クレーメンス伯爵邸にて

 セリルの練習も兼ねた道中も、いよいよ終わりを迎えた。

 その日の夕刻、俺たちはジャスティアの街に到着したんだ。

 今やこの街を離れて活動しているとはいえ、こうも頻繁に戻ってくれば感慨など微塵も感じない。

 街に入った俺たちは、そのままクレーメンス伯爵邸へと向かった。


 既に幾度も伯爵邸を訪れ、何回もクレーメンス伯と直接会談を行っているからな。


「お、今月も来たな? 伯爵は中においでだ。通ると言い」


 門番とも顔見知りとなり、殆どフリーパスで入ることが出来た。

 一介の冒険者集団と考えれば、この対応は異例と言って良いだろうなぁ。

 まぁそれくらい、この館で俺たちの顔が知れ渡ってるって事なんだがな。

 勿論、勝手に中へと入れるのは館の正面玄関まで。そこに控えている執事を通さなければ、勝手に館内へ入る事すら許されていない。

 ……まぁ「帰郷の呼石」を使った場合はこの屋敷の地下に出現する訳で、この手順もあんまり意味無いんだけどな。


「お待ちしておりました。さぁ、中へどうぞ」


 そうは言っても、だからと言ってそんな手続きを無視して良いのかと言えばそんな事は無い。

 俺が話しかけた執事は驚く事も無く淡々とした口調で、ゆっくりとした動作で俺たちを館内へと案内してくれた。

 ここで「主の都合を聞いて来る」なんて言わない所が実は凄い事で、既に俺たちがやって来たのは伯爵の知る処なんだろう。

 暗人オリオレアを雇い情報網を確立しているのか、はたまたここへ来た瞬間に兵士たちによって伝達されているのか。

 とにかく俺たちは、特に何からも阻害されず伯爵との面談が果たされる事になったんだ。


 この館の主であるクレーメンス伯爵は、まるで王城のそれを再現した様な謁見の間で俺たちが来るのを待っていた。

 入り口の扉から伸びる赤絨毯の向こう……高座たかくらに備えられた豪奢な椅子に彼は腰かけていた。


「おお、待っていたぞ。さぁ、近くに」


 入室した俺たちを見た伯爵は、それは目を輝かせて近付く事を許可してくれた。

 それを聞き俺たちは、静かに頭を下げながら歩を進め少し離れた位置で跪いて礼を取る。

 座する伯爵の左右には、絨毯を挟んで数人の騎士が居並んでいた。言うまでもなく親衛隊長のオネット男爵はじめ親衛騎士団の面々だ。

 彼らは役柄だろう、顔見知りである俺たちであっても決して油断せず、ピリピリとした空気を纏っている。

 ……うん、ちゃんと仕事してるなぁ。


「それでは、早速話を聞かせてくれるか?」


 緊張する俺たちを気にする事も無く、伯爵は俺に話すよう勧めて来た。

 俺たちが此処へやって来たのはそれが目的でもある。俺はこれまでの旅を掻い摘んで話したんだ。

 ……と言っても、わずか1か月程度の行動内容なんて、大きな変化もありようがない。そう長くなる事無く、俺は言うべきことを話し終えた。


「……ふむ。今のところ大きな進展は無しと言う事か。そなたらの年齢や現状のレベルを考えれば、そう短時間で劇的な変化はないと言った処だな」


 それでも伯爵は、そんな俺の話に失望した訳でも飽きている様子もなく、確りと吟味し結論付けているみたいだった。

 伯爵は、俺のを把握している。

 短い話、少ない説明の中からでも、何か引っ掛かる部分が無いかちゃんと精査しているんだ。

 俺の方としても、殊更に伯爵に対して隠し事をしようと言う意図なんて無いけど、それでもなんかが色々とあるからな。

 大した事のない報告でも相手が真剣なら、うっかりとまずい言葉を漏らさないよう緊張感をもって向き合えるってもんだ。

 ただ、今はこれ以上提供出来る情報がないのも事実だ。

 定期報告以上の意味を持たないやり取りは一旦終了した。


「……それで伯爵様。エリンの容体ですが……」


 そして今度は、俺たちの方から気になっている事を質問したんだ。

 俺たちが伯爵に会い情報を提供する見返りに、彼は使用人であるエリンの為に様々な医療手段を講じてくれると約束してくれた。

 俺たちがこの事に気を掛けるのは、至極当然の事だった。


「おお、それよ。そなたの紹介してくれた『錬金術師』なる者は、実に面白い考えと技術を提供してくれておる」


 俺の問い掛けに顔を明るくした伯爵が、やや興奮気味に返答して来た。

 その表情を見れば、俺の教えた錬金術師の村「フェーグの村」から連れて来た人物は、かなり有能だったみたいだな。

 まずは錬金術師である「アルケミア=ハイレン」の事を褒めた伯爵は、そのままエリンの容体まで説明してくれた。

 詳しい内容は直接エリンが安静にしている「エリン療養所」へ向かい確認するとして、大まかな事は伯爵の口より聞く事が出来たんだ。

 それによれば、エリンの状態は以前よりも安定しかなり快方に向かっているって事だった。

 それを聞いた俺たちは安堵し、全員からホッとした雰囲気が流れていた。

 俺たちがどれだけ頑張っても、エリンの容体が急変しちゃあ意味が無いからな。


「では、シャルルーにも顔を見せてやってくれ。あの娘も、そなたたちが来るのを楽しみにしている事だろう」


 最後に伯爵はそう締めくくり、俺たちの謁見は終わりを告げたんだ。




 俺たちはそのまま、クレーメンス伯シャルルーの部屋へと案内された。

 時間を考えれば伯爵令嬢に会うのに適していないが、何よりも当のシャルルーがそれを気にしていないからな。


「アレクゥ! マリーシェ! サリシュゥ! カミーラァ! バーバラァ! ……それからぁ、セリルゥ」


 開かれた扉を潜ると、そこにはシャルルー嬢とその従者であるエリシャが立っていた。

 満面の笑みを浮かべて迎えてくれたシャルルーだけど、俺たちの名を呼ぶときに若干の温度差があったのはまぁ……今となっては定番だ。

 そんな彼女の隣には、姿勢正しく微笑み立っているエリシャの姿があった。


「おかえりなさい、アレク。マリーシェにサリシュ、カミーラとバーバラも。それと……セリルさんも」


 そしてこちらもまた、俺たちに掛ける声には微妙なニュアンスの違いがあった訳だが。


「久しぶりだねぇ、シャルルーちゃんにエリシャちゃぁん! 元気だったぁ?」


 もっとも当の本人はそれに気付いた様子はなく、相変わらずのノリで2人に声を掛けていた。それを見れば、俺たちには苦笑するしか出来ないな。

 シャルルーは伯爵の令嬢であり今更説明も不要だろう。

 間延びしたのんびり口調は相変わらず。

 綺麗な金髪の縦巻きロールも彼女のトレードマークでありその美貌にマッチしている。

 驚きなのは、如何にもお嬢様然としているシャルルーだが実は野外での活動を苦にしない事だった。

 それは以前一緒に旅をした時に把握していた。


 ……まぁ、そのアクティブさが災いして今に至ってるんだけどな。


 そんなシャルルーの隣にいるエリシャは、今昏睡状態であるエリンの妹だ。

 エリンが倒れた時はひと騒動起きたんだが、今は誤解も解けて以前の様にシャルルーの従者として働いている。

 今は動けない姉の代わりを務める為か、少し幼かった彼女は急激に成長し、今や落ち着きも兼ね備えた立派な傍仕えだ。


「それでそのぉ……。こ……今回の旅はぁ、どうでしたのぉ?」


 そんなシャルルーだが、俺たちにこの話題を問い掛ける時はどこか緊張している……期待感を籠めているのが滲み出ていた。

 わずか1月前にも顔を合わせ、その時にも話をしているんだ。大きな変化なんてそうそうある訳がないとはシャルルー自身も理解はしているだろう。

 それでも、それを問わずにはいられないんだろうな。


「いえ、シャルルー様。特に新しい発見や報告はありません」


 シャルルーが期待しているのは、言うまでもなくエリンの事だ。

 眠り続ける彼女の眼を覚ます方法を、シャルルーは期待している。

 そしてそれは、その隣で控えているエリシャも同様だろう。

 だからこそ、俺はハッキリと現実を口にして伝えたんだ。

 下らない言い回しで変な期待感を抱かせる事無く、事実だけを明確にする。

 期待の後に絶望が来れば、そこから立ち直るのには時間が掛る。


「そ……そうよねぇ。そんなにすぐにはぁ、エリンを目覚めさせる方法なんてぇ、見つからないわよねぇ……」


 明らかにがっかりしているシャルルーだが、明確に否を突き付けたおかげで気持ちの切り替えもすぐに出来たみたいだった。


「ではアレクゥ。今日はこの屋敷に留まっていって下さいぃ。明日はぁ、エリンの所に行くのでしょう? わたくしもぉ、同行しますのでぇ」


 気分の切り替えが早いシャルルーは、悪戯っぽい笑顔を湛えて俺にそんな提案をしてきたんだ。

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