第2話 はじまりの一歩
「えっと・・・」
「もしかして、プロセルピアって聞いたことない?」
「・・・はい」
静かにうなずくと、アオイさんは頭を抱えた。「そーいえば、書類確認したときにこっちに来てまだ1,2年しか経ってないって、書いてあったなあ~」と呟きながら、ゴソゴソとカバンの中身をしばらく探すと、薄型のノートパソコンを引っ張り上げた。
「アタシたちプロセルピアは、この街・・・ひいてはこの世界を守るために創られた国連の組織で、各地に支部があるんだ。」
そんな大規模な組織なら、知っていてもおかしくはないはずなのに私の記憶には「プロセルピア」という名前すら、聞き覚えがなかった。どうしてだろう。
「あー、もしかして知らなかったこと気にしてる?別にいいのよ、世の中には知らなくたっていいことがごまんとあるんだからさ。」
「すいません・・・。」
シュンと眉でも下がっていたのだろうか。アオイさんは私の気持ちなんてお見通しだ、と言わんばかりに穏やかな笑みを向けてくれる。その優しさが、更に私を委縮させた。
「そもそも、国連が創った組織だーなんて言ってるけど、その国連のお偉いさんでさえ、アタシたちのこと疑った目で見てくるからね。だけど、この街の議員さんたちは結構“コッチ”側の事信じちゃうみたいでさ、選挙とかで大々的に公約に使われてたり、アタシたちへの助成金?みたいなの作ろうとしてくれてたりするんだよね。ほんとありがたいよ。・・・ほんとにね。」
「・・・・・」
私から目をそらして、アオイさんは風に揺れるカーテンだけを見つめている。その目はどこか、さみしそうに見えた。まるで、ずっと昔を思い出して、ついさみしくなってしまう様な、そんな遠い目だ。
「それでね、アタシたち・・・ううん、私たちはサクヤちゃんに執行人として仲間に加わってほしいんだ。そして、一緒に世界を救ってほしい。どんなに強い相手だって、サクヤちゃんが居れば、戦おうって思える。それくらい、キミのことを信頼してる。」
一瞬、陽炎が乗り移ったのかと思った。日中の照り付ける太陽を切り取って、アオイさんの目に張り付けたような、そんな眩しさを私は目にしていた。それだけで、(この人は悪い人じゃない)と思わせるには十分だった。だから、何にも知らない私は、彼女の手を自分の意志でつなぎとめたのである。
「じゃ、交渉成立ってことで。」
その後の彼女が、いたずらっ子の様な笑みを見せたのは言うまでもない。
「わぁ・・・!」
車窓越しに見る海は私を大いに喜ばせた。実はずっと山の奥深くに住んでいたのだが、この高校に入学するためにこの街で一人暮らしを始めた後も、何かと忙しくて見に行く時間がなかったのだ。だから、本の中でしか見れなかった海は私にとって、言葉を失わせるほどに、眩しく見えた。
「いいでしょ?アタシもよく疲れたときに行くんだ。冬はさすがに無理だけど・・・母なる海って言うのも頷けるくらい、そこにいるだけで安心できるんだ。」
アオイさんは海に沿ってまっすぐに伸びる道路を、慣れた手つきで運転していく。
彼女のワゴン車は、女性らしい落ち着いた香りとかっこいい黒のシートの対比が映える、彼女らしい車だ。乗車する前に見た「実はこの前納車してもらったばっかりなんだよー?」と嬉しそうに車のヘッドを撫でるアオイさんの姿を思い出して、思わず笑みがこぼれた。
「・・・あのっ、さっきはわざわざ教室に置いたままだった荷物まで取ってきてくれて、ありがとうございました。」
「いいのよー、元々すぐにでも連れてこいって、”口だけ上司”に言われちゃってたからね。こっちにとっても、サクヤちゃんの答えは花丸だった、ってこと。だからお互い様よ、どんなことでもね。」
大きな地下駐車場への信号待ちになってようやく絞り出せた感謝の言葉は、ウインクと共に温かみを持って返された。それが私にはくすぐったくて、真っ赤になった顔を見られない様に、下を向いて誤魔化した。
~特務機関プロセルピア・支部長室~
「例の少女は槙屋が無事保護した模様です。」
暗がりに佇む職員は窓辺に腰掛けた男に声をかけた。
男はそれまで武器を磨いていた手を止めると、ゆっくりと男の方を振り返り優しく微笑む。その笑みに一瞬職員はたじろぐが、何もなかったかのように再度姿勢を正した。
「そう、それなら大丈夫だね。
報告ありがとう。」
失礼しました、と職員が逃げるように出ていくのを確認してから、男は寂しげに立ち上がると目線を横の大きなカプセルに向けた。
「これですべてのキーは揃った。
後は彼らがどう動くかに
かかってくるね。」
そうだろう、と問いかけた先には物言わぬ凶器だけが佇んでいた。
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