009-1_幕間 サブリナ・ストレイド
「……行っちゃった……」
危なっかしい蛇行運転で後部ハッチを飛び出して行ったトレーラーを見送り、ジャージ姿の令嬢は一人呟いた。
「お礼ぐらい言わせてよ、もう……」
すっかり短くなった髪先を弄びながら、ちょっぴりセンチな溜め息を吐く。
彼女にとって、ヴァリーは大切な恩人という認識だ。向こうにその意識は無いだろうが、それでも面と向かって礼を述べたい。
そう思ってはいたのだが、まごまごしている間にチャンスを逃してしまう。
「サブリナ?」
そんな彼女に声を掛けたのは、ヴァリーから「ベテランさん」と呼ばれている大柄の男性兵士だ。
表情が隠れるぐらい長い黒髪に浅黒い肌をした寡黙な青年であるが、素顔はなかなかのハンサムだとよく話題に上がる。事実、元傭兵という肩書きと反してキリッと凛々しい顔には気品すら漂っていた。
そんなベテランさんへ向けて、令嬢サブリナ・ストレイドは、満面の笑顔で振り返った。
統一帝国カダスで名の知れた大公爵ストレイド家の令嬢であったサブリナ。
しかし家を捨て、国を飛び出した今の彼女に肩書きは無い。この移動型ランドクルーザー
蝶よ花よと育てられ、ノリに乗っているカダスにおいて最上級の教育を受けていた十五歳の小娘が、なぜ亡命など企てたのか。答えは実に単純だった。
サブリナは、カダスが侵略戦争を始める前までエリキセ王国の王子ユーゴ・エリクシールと婚約していたのである。
当時まだ十二歳。だが幼さ故に強烈な恋心を抱いたサブリナは、開戦により国交が断絶し、婚約関係が消滅した今でもユーゴを想い続けたのだ。
それが、両親から自国の皇子との結婚を強要された時、一気に弾けた。
紆余曲折の末、帝国に潜んでいた連合のスパイに機密情報を渡す見返りに亡命を支援させた。しかしエリキセまであと少しというところで、彼女は父親の追手に捕まってしまう。その最後の難局を乗り切る為、彼女の取った行動こそが、あの信号弾だったのだ。
しかしサブリナの見出した希望は、父親が護衛として寄越したゴブリン小隊によって容易く打ち砕かれてしまった。
ゴブリンがいてはサブリナも逃げられず、またゴブリンを相手取ってわざわざ敵国の小娘一人を奪いに来るほど、連合には余裕がない。それぐらい分かっていたサブリナは絶望から喚き散らすも、彼女の回収を命じられた兵士達は面倒そうに苦笑するばかりだった。
しかし――その兵士達のニヤけた顔が、突如として弾け飛んだ。
撒き散らされた血やドロドロの何かを浴びながら、サブリナは何事か分からず呆然とするばかりだ。
しかし彼女が付いて行こうが行けまいが、事態は目まぐるしく変遷する。
しかし、さらに二機のゴブリンが増援に現れると、戦局は一瞬で覆った。
二人は攻撃を避けるばかりで反撃に出られなくなり、ジリジリと追い詰められていく。もうダメかも……サブリナが再び絶望しそうなった時、さらなる救世主が登場する。
『おおあああああぁぁぁぁぁぁーっ!!』
突如としてゴブリン一機の頭部が炎を上げて爆発。
続けて茂みの中から、雄叫びを上げて新たなゴブリンが突っ込んできた。
本来なら密閉されてパイロットの声など漏れないハズのゴブリンだが、その機体はハッチが完全に破損しており、しかも頭部まで半壊状態だった。
にも関わらず、乗り込んでいた子供にしか見えないパイロットは無傷の機体へ肩からぶつかり、問答無用で浴びせ倒した。
「あああああああああああっ!!」
半壊したゴブリンは追撃に腰から上を豪快に振り回し、駄々を捏ねるように両腕を叩きつけた。
戦術も何もない攻撃。だが質量に速度を重ねた一撃は無傷だった装甲を凹ませる。
サブリナは意識していなかったが、それこそが史上初となるガンマシン同士の白兵戦なのであった。
しかし、サブリナが正気でいられたのはそこまでだった。
その後は泥臭い乱戦となり、首無しと装甲を凹まされた二機は撤退したものの、もう一機は光子バズーカを背後から直撃させられ吹き飛んだ……が、それはサブリナの知るところではない。
ゴブリンを回収にやってきた連合のトラックに積荷同然に載せられ、劣悪な乗り心地に神経系が悲鳴を上げたことで我に返ったサブリナは、激しい吐き気にのたうった。
『あ、あの……すみません。酔い止めの薬……いえもう撥水する袋とか持ってませんか?』
『え……』
近くにじっとしていた、大柄で物静かな男性兵士……ベテランさんに、縋る気持ちで尋ねた。
しかし。相手は伸び放題な髪の隙間から、意外と澄んでいる瞳をパチクリさせつつ見つめ返してくるばかりだった。
だがサブリナにはもう余裕がなかった。反応のない男ではなく、近くにいた別の男へ声を掛けようとした。
その手を、ベテランさんが引っ掴む。
『サブリナ、なのか?』
『えっ……!?』
突然の出来事に、困惑するばかりのサブリナ。しかし、驚いたのは手を掴まれたからではない。
自分を呼んだ男の声に、聞き覚えがあったからだ。
『ユーゴ、様?』
それは何度も夢で聞いた、愛しい婚約者のものだった。
「ユーゴ様」
「ジョウだ。ここではジョウ・ルガー。ユーゴはもういない」
「うふふ。そうでした。ごめんなさい、ジョウ」
びっくりするぐらい逞しい男になっていたユーゴ王子……今は偽名を使って連合軍の軍人となっている彼へ向けて、サブリナは戯けるようにウインクしてみせた。
ジョウの口利き、そして身に着けていた装飾品と、さらにエーテル原料にもなる魔力を宿した髪の毛と引き換えに、今のサブリナは基地内の自由行動を許されている。
さすがに機密の多い場所には立入禁止だが、少なくとも食堂の給仕や清掃員といった一般職員と同程度の行動範囲を与えられていた。
「何をしていたんだ、こんなところで」
「ん〜……お見送りでしょうか。ほら、例の小さな英雄さんです」
「VB?」
サブリナの言葉に、ジョウが首を傾げる。ヴァリーの異動の話は聞いているが、彼女が基地を降りるのはエリキセへ到着してからだ。
「出てったのか、あいつ」
「はい。魔族の……確かアワユキ中佐って人に連れられて」
急な出発を不審に思ったジョウは、サブリナを引き連れたまま司令部へ急いだ。
「失礼します」
「……ルガー君」
ノックもそこそこ、乱暴に扉を開けたジョウを出迎えたのは、基地司令の渋い顔だった。視線は背後のサブリナへ向いている。
そういえば、司令室周りは彼女の許可された範囲ではない。
「……すみません」
ペコリと頭を下げるジョウに、基地司令は「しょうがないな」とばかりに溜め息を吐いて、二人に入室を促した。
もっともサブリナの行動の自由を許しているのは他でもない、この基地司令だ。ここで咎めるぐらいなら、最初から投獄するなり処刑するなりしている。
「それで、どうしたのだね?」
「ええ。実はサブリナが――」
ジョウはサブリナに、彼女が目撃したヴァリーについて説明させた。
聞いているうちに、基地司令はなんだか疲れた様子で「あれね」と独りごちる。
「問題ない。アワユキ技術中佐は紛れもなく、彼女の新しい上司だ。もっとも、エリキセに到着してからの話……だったんだがね」
「やはりそうでしたか。よろしいのですか?」
「よろしくないけど……まあいいさ。どっちみち、中佐もバニー君と同じタイプの人間だ。横から口で言っても聞かないんだ」
「そうですか」
俗に言う『天才』という種類の人間は、しばしば常人には理解不能のロジックで行動する。それでも能力が有用であれば、ある程度の好き勝手は黙認されるのが連合だ。アワユキ中佐とは、それほど有能な人材なのだろう。
しかしである。その手の人間は、得てして周囲を振り回すものだ。ヴァリーもかなりそのケがあるので……類が友を呼んだのだろうか。
「ひょっとして、もう彼女には会えないのでしょうか」
そこで、イマイチ話の流れが分かっていないサブリナがポツリ。あまりにも毒気のない言葉に、ジョウと基地司令が顔を見合わせた。
「ほら。ジョウやわたくしが生きてここにいられるのも、彼女の頑張りのお陰なのでしょう? あんな小さな体で、凄いことだと思います」
「あ〜……確かに彼女は特別、っていうか特殊だからね。だがまあ……」
ふと、それまで温和だった基地司令の笑みが、一瞬だけ獰猛で苦味走ったものへ変わる。人の良いおじさんの仮面から、本性とも呼べる意地悪な素顔が覗いたが、気付いたのはジョウだけだった。
「君がうちのスパイに渡してくれた例の『情報』は、今後あの娘を大いに助けることになる。それに、この
そう朗らかに告げる基地司令は、もう温和な表情に戻っていた。
「……そうですか。――あれ? 司令、あのスパイさんの上司だったんですか?」
「ん? ……まあね。彼女は私の右腕みたいなものだよ。さて……事後報告になってしまうが、バニーの上官には私から話しておくよ。確かリオーネル君だったっけ?」
「ええ、まあ……」
露骨に話しを変えた基地司令のニコニコ顔に、薄ら寒いものを覚えたジョウは、サブリナを促して早々に司令室を後にするのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます