裸の戦士たち
今回マリーシェたちが不意を突かれて襲われずに済んだのは、間違いなくセリルの手柄だろう。
……もっとも、そこに至った経緯には非難も多いだろうことは間違いないけどな。
それにも拘らず当のセリルは完全に伸びて、川岸に横たわりピクリとも動かない。
それを横目で見ると何だか悲しい気持ちになると同時に、俺もああなるのではないかと恐怖すら感じていた。
「う……うおおおぉぉっ!」
そんな思いを吹き飛ばすように、俺は3体のリーチシェルを相手取り剣を振るっていた。
レベルとしては魔物の方が格下だが、なんせ3体も同時だからな。
今の俺には、ハッキリ言って荷が勝ちすぎる。
倒す事も不可能じゃあないだろうが、こちらの疲労とダメージは無視出来ないものになるだろうな。俺はもう、以前みたいな強さを持っていないんだから。
今の俺に出来る最善の行動は、とにかくリーチシェルをこちらへ引き付けマリーシェたちが武器防具を手にする時間を稼ぎ、準備が整ったら一斉に始末する! これしかない!
幸い、リーチシェルの事は良く知っている。その攻撃方法や特徴もな。
リーチシェルは軟体性のモンスターで、巨大なヒルと言うのが一番シックリくるだろうか? 基本的には獲物に吸い付き、その血液やら体液を吸い尽くす怪物だ。
軟体質のその身体には殆ど肉は付いておらず、その構成は魔法生物「スライム」やら「ジェル」と似ているだろう。
だから、斬ってもダメージは低く、その跡もすぐに消え失せてしまう。
「うおっとっ!」
リーチシェルの特殊攻撃「唾液」を、俺は間一髪で躱した!
リーチシェルは動きは愚鈍だが、その口腔からは様々な状態異常を引き起こす唾液を吐きかけてくる。
毒、麻痺、腐食、酸……とにかく、浴びてしまうと厄介極まりない症状が即座に発症するんだ!
だからこいつらと対する時は、決して奴らの体液を浴びちゃあいけない! 浴びちゃあいけないんだけど……。
「ぐっ! しま……っ!?」
さすがに三方向から吹きかけられれば、全てを躱すなんて今の俺には不可能だ!
1匹のリーチシェルが放った「酸の唾液」を、俺は右足
でも、ここが川の中で良かった。
俺は即座に右足を折ると、とりあえずの処置として掛かった唾液を洗い流したんだ。
お陰で受けたダメージは低く、唾液を被った部分が少し火傷をしたように感じるだけだった。
これなら、まだまだ動くことが出来る!
「はぁあっ!」
そして俺は、1匹のリーチシェルに大上段から斬りかかった!
体の大部分が軟体質とはいえ、中枢となる部分が確かにあるんだ!
そこを狙えば、流石のリーチシェルでもただじゃあ済まない!
最も分かりやすく狙いやすい頭部の眼の位置を狙い、俺は剣を振り下ろした!
動き自体は緩慢なこの魔物の急所を狙う事は、それほど難しくはない。
注意すべきは、カウンターで唾液を食らうくらいだな。
「グッキュルル―――ッ!」
奇妙な悲鳴を上げて、剣の一撃を頭部に受けたリーチシェルが後退する!
明確な意思を感じさせる怪物ではないが、苦痛を感じて本能的な恐怖から逃げようとしているんだろう。
俺は止めとばかりに追撃を掛けようとした……んだが!
「がああっ!」
その直後、背中に激痛が走ったんだ!
1匹に拘り過ぎて、つい他の2体への注意が疎かになっちまった!
俺が突出した分、背後に回り込む形となったリーチシェルから、何かしらの唾液を吹きかけられたんだ!
直感的に、俺はその場で転がった! まずは、洗い流すことが先決だ!
しかし、さっきの「酸の唾液」とは違い、背中に付着したものには何かの効果が含まれているみたいだった。
……背中が……引き攣る。
麻痺か……毒か?
とにかく、動きに支障を来す様な効果がじわじわと広がっているのが分かった。
このままじゃあ、すぐに碌な動きが出来なくなっちまう!
……一気にやるか!?
こんな所で、こんな怪物にやられるなんて、まっぴらゴメンだ!
俺は腰の道具袋へ手をやり、「リヒトの小薬」と「マチスの小薬」を指先で確認した。
「リヒトの小薬」は攻撃力を、そして「マチスの小薬」は瞬発力を一時的に増大させてくれる薬だ。
これらを飲めば、時間を掛けずに残りのリーチシェルを仕留められる。
まぁその反動で、当分は動けなくなっちまうだろうが……。
でも、こんな所で朽ち果てるよりはましだな!
俺は意を決してそれらを取り出し、一気に飲もう……って考えたんだが。
突然、俺の目の前にいたリーチシェルが上下に……分断された!
悲鳴を上げる間もなくそのリーチシェルは絶命したのか、力が抜ける様にドロッとしたその身体を水中に沈めていく。
「カ……カミーラッ! そ……そんな格好で……!」
だんだんと意識が怪しくなってきた俺の眼には、剣を横なぎに払った姿勢のまま立っているカミーラの姿が映ったんだ!
でもその恰好……身体には、布一枚羽織っちゃいない! 水浴びをしていた姿のまま、剣だけを握って参戦してくれたんだ!
ただしそれは、とても褒められたことじゃあない! 何故なら……。
彼女の身体の数か所から、その身を焼く煙が細く上っていたんだ!
リーチシェルの体液には、唾液と同じ成分が含まれている。
唾液ほど纏まった量を浴びる事は少ないものの、斬りつけたり打撃を与えればその体液を浴びる事だって少なくない。
本来それらは、衣服や防具で防がれてダメージを受ける事なんて考える必要はないだろう。
でも一糸纏わぬ姿でいれば、何処かにその体液が掛かっても不思議じゃないんだ!
「やぁっ!」
俺が呆然とカミーラに見入っていると、後方からはマリーシェの放つ裂帛の気合が聞こえて来た!
肩越しにそちらを見れば、やはり素っ裸のマリーシェがもう1体のリーチシェルを屠っていたんだ!
「あつ……」
そしてそんな彼女からも、幾筋か煙が上がっている。
唾液を吹きかけられるよりも効果は遥かに少ないだろうが、それでも酸性や毒の体液ならばその身を焼き痛みを感じるだろうし、麻痺性ならば引き攣った感覚に襲われる。
「……馬鹿! な……何してんだ!」
ハッキリ言ってこの行為は、冒険者としては余りにも無謀だ。
だから俺の言葉に棘が含まれていたって、それは一向に間違いじゃあない! ……んだが。
「……集え氷霊。……その凍てつく檻は、何人も捕らえて逃さず。……
そんな俺の文句など誰一人聞いていないかの様に、全裸の彼女達は粛々とリーチシェルを駆逐していく。
サリシュの唱えた魔法で出現した氷の壁により、俺に手傷を負わされ逃げ腰だった最後の怪物もその逃走経路を防がれ慌てふためいていた。
そこへ!
「……はぁっ!」
バーバラが、手にした愛槍で目にも止まらぬ連撃を食らわせたんだ!
まるでリーチシェルの身体をハチの巣にするかのような連突は、その内の数撃が怪物の本体を捉えており、ほどなくして他の個体と同じ状態となり……死滅した。
そんなバーバラの身体からも、やはり体液を所々数滴浴びたのだろう、身を焼く細い煙が揺蕩っていた。
「ば……ばか……やろ……」
そこまで確認して、俺はそのまま意識が急激に遠ざかっていくことを感じた。
そして今の俺には、その誘惑に抗う力なんて残っていなかったんだ。
俺の作戦は、マリーシェたちが武器防具を装備し合流するまで持ち堪える事。
そういった意味では、俺は目的を達したと言って良いだろう。
でも実際の俺は窮地に立たされていたし、もしもマリーシェたちが防具まできちんと装備していたなら、もしかすればやられていたかも知れない。
……まぁそんな危機的状況だったなら、俺は迷わず小薬を使用していただろうけど。
それを考えれば、マリーシェたちが武器だけを手に加勢した事には感謝している。
でも俺には、それを諸手を挙げて喜ぶなんて出来なかったんだ。
実際に俺は目にしたんだ。……彼女達の身体に傷を負うのを。
こんな事は今更だ。
今更彼女達が傷を負った処で、だから何だって言うんだ?
冒険者であり、怪物や時には人と争うだろうし、その過程で怪我を負うのは然して珍しい事じゃあない。
……いや、必然と考えるべきかも知れない。
なのにあの時の俺は、マリーシェたちに傷を負って欲しくなかった。
これは……エゴだろうか?
それとも、俺の中で心境の変化でもあったか?
そんなくだらない事を考えながら、俺は深い深い眠りについていたんだ……。
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