第3話 邂逅

地下駐車場の中に設置された車専用エレベーターで停車したアオイさんは、私に降車を促して、先に端末を操作しだした。ガシャンという機械質な音と共にエレベーターの扉が開く。その様子に慌てた私は、急いで車から降りた。

「ここからはこっちもエレベーターに乗っていくよ。」

「あ、じゃあ荷物持っていかないと・・・」

私は後部座席に置かれたリュックを背負うと、先にエレベーター前で待ってくれていたアオイさんの元へと急いだ。


「・・・・・・もうそんなもの必要ないのに。」

小さな体には見合わない、大きな紺色のリュックサックを背負った彼女が走ってくる。その姿は本当にアタシのことを心底信頼している様にしか見えない。これから自分がどんな目に合うかも知らないのに、彼女は赤の他人の、私の言葉を信じた。

(そういうとこが、口だけ上司の・・・ひいては彼?彼女?の気を引いたのかな。)

あと目視で5メートル。そろそろまた、元の優しい”アオイさん”に戻らないとね。

「サクヤちゃん。改めて、ようこそ”特務機関プロセルピア”へ!」

此処はキミを心より歓迎するモノしかいない場所。

そして、キミの愛すべき新しい家になる場所。

だから・・・・・・・・・・・・・・・・ごめんね、サクヤちゃん。

彼女を先にエレベーターに乗せて、振り向く瞬間に小さな針を、静かにチクりと打ち込んだ。

「うっ・・・」

小さく悲鳴を上げて、そのまま彼女はその場に倒れ込んだ。

「ふぅ。さてと、こっからがアタシのホントのお仕事。この子を依頼主の元に、傷一つ付けずに届けて、喜んでもらう。・・・とは言っても、ちゃんと会ったことないんだけどねー。ま、いっつも血生臭い女に近づきたがる物好きなんて、そもそもいないし。」

よっこいしょ、と眠りについた少女を持ち上げる。高校のセーラー服に隠されていた素肌は想像していたよりも、血色が悪かった。

「カミサマたちがキミをご所望なんだ、だから許してね。」

太陽には似つかない、冷めた目をしたアタシを乗せて、エレベーターは静かにそのまま降りていった。


走る 走る はしる

「・・・はっ、はっ、は」

私を捕まえようとする黒い手から、私は逃げることさえ許されない。

この夢を見るのは、ほとんど毎日だ。どんなに遠くに逃げようとしても、見つからない様に息をひそめていても、黒い手は私を見逃さない。

捕まってしまえば最後、目覚めるまで首や全身を、執拗に締め付け続けるだけだ。たまに聞こえるうめき声は、私の名前の原型すら残しておらず、ただひたすらに恨み言をつらつらと言っている様にしか聞こえない。

私はそれが嫌で、ずっと、ずっと、もう10年以上逃げ回っているのだが、一度として逃げられた例はなく、本当はもうあきらめて死んでしまいたい、といつも思う。だけど夜が明ける直前に、ほんの少しだけ相手は力を緩めるのだ。私をあと1秒あれば殺せるはずなのに、殺さない。ただ生きるか、死ぬかのギリギリを迎えたとき、黒い手から私はようやく解放されるのだ。

「っ・・・いった・・・!」

今日は足場が濡れていたせいで、走りづらく、木の根に引っかかって、大きく転んでしまった。しまった、と思いすぐに体勢を立て直そうとするが、もう遅かった。黒い手は、私の目の前に覆いかぶさるように佇んでいた。

「いや、やめて、来ないで・・・!」

いつもの様に乱暴に握りつぶされてしまう、そう思ったのに。

「え・・・・・・?」

私の顔に触れるまであと少し、というところで手は動きを止めていた。よく見てみると、銀色の尖った何かが黒い手のど真ん中を綺麗に貫いていた。

「なんだろ、これ・・・」

恐怖を忘れ、自然と伸びていた手がその切っ先に触れた。すると一瞬にして眩い光を発して手は粉々に飛び散った。あまりにも突然のことだったから、どうしたらいいのかわからない。だけど、

「きょうは、もう、こわいのおしまいだよね・・・?」

確かめるように自分の擦りむいた両足を抱えこめば、堪えきれずに涙が零れた。こんなこと、今まで一度もなかったのに。

「うっ、ひっく、ふぇっ・・・・」

そのまま泣いて、泣いて、眠くなって。久しぶりに、私は眠ることができた。


「・・・・・・」

まるで古代ギリシャにタイムスリップしたかの様に錯覚させられるであろう、美しい白亜の神殿の中央に、白いレースの天蓋が付いたキングサイズのベッドが置かれている。その上で泣きながら眠る少女はうずくまったまま、肩を震わせていた。それをただ、安堵したように見つめる目が二つ。彼は静かに少女の目覚めを待っていた。吹き抜ける風がそっと、彼女の肩までの髪をすいていくと、すこしだけ少女の表情は和らいだ。その様子を見届けると、少年はベッドの隅へ音をたてずに腰を下ろした。そのまま少女へとゆっくり手を伸ばす。その手は、武人らしい無骨な形にも関わらず、震えていた。何度も返り血に染まった槍を振るい、幾万もの敵を薙ぎ払ってきた彼であったが、自分とは真逆の少女には少しだけ恐れを抱いていたのだ。自身が望んだことではあったが、”百聞は一見に如かず”。なかなか、彼の思う様にはいかないものである。

それでも、意を決して触れようとした時、少女が小さく身じろいだ。

「ん・・・・・・?」


俺はちゃんと落ち着いた顔をしていただろうか。その目は確かに、俺を映した。瞬間、これまでの全てがどうでもよくなった。彼女が怯えないだろうかとか、嫌われないだろうかとか、それまでうじうじと考えていた全てが、彼女と目が合っただけでどうでもよくなってしまった。

「お前、そんな目の色をしてたんだな。」

ついて出た言葉は、溢れるほどの熱情のたった一欠片。それだけだった。





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