第6話 延命治療

ピ、ピ、ピ、ピ・・・・・・

無機質な電子音が規則正しく響いている。

微かな薬品の香りが鼻をつく。病院は嫌いだから、本当は逃げたい。だけど、私の身体は何重にもコードが絡まった点滴と指一本も動かせない様な強い倦怠感によって動きを封じられてしまっていた。

「ん・・・・・・・」

少し前から意識はあったのだが、言葉を発するのが億劫になるほど、今の私には気力というものが枯渇していた。逃げることも、声を出すことも私には至極どうでもよく思ってしまった。まるで100年の眠りから覚めた気分だ。自分よりずっと遠い場所にある天井をひたすら見ているのにも飽きて、視線だけを天井から少し右へと移してみる。そこには大きな窓から私を覗き込む大人が数人。左を見ても大人が同様に数人何かを話し合っていて、たまに私を注意深く見つめている。規則的な電子音が私に聞こえるたった一つの音で、それ以外は何も分からない。ここが病院なら、看護師さんの一人や二人いてもいいと思うのだけど、私の目に入るすべての人はお医者さんにしか見えない。

「・・・・・・?」

奇妙な周囲の様子に、ようやく自分が疑問を抱いていたことを思い出した。そして同時にこのベッドで点滴に雁字搦めになる前の事も、必然的に思い出された。

「・・・・・・ぁ。」

そうだ、アオイさん。彼女はどこに行ってしまったのだろう。私を眠らせて、いつも通りの夢を見て、そのまま覚醒したら大きなベッドの上にいて、そしてもう一度眠ったら今度はまた別の天井が見えた。今日一日で私はすごく長い時間眠っている様に感じて、『いくら何でも寝すぎだ』と恥ずかしくなってきた。

でも、どんなに逃げたくても体が言うことを聞かない現在いまでは分が悪い。

どうしたらいいものか、とぼんやり考えていると人の気配が近くにあった。

目だけを左真横に動かすと、そこにはアオイさんが驚いたように立っていた。

「・・・ガチ目の気配遮断してたつもりだったんだけど、もしかしてサクヤちゃんって殺されかけた経験ある?」

だけどその目は最初とは違う、真冬の空の様に黒くよどんだ色だった。


アタシは驚いた顔をする彼女のベッドの近くに腰掛けて、持ってきたファイルを開いた。

「ま、冗談はさておき・・・とりあえず無事再会できてよかったよ、サクヤちゃん。」

これは紛れもなく本心だ。普通の被検体はアタシ経由で神域にぶち込まれた後、こちら側に帰ってくる者は少ない。カムヒ本人から拒絶された者。そもそも神域になじめず、体が拒否反応を起こしてしまった者。そして、

「君はどうやらかなりの逸材みたい。カムヒから力を委ねられて、神器と共にこちら側に帰ってきたのだから。」

アタシは数多の検査を乗り越えて、今彼女のための凶器へと生まれ変わったカムヒを彼女に見える様に台車に乗せて、研究員の一人に持ってこさせた。

「・・・・・・?」

彼女の反応も当然だろう。なんたってそこにあるのは真紅の槍。自身の背を優に超える、紛れもない兵器なのだから。

「で、アタシはキミを『執行人』として此処に呼んだわけだけど、そんな執行人のお仕事が何かっていうとね、端的に言って・・・・・・『怪異殺し』です。」

「・・・ぇ」

「この槍・・・神器でこの世界に蔓延る怪異を殺してもらいます。」

笑顔でそう答えると、彼女は他の執行人が初めて自分の役目を知った時とは違う、これから立ち向かうであろう恐怖への怯えの中に、少しの安堵を混ぜた表情を浮かべた。彼女のことだ、てっきり尻込みするものだと思い込んでいたから、少し面食らってしまった。だが、『怪異殺し』について好意的な方がこちらとしても都合がよい。

「まぁ怪異殺しって言っても、サクヤちゃんの他にも何人か執行人がいるし、今すぐにって訳じゃないんだよ?でも、遅かれ早かれ怪異はこの世界を混沌の渦へと飲み込んでしまう。そのために、人員は何人いても足りないくらいなんだ。」

今も世界中に配備されている執行人の母数は、増えては減ってを繰り返すばかり。

遠い噂で新人の執行人が死んだとか、実験に失敗した研究所が一つ更地になったとかそういう話は此処じゃあ日常会話の一つだ。だからこそ、1人の執行人にかかってくる責任は重くなる。使える駒は一つでも多いほうがいい、たとえそれがどんなに愚鈍だったとしても。

「本契約のサインとか、まだだよね?サクヤちゃんが大丈夫そうなら、交わしちゃいたいんだけど・・・」

ファイルから一枚の紙を彼女に見せる。そこには黒々とした文字で『契約書』と記されていた。

「サインはフルネームでよろしくね!」

さあ、サクヤちゃん。君はどうするのかな?


ぼんやりとした頭でアオイさんの話を聞く。アオイさんが来た頃からだろうか、倦怠感に混ざって、強い眠気が私の身体を支配し始めていた。だから何か大切な話をされているのだろうけれど、上手く考えることができないのだ。だけど一つだけ分かったことがある。

『ここで契約書に名前を書いたのなら、私はもう少しだけ長くこの街にいられる』ということだ。

この街に来てから”本家”からの電話が何度もかかってくる。何十コール無視しても、こちらが取るまでずっと電話の音は止むことがない。仕方なく受話器を取れば、冷たい声で『早くこちらへ帰ってこい』とだけ言われ、嫌だと抵抗してみれば『また明日掛けなおす』と翌日の電話攻撃が確定する。そんなやり取りを1年ほど続けていたら、最近は『3か月後に迎えをよこすから、帰ってこい』と言われるようになってしまった。その電話の一件以来、本家から連絡は途切れた。しかし、あと何日残っているのかカレンダーを目にするたびに考える。アオイさんが学校に迎えに来たあの日、私にはあと3日の猶予しか残されていなかった。

(・・・あの家に帰ったら、もう一生この街に来ることは出来なくなる。

 それならいっそ、此処で何もわからないまま戦いに身を投じてしまった方が楽、

 なのかな)

そっちの方が、きっとたのしいから。

もう、わたしがきえてしまいそうだ、とおもうことは無くなるようにかんじたから。

わたしはためらうことなくアオイさんのさしだすペンに腕をのばした。


「本契約成立!改めて、”これからよろしくね”サクヤちゃん。」

嗚呼、これでわたしはつかの間の自由を延命させられた。

そう思うと安心して、私は意識を再び虚空へと沈めた。



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