い下がっても教えてくれないやつだ。

 私でもそれぐらいは分かる。

 追及するのを諦めた私は溜息を吐き。

「いいよ。助手君の策略に乗ってあげようじゃないか」

 微笑み返した私はその手を取った。


「あーっ!」


 と、廊下の向こうから甲高い声が上がった。

 何事かと思ったら、驚愕の表情を浮かべたアクア先輩がこちらを指差し、

「なかなか来ないと思って探しに来てみれば、カズマったらこんな所でエリスと逢引きしてたのね! 女神たるこの私を待たせておいて何様のつもりよ!」

「しし、してません、逢引きなんてしてませんよ! て言うか大きな声でエリスと呼ばないでください! 誰かに気付かれたらどうするんですか‼」

「そういうエリス様も叫んじゃってますよ」

 カズマさんに窘められ慌てて口を塞ぐ。

 そこに、遅れてやってきためぐみんさんが忌々し気に私を睨み。

「なんですか、人目も憚らず手を握り合うとか私への当てつけですか。あまり調子に乗らないでください、打ちますよ?」

 打つって何を⁉

「ち、違うんです、めぐみんさん! これは別に不純な理由がある訳ではなくて……!」

「そ、そうだぞ、めぐみん! これはただ雰囲気に流されたっていうかここが王城だから貴族っぽい事をしてみたくなっただけで他意はなくて……すいません、なんでもないですすいません」

 見るからに不機嫌になっていくめぐみんさんを前に背筋が凍ったらしいカズマさんが素直に謝罪した。

 勿論、うすら寒い物を感じた私もカズマさんと一緒に頭を下げている。

 人ってここまで威圧感を放てるんですね。

「はあ、もういいです。それよりも、あなたがエリス……クリスでいいんですよね?」

「あっ、はい、そうで……いや、そうだよ。こんな格好こそしてるけどあたしはクリス、ダクネスの親友でキミ達とも懇意にしてもらってる盗賊クリスさ!」

 今更ながらに口調が戻っている事に気が付き、慌ててオフ時の話し方に切り替えた。

「そうですね、それではクリス。集会はとっくに始まっています。ダクネスも待っている事ですし、私達も急いで参加しましょう!」

「ちょっ、ちょっとめぐみん、急に引っ張らないでよ! ていうか、集会? もしかしてやたら人が多いことと関係してるの?」

 あたしの手を引き、さっさと歩くめぐみんに疑問を投げかける。

「カズマに聞いていないのですか? まあ、ここまできたら自分の目で確かめた方が早いですよ。ほら、ここが会場です」

 廊下を折れた先にある、イベント時によく使用される大講堂。

 大勢の人の気配を感じるその会場に足を踏み入れ……。


「エリス様、いつもありがとうございます!」

「陰ながら応援していますよ、エリス様!」

「エリス様にカンパーイ!」

「エリス様ー! 大好きですよ、エリス様ー!」

「エリス様、マジ女神!」


 会場のあちこちから、そんな叫び声が聞こえてきた。

「こ、これは……?」

 目の前で展開する現象が理解出来ず、入口で立ち尽くす私に、

「エリス様、あれ見てくださいよ、あれ」

 後ろから歩いてきたカズマさんはそう言って前方を指差した。

 言われるがままに視線を動かした先には、舞台一杯に銀色の横断幕が掲げられており、葵色の刺繍でこう書かれていたーー


 【女神エリス 生誕祭】と。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る