第十四歩 エール

 5


「どうだった?」

 連日の調査で疲労が溜まっているのだろう。

 腕を目元に乗せてだらんとソファーに寝そべったアクアが、お腹に乗せたゼル帝を撫でながら気怠げに呻いた。

「駄目です、顔すら出してくれません。声自体は届いていると思うのですが」

「以前から引き籠る事はよくあったが、ここまで徹底されたのは初めてだな」

 椅子に腰かけるなり、私は机に突っ伏し、ダクネスは目頭を揉み解した。

「やっぱりね、初めからこうなる気がしてたのよ。……ねえ、もういっそ部屋を襲撃して無理やりにでも外に連れ出しましょうよ」

「それは逆効果だと思いますよ」

「ああ、扉をこじ開けた瞬間に狡すっからい技を使って迎撃してくる様子が手に取るように予想出来るな」

 軽く想像してすぐに思い付いたのか、うげっとアクアは嫌そうな顔を浮かべてそのまま黙り込んだ。

 会話が途切れた途端に、静寂な空気が辺りを漂い始める。

 以前は誰も喋らない時だって心地良かったのに、今はこの空気が苦しい。

「なあ、アクア……めぐみん……」

 と、じっと何かを考え事をしていたダクネスがポツリと呟いた。

「……なんですか」

 なんとなく、ダクネスの物言いに含むものを感じ。

 心持ち身構えながら、私はゆっくりとダクネスに顔を向けた。

 アクアはもう答えるのも億劫なのか、それでもこちらに耳を向ける気配がした。

 するとダクネスはまるで世間話でもするかのように、

「最近のカズマをどう思う?」

 ダクネスにしては珍しく、また随分と抽象的な質問だ。

「どうもこうもないわ。私達がこんなに頑張ってるってのに、あのヒキニートは一人だけ部屋に引き籠っちゃったりして何様のつもりかしら。なにもこんな時にヒキニートの本領を発揮しなくたっていいと思うんですけど」

 アクアがこう愚痴りたくなるのも無理はない。

 ここ数日というもの、アクアは昼夜を問わず何度も天界に足を運び、クリスを救おうと奮闘しているのだ。

 自分がこれだけ頑張っているというのに、当事者のカズマが行動に移さないのだから、この程度の煩わしさを覚えても許されるだろう。

「めぐみんはどうだ?」

 サラッと流そうと思っていたのだが、ダクネスはそれを許してくれないらしい。

 そんなにも私達の両方から意見を聞きたいのだろうか。

「まあ、一蓮托生で進まなければならないこの状況下で、自分勝手に足並みを崩すカズマに思う所がないと言えば嘘になりますね」

「それだけか?」

「……ええ」

 すっと目線を外した私をダクネスはジーッと眺めてきて。

 何かを悟ったように、そうかと呟いた。

「ここ最近、私も考えていたんだ。どうしてカズマは部屋から出てこないのだろうか、何か理由でもあるのか、あるならどうして話してくれないのか。解決法を探る傍らで、そんな事をずっと考えていたんだ」

 ……やる事は私と同じみたいだ。

「そんなの、エリスと二度と会えなくなるかもしれないからでしょう」

「……本当に、それだけだと思うか?」

 ソファーのひじ掛けから怪訝そうに頭を覗かせたアクアを視界の端に置きつつ、ダクネスは言葉を続ける。

「アクアの言う様に、クリスとの再会が二度と叶わなくなるとあの女神に言われた事も大きいだろう。私自身それを認めたくなくて、こうして知恵を絞り策を考えているのだからな。だが、ここ数日のカズマの様子を思い出してみてくれ」

「カズマの様子ねー。えーっと……」

 気だるげにしながらも、ぼんやりとした目で記憶の糸を手繰り寄せるアクア。

 折角なので、私も一緒になって想起してみる。

「これまで一緒に暮らしてきて、私はカズマのあんな姿を一度たりとも見たことがない。寝ても覚めても部屋に籠りっぱなしで広間にも顔を見せず。食事さえも碌にとらないで日々を無為に過ごす。そんな事を繰り返していたはずだ」

 ダクネスの言葉もあって記憶が鮮明に蘇ってくる。

 そう、ここ一週間ぐらいのカズマは……。

「いつもと同じだと思うんですけど」

「ええ、昔から何も変わってないですね」

「うっ」

 自分でも思う所があったのかダクネスは顔をひきつらせた。

「た、確かに一見したら何も変わっていない、変わっていないのだが……その、どこか違うじゃないか。お前達なら分かってくれるだろう!?」

 胸の前で手をワタワタさせ必死に言い募るダクネスを見て、私は思わずぷっと噴き出してしまう。

「カズマは面倒事になればすぐに放り出そうとしますし、保身に回って平気で仲間を囮に使うことすらあります。それでも、どれだけ困難な事でも必ず一度は考えて、なるべく私達の我侭が通るよう協力してくれました。でも、今回はそれがない。あの女神に一方的に突っ撥ねられて以降、まるで抜け殻の様に無気力になっています。ダクネスが言いたいのはそういう事ですよね?」

 私だってカズマともダクネスとも付き合いは長いのだ。

 言葉で表せなくても、ダクネスの思いならちゃんと伝わっている。

「そ、そうだ。分かっているなら不安になる様な真似はやめてくれ」

 ちょっと嬉しそうに顔を赤らめておきながら何を言っているのか。

「自分のせいでエリス様が女神を辞めさせられると知ったから。その重責に圧し潰されてしまったから、カズマは落ち込んでいる。私は最初、そう思っていたんだ」

「『セイクリッド・ハイネスヒール』!」

 突然アクアが魔法を唱えた。

 ダクネスの体が淡く光り輝き、当然の事だが何事もなく収まっていく。

「……なぜ私に回復魔法を掛けたんだ? 私は何処も怪我などしていないぞ」

「普段カズマがあれだけ私の事を雑に扱ってる所を見ているはずのダクネスが、そんな世迷言を言い出したから頭がおかしくなったのかと思って」

 カズマが聞いたら激怒しそうだ。

「と、とにかく、私はあいつに腹を立てていたんだ。いつまでうじうじとしているんだ、なぜ行動に移そうとしないんだと扉越しに怒鳴った時もあった。だが、三日ほど前にふと思ったんだ。もしかしたら私は見当違いをしていたのではないかと。あいつは別の事が原因で部屋から出られなくなったんじゃないかと、そう思ったんだ」

 朗々と語るダクネスの話を、私達は黙って聞き続ける。

「仮にそうだとしたら色々と辻褄が合う。初めからおかしいとは思っていたんだ。あいつはクリスが連行された原因が自分にある事を認めていた。ならば、責任と言う言葉が大嫌いだと豪語しながらも、自分に降り懸かった嫌疑は速攻でなんとかしようとするあいつなら、汚名返上の為に駆け摺り回るはずだと予想していたからな」

 私にもそのような映像がありありと浮かんでくる。

 それは、街の外壁修繕費を稼いでいた時。

 それは、ダクネスが元領主のおじさんに嫁ごうとした時。

 借金を作ったり私達が何かやらかしたりした時だって、あの男は半泣きになりながらも最終的には何とかしてくれましたっけ。

「だから私はもう一度よく考え直してみたんだ。カズマがあのような状態になった直接の原因は何処にあるのか記憶を遡って精査してみた。そして、カズマの態度が明確に変わった瞬間を思い出したんだ」

 そこまで話したダクネスは唐突にすっと目を伏せた。

 先程まではどこかぼんやりしていたダクネスだったが、今はどこか物憂げな、寂しそうな表情を浮かべていて。


 ざわりと、私の胸の奥が騒めいた。


 ダメだ。

 これ以上はダメだ。

 それを認めたら取り返しがつかなくなると脳が警告を発してくる。

 変わってしまうと本能が訴えかけてくる。

 …………きっと、私の直感は外れていないだろう。

 私は紅魔族随一の天才魔法使い、その頭脳から導き出される未来が大きく外れるなんてあるはずがないのだ。

「アクアの発言……ですね」

「……へ、私?」

 間の抜けた声を上げるアクアとは対照的に、ダクネスは力なく頷いた。

「ちょ、ちょっと待ちなさいなっ! 私何もしてないわよ、カズマさんがあんな状態になる様な事にまるで心当たりがないもの。冤罪よ!」

 ソファーの上に立ち上がり必死になって言い繕うアクアだが、そんな事は私もダクネスもちゃんと理解している。

「分かってますよ、アクアは何も悪くありません。ただ、アクアが発した言葉でカズマが勝手に落ち込んでるだけですから」

「そ、そうなの? まあ、分かってくれてるならそれでいいわ。でも、私なにかカズマに言ったかしら。まるで記憶にないんですけど」

 それはそうだろう。

 アクアは別に面と向かってカズマに言ったわけではないのだから。

「あの女神がクリスの罪状を述べた時にアクアは、女神エリスが誰かに好感を抱いている事を仄めかしていました。あの時は気が付きませんでしたが、そこからカズマの様子に変化が起こったと考えるのが自然かと」

 当時の事を思い出したのか、アクアはポンと手を打った。

「確かに言ったわね。でもおかしいわよ。それならハーレム志向の強いあの男は悦びこそすれ落ち込んだりするはずないもの。きっと勘違いよ」

 ……勘違い。

 勘違いですか。

「ちょっ、どうしたのよ二人とも? なんだかすごく辛そうな表情になってるわよ」

 私達を前にオロオロとし始めるアクアに、

「本当に、勘違いだったらどれだけよかっただろうな」

 沈痛な表情のダクネスは自嘲気味に笑った。

「……以前話したかもしれないが、私は幼い頃に母を亡くしてな。母との記憶はもうほとんど残っていないが、当時の私が酷く落ち込んでいたのはなんとなく覚えている。他の事にはなにも手が付かず、部屋から出る気力すら起きないで。ただひたすらに、ベッドの中で一人泣いていたんだ。眠れない夜を過ごしたのも少なくない」

 …………。

「大切な人を目の前で失うというのは心に深い傷を残す。それが、自分の力で解決出来ない事が原因なら猶更だ。自分の無力さを呪い、あの時ああしていればと後悔して。中には心が折れてしまう人さえいるだろう。それ程までに、大切な人を失うのは怖いし、辛い」

 言って、ダクネスはすーっと大きく息を吐き仰いだ。

 そんなダクネスを私とアクアは黙って見守る。

「……なあ、アクア、めぐみん」

 椅子にもたれかかったダクネスは天井を仰いだまま――


「カズマにとって、クリスはどんな存在なんだろうな」


 独り言でも言うかのように、そっと囁いた。

 ガチャリと、ノブが回る軽い音がした。

 私達の視線が集まる中、扉はゆっくりと開かれ。

 ここ最近ずっと姿を見ていなかった、なんだか懐かしさすら覚えてくる人影がのっそりと入って来た。

「カズマ、やっと出て来たのね! まったく、二人がずっと心配してここの所空気がすんごく重かったのよ」

 ゼル帝を抱えたまま、アクアはパタパタとカズマの下に駆け寄る。

 だが、カズマはそんなアクアに一瞥もせず、

「そうか」

 ボソッと答えただけで、のそのそと歩き去るカズマの肩を掴もうとアクアはサッと手を伸ばし……。

「……なによ、女神を前にした態度じゃないわね」

 ゼル帝をギュッと抱きしめ、台所に消えていくカズマを寂しそうに見送った。

 すかさずゼル帝に手をつつかれる様子はお馴染みだが。

 アクアにしては珍しく、途中で伸ばした手を下ろしたのも仕方がない。

 立ち去るカズマの背中からはそれぐらい哀愁が迸っていて。

 少し小突けば簡単に砕け散ってしまうのではと思うぐらいに弱弱しくて。

 無意識の内に、私は自分の手を強く握っていた。


 ……どうすれば。

 どうすればいいのだろう。

 私はこんなにも非力だったのだろうか。

 大好きな人がこんなにも落ち込んでいるというのに。

 ウォルバクの件や爆裂魔法の事で悩んでいた私を救ってくれたあの人が、こんなにも苦しんでいるのに。

 私は、何もしてあげられないのだろうか。

 と、カズマが手ぶらのままで広間に戻って来た。

 相変わらず眼を虚ろにして私達のことなど眼もくれず。

 誰とも視線を合わせないまま私達の前を横切り部屋に引き返そうと……。


「……カズマ、久しぶりに爆裂魔法の特訓について来てくれませんか?」


「「っ!?」」

 いきなりの発言にぎょっとするダクネスとアクア。

 そんな二人を気にせず、ドアに手を掛けて立ち止まったカズマに優しく語りかける。

「ずっと部屋の中ばかりいては身体が鈍ってしまいます。偶には外に出て気分転換でもしましょう」

「…………」

 あと一押しか。

「そうだぞ、カズマ。日の光を浴びて新鮮な空気を吸うだけでも全然違う。嫌になったらすぐ引き返せばいいし、試しに出てみたらどうだ?」

「そ、そうね、よくは分からないけど、これはたぶんお外に行った方が良い流れよ。女神の勘がそうしなさいって訴えかけているもの、ここはめぐみんについて行きなさいな」

 二人共、ナイス援護です。

 固唾を呑んで見守る中、カズマはじっとその場を動かず。

 不意に、何も言わないまま扉を引いた。

 ……駄目か。

 結構惜しいところまで行けたと思ったのだが、やはりそう簡単には……。

「着替えてくる」

「…………へっ?」

 いま、着替えて来ると言わなかったか?

 だがカズマはそれ以上は何も言わず、静かに扉を閉めてしまった。

 ……やったの、だろうか。

 いまいち実感が湧かないのだが。

 扉の前から動けないでいる私の肩に、トンッと手が置かれた。

「ダクネス?」

 私の肩を掴んだまま、視線をあちこち移したダクネスは何かを決心したらしい。

「めぐみん」

 再度ポンッと肩を叩いたダクネスは、私の眼を真っすぐに見て。

「任せても……いいか?」

 若干声を震わせながらも、笑ってそう告げた。

 ……………………。

 酷い顔だ。

 無理しているのが即座に分かる、ダクネスの取り繕った笑顔。

 隠そうとしているのかもしれないが、不安や悲壮感で満ちているのは明白だ。

 そしてなにより。

 澄んだ青色の美しい瞳の中に、深い罪悪感と自身への不甲斐なさが宿っているのが垣間見れた。

 私は自分の手を肩に置かれた手にそっと重ね、

「最善は尽してみます。ですから、ダクネスは後の事をお願いします」

 安心させるように、今できる精一杯の笑顔を浮かべた。

 一瞬言葉を詰まらせたダクネスだったが、頭を小さく振り、

「ああ、カズマをよろしく頼む。ありがとう」

 感謝の言葉を述べながらふっと微笑んだ。

 ……さっきよりは幾分マシですかね。

「で、さっきからアクアはなにをそわそわしているのですか?」

 身体を横に傾け、ダクネスの後ろに声を掛ける。

 するとアクアは一瞬ビクッと震えてから、気まずそうに視線を逸らし。

 だが、最終的にはダクネスの隣にまでやってきた。

「めぐみん、その……私じゃあんまり力になってあげられないけど。でも、やっぱり何かしてあげたいから」

 そう言ってスラスラと詠唱を始めたアクアは私に手を翳し、

「これから歩む貴方の路がどれだけ険しかろうと、選んだ道の先が明るいものでありますように。『ブレッシング』!」

 私の身体を柔らかい光が包み込んでいく。

 光が収まった所で、アクアは心配そうだった顔を引っ込ませ。

「私達はここで待ってるわ。だから、何の心配もしないでいいからね」

 とても朗らかな笑みを見せてくれた。

 その姿はまるで慈愛の女神のようで。

 傷だらけになった私の心を、暖かな温もりでそっと抱き入れてくれた。

「ありがとうございます、アクア。とっても勇気づけられました」

 二人の横を通り過ぎ、部屋の隅に置いてあった装備を身に付けていく。

 一張羅の紅魔族マントをたなびかせ、眼にはバッチリ眼帯を、マナタイト製の杖は今日も鮮やかに光り輝いている。

 最後に、幼い頃からずっと被り続けているハットをギュッと目深に被った。

 丁度その時、廊下をコツコツと歩く音が聞こえ、

「待たせた」

 いつもの冒険者の服装になったカズマが扉を半分だけ開き声を掛けて来た。

 私達が玄関に向かうのを、後ろからダクネスとアクアが付いてくる。

 私の足元をテテッと歩いていたちょむすけが顔を足に摺り寄せ、そのままダクネスに抱きかかえられた。

 この子は、今の事態を分かってるんでしょうかね。

 キョトンとした我が自慢の使い魔に小さく笑いかけ、その頭を撫でてやる。

 玄関口を開けたカズマに続き屋敷を出る前に、もう一度アクア達の方に振り返り。

「では、いってきます!」

 元気よく言った私の言葉に、二人はにっこりと笑い――


「「いってらっしゃい!」」


 その言葉を背に、私は先行したカズマを駆け足で追いかけた。


 6


「――カズマ、一本柱が見えてきましたよ」

 なだらかな丘陵が幾重にも重なる平原地帯。

 それらを見渡せる場所に一本だけ、大きな木が立っている。

 遠方には山脈が連なる壮観なその地に、私達は久しぶりに訪れていた。

「今日はいい天気ですね、まさしく絶好の爆裂日和です」

「ああ」

 ここ数日暖かい日が続いたおかげか。

 平原を薄っすらと蔽った雪がキラキラと反射しており。

 山間から昇ってきた暖かな風は、肩にかかった髪やマントをたなびかせる。

「標的になる様なモンスターは……いませんね。仕方ありません、そのまま平原にぶっ飛ばすとしましょうか」

「そうだな」

 …………。

 チラッと、後ろに佇んでいる、私の大好きな人を流し見る。

 傍から見たら恐らく、カズマは普通に映るのだろう。

 別に体調が悪そうな訳でもなく、特段に上機嫌な訳でもない。

 ただ少しボーっとしているだけだ。

 実際ここに辿り着くまで、街の人から声を掛けられることは無かった。

 だけど、今のカズマの姿を見ていると、何だか胸の奥がキリキリと締め付けられるような痛みを感じる。

 道中ずっと話しかけていたのだが、基本的には黙ったままで。

 精々がああとかうんとか、一言ぐらいしか返してくれず、ほとんど私が一人で話しているようなものだった。

 声にだって全く覇気が籠っていない。

 ほんの数週間前までのカズマだったら、私の発言に呆れたり突っ込んだり怒ったり、そして笑ったりと表情豊かに接してくれたのに。

 …………。

 痛い。

 身が引き裂かれるように痛い。

 ほんのちょっと考えるだけでも身が爛れる程の激痛が走り、涙が溢れそうになる。

 同時に途轍もないほどの恐怖が押し寄せ、頭がおかしくなりそうだ。

 だけど、それ以上に……辛い。

 無気力なカズマを目の当たりにするのが、本当に辛いし、怖い。

 ここまで何もしてこなかった自分を本気で呪いたくなる。

 ……本当に。

 本当に私は、何もすることが出来ないのだろうか?

 この人の為に。

 私が愛してやまないこの人の為に。

 私は……何をしてあげられる?


 穏やかな風が私の頬を優しく撫でる。

 澄み渡った青空は何処までも続き、見ているだけで心が洗われていくようだ。

 あの日と同じように。

 ……………………。

「カズマ」

 平原を一望しながら――


「私はあなたが好きです」


「っ! ど、どうした改まって」

 ビクッと身体を震えさせたカズマは驚いたように、だがそれ以上に困惑した様子で、私の顔を覗き込んできた。

「あの時、あなたが拾ってくれなかったら。私はあの街で路頭に迷い続けていたか、若しくは諦めて紅魔の里に帰っていたでしょう。あなたが言葉を掛けてくれなかったら、傍らにいてくれなかったら。私はあの人と再会する事も、爆裂魔法を見てもらう事も、決別する事も出来なかったと思います」

「な、なあ、本当にどうしたんだ、何でいきなり昔話始めたんだよ? 恥ずかしくなるからやめてくんない?」

 それは無理な相談だ。

「ダクネスの事もそうです。ダクネスが領主と結婚しそうになっていた時、あれだけ頑なに拒絶され、敬遠され、突っ撥ねられたというのに。私達の知らない所で秘かに情報収集をしたり、何かできないかと考えて商品開発に勤しんだり。後から聞きましたが。教会の中で注目を浴びる中、あの領主に向かって啖呵を切り、あまつさえ大金を床にぶちまけてやったそうじゃないですか」

 私がゆんゆんと外からタイミングを計っていた間に、教会の中でそんな事があったなんて思いもよらなかった。

 そんな格好良くておいしい場面に立ち会えなかったのは本当に残念だ。

「セレナとか言った魔王軍の幹部の策略で街全体がおかしくなった時は、私達には手を出すなと止めておきながら、ちゃっかり自分だけは喧嘩を売りに行って。姑息で卑劣で悪辣な方法だったとはいえ、着実に相手を弱らせていって。最後はとんだドスケベになってましたけど。居場所がなくなって落ち込んでいたアクアの仇をしっかりとってくれました」

 こうして懐古してみれば、この一年半というもの、本当にいろんなことがあった。

 そのどれもが濃厚で、一瞬一瞬が煌々と輝いていて。

 いつだって笑顔が溢れていた。

「装備は貧弱でステータスも低く、誇れるのは幸運値の高さだけ。にも拘らず、大物賞金首や魔王軍幹部の討伐は、あなたがいなければ成し遂げられなかったでしょう。何度も簡単に死んじゃうくらい弱くて。ダンジョンで鍛え直して多種多様なスキルを覚えたはずなのに、やっぱり弱くて。そんなあなたが魔王本人をも打倒してしまいました」

 先程から黙っているかと思えば、カズマは耳まで赤く染めて明後日の方向を向き、口元をムニムニと動かしていた。

 何時まで経っても話を止める気配を見せない私に、制止をかけるのは諦めたらしい。

 そして――

「シルビアとの戦いを経て、私が自分の非力さに打ち拉がれていた時。爆裂魔法を封印して上級魔法を習得しようと決心したあの時。私の意に反して、カズマは爆裂魔法を選んでくれました。スキルポイントを全て爆裂魔法の威力上昇につぎ込んで、私の爆裂道を後押ししてくれました。あれだけ中級魔法を取らないかと言っていた癖に、最後の最後で私の気持ちを優先させてくれた、そんなあなたの事が大好きです。あの時の感動は今でも鮮明に思い出せます。本当に……本当に嬉しくて。私の魂の奥底に深く刻み込まれています。この想いは、絶対に忘れません。絶対に……」

 目尻に熱さを感じる。

 気を抜くと溢れかえってしまいそうになるそれを、私は上を向いて全力で我慢した。

「私達が挫けそうになったら、不器用なりにも全力で支えようとしてくれる。例え私達が諦めたとしても、最後の最後まで諦めないで死力を尽くし、最終的には本当に何とかしてくれる。そんなあなたの事が私は、私達は大好きなんですよ」

 正面を見据え、私は杖を持った両手をバッと前に突き出した。

 狙うは雪原から飛び出た大きな岩石。

 ぽっかり抉れた穴より更に奥に位置する、射程ギリギリの距離だ。

「カズマがいてくれたから、私はここまで辿り着くことが出来ました。カズマのお陰で、私は名実ともに最強の魔法使いになれました。私の爆裂魔法の半分はカズマで構成されていると言っても過言ではありません」

「っ!」

 だからこそ……。

「見ていてくださいね。これが今の私が放てる、渾身の一撃です」

 大きくもなく小さくもない、いつも通りの声量で語り掛ける。

 後ろからカズマがじっと見守ってくれているのが、何となく分かった。

 しかし私は決して後ろを振り返らず、ふっと笑みを浮かべて詠唱を開始する。

「太古の真名の名において、原初の力を解き放て――」

 一言一句を丁寧に唱えていく。

 紡がれる言葉に魂を込めて、想いを込めて、魔力を練り上げる。

 やっぱり、私に出来る事はこれしかないのだ。

 朗々と唱えた末、ついに魔法が完成した。


「『エクスプロージョン』ッッ!」


 私の杖の先から強烈な黒色の閃光が迸り、天にも達するのではと言わんばかりの火柱が矮小な岩石に降り注いだ。

 類を見ない程の爆風が生み出され、数刻遅れてやってきた空気の振動は骨の髄まで揺さぶりをかける。

 数百メートル離れているのにもかかわらず熱波はここまで届き、目の前の平原は瞬く間に若草色で染まった。

 脱力感に見舞われた私は何時ものように、仰向けになって地面に倒れる。

 一抹の不安を抱えたまま、頭を動かして木の下を見た。

 そこでは放心したかのように眼を見開き、ジッと爆心地を眺めるカズマの姿。

 何が起こったのか分からないのだろう、カズマはポカーンと口を開いたまま呆然と立ち尽くしていた。

 会心の出来だ。

 図らずも、私はクスリと笑みを浮かべてしまう。

 目を見開いて爆心地を見詰めている、最高に愛おしい人に向けて。

「あなたと一緒に育てた爆裂魔法。あなたがいたから続けられた爆裂魔法。今ではあれだけの完成度で打てるようになりました」

 これまでの事を全部ひっくるめた感謝の気持ちが、どうか貴方に届きますように。

 ニコッと満面の笑みを浮かべた私は、いつもの調子で尋ねた。

「今日の爆裂魔法は何点ですか?」

 愕然としていたカズマは、ゆっくりと私の顔を見る。

 嬉しいような申し訳ないような、そんな複雑な表情で頭をガシガシと掻き。

 そして、憑き物が晴れたようにふっと口角を上げた。

「はあ。ったく、そんなの聞くまでもないだろう」

 未だに狼煙が上がり続ける平原を見下ろしながら、すっかりいつも通りの口調で――

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