第8話 暗雲、後に光

「えー、実はみんなに残念なお知らせがあります。この度、霧嶋さんが家の事情で、引っ越すことになりました。」

朝のホームルームにて開口一番に告げられたその言葉に、不思議と驚きはなかった。

だって、最初からそう決められていたのだから。どうにかタイムリミットを伸ばそうと手を尽くしたつもりだけれど、やっぱり本家の力には敵わなかった。それだけのことだ。私は他でもない、本家のためにいるだけだから。

「じゃあ、最後に霧嶋さんに一言おねがいできるかな。」

「・・・はい。」

担任の先生の言葉に、何とか残った語彙を束ねあげて当たり障りのない文句を考える。一番後ろの角の席から教壇まで行くのは、なかなか時間がかかるから、まあまあ悪くない文言ができたのではないだろうか。

「えっと、皆さん今までありがとうございました。向こうの学校に行っても、このクラスのことは忘れません。今までお世話になりました。」

ぺこりと頭を深く下げると、パラパラと拍手が聞こえてくる。それなりの進学校だからか、同調圧力も並みの学校より一層強い。だから、一人でも拍手を始めたら否応なしに全員がその行動に同調しなくてはならない。最終的に、私を送り出す拍手は先生を満足させるほどの大音量となって教室を包んだ。

「よし、じゃあ戻っていいぞ。」

「はい。」

ようやく解放された。先生の言葉に瞬時に途絶えた拍手をバックに、私は速足で席に戻ると、再び先生の朝のホームルームでの連絡事項を聞くのに専念した。


「霧嶋さん、いなくなっちゃうなんてオレたち寂しいなあ。言ってくれれば送別会したのに。」

「・・・急に決まったことだから。私も3日前に知ったばかりだったし・・・。」

ホームルームの後、私はすぐにいつもの3人に囲まれてしまった。別に教室の外に出る程の用事はなく、1限目の英語Bの準備をしていた最中のことだった。教室移動がないことをどうやらこの3人は逆手にとって、私と時間を共有しようと画策したらしい。さっきのホームルームの最中、静かに彼らがノートの切れ端を回しているのを見たから、何かしらの行動は起こすものだと腹はくくっていたが。

「でさ、今日の昼空いてる?最後の思い出にさ、一緒に弁当食べない?」

「・・・・・・」

一体何を、言っているんだ?

言葉が出ないとは正にこのことだ、と私は確信した。ただただ彼らの語る言葉すら不快に思えてくる。

「あれ、もしかして照れてる?そうだよねー、男女で一緒にお昼食べようだなんて、下心疑いたくなるよね~。」

「ちょっ、それじゃあまるでオレらがサクヤさんに対して下心を持ってるみたいじゃねえかよ。」

瞬間、耐えられない吐き気がこみ上げた。私は、何も言うことなく立ち上がると、スマホだけ持って急いで女子トイレに入った。「あれ、逃げられちゃった。」などという、彼らの言葉を聞くことなく。

「ゔぇっ・・・・・・」

ヒュー、ヒュー、と体を震わせながら必死に呼吸をする。授業開始間際だったせいか、丁度誰も使っていなかった。だから、どんなに私が苦しんでいても、誰にも見られることはない。便器の中に吐き出したモノを見て、気が遠くなってくる。元々貧血持ちだったのが仇となったようだ。

「もう、無理・・・」

最後の気力を振り絞って、便器のふたを閉め、水を流すレバーを下ろすと、その体制のまま私は蓋の上に突っ伏した。

強制的な睡魔が否応なしに私を脱力させた。


「お嬢様」

総じてあの島に住む人たちは私をそう呼ぶ。

霧嶋の家の末の娘。神が降り立ち、繫栄したという逸話を持つ島で霧嶋家は絶大な力を持っていた。でもそれは閉鎖的な島の中だけの話ではない。霧嶋の家は全国各地に影響力を持つために、あちらこちらに分家を興し、必死に姻戚関係を結びに結んで、500年以上かけて今の盤石な血脈を作り上げた。

だから、私も幼少期から「霧嶋の名を守る礎としての自負を持て」と言われて育ってきた。お琴にお花にお茶・・・果ては炊事に掃除まで、ありとあらゆることの教養を叩きこまれた。いつも何をするにも一人でやってきた。

一応私には、兄や姉が数人いるらしい。らしい、と言ってしまうのは、あまりにも私と他の兄弟の見た目が似ていないため、親近感がわかなかったからだ。だから自然と一人でいることには慣れきってしまった。それでも寂しい時には、裏の山奥にある立派な神社の拝殿の裏道を通った先にある花畑で膝を抱えて丸くなっていた。そうすれば不思議と温かいような錯覚を覚えて、安心できたから。学校で何を言われても、家で厳しく指導されても私には、元から何もないのだから、どんなに痛くても、辛くても、失うものは一つとしてない・・・・・・はずなのに。どうして涙が止まらないんだろう?


「ん・・・・・・」

自分の涙で現実に引き戻された私は、持ち込んでいたスマホで時間を確認する。文字盤は丁度、8時50分を指していた。最後の登校日なのに、1限目から遅刻だなんて、さすがに怒られるかな・・・。そんな他人事の様な不安感を抱きつつ、私は朦朧とする意識のまま壁を伝って、教室に向かった。

「・・・遅れて、すみません。少し気分が悪くてお手洗いに・・・」

「霧嶋さん!貴女顔色がすごく悪いわよ、授業のことは気にしないで保健室行きなさい!」

「このクラスの保健委員はー?」という先生の声に、一人の女子が急いで駆け寄ってきた。「大丈夫?」とか色々心配してくれているみたいなのは分かったが、今の私には言葉を発す余力もなく、困った様に笑うことしかできなかった。あまりにも顔色が悪すぎたせいか、先生まで保健室に付き添ってくれた。そして、そのまま流れるように2日ぶりぐらいの保健室のベッドに身をゆだねさせられてしまった。器具を消毒していた最中だった様で、部屋中にほどよい消毒液の香りが満ちる。私は先生と保健委員の子にお礼を言ってから、目を閉じた。兎にも角にも体には今、休息が必要だった。


「・・・やっぱり、変に近づかないで正解だったか。」

俺は彼女の根源の中に静かに潜り込んでいた。少し前にパスを仕込んでいたから、何のセキュリティに阻まれることもなく入り込めた。その中で今日半日彼女の様子を観察していたが、かなり心が摩耗していた。それはもうボロボロに。小さな少女の頃から、いくら彼女の背負う宿命がその身に見合わないものだったとしても、彼女を取り巻く環境は彼女を”使う”ことしか考えていなかった。惚れた弱みなのかもしれないが、ただ今だけは、眠る彼女のために伸びてくる漆黒の手を何度も何度も槍で貫いて、穏やかな眠りを送りたかった。

「今は休め、サクヤ。お前に今必要なものは安息だ。

それを守るためならば、神さえもこの切っ先で貫こう。」

ぐしゃり、という音を立てて黒い靄が晴れていく。

その中心部で、赤い髪の少年は一人笑っていた。




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