第五歩 芽生え

 12


 あれから一週間。

 ちょこちょこカズマ君達とクエストに行ったり屋敷で寛いだり。

 これまでとはまた違う下界での生活を楽しんでいた。

 しかし約二週間も滞在していたとなると、そろそろ本業が心配になってくる頃合い。

 今日辺りに一度、天界に戻っておこうか。

 ぼんやりそんな事を思案しながら、すっかり板についた食器洗いを進めていると。

「おはよー、クリス。朝飯貰っていくな」

 髪をあちこち飛び跳ねさせたカズマ君が台所に入って来た。

「カズマ君、おはよう。もう洗い物始めちゃったから、自分の分は自分で洗ってね」

「ああ」

 欠伸混じりに短く答えたカズマ君は猫背気味な姿勢のまま、ゆっくりとした足取りで広間へと戻っていく。

 その背中に、あたしは一抹の不安を覚えた。

「ねえ、ちゃんと約束覚えてる?」

「約束?」

 ぼーっと中空を見上げたカズマ君はあぁと呟き。

「昼からのあれか、覚えてる覚えてる。正午にギルドで待ち合わせでいいんだよな?」

「その通り。忘れずにちゃんと来てよ」

「はいはい」

 ペタペタと扉に向かいながら、変わらずのローテンションで返事をするカズマ君。

 反応薄いなー。

 これだと本当に来てくれるのか心配になってくる。

 と、入れ違いでダクネスが姿を現した。

 すれ違い際にダクネスは横目でカズマ君を眺め、

「クリス、これも頼む。ところで約束とは何のことだ?」

 使用済みの食器を洗い場にそっと置き、不思議そうに尋ねてきた。

「ほら、今日ってダクネス達が夕方までいないでしょ。だからお昼はギルドで一緒に食べようって話さ」

 ダクネスはお父さんのお手伝いに、めぐみんはゆんゆんと何処かに行くらしく、アクアさんもアクシズ教会へ遊びに行くそうな。

 あたしも午前中は孤児院へ行くつもりなので、屋敷にはカズマ君一人が残ってしまう。

 となれば、カズマ君は面倒臭がって昼食ぐらい平気で飛ばしてしまうに違いない。

 なので、昨日のうちにお昼は外で食べようと誘っておいたのだ。

「なるほど、気を遣わせてすまなかったな。では、カズマをよろしく頼む」

「任せといて。なんなら二人でクエストの一つでも受けて来るよ」

 あれ、軽口で言ったつもりだったけど結構な名案かもしれない。

 家に居てもソファーでごろごろするだけなんだろうし、物臭な彼を外に連れ出すまたとないチャンスではないか。

 クエストが無理でも、教会の掃除とか配給のお手伝いなら短時間で終わるし。

 問題はどうやってカズマ君を誘うかだよね。

 すぐに怠けようとする彼を外に連れ出そうとこの二週間あらゆる手段を講じたけど、有効な手立てがあんまりなかったからな。

 また女神モードでお願いしてみようか。

 でもあれを多用するのも……。

「……なあ、クリス。ちょっと聞きたいのだが」

「ん、どうしたの?」

 耳はしっかり傾けながら、ダクネスが持ってきた洗い物を水で濯ぎ、


「クリスはカズマの事をどう思っている?」


 ピタッとあたしの手が止まった。

 蛇口から流れ出る水の音が、はっきりと台所に反響していく。

「……友達かな」

「本当か? あの男に特別な感情を抱いたりは」

「してないからっ! カズマ君の事は何とも思ってないし、精々仲のいい男友達ぐらいにしか考えてないから‼」

 めぐみんもそうだけど、どうしてそんな質問をするんだろう。

 あたしを警戒対象に入れる必要なんて全くないのに。

 お皿を手に持ったまま慌てて抗議するも、探りを入れる様な視線は尚も続き、

「そうか、ならいいんだ。変な事を聞いてすまなかったな。残りの食器も頼むぞ」

 ほっと息を吐き、いつもの表情に戻ったダクネスは踵を返した。

「いや、別にいいんだけどさ。どうしてそんな事を聞くの? あたしがカズマ君とどうこうなるはずないじゃないか」

 あたしの問い掛けに、扉を開けたダクネスは何故か不安そうな、哀しそうな顔を浮かべ。

「気付いてないならいいんだ」

 そんなよく分からない言葉を残し、扉を閉めた。


 13


「うーん、分かんないな」

 約束より早くギルドに到着したあたしは二人掛けテーブルで頬杖を付き、今朝の一件について考えていた。

 一体あたしが何に気が付いてないと言うのか。

 文脈とダクネスの表情から推測するに、彼女は未だあたしとカズマ君との仲を疑っているのだろう。

 何処をどう曲解したらそんな疑惑が浮上するのか。

 あたしが彼を好きになる訳ないのにさ。

 ダクネスが懸念に思うような行動や態度にも全く覚えがない。

 あたしとカズマ君との間に秘密があるから?

 でも盗賊団をやってるのはダクネスだって知ってるし。

 カズマ君との間にある隠し事なんか、本当にあと一つしかない。

 けどそれも随分前からの話だ、今朝に限って取り立てる必要もないだろう。

「わっかんないなー」

「何がそんなに分からないんだ?」

 後方からの声に振り返ると、目の前が山藍摺で埋め尽くされた。

「思ってたより早い到着だね、カズマ君。いやさ、ちょっとダクネスとの会話で分からない部分があって」

「俺から言わせれば、あいつの言ってる事の半分以上は理解出来ないけどな。したいとも思わないけど」

 気だるげなカズマ君はそう言って向かいの席にドカッと腰かけた。

 机に立掛けられた、本日のセットランチが書かれたメニュー表へ肌理細かな手をグッと伸ばすも、チラッと見ただけで戻してしまう。

「いつもと同じだな。んじゃ、俺はスモークリザードのハンバーグにするか。クリスも注文まだだよな、何にする?」

「そうだね、あたしもキミと同じやつにしようかな」

「了解。すいませーん、注文おねがいしまーす!」

 霞を内包した声で赤髪のウエイトレスさんを呼び止めたカズマ君は手早く注文を済ませていく。

「あと、キンキンに冷えたシュワシュワを二つ」

「かしこまりました。しばらくお待ちください」

 ウエイトレスさんが立ち去る中、あたしはカズマ君にジト目を向けた。

「キミ、まだお昼だってのに二杯も飲む気なの?」

「いいだろ、どうせ帰っても晩飯までのんびりするだけだし。あと、一つはクリスの分だからな」

 ……。

「へ、あたしの?」

「あ、金の心配ならいらないぞ、俺が払うから」

 いや、そう言う問題じゃなくて。

「あたし、シュワシュワ飲みたいなんて言ってないよ。どうして勝手に注文したのさ?」

 趣旨が掴めず、あたしは怪訝な表情で頬杖を付くカズマ君に尋ねた。

 すると、カズマ君はあっけらかんとした口調で、

「だって、俺だけ飲んでたらまたダクネス辺りが煩いじゃん。けど、クリスと一緒だったらその矛先も二つに分かれるだろ」

 つまり共犯者が欲しかったと。

「そんな事にあたしを巻き込まないでよ」

「偶にはいいじゃないっすか、お頭! 優秀な助手を助けると思って」

「おまたせしましたー! お先にシュワシュワお二つでーす!」

 タイミングを見計らったかのようにさっきのウエイトレスさんがジョッキを二本持ってきた。

 一つはカズマ君の前に、そしてもう一つをあたしの前に。

 まあ、二名のお客がいて注文が二つだったら普通そう置くよね。

 ……ここは彼の善意に甘えておくか。

「しょうがないな。まあ、普段はあたしがお願いを聞いてもらってるわけだし、お酒ぐらいなら付き合ってあげよう!」

 ニッと歯を溢したあたしに、カズマ君もしたり顔でジョッキを掲げた。

「そうそう。普段働き詰めなお頭はこんな時ぐらい悩みなんか忘れて羽目を外さないと」

「普段働かない人に言われても心に響かないな」

 ほっとけと苦笑するカズマ君に習って、あたしもジョッキを傾ける。

 それを合図に、ジョッキを勢いよく振りかぶり元気よく叫んだ。

「「乾杯‼」」


 14


 暗闇に満ちた空間に魔法陣を発現させ。

「よしっ、女神業再開といってみようか」

 自宅から仕事場へ転移した私は指をパチンとならし、部屋に明かりを灯した。

 仕事は先取りしているのでまだ余裕はあるはずだが、下界時間にして約二週間。

 天界は時間の流れが遅いとは言え、仕事が溜まるのには十分な時間だ。

 軽くストレッチをしてから椅子に腰かけ。

 必要な書類を机上に顕現させながら、私は軽く念を込めた。

「『ココさん、エリスです。たった今業務に戻りました。死者の案内の引継ぎをしたいので、後で私の部屋まで来て頂けませんか?』」

『お帰りなさいませ、エリス様。畏まりました、十一分後にそちらへお伺い致します』

「『そんなに急がなくてもいいんですよ⁉ お時間ができた時で全然構わな……』切れてしまいました」

 念話の特性上、接続中に相手が会話を中断した場合は波長を合わせ直す必要がある。

 やろうと思えば簡単に出来るけど、追加伝達する程でもないし。

 ……このままでいいか。

「取り敢えず、ココさんを待つ間に紅茶を入れましょう」

 部屋に備え付けてある調理場へと向かい、早速準備を開始する。

 戸棚から取り出したケトルに軟水を注入し火にかけるのと並行して、ジャンピングポットや二人分のティーカップを温めておく。

 ダクネスが言うには、この工程が美味しい紅茶を入れる為にとても重要なのだとか。

 ボコボコと泡立ち始めた所でポットに茶葉を入れ、お湯を一気に注ぎ込む。

 後は抽出されるのを待つだけだ。

 いつも思うが、お湯の流れに沿って茶葉がポットの中を上下に行き来する動きは、眺めていて気分がいい。

 心が落ち着くと言うか、穏やかな気持ちで満たされると言うか。

 本当は女神の力を用いれば、紅茶など五秒と掛からずに用意出来るのだが、これがあるから辞められない。

 と、仕事部屋の方で魔法陣が展開される音が聞こえた。

 恐らく来訪者はココさんだろう。

 いけないいけない、ジャンピングを愛でるのに夢中で時間が経つのを忘れていた。

 仮にも仕事中なんだから、もっとしっかりしないと。

 頭を軽く振ってから、私はトレーに必要な物を乗せ調理場を出た。

「すいません、ココさん。お呼び立てしておきながらお待たせしてしまい……」

 視線を上げてみる机の前には、ラフな体勢で何かの用紙に目を通している、肩まで伸ばした山吹色の髪にすらっとした体型の女性が……って⁉


「カーラ先輩⁉」

「お前はまた面倒な仕事を取ってきたな。本当によくやるよ」


 驚きのあまり小さく飛び上がってしまう。

 反動で食器がカチャカチャッと音を立てたが気にも止めていないのか。

 手に持った用紙を机に放り出し、カーラ先輩はやれやれと肩をすくめた。

 普段通りの先輩の様子に漸く平静を取り戻した私は、机にトレーを置き溜息を吐く。

「いつもお願いしていますが、部屋に来る際は事前に知らせておいてくださいよ。それに書類も勝手に見ないでください」

 すると先輩は人差し指をすっと立て、

「勉強不足なお前に教授してやろう。居室への入退室は所有者の許可が申請されれば事後承諾でも構わないし、他者の物品だろうと手に取る程度なら窃盗とは呼ばない。故に私は問題行動など一切施行していない」

 そ、そう言う意味ではなくて。

「規定がどうの以前に、倫理的に考えて……」

「倫理などと言う主観が多分に含意した抽象的な概念で物事を判断するのは、理知を尊重する我々神が行ってはいけない言動だ。慎んだ方が身の為だぞ。以上」

「……はい、すいませんでした」

 この人相手に弁舌で敵う人など、天界でも殆どいないと言って良い。

 頼もしくはあるのだが、攻撃対象が自分となった時は潔く諦めた方が無難と言うのがここでの常識だ。

「それで、今日はどのようなご用件でいらっしゃったんですか?」

 自分でカップに紅茶を注いでいる先輩に、私は改めて尋ねた。

 因みに、私は紅茶を飲んで下さいなんて一言も言っていない。

 いや、構わないんですけどね。

「誰のせいで私が重い腰を上げてここまで足を延ばしたと思っている……あちっ! お前が連絡を寄越さなかったから、わざわざこれを届けに来てやったんじゃないか」

 翳した先輩の右手に、一枚の書類が出現した。

 突き出された書類を受け取り、取り敢えず中身を確認していく。

 そこには題名も署名もなく、ただ見覚えのある人物名だけがズラリと手書きで記されていた。

「あの……この方達は?」

「フー、察しは付いているだろう、フー、お前の信者達だ。フー、待合室で待機させてるから、フー、早めに裁いてあげなよ」

 ああ、なるほど。

 特定の神の信者になった人の死後は、信仰対象の神が案内する決まりになっている。

 つまり、私の留守中に先輩の下に送られた私の信者達をリスト化した。

 で、いざ渡そうとした段階で、私が帰還した事を知らなかったから自ら届けに来たと。

「連絡が遅れてしまったのは申し訳ありません。ご足労頂いてありがとうございます。でもカーラ先輩って、いつもなら私が伺うのを待っていますよね? どうして今回は先輩から来て下さったんですか?」

 私の素朴な疑問に、チビチビと紅茶を啜っていたカーラ先輩は、

「こちらの空間に用事があったし、偶には忙しい後輩の労働時間減少に協力してあげようと言う先輩の気遣いだ」

「さっきと言い分が若干変わってますよ。本音は何なんですか?」

「ここに立ち寄れば、丁度残業代が加算される時間になるんだ」

 いつもながら、なんて姑息なのだろう。

 システム上、タスクが無くなった瞬間を自動的に就業時間と認定されるので、意図的に仕事を増やし残業代を徴収するのは理論上可能ではある。

 当然そんなズルが出来ないよう、システム設計者も上手い事組み上げているはずなんだけど。

 どんな手を使っているのか、この人は幾度となく所得の増加に成功しているらしい。

「この飲料水は旨いな、風味が何処か茶と近しいが何と言う名前だ?」

 私の呆れた視線など気にも止めず、先輩は興味深げに紅茶の香りを堪能していた。

「自分が関わっている世界の事ぐらい覚えておいて下さいよ。それは紅茶と言って、下界では広く親しまれているお茶の一種です」

「相変わらず、人間は偶に私達の予想を凌駕するような発明をするものだな。……」

「先輩?」

 急に黙り込み私の顔をじっと見つめてくる先輩。

 どうしたのかと首を傾げていると、カップを机に置いた先輩は手をすっと伸ばし、

「あのせんふぁい? どうひて私の頬をふいふいすふのへふか?」

 何故か私は両頬をふにふにと触られていた。

 その問いには答えず、先輩は艶やかな檳榔子黒の眼で私を捉えたまま、徐に顔を近付けてくる。

 深みのある純黒を見ているとなんだか吸い込まれそうに……。

 ……はっ、危ない一瞬呑まれかけた。

 寸手のところで我に返った私は靄のかかった頭を回し必死に抵抗する。

「ひょっ、せんふぁい⁉ 顔、顔が近ひです! このははだと色々まふいです! あの、せんふぁい⁉」

 いくらなんでもこの距離はよくない、すごくよくない。

 あとちょっとで唇と唇がくっついちゃう。

 既に先輩の呼気を肌に感じてるし、これ以上は洒落にならない。

 何とかこの状況を脱出しないと。

 ああでも、変に動いたらそれだけでもう接触しそうだし。

 私、どうしたら?


「エリス様、お待たせして申し訳ございません。先刻仰られた通り引継ぎの手続きを……即刻エリス様から離れて下さいカーラ様!」


 羽を折りたたみ、天使流の完璧な作法で挨拶をしてくれたココさんが、目を吊り上げ特攻して来た。

 ココさんの卒爾の登場でパラライズを喰らったかのように身動きが取れない私に、

「ふむ、どうやら随分と下界での暮らしを堪能してきたらしいな」

 パッと私から離れココさんの突進を躱した先輩はカップを手に取り、何もなかったかのように紅茶を飲み始めた。

 解放された私は一歩後退り手を口に当てる。

「エリス様、お身体に異常はありませんか? この方にセクハラは受けていませんか?」

 ココさんは私を背に庇ってくれながら、先輩に鋭い視線を飛ばした。

「だ、大丈夫ですよ、ココさん! 私は何ともありませんから落ち着いて下さい。そ、それよりも先輩、今のは何だったんですか⁉」

 バクバクとなる心臓を何とか抑えつつ、真意を確かめようと先輩に問い質した。

「ただの健康診断だ。この間来た時かなり疲弊している様だったから、しっかりと休暇を謳歌出来たのかが気になったんだ」

「健康診断をするのに何故あんなに顔を接近させる必要があるんですか、普通に検査魔法を使用すればいいではないですか!」

 ココさんの言う通りだ。

 あんなやり方のせいで変な事を想像してしまったではないか。

 最後の一口を飲み干しカップをトレーの上に戻した先輩は、心持真面目な顔付きで、

「微弱ではあるが、お前から甘い臭いを感知したのでちょっとな」

「え⁉ わ、私、変な臭いとかしますか? いやでも、甘い匂い? それって悪い物なんですか?」

「いいえ、いつも通り嗅ぐだけで心休まる心地良い匂いです」

 ですよね、特段気になるようなものでは……。

「あのココさん、あんまり嗅がれると恥ずかしいので遠慮して欲しいのですが……」

「お構いなく」

 即答して来たココさんに、私は顔を引きつらせそれとなく距離を取る。

 そんな私達など歯牙にもかけず、先輩は指をパチンと鳴らし転移用の魔法陣を作成していた。

「先輩、もうお帰りになられるのですか?」

「これ以上長居すればタダ働きになってしまうからな。それと、明日から暫く休暇を貰ったから、ウチの子を手伝ってやってくれ」

 またですか。

 というか、そんな大事な事を帰り際にサラッと言わないで欲しい。

「分かりました。でも先輩って、つい先日もお休みを取られていましたよね。一体、何処に行かれてるんですか? そもそも、そんな頻繁に休んでいていいんですか?」

「必要最低限の業務は熟しているし、なにより休暇も立派な仕事の一つだ。私の様な女神は特にな。故に咎められる謂れは何一つとしてない。行き先は黙秘する。以上」

 好き勝手に言い残し、先輩は光に包まれ退室した。


「――ですので、近日中に神器が本当にあるのか確かめて来ようと思います」

「捜査が芳しいようで安心しました。その折には、死者の案内はお任せ下さい」

 引継ぎからティータイムに移行し。

 私はこの二週間の出来事をココさんに聞いて貰っていた。

「それにしても、この紅茶は本当に美味しいですね。以前頂いたものよりも風味が濃く感じられます」

 嬉しい感想を言ってくれるものだ。

「ふふっ、頑張って正しい作法を覚えた甲斐がありました」

「香りや味が以前の物と異なる様ですが、茶葉を変えられたのですか?」

 流石はココさん、お目が高い。

「そうなんですよ。屋敷での滞在中に気に入った物を、ダクネスが分けてくれたんです。カズマさんがこれを大層気に入っているらしく、家には常駐的にあるから持って行けと言われまして」

 食後の時間になるとダクネスが全員分の紅茶を入れてくれるのだ。

 しかもこれがかなり美味しい。

 攻撃は全く当たらない癖に紅茶は美味しく入れられるのは、ダクネス七不思議の一つにしっかりランクインされている。

 屋敷での事を想い返していた私に、ココさんは朗らかに微笑んだ。

「下界での話をされるエリス様は、本当に楽しそうですね。ところで、先程から頻繁にカズマさんの名前が出てきますが、彼とは仲がよろしいのですか?」

「ダクネスがいるパーティーのリーダーですし、一緒に盗賊団を組むぐらいには友好的にさせてもらっていますよ。それに、彼は私の正体を知っている唯一の人間ですから、一緒にいると凄く気が楽ですしね」

 まあ、最後のは私の個人的な都合だが。

 するとココさんはからかい口調で、

「それだけ親密な上に秘密を共有している人物だなんて、間違って好意を抱いてしまいかねないですね」

「……え」

「えっ?」

 シンと空間が静まり返る。

 と、カップごとソーサーを机に置いたココさんはとても真剣な表情で佇まいを正した。

「エリス様、もう一度お伺いします。貴方はかの殿方に恋愛感情なる物を抱いてなどおられませんよね?」

「そ、それは勿論……」


 ――抱いているはずがない。


 その言葉は声帯を震わせることなく虚空へと消え去っていった。

 どうしてだろう。

 ついさっき、ダクネスが尋ねてきた時は何の躊躇いもなく即答出来ていたのに。

 今思い返してみても、やっぱり普通に仲のいい男友達ぐらいにしか思えない。

 なのにどうしてだろう。

 ココさんに、好意を抱いてしまうかもしれないと言われたあの瞬間。

 彼の隣を歩く自分の姿が脳裏にパッと描かれた。

 そこに居たあたしは満面の笑みを浮かべていて。

 隣の彼もまたニカッと笑っていて。

 お互いの手を取り合い、歩幅を合わせ。

 ゆっくり、ゆっくりと何処までも歩いて行く。


 とても……幸せそうに…………。


 舞い降りて来た情景に苛まれ、私はココさんがいるにも拘らず両手で頭を抱えた。

 そんな私に、ココさんは普段通りの厳粛な態度で語り掛けて来た。

「エリス様、貴方様も重々承知でしょうが。女神は特定の人間に寵愛を抱く事は、天界規定により禁止されています。これが犯された場合の処置もご存じの通り。どうか、一時の感情に呑まれて短絡的な愚行には走らないで下さい」

「……分かっています」

 ココさんの言葉に、私は弱弱しく返事を返す。

 それを聞き届けたココさんはすっと立ち上がり、頭を下げてきた。

「不相応にも私如きが言を述べてしまったご無礼をお許し下さい。仕事に戻りますので、これにて失礼致します」

 ココさんが転移し、部屋には私一人が残された。

 静まり返った部屋の中、その場を動けないでいた私は暫く経ってから机に向かいあい。

「はあーーーーーーー」

 両手を投げ出し、大きく溜息を吐いた。

 分かっている、ココさんは何も間違っていない。

 私自身、女神になると決心した時誓ったではないか。

 世界中の皆が元気に過ごせるように尽力しよう。

 その為なら何だって我慢してやろうって。

 だと言うのに、ここ最近の私ときたら何という為体だろう。

「……これは、暫くカズマさんに会わない方が良さそうですね」

 下界に降りるのも控えた方がいいかもしれない。

 神器探しも、もっと時間が空いてからにしよう。

 折り合いがついた所で、私はパチンと頬を叩いた。

「よし、考えるのはここまで。張り切っていってみよう!」

 気持ちを切り替え、私は魂の調整作業に取り掛かった――


 ――数時間後。

「エリス様、またカズマさんがいらっしゃったのでご対応お願いします」

「またですか⁉」

 ついさっき決心したばかりなのに、なんで来ちゃうんですかカズマさん‼

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