エリン療養所

 翌日、準備の整った俺たちは、朝食を終えるとそのままクレーメンス伯爵邸を出立した。

 エリンが眠る「エリン療養所」は、このジャスティアの街中にはなく少し離れた郊外に位置している。

 魔物も寄り付かないようにしている街中にこの療養所を作らなかった理由は至極簡単、行えるようにする為だ。

 この世界にある殆どの街の四方には、女神フェスティスの姿に特殊な呪法を施した像が据え置かれていて、それが街への魔物の進入を防いでいる。

 この強力な呪法は街道に設置されている物とは違い、殆どの魔物を寄せ付ける事は無い。

 その代わり、街中ではフェスティスの加護でもあるレベルの恩恵が受ける事は出来ず、魔法や技能スキルと言った特殊な技も使えないんだ。

 一般人にしてみればこれは有難い処置で、レベル保有者の傍若無人を抑止する事が出来、そうでない者たちは安心して暮らせるって話だな。

 その反面魔法による工作やら作業、一部魔術具アイテムも効果が発揮出来ず、特に街中での魔法による治療は不可能と言って良いだろう。

 昏睡状態であるエリンには、生きる為の「延命処置」と目を覚まさせる為の「覚醒処置」が今後とも必要になる。

 それらが魔法に頼る可能性を考えれば、彼女を街中で看病するのには無理があるんだ。

 つまり、エリンの眠る場所までは安全とは言えず、弱くとも怪物が襲って来る可能性も十分に考えられるって事だ。


「みんなとぉ、こうやって歩くのもぉ、久しぶりよねぇ」


「シャルルー様。余り街道を外れますと、何が飛び出してくるか分かりません。お気を付け下さい」


「もぉ……いやねぇ、エリシャはぁ。まるでぇ、エリンみたいなぁ、話し方よぉ」


「し……姉妹なのですから、それは当然です」


「んもうぅ……。普段通りにぃ、話せば良いのにぃ……」


「もう、シャルルー様。ここは屋敷の中ではないのですから、そうはいきませんよ」


 この会話からも分かる通り、街を出て街道を行く俺たちには、クレーメンス伯爵令嬢であるシャルルーとその従者であるエリシャが付いて来ていた。

 いや、一緒に来る事は問題ないんだ。

 エリン療養所の出資は伯爵が行ってるんだから、その息女が赴こうとも一向に問題ない。

 問題なのは……。


「もう、シャルルー。エリシャの言う通りよ。あんまり私たちから離れて、そこの茂みから突然魔物が現れたって助けてやれないんだから」


 マリーシェの言う通り、シャルルーとエリシャは馬車を使わずに徒歩で同行している事だった。

 もっとも、そんな彼女の言い分は。


「ええぇ……。マリーシェまでぇ、そんな事を言うのぉ? もしも魔物が出てきたらぁ、アレクたちが何とかしてくれるんでしょうぅ?」


 と、完全に俺たちの事を信用している口ぶりなんだから手に負えない。

 ……いや、これは俺たちを試しているのか?

 思えばエリンが今の状態になったのも、俺たちの油断が遠因となって言えなくもない。

 だからシャルルーはその汚名を返上出来るように、わざとあんな振る舞いを……?


「……あ。そこに、魔物のしっぽが見えたでぇ」


「えぇっ!? ど……どこですのぉ!?」


「シャ……シャルルー様っ! こ……こちらに早く!」


 なんて思ってたんだが、どうやら単純に天真爛漫なだけだったようだ。

 ……ったく、いくらこの街の近辺には大した魔物は現れないとはいえ、もしかすれば予想外の遭遇や、それこそ人攫いなんかの相手が「人」ならその強さは測れないってのになぁ……。


「……カミーラ、バーバラ」


 俺が小声で彼女達を呼び寄せると、2人は自然な仕草で俺に近付き耳を傾けて来た。


「……カミーラは、それとなく周囲の気配を頼む。バーバラは、もしもの時の為に準備だけしておいてくれ。俺は少し、周辺を見てくる」


 だから俺も彼女達にだけ聞こえる様にそう指示を与え、スッと隊列を離れて1人街道から大きく逸れたんだ。

 こうなったら、少し先行して待ち伏せなんか無いかを探るしかないな。


「シャルルーちゃぁん、エリシャちゃぁん。あんまり離れたら危ないよぉ? 俺がピッタリ警護してあげようかぁ?」


 そして、俺がセリルには指示を与えなかったのはまぁ……こういう事だな。

 彼の場合は、放っておいても俺の意図した様な行動を取ってくれる。

 なまじ下手な指示をすれば不自然な行動になってしまうかも知れないが、自発的な動きならばそれを察知されることは無い。

 シャルルーたちにも……不審者たちにもな。

 勿論、マリーシェとサリシュもそれとなく注意を払ってくれている。

 でもこの2人の役割は、どこに潜んでいるか分からない者たちに気を配るのではなく、正にシャルルーたちの行動にこそ注視して貰いたいんだ。

 魔物や賊の襲撃以外にも、彼女達が怪我をする可能性は幾らでもあるからな。そこに注意して貰いたい訳だ。


「別にぃ、結構ですぅ。……ねぇ、エリシャァ?」


「は……はぁ」


「うぅん、もう。照れちゃってぇ」


 まぁそんな平和なやり取りをしつつ、今回は何事も無く俺たちは療養所に到着出来たんだ。




 療養所は、それなりの規模で運営されている。

 今はエリン一人だけが入院しているが、その後は一般的にも開放して患者を受け入れるつもり……らしい。

 まぁそれも、エリンが快癒するかどうかに掛かっているみたいだけどな。

 ……何故なら。


「おはよぉ、モサ。今朝のご機嫌はぁ、如何かしらぁ?」


「おはようございます、シャルルー様。エリシャ。体調はいつも通りです」


 気軽にシャルルーが声を掛けたのに対し、まるで感情の籠らない抑揚のない声で応えたのは、今現在エリンの世話をしている「モサ=シルビエンテ」だ。

 もう今年で32歳となるらしく、既に3人の子供を育て上げたお母さんでもある。

 短く纏めたブラウンの髪と、それよりも濃いブラウンの瞳。

 特に特徴のある顔立ちではないものの、その抑揚のない声音で十分に個性があると言って良いだろう。

 冷たく感じる彼女の話口調だが、実際の仕事ぶりは丁寧であり、エリンに対してもとても愛情をもって接してくれている。

 眠っている人と言っても、食事を採れば排泄もするし身体も拭いてあげなければならない。

 特にそんな「下の世話」を嫌な顔1つせずに熟してくれるモサの存在は、この療養所に無くてはならないものと言って良いだろう。


「おはようございます、モサさん。それでその…………?」


「ああ、『アル』ですね。彼女なら、今朝も早くからエリンのところへ……」


 モサの返答を聞いて、俺は大きく溜息をついていた。

 それはマリーシェたちも同じみたいで、誰もが苦笑いを浮かべている。

 俺たちは早速、エリンが寝かされている部屋へと向かったんだ。


 エリンは、この療養所に1つだけ作られた個室に寝かされている。

 ちゃんと扉がついていて、扉を閉めてしまえば中の様子を伺い知る事は出来ない。

 これなら私事に干渉される事がなく、ゆっくりと静養出来るってもんだ。

 ……まぁ、今は他に患者もいないんだけどな。


「ちょっと、アル。また変な実験にエリンを使ってるんじゃあないでしょうね!?」


「ちょお、アル? 前みたいに、エリンが変な引き付け起こす様な事は勘弁やでぇ」


 入室一番、マリーシェとサリシュが立て続けに声を上げていた。

 その声音には、どこか諦念じみたものさえ含まれている。


「い……嫌っスねぇ! そ……そんな事、する訳ないっスよぉ!」


 ズカズカと入り込んできたマリーシェとサリシュに眼前で仁王立ちされ、何故だかその少女はすでにシドロモドロになっており、とても先ほどの台詞が偽りではないと言えない程だ。

 マリーシェとサリシュの眼前、そして俺たちの視線の先にはブカブカの濃緑色をしたローブを纏い、サイズが合っていないのかやや大きめの銀縁眼鏡を掛けている。

 短く切った緑色の髪はボサボサに、眠そうに半眼となった瞼の向こうには緋色の瞳が輝いており、気怠そうな風貌と反して彼女の飽くなき探求心を表している様だった。


「そうは言っても、前回ここを訪れた時にも『錬金術の進歩の為』などと言って、何やら怪しい薬を飲ませようとしていたではないか?」


 そんな彼女……「アルケミア=ハイレン」は、カミーラにまで責められて言葉を無くし何故だか後退っていた。

 何とも怪しい人物と言って差し支えないんだが、実はエリンの命運は彼女が握っていると言って良かったんだ。

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