第七章 裸の付き合い

 ――そう。まさしく、あの瞬間から始まったんだ。


「やってみて分かった。わたし、アイドル向いてない。歌も下手だし、ダンスも下手だし、花だってない。周りは凄い人ばっかりで、反面、わたしは地味で何の取り柄もなくって……学歴だってないし。それでも、わたしにはベースがある。かおちゃんだっている。

 馬鹿にしてたけど――少しはアイドルに対する気持ちも変わったの。こんなストイックな環境――この企画だからってわけじゃもちろんなくて、でもこんな環境だからこそ理解出来たってのもあるんだけれど――アイドルって生活全てを犠牲にするでしょう? 人気が出たらプライベートなんて無くって仕事激詰めで。それなのに、アイドルにはすぐ終わりが来る」

「終わり?」

「そう。終わり。すぐにやって来る。アイドルなんて何時までも続けていられない。

 前までのわたしなら、そんなこと思わなかったかもしれない。けど、今は違う。

 終わりが、唐突にやって来ることだってある。だから、バンドに――」

 遮るように由利穂が言う。

「……だったら、それはバンドだって同じじゃないの? アイドルの賞味期限が短いっていうのはその通りだけど、言って十年くらいはあるでしょ? バンドだって同じじゃない? 人気商売なのはアイドルと大差ないでしょ? それに、例えば、誰かが問題を起こしたり、誰かが抜けたい辞めたいって言うことはバンドにだってあるでしょ? バンドならずっと続くって考えもわからないでもないけど……アイドル以上にバンドは誰かが抜けると立て直すのはキツい……ですよね?」

「大変ですね」

 由利穂は何故かそれまでずっと黙って話を聞いていた新垣に振った。

「それは、だから、でも、アイドルは、」

「薫子さんがアイドルとしてこのままやっていきたいって言ったら栞はどうするの?」

「――え、」

 被せるように由利穂は言う。思考が停止する。

「薫子さんって、たぶんだけど、見たまんまな人でしょ? 裏表無いタイプっていうか、言ってることもやってることも全部直結してるタイプっていうか。

 私がこの数週間見てきた中で、薫子さんの気持ちに嘘は無いと思ったのね。ああ、本当に歌が好きなんだろうなって。でもそれは、バンドであってもアイドルであっても変わらない。本人はたぶん今の『楽しい』って気持ちを何より優先してるんじゃないかなって。

 ……その、お金の持ち逃げ? そういう選択をまず取っちゃうのも、そういうことなのかなって。今の気持ちが最優先。何かあれば、すぐに逃げちゃう飛び出しちゃう」

 先日の愛と知菜の部屋に飛び出して行ったことを思い出した。

 飛び出して行ったこともそうだが、薫子があの時に語った内容も、由利穂の語った内容を裏付けるようだ。

「だから栞が準備を万全に整えて、いざ薫子さんを誘って、その時に断られたら栞はどうするんだろうなって。薫子さんの楽しいって気持ちがその時完全にアイドルの方に向いていたら」

「そんなこと」

 ない、とは言い切れない。

 だってあの薫子だ。

「薫子さんと一緒だからバンドをやりたいの? 薫子さんがいなくても栞はできるの?」

 一人で出来るに決まってる。だって、当初はそう考えて企画に参加したのだ。それが薫子と会ったことで考えは変わったけれど、当初は違っていた。

 でもどうだろう……と思ってしまう。

 Raybacksは中学からの幼馴染で結成したバンドだ。

 当然というべきか、栞からバンドを組もうだなんて言い出したわけじゃない。誘われるままやっていつの間にか好きになっていただけだ。受動的な自分。流れに乗ることは得意でも、自ら流れを作ることなど、本当に今の栞に出来るだろうか? 明奈がいない。美桜がいない。薫子がいない。全部一人。あれ? 自分のバンドへの気持ちはその程度のものだったのか?

 由利穂は、ふう、と一息入れてさらに言う。

「馬鹿にしてた。けど、今はその気持ちも変わったって言ったよね? 栞は……周りと比べて自分ができないと思ってるから、アイドル向いてないって思い込んでるだけじゃないの?

 ポイント・オブ・ノーリターン――格好良い曲だよね。あれを初めて聴いた時の栞の表情、私、あれだけは嘘じゃないって思ってるの」

 わからない。

 理由もわからないけれど瞳からは涙が溢れていた。

 気持ちが混乱していた。

 わたしはどうなりたい?

 バンドをやりたいのだろうか。アイドルから逃げているだけなのだろうか。

 薫子に縋っているだけなのだろうか。

 ここに来る前までは、アイドルって道もあるかもしれない。全然好きじゃないけど。ほんのちょっぴりだけど。それくらいの気持ちはあった。本当だ。チャンスが巡ってきたんだから掴んでやろうと思っていた。なんせ崖っぷちだった。

 けれど、かおちゃんがいたから――。

 そして、やればやるほど――。

「……でも……わたし、投票最下位で……」

「ふう……やっぱそれだね。たぶんその投票がよくないんだ。

 栞もたぶん私と一緒でここに来る前まで崖っぷちみたいな状況だったんでしょ? その上で、この二十四時間監視体制、最下位二連続で脱落っていう悪環境。おまけに、栞はこれまで歌もダンスも経験がない。順位もどんどん下がってきてる。まともな精神でいろって方がどうかしてる。

 けどさあ、栞。さっきも言ったじゃん。頼ってよ。同じグループでやっていくんだからさ」

「頼る……?」

「心配だったんだよ? 最近、栞の様子おかしかったし」

 由利穂が栞の瞳を覗き込む。

 あの呟きのことか。いや、もしかしたらそれ以外にも自分はやっているのか。

「だいたいその投票だって気にすることないよ。グラフ見た? 最頻値がどうか知らないけどさ。栞に高得点付けてくれてる人はいるんじゃん。全員から好かれる必要なんてないし、アイドルに限らずバンドでもそうだと思うんだけどね? 一人に刺さればそれで良いんだよ」

「一人に、刺さる……」

「そう。栞の言う周りは凄い人たち。その中で栞がやっていけることが、何よりの証明なの。届かない存在じゃない。ファンに勇気を与えられる存在だっていうことの」

 それは、アイドルを長年見てきた由利穂だからこその発言だろうか。

 いや、その瞳はしっかりと栞を見つめていた。

「勇気?」

「最初はびっくりするほど音痴で運動音痴。だけど今は歌もちょっとは上手くなったし、ダンスもなんとか付いていけてる。普通の人並みに、悩んで、病んで、時には潰れちゃいそうにもなる。影があって、暗い考えも持ったりもする。

 ……そういう子が一人いてもいいんじゃないかな。ううん。そういう子は絶対にアイドルグループに必要不可欠なの」

「普通の子」

 漠然と。

 アイドルはスター足り得る存在じゃないと駄目かと思っていた。

 ここに入ってからその想いは顕著になった。それだけ周りはすごい人たちばっかりだった。

 けれど、確かにアイドルでもバンドでも、みんながみんな、センターやボーカル並に存在感を放っていたらおかしなことになる。まとまりが付かない。彼女はそれを言っているのだ。

「ね? 千里さん」

「はい。栞さんの好きなミスターチルドレンにもレディオヘッドにもいるでしょう? メンバーの中で他の人より人気の無い人。あんな感じです」

「……えっと」

 それはあの人とあの人のことだろうか。応えにくいことこの上なかった。ここに来て台無しな例えだ。

「縁の下の力持ち……違いますね……そうです! あってはならない存在!」

「なくてはならない存在ではなく?」

「それれす」

 大丈夫だろうか。この人。呂律が怪しかった。

 そういえば、朝のニュースでも天然発言で有名だったような。

 いや、それより。結構バンドに詳しいのだろうか。

「って、わあっ! 大丈夫ですか!? 新垣さん!?」

 気がついたら、新垣がぶくぶく泡を吐き、湯船に沈んでいくところだった。

「やばっ! のぼせてる! 栞、そっち持って。運ぶよ。せーの!」

 由利穂と二人、真っ赤になった素っ裸のアナウンサーの身体を慌てて脱衣場まで運んだ。

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