第4話 蒼と少女

「・・・・・・」

久しぶりによく眠ることができたけれど、自然と目は開こうとしてしまう。

本当は、もう少しだけこの感覚を覚えていたいのだけれど。それも無理な話なのだろう。ゆっくりと瞼を上げていけば、おぼろげな色と輪郭が私の世界を形作っていく。そのありふれた景色に一つ、いつもと違うものがあった。

「ん・・・・・・?」

あお、眩しい青。空より深く、海より輝く青色が、静かに私を見つめていた。

「お前、そんな目の色をしていたんだな。」

瞬時に細められた目に光る青は私の涙腺を震わせた。

「あっ・・・・」

ボロボロと零れていく涙が、下に敷かれた真っ白なシーツにシミを作っていく。その数がどんどん増えていってしまうから、私は困り果ててしまった。

言葉を、何か言わなければいけないのに、縮こまった息の様な音しか出ない。

(ど、どうしよう。なみだ、止まらないし・・・)

身体を起こすことも忘れて、私はひたすら泣いていた。そんなどうしようもない姿を目にしても、青は逃げたり、嫌悪したりせず、ほんの少しだけ困った様に私を見つめている。

「・・・・・・サクヤ。」

その人はゆっくりとこちらへと向き直ると、右手を差し出した。

「体を起こせそうか?無理にとは言わないが・・・まだ体が慣れきっていない様なら、手を貸そう。」

「・・・わたしのこと、しってるの?」

自分より大きな手に、いつもの彼らを思い出した。震え始めた体を気づかれない様に、私は尋ねた。すると、彼は少しだけ顔を背けて右手を引っ込めた。

「・・・・・・知っているさ。一方的にだが。」

そう言うと彼はベッドから降り、部屋の出口へと向かっていく。

「待って、」

出来るだけ大きい声で呼び止めれば、彼はピタリと立ち止った。

「あなたは、誰?」

暫しの沈黙の後、風に消えてしまいそうな声で呟やかれたのは、彼を象徴する音だった。

「カムヒ・カイネス、テッサリアに生まれたラピテース族の王。

 それが、俺の名だ。」

瞬間の閃光の後、私は一人取り残された。


「よくやってくれたね、槙屋。」

「・・・ありがとうございます、三上所長。」

深く頭を下げた相手は、満足そうに微笑んでいる。いつ見ても、気色の悪い笑みだ。私は込みあがる嫌悪感を必死にこらえながら、部下らしく振舞うことに徹した。

「それにしても、あのカムヒ・・・カイネスが贄を欲するだなんてね。上手く立ち回ってくれたようで安心したよ。」

「恐縮です。それで、あの少女はどのようになさるおつもりですか。」

刹那、彼は不思議そうな顔をして、それから再びいつもの様に微笑みをたたえた。

「少女?・・・・・・ああ、贄のことか。」

ピッ、ピッという機械音と共にスクリーン上に映し出されたのは、彼女の、サクヤちゃんの姿だった。真白の神殿に置かれたベッドの上で、彼女は茫然としていた。その周囲にカムヒの姿はなく、ただポツンと制服の姿のままの彼女がいるだけ。アタシはその光景に唖然としてしまった。

「僕も驚いたよ。どうやらアレは、女を求めていた訳ではないらしい。これなら、正規の執行人として使うことも可能だし、もしかしたら神器化も容易かもしれない。本当に素晴らしい逸材を見つけてきてくれたね。」

うっとりとスクリーンの彼女を見つめる三上は、そのまま自身の隣に置いた禍々しい剣にそっと手を置いた。

(ばかばかしい、こいつも、アタシも。本当に・・・・・・反吐が出る。)

早くこいつから解放されたいのは山々だが、サクヤちゃんが生きていた、と知ることができた。それだけのことが、酷くアタシを安心させた。

(・・・変なの。あの子も、今までの子たちと同じ、カムヒをこの地に縛り付けるためだけの道具に過ぎないのに。)

カムヒに捧げられた贄であるサクヤちゃんの様な例は初めてではない。アタシは何度も何度も分別の付かない幼児から家族に見放された老人まで、ありとあらゆる命を捧げてカムヒをつなぎとめていた。そんな自分には嫌悪感しか無いし、この先更なる地獄が来るのなら、たぶん真っ先に飲み込まれるのはアタシなのだろう、くらいにはいつも自分を憎たらしく思っている。だけど、あの子にはそれまでとは違う憐憫を感じた。もう他人を思いやる感情なんて、あの日に全部ちぎり捨てたはずなのに。頭がおかしくなったのだろうか、早退した方がよさそうだ。

「まあ、後でチヒロに迎えに行かせるよ。護衛、頼めるかな?」

「御意。」

この後も業務が確定したことに、心の中で舌打ちしつつ、アタシは所長室を後にした。


ぐるりと辺りを見回せば、どこもかしこも真っ白な古代風な建物だということがわかった。柱の形が、コロッセウムなどで使われた柱に似ていることから、ヨーロッパ建築だと分かった。

「でも、このベッド柔らかい。フワフワだ。」

手を沈めてみると、すぐに跳ね返ってくる。天蓋が風に揺れて、くすぐったい。

堪らずにもう一度寝そべってみると、寝心地も最高だった。

「カムヒ・カイネス・・・」

ふと我に返って、彼の名を呟いてみる。青い瞳が眩しかった。紅い長い髪が綺麗だった。褐色の、男の人。それが私が見えた全て。変えようもない事実の羅列は、私に耐えがたい恐怖心を思い出させた。

「・・・・・・男の人、だった。男の、人。おとこの・・・ひと。」

震えが酷くなっていく。だめだ、だめだ、だめ、だめ・・・・・・

息をゆっくり吸って、吐いて、2秒吸って、3秒吐いて、ゆっくり、ゆっくり

「はっ、はっ、はぁ・・・はぁ・・・・・・」

よかった、なんとか自分で落ち着かせられた。本当は一々こんなことで過呼吸になっているようでは、いけないことは重々わかっている。

(早く、おとなにならなきゃいけないのにな)

私が天井へ伸ばした手は、届くことなく崩れていく。これが、お前の限界だと叩きつけられている様で、無力さを覚えた。

「・・・・・・性別で決めつけて怖がるのは、いけないよね。」

内情を知り尽くしたクラスメイトなら兎も角、見ず知らずの他人に対して恐怖心を膨張させているようでは、この世界でやっていけない。ここで今よりもっと拗らせて、以前の様になるのは嫌だから。

「せっかくこの街に来たんだからって、やりたいこと沢山考えたし・・・」

この街は私に色んなものを見せてくれる、教えてくれる。だから、前にも後にも一度きりの我が儘を押し通したのだ。こんなところで止まれない、どんなにそれが辛い道のりだったとしても。

「・・・・・・そうだよね、私が私の未来を見るために今、ここにいるんだから。」

ぎゅっと握った手の中に、瞬く星を捕まえて、私はもう一度目を閉じた。

今度は自分からほんの少しでも進むために。






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