第10話 深淵を覗き見る者たち
暗闇の中に私はいた。
いつもの夢とは違う、音も風も光も、何一つとして存在しない世界。
だけど光がどこからも射しこんでいないのに、私の目はいつもと変わらずはっきりしていた。
「・・・・・・」
膝を抱えて、私は考える。
本当は自分が生きている理由さえあやふやなのだ。
ずっと、ずっと、ずっと そればかりを考えている。
「わたし、あそこから逃げてよかったのかな」
逃げたら、もう戻れないから。
どんなに辛くても、あそこであと2年我慢すればいい話だったのに。
私はいつもそうだ。辛くなったら逃げて、押しつぶされない様に必死になって。
でもいつも結局誰かに捕まって。何度も、逃げなければよかったと思うのに。
「・・・・・・?」
グルグルと思考がまとまらなくなった頃、ふとすぐ傍に何かが落ちてきた音がした。それは私の声しか聞こえない空間でなければ分からなかったであろう程の小さな音だった。ゆっくりと顔を上げると、そこには一輪の花が首をもたげている。恐る恐る右手を伸ばしてみると、確かにまっすぐ伸びる茎の触感があった。
「棘とかない花で良かった・・・」
でも、これ何の花だろう。そう思って花を掲げて透かしてみる。白いガーベラ?いいや、マーガレットかも。生憎この花に関する知識を私は持ち合わせていなかった。華道を学んでいる身だけれど、あまりこういう西洋の花は見慣れていないのでパっと判別できないのだ。
「・・・花、か。」
今まで色んな芸事をさせられてきたけれど、華道ほど嫌いなものはなかった。
正解のない”花を生ける”という行為は、私にとって苦痛でしかない。何が正しいのかも分からないのに、間違いを指摘され、それを直せばまた”別の所が違う”と視線で告げられる。終わらない暗闇の中を手探りで歩いている様に、花を生ける時の私はいつも何も見ることができなかった。だから今では花すら嫌いになりかけている。決してこの一輪の命に罪はない、それは断言できる。
だけど、私の心はもうとっくの昔にその美しさを理解できなくなっていた。
「あなたは正解になれたのかな、そうだったらいいのだけど。」
わたしは、まちがっているのだろうか
たぶん くるってはいるのだろう こころも からだも なにもかも
ならば どうしたら だれも わたしを きらいに ならないでくれるのだろう
だれも わたしを しらないままで いてくれたのだろう
わからない わからない でもどうせこのきもちも むだになる
だって もうすぐわたしは 豁サ繧薙§繧?≧繧薙□縺九i
『蜥イ閠カ』
? こえが きこえる
『縺雁燕縺ッ豁サ縺ェ縺ェ縺??∵ュサ縺ェ縺帙↑縺』
なんて いっているんだろう
なにも わたしには わからない
でも このこえは だれのものだったっけ
『螟ァ荳亥、ォ 菫コ縺悟ョ医k縺九i』
・・・・・・・・・・・・・
『adaAkr mIaah 、まダ お休み」
日は 空に 月は 海に 瞳は 水底に だけど その手は 瞼の上に
「お前一人にすべては背負わせない きえるのならば 3人一緒だ」
ぽつんと浮かぶ舞台のブレーカーは今静かに落とされた。
「おはようございます、お嬢様・・・なんちゃって。」
目を開けると、そこにはアオイさんがいた。朧げなままの目で辺りを見回すと、そこは先ほどまでいた保健室ではなく、プロセルピアの研究施設の一室だった。
「・・・あれ、アオイさん。どうして、此処に?」
「いやさぁ、ちょーっと事態が変わっちゃってねー。こっちに連れてきちゃった♡」
子供の様な口ぶりとは裏腹に、彼女の衣服は赤黒い血に汚されている。血の臭いは強くないから、数時間は経っているのかもしれない・・・そう冷静に分析してしまうほど、私の意識はそこまで覚醒しきっていなかった。しかし、いつまでも無視を続けるのは難しいので思い切って尋ねてみることにした。
「・・・それ、どうしたんですか。」
「?あ、これ?サクヤちゃん連れてくるときに、足癖の悪い黒服軍団に会っちゃってさぁ。邪魔だったから、力づくでどいてもらったの。まあまあ骨の折れる仕事だったよ。数多かったし。」
「・・・怪我とか大丈夫なんですか。」
「?ああ、これ全部返り血だから気にしないで。でも、心配してくれてありがとねサクヤちゃん。」
歯を見せて笑うアオイさんは、私を安堵させた。
この人は、嘘を付かない。自分に与えられた使命に嫌なほど忠実な人だ。
今この空間で彼女が私を心配しているのも、多分何か任務の一環なのだろう。執行人は数が足りていないと言っていたし、私に外部的要因で死なれては迷惑・・・なのかもしれない。アオイさんのその気持ちを逆手にとって利用するのは気が引けるが、私もなりふり構っていられないのだ。例え私がただの駒の一つだったとしても、日輪のごとき輝きを放つ双眸を忘れたくなかった。
だから、ここでうまく生きてみようと思う。
怖いけれど、自分が死んでしまうよりずっといいから。
「それなら、よかったです。」
ふにゃりと脱力して微笑んでみせた。今はこれが私にできる精一杯の愛嬌の表出だった。
「で、今日が転校前最終日だったってことでオッケー?」
「はい、でも最後までダメでした。おまけに朝からトイレで嘔吐して、まともに授業に参加できませんでしたし。」
「ふーん・・・まあ執行人になって日も浅いし、体が慣れきってないのかもね。とりあえず、無理せず休んでよ。家は・・・行けそうかなぁ。」
これに関しては本当に愛想笑いしかできない。正直なところ、私のマンションは今霧嶋の家が押さえて、荷物を運び出している最中だろう。・・・あ、そういえば神器も部屋に置きっぱなしではなかっただろうか。瞬間私の顔が一気に青ざめていく。
どうしよう、あれが見つかったら。霧嶋のことだ、間違いなく捨てられてしまう。
「・・・どしたの、サクヤちゃん。顔がいつも以上に深雪みたいに真っ白だけど。」
「アオイさん、すみません!私、神器を家に置きっぱなしで・・・もしあれが霧嶋の家の者に見つかったら!」
そう言い放つと、彼女は戸惑うことなくどこかに電話をかけ始めた。
「もっしもーし、トウカ。今暇?実はさー、ちょっちやばいことになっちゃってるみたいでさぁ。・・・うん、うん・・・ん、オッケー、ありがとね。
・・・サクヤちゃん、神器こっちに届けられてたってさ。後でトウカが・・・アタシと同じ研究職員のお姉さんが持ってきてくれるって。」
先ほどの仕事モードの表情は消え、アオイさんはウインクを一つ飛ばしてくれた。その言葉に再度胸をなでおろす。私は安堵の気持ちを抱えたまま、深くベッドに沈み込んだ。
「じゃ、アタシは一回戻るね。またすぐ帰ってくるからさ、ゆっくり寝てな。」
「はい、アオイさん。何から何までありがとうございました。」
「いいのいいの、若い子は年上に思う存分寄りかかってな。・・・おやすみ。」
彼女の手が、私の頭に乗せられる。スルスルと髪の中を蠢く細い指の感触が心地よい。思えば、私は一度も誰かから頭を撫でられたことがなかった。
あったかいってこういうことを言うのかもしれない。
その温かさに再び瞼が解けていく。私は幾度目かも忘れて、意識を沈めた。
「・・・アオイさん」
「あれ、ちーくん。どうしたの・・・って、それ・・・」
背後にある扉から音もたてずに入室した少年は、その小さな体に見合わない大きな真紅の槍を抱え持っていた。その槍はアタシがトウカに頼んだ彼女の槍だ。忙しい彼女の事だから、たまたま通りかかった彼に槍の運搬を依頼したのかも・・・そんなことを考えていると、ちーくんはそのままスタスタと病室のベッドの前まで歩いてきた。
「・・・トウカさんに頼まれて、これを彼女に。」
捧げ持つように差し出された槍を、即座に受け取るとアタシは彼を安心させるように微笑んだ。
「あー、じゃあほんとに忙しい時に探させちゃってたんだな。ごめんね、ちーくん。わざわざありがと。トウカにも後でお礼言っとくね。」
「・・・これが僕のできるお役目ですから。失礼します。」
少し、いたずら心がわいた。
もしも、この機械的な少年に神を繋ぎとめる楔となった少女をめぐり合わせたら。
一体どんな化学反応を起こして見せるのだろう。
「ねえ、ちーくん。悪いんだけどさ、アタシの代わりにこの子の傍にいてあげてくれないかな?」
それがどんな未来を招くことになるのか、私はまだ知らない。
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