第9話 ガレット・デ・ロワを切り分けて

「お久しぶりです、恍一様。」

「お待たせして申し訳ないです、会議が立て込んでおりまして・・・」

僕は深く頭を下げる紳士、丹代彰吾氏に声をかけた。彼とはプロセルピアができる前から、長いこと世話になっている恩人の家に仕える人物で、父の代からその家とはつながりが深い。そんな彼から、先日久方ぶりに会いたい、と言われた。その様子がただならぬものだったため、今この1時間弱しかない空き時間を使って彼から直接話を聞こうと考えた。

「それで、どうされたんです?いきなり会いたい、だなんて。用意周到にしてから何事も行う、彰吾さんらしくないですよ。」

「実は、折り入って恍一様にお願いがございまして・・・」

そういって彼は黒のアタッシュケースから、数枚のファイルを取り出した。

「こちらが私がお仕えする霧嶋家のお嬢様、お坊ちゃまがたです。この中から恍一様・・・ひいては三上の血を継ぐのに相応しいものを選んでいただきたく。」

「・・・僕に男色の趣味はありませんよ?」

「存じております、そのうえで恍一様に見ていただきたいのです。」

パラリと履歴書以上に詳細に記されたパーソナリティを眺める。身長、体重、血液型、霊媒指数に推定神核接続値、そして推定神威許容量まで。ご丁寧に書かれたそれを、僕はざっと目を通す。しかし、一つその中に気になることがあった。

「彰吾さん、この資料・・・一つ見落としがありますよね?」

「‼」

そういった瞬間、彰吾さんは明らかに動揺した。しかしその隙は、瞬きをする程度のもので、さすがは常に意識を四方八方に巡らし、霧嶋の家を取り仕切る丹代家のトップを張るだけのことはある。他人ながら拍手を送りたいレベルだ。

「さすがは恍一様、お気づきになられましたか。」

「ふふ・・・といっても実は、もうウチで見つけていましたから。」

立ち上がって、執務用の机の引き出しの中から一つのクリップ止めされた資料を取り出す。その履歴書の氏名欄と顔写真はインクで黒く塗りつぶされている。それに右手をかざして、影を取り払うとそのまま彰吾さんに差し出した。

「霧嶋の家の末の娘・・・いや正しくは桐島か。彼女のことを仲間外れにしないでくださいよ。」

「そこまでご存じとは・・・お見それしました。」

ここまでが僕の想定内。さあどうするんだい、丹代彰吾。この僕が時間を割いたんだから、面白いものを見せてくれるよね?

「このような試すような真似をして申し訳ございません。ですが霧嶋は未だに三上恍一様、貴方を信用することができなかったのです。」

「そんな簡単に信頼関係が築けるとは、僕も思っていませんよ。むしろ疑念をもって当然です。だって霧嶋の血脈は、いまや世界各地の神秘に通じるもの達の憧れですから。」

素直に賞賛をしても彼はその無表情を崩すことなく、静かに続けた。

「そう、霧嶋家は今最盛期と比べても造作ないほど、その力を再興させました。一度絶えかけたその血脈を、何十年、何百年という単位で構築しなおし、初代の再現をするに相応しい舞台装置を作り上げたのです。」

カラン、とグラスに注がれた麦茶の中で氷が揺れる。その様はまるで三途の川で積み上げられた子供たちの無念を、鬼たちが無慈悲に蹴散らす様に見える。

「それ故、ようやく掴み取った一級品の先祖返りを返していただかなければ、こちらとしましても困ってしまうのです。」

いつもは穏やかな水面の様な目が冷え切った冷気を放つ。これはつまり、向こう《霧嶋》も本気だということだ。自身の力をどれだけ使おうとも、彼女だけは絶対に手中に収めていたいと、霧嶋家の現当主・霧嶋輝緋きりしまてるひは考えている。それならば三上の僕はどうするべきか、答えは簡単だ。

「・・・大変申し訳ないのですが、彼女のことは諦めてください。昨日から、僕は彼女を”執行人”として雇用しています。」

机の上の履歴書の隣に、昨日槙屋が持ってきた彼女の署名付きの本契約書を並べた。

その文面にははっきりと、『この先一切の自身の権利を放棄し、特務機関プロセルピアに委ねること』と書かれている。執行人というのは、ただ”神と契約を交わした人間”というだけではいけない。その一切を今後の世界の礎として捧げてもらわなければ、この後起こる厄災には勝てない。

だから、希少なサンプル体である彼女を、こちらとしても手放したくないのは当然なのだ。

「輝緋様にお伝えください、”三上は彼女を保護下においている。そちらがその気であるのならば、こちらも相応の事をさせていただく”と。」

”よろしくお願いしますね?”と笑って見せれば、またその目はいつもの静かな水面に戻った。それどころかまるで気味の悪いものを見ている様な、蔑む温度を彰吾さんは露わにしたのである。


「・・・輝緋様、大変申し訳ございません。三上を御すことは、やはり私には荷が重かったようです。」

『いいや、構わない。三上の姿勢を知れたのなら、こちらとしても益のある話し合いだ。よくやってくれたな、丹代。』

「もったいないお言葉、感謝いたします。」

『それと、サクヤのことは一度手を引こう。三上もサクヤを無下にはしないはずだ。

 どの程度、あちらに彼女の情報が蓄積されているかはまだ分からないが・・・あの子は私たちにとってもジョーカーカードなのだから。』

そのまま静かに切られた電話に気づくことなく立ち尽くしていた。私はこのお方を侮っていたのだ。三上の動きさえ、御自身には気に留める程のことではない。そう言い切ったのである。素晴らしい、さすがは知性に突出した輝緋様だ。やはりこのお方にしか、霧嶋という家は守れない。そう感慨深く思っている時、再び電話が鳴った。

『すいません、浜海高校の保健教諭の水島と申します。こちらは霧嶋咲耶さんの保護者の方の電話番号で宜しいでしょうか。』

「はい、そうですが・・・もしかして、何かありましたか?」

できるだけ穏やかな声で答えると、電話向こうの保健教諭は安心した様につづけた。

『実は咲耶さんの体調が悪く、早退するべきだと思いまして・・・これからお迎えに来ていただくことは可能でしょうか?』

「・・・分かりました、すぐ向かいます。」

先ほどの高揚感から一気に現実へと引き戻された。お嬢様程の力があれば、カムヒをその体に繋ぎとめることは難しいが耐えられるはずだと踏んでいたが、思う様にはいかなかったようだ。あれほどの修行を積みながらなお、カムヒ一柱すら満足に扱えないとは。今年中に中身を覚醒させるのは、今のままでは困難極まっている。しかし、輝緋様は現状維持でよいとおっしゃっていた・・・。

(今はただ、信愛する輝緋様の御心のままに)

私は迷いを振り切るように一呼吸置くと、早速お嬢様の通う高校に一番近い部下の名前をタップした。


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