無残に……散る
気配を偽り周囲の自然と同化したセリルが、ゆっくりと慎重に歩を進める。
そのすぐ後ろで俺は、気配を可能な限り消し去って奴に続いていた。
まさかセリルが―――己の欲望を達成するために―――これ程の技能を身に付けていたとは……驚きの限りだ。虚仮の一心……とは良く言ったものだなぁ。
俺は半ば呆れながら、奴の技術に感心しつつ興味を抱いていた。
気配を隠す方法としては、可能な限り低く抑えて薄める事が望ましい。そうすれば相手に気付かれる確率がグンと下がるからな。
でも場合によっては、こうやって気配を偽る様な技法も非常に有効だろう。
特に街中やこういった森の中では、そっちの方がむしろ不自然じゃあない。
セリルよりも長く生きて多くの経験を積んで来た俺だけど、未だに彼らから気付かされる事があるなんて……本当に世界は広く、俺の知らない事が山とあるんだなぁ。
スッと手を上げて、後方の俺にハンドサインで停止の指示を出すセリル。俺もそれに従い、歩みを止めて更に身をかがめる。
気づけば、かなりマリーシェたちが水浴びをしている場所に近づいていた。それが証拠に。
「なっ……! ちょっと、マリーシェ! どこを触っているのですか!?」
「えぇ―――? 良いじゃん良いじゃん。カミーラはスタイルが良くて羨ましいなぁ」
「も……もう、マリーシェ!」
「それやったら、バーバラの胸かて魅力的やでぇ。えぇなぁ……」
「……すみません、サリシュ。……突っつかないで下さい」
女性陣のキャッキャとした楽しげな声が、もうここまで聞こえて来ているんだからな。
そんな声を聴いてしまえば、俺としても緊張感を抱かない訳にはいかなかった。
15歳前後の少女たちは、精神的に30歳を超えている俺からすればまだまだ子供だ。……まぁ、今は俺もその15歳な訳だが。
ともかく、そんな少女たちに欲情するってのは俺の中ではあり得ない。
俺の好みは、少なくとも22歳前後の女性であり、今のマリーシェたちは娘……とまではいかなくても姪っ子くらいにしか思えないんだ。
だから覗きと言う行為にムラムラとしているものとは少し違う。今でも、出来る事なら引き返したいくらいだ。
ただそんな理由とは別に、異常なほど集中力を発揮して驚く様な能力を見せるセリルと、もしも見つかればただでは済まないと言う恐怖……。
これが今の俺に、普段の戦闘よりも更に緊迫感を齎していたんだ。
中腰となったセリルは、無言で慎重に進んでゆく。
その姿はまるで……獲物に襲い掛かる間際の野生動物だ!
そしてその行動に併せて、マリーシェたちの声もだんだん大きくなってゆく。
覗きの趣旨としては、彼女達の姿を確認し且つこちらの存在を知られない距離を確定する……だろうか?
出来るだけ、可能な限り接近する……この距離や位置の見極めを突き詰める事が最も重要となるのは言うまでもない。
いまだ……姿までは確認出来ない。
いや、もしも視界が開けていたとしても、ここからでは確りと姿を確認するまでには至らないだろう。
それでは、セリルが危険を冒してまで覗きをする意味がない。
「……!?」
セリルの動向に注意を払っていた俺は、突然彼が気配を蔑ろにした事に驚いた!
ここまでこれ程慎重に事を進めて来た彼にしてみれば、余りにもそれは無防備な行いだと思わざるを得なかったんだ。
「……セリル?」
俺は可能な限り小声で、その疑問を口にしようとした……んだが!
「やばいっ!」
突然立ち上がったセリルは、一言それだけを口にすると駆け出したんだ!
しかもその方角は……マリーシェたちが水浴びをする方向だ!
「ちょ……おま……セリルッ!?」
俺は余りの事にそれだけを口にし、思わずセリルの後へと続いた!
前を行くセリルは先ほどのよりも緊張を高め、でもさっきのものとはまるで違う切迫感さえ纏っていたんだ!
それで俺は、彼の目を向ける先へと視線を合わせた!
今のセリルは邪な考えではなく、それとは違った考えで動いている!
……即ち!
「マリーシェちゃん! サリシュちゃん! カミーラちゃん! バーバラちゃん!」
彼女達に近付きながら、セリルが大声で4人に呼び掛けた!
勿論それは、欲情して我慢の止められなくなった男の情けない声ではなく注意喚起を促すものだ!
そして俺もそこへきて、漸くセリルが何を見てこんな行動を起こしたのかを理解していた。
マリーシェたちに声こそ掛けなかったけど、俺も抜刀してそれに備える。
下流より、数匹の怪物が蠢き少女たちに近づいていたんだ!
しかも具合が悪い事に、その怪物たちが接近して来たのは彼女達が武器防具や着物を置いている付近からだった。
これではもしもマリーシェたちが怪物に気付いた処で、すぐに戦闘態勢なんて取れない。
これは正に、セリルの英断だったと言える! ……んだが。
「セ……セリル―――ッ!? あんた、何考えてるのよ―――っ!」
彼の行為も普段の行いが影響したのか、残念ながら覗きの延長と、それを見て嬉々とした哀れな男の行動としてしか見て貰えなかったようだ……。
「いや、ちがっ……ヘブッ!」
颯爽と現れたセリルだったが、その事を説明する前に一瞬で詰め寄られたマリーシェの右拳をもろに受け、大きく吹っ飛ばされていたんだ!
ここが街中だったなら、彼女の攻撃もそれほどのダメージを与えることは無い。セリルも吹き飛ばされる様な事は無かっただろう。
でも残念ながらここは、女神さまの加護が届かない街の外だ。
レベル差は如何ともし難く、その結果は如実に反映される。
つまりセリルは、マリーシェの攻撃により吹き飛ばされ……気絶していた。
「ア……アレクまで、何やの!? もしかして、セリルと一緒に……!?」
そして俺の姿も認めたサリシュが、驚いた顔で絶句する。
それはカミーラやバーバラも同様だった……んだが。
「違うっ! モンスターだっ!」
俺は疑惑の眼が俺に集中する前に、すでに抜刀した剣で下流の方を指し示した。
そこには水に同化して分かり難いものの、軟体性の怪物が数匹確認出来たんだ!
「あ……あれは!?」
「……あれは……リーチシェル!? ……こんな所にまで……現れるなんて」
その怪物を目にしたカミーラは疑問を浮かべ、それにバーバラが的確に答えていた。
そう……まるで透明な巨大ナメクジのその姿は、間違いなくリーチシェルだったんだ!
リーチシェルは、この山でも生息を確認されている。
でも最新の情報だと、それはこの「ぺルティア山脈」でも北側に当たるもっと山奥での事であり、比較的山の入り口である南側での観測は今までには無かった筈だった。
だからこれは油断と言うよりも、運が悪かったと言って良いだろう。
そして運が良かったと言えば、たまたま覗きに来ていたセリルが、マリーシェたちが襲われるよりも早くその存在に気付いたと言う点だろうな。
……ただその代わり、セリルは不運な目に合う事となったんだが。
「俺が奴らを引き付ける! マリーシェたちは隙を見て装備を身に付けてくれ!」
抜刀して怪物の前に躍り出た俺は、それだけを背後の4人に告げると1匹のリーチシェルに斬り掛かった!
大きさは牛並みで動きはそれほど速くは無い。
個体でのレベルも俺の方がやや高い筈だから、攻撃を当てるだけならそれほど苦にはならなかった。
実際俺の攻撃は、リーチシェルの胴体部を深々と斬り割いていたからな!
しかしこの怪物は、実は攻撃が通りにくい事で有名だった!
俺の剣戟によりぱっくりと開いた傷口も、血や体液が出る事も無くあっさりと塞がったんだ!
軟体性の怪物は、攻撃力も然る事ながらその耐久力が厄介だ。
攻撃方法も独特で、体液を吹きかけて獲物を溶かしたり毒状態にしたり、体内に取り込んで直接消化したり……とにかく、普通の怪物よりも難敵と言える。
「つあぁっ!」
それでも俺は3匹を相手取るように立ち回り注意をこちらへと向けて、マリーシェたちが装備を身に付けるまでの時間稼ぎをしなければならない!
でないと戦力的には俺1人だし―――セリルは気を失ってるし―――、それに……早いとこ衣服を身につけて貰わないと、目のやり場に困って仕方がないからな!
「おおおっ!」
だから俺は半ばやけくそ気味に、大きめの動作でリーチシェルを相手取ったんだ!
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