悪役令嬢な女子高生モデルになったので切腹します お人好しで純朴な少年が、周囲から無限の期待と理想を押し付けられていた美少女になって、かわりにその人生を守ります
第2話 目覚めたら美少女でした。ご両親にはちょっとついて行けません
第2話 目覚めたら美少女でした。ご両親にはちょっとついて行けません
目を開けると、白いレースのカーテンが風に揺れていた。
冷たい風だ。窓から差し込む柔らかな日差しと違い、重く、まとわりつくような冬の名残りに、身体が小さく震える。
粟立つ肌の感触に、それまで靄の掛かっていた意識が、ゆっくりと覚醒していくのを感じた。
「ここ、は……?」
目覚めたベッドの上で、ぼくはゆっくりと周囲を見回した。
見慣れない部屋だった。
広々とした空間には、ぼくが寝ていたベッドの他に、ソファとテーブル。壁際には立派なクローゼットが備え付けられ、品の良い家具が室内を彩っている。
病院、だと思う。たぶん。それにしては、ちょっと内装が豪華すぎるけど。
状況が飲み込めず、きょろきょろと左右を見回す。と、鈍い痛みに額を押さえた。
どうやら、まだ体調が万全ではないらしい。病院のベッドで寝てるくらいだから当然か。
ベッドサイドに置かれた水差しを見つけて、ぼくは手を伸ばした。コップに水を注ぎ、一口飲もうとしたところで動きを止める。
誰かが、ぼくを見ていた。
最初は人形かと思った。ひどく整った白い顔立ちは、ちょっと現実離れしていて、とても同じ人間とは思えない。
なんで病室に人形が? 前の患者が置いて行ったんだろうか?
首を傾げたぼくは、人形が動いたことに気付いて肩を撥ねさせた。
人形は、こちらを見つめている。
コップを置き、恐る恐る手を伸ばす。冷やりとした感触を指先に覚えながら、ぼくは一枚の鏡を手に取った。
A4サイズほどの鏡面。ひどく軽いアクリル鏡の中には、一人の少女の顔が映り込んでいた。
「……誰?」
とても綺麗な人だった。
いや、これは正確じゃない。とてつもなく綺麗な人だった。
作り物のようにまっすぐ伸びた鼻梁。桜色の薄い唇。肌は静脈が透けるほど白く、背中に落ちた琥珀色の髪は、一筋一筋が陽の光を受けて煌めている。
見る角度によって、男性にも女性にも見える中性的な顔。肉が落ちた頬は少しやつれ、蒼褪めて見えるが、それが逆にどこか儚げで妖精めいた印象を少女に与えていた。
複雑な色彩を帯びた瑠璃色の瞳が、困惑に揺れる。
ぼくは鏡をひっくり返した。もしかして鏡じゃなくて、タブレットPCなのでは? と疑うが、電子機器が入っている様子はない。
「いったい、どうなって……」
心を落ち着けようと胸元に手を当て、ぼくは再び驚いた。
柔らかい、そして弾力のある二つの物体が、薄青色の病院着を盛り上げている。
まさか、とぼくは自分の全身を見回した。
華奢な肩。細い手足。触れれば折れてしまいそうな腰のくびれに、張りつめた臀部。そして、胸元に盛り上がった二つの柔らかな曲線──
「──はっ!」
ダメだ、持ち上げてる場合じゃない。ベッドから降りたぼくは、視点の高さにまた驚く。
自分で思っていたよりも高い。壁に掛かった大型モニターの黒い画面に映る身体は、170センチ以上ある。
ぼくは恐る恐る股間に手を伸ばした。さっきから自分の感覚と、そこから帰ってくる反応に違和感がある。
「……無い……無いのに、なんかある……」
ぼくはもう一度、モニター画面に映る姿を確認した。
何度見ても変わらない。間違いなく十代半ばの女の子。その事実に、ぼくはものすごく狼狽えていた。
「なんで……だってこれは、ぼくの身体じゃ……」
そこで、はたと気が付いた。
記憶がない。自分が誰かわからない。
見知らぬ部屋に、見知らぬ身体。その上、自分自身のことさえ思い出せないなんて、明らかに異常だった。
拉致? 誘拐? なにかの犯罪に巻き込まれたとか? 様々な思考が脳裏に浮かぶ。
ぼくは男だ。他はなにもわからないけど、その感覚だけは残っている。なのに目覚めたら女の子になっていて、病院のベッドで寝ていて、しかも記憶喪失で──
頭痛と混乱で頭の中がぐちゃぐちゃになり、恐慌状態になりかけた瞬間、ぼくは一つの回答にたどり着いた。
「まさか……性転換手術?」
ならば、ここはタイ──窓の外を確認しようとしたときだった。
足音、話し声、扉が開く音。
振り返ると、病室の入口に二つの人影を見つけた。
とても綺麗な人たちだった。女性のほうは小柄で黒髪。透けるような白い肌と大きな瞳が印象的だ。男性のほうは、シルバーブロンドの髪に青い瞳の外国人。本来は彫刻のように整った顔立ちなのだろうが、野暮ったい銀縁眼鏡と眼の下の隈が、すべてを台無しにしていた。
「えっと……」
どちらも知らない人。記憶がないので断言はできないが。
扉を開けた男女は、入口に立ったまま動かない。ぼくの顔を見つめて、凍り付いたように固まっている。
「その……おはよう、ございます?」
──あ、綺麗な声。
少女の身体が発した声に、今更ながらぼくは聞き惚れた。耳触りが良いと言うのだろうか。落ち着いたアルトの音色には、どこか人を追いつかせる響きが──
「レナちゃんっ!」
「おおっ……神よ!」
あ、日本語──ぼくは思った。ということは、ここは日本なのか。よかった。いきなり外国に連れて来られてたらどうしようかと──
なんて安堵しかけたぼくに、見知らぬ男女はいきなり抱き着いてきた。
「どこか痛いところはない!? 頭は……頭は大丈夫なのっ!?」
「ああ、よかった……一週間も眠り続けて……もう目を覚まさないんじゃないかと」
心配そうにのぞき込んでくる女性と、涙で顔をぐしゃぐしゃにする男性。なにがなんだかわからないぼくは、二人に撫でられたり、両手を握られたりと、されるがままだ。
「もうっ、お母さん心配したんだからね!? がんばり過ぎはダメだって、あれほど言ったのに……!」
「よかった……ほんとに良かった……」
二人しておいおいと泣かれる。病院着越しに伝わってくる熱と涙の感触。紛れもない慈愛の感情を向けられて、ぼくはうろたえることしかできない。
見ると、病室の入口ではスーツ姿の女性がハンカチで涙を拭っている。恐らく感動しているのだろうが、できれば助けてもらいたい。とりあえず、この二人を引き剥がしてもらえないものか。
「あの……あのっ!」
ぼくを離そうとしない両親(推定)と、見知らぬ女性。見慣れない病室。
このままでは埒が明かないと感じたぼくは、大声を上げる。
ずびずびと鼻を鳴らす両親(推定)を、やんわりと押し戻し、ぼくは告げた。
「あの……あなたたち、誰ですか?」
あとついでに、ぼくも。
再び病室の空気が凍り付くまで、それほど時間は掛からなかった。
すぐに医者を呼ばれた。
ご両親(推定)は、ひどく狼狽した様子。自分たちの娘( おそらく )が記憶喪失になったのだから、慌てるのも当然か。取り乱すのはわかるけど、いきなり手術室へ連れて行こうとするのはどうかと思う。スーツ姿の女性がとりなしてくれなければ、どうなっていたことか。
CT、MRIと様々な機械で精密検査を受けながら、ぼくはこれまでに見聞きした情報を整理した。
まず、この身体の名前は“春日乃(かすがの)オレーナ”というらしい。年齢は16歳。この春、高校二年生になる。
黒髪の女性と外国人男性は、やはりこの身体の両親だった。スーツ姿の、たしかユエと呼ばれていた女性は、二人の知り合いだろうか? 外国人男性を社長と呼んでいたから、秘書さんかもしれない。
過去の記憶はないけど、身の回りのものに関する知識──たとえばコップとか箸とかテレビとか、そういう日常に関する記憶は失われていない。
「過度なトレーニングに食事制限。君ぐらいの歳なら、体型に悩むことだってあるだろうけどね。いくらなんでも無茶のし過ぎだ。発見が早かったから良かったものの、あのまま放置されていたら、どうなっていたことか」
初老のお医者さんから、こんこんと説教を受ける。
どうやら過労で倒れた際に、頭を打って入院したらしい。それで気を失い、病院に担ぎ込まれてから一週間、眠り続けていたと。
「もっと自分を大切にしなさい。人間というのはね、思っているより簡単に壊れてしまうものなんだよ?」
お医者さんの厳しい顔。その瞳に、こちらを思いやる感情が透けて見えて、ぼくはなんだか居たたまれない気持ちになった。
お気持ちは大変ありがたいのですけれど、ぼくオレーナさんじゃないです。びっくりするくらい赤の他人なんです。
「先生。それで、レナちゃんの記憶は?」
母親の問いに、お医者さんは顔を曇らせる。
「おそらく、強いストレスが原因でしょう。安静にしつつ、以前と同じ生活を送っていれば、いずれは……」
ごめんなさい。記憶喪失には違いないけど、そうじゃないんですごめんなさい。押し寄せる罪悪感に、ぼくは顔を覆いたくなる。
重苦しい空気が病室を支配し、「そんな……」と絶句するオレーナさんのご両親の声が耳に届いた。
「なら、私たちはもう一度、レナちゃんを育てられるんですね!?」
「……え?」
え?
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