第七章 裸の付き合い

 ☆


 一ヶ月後にライブでお披露目するのに全てをお見せするわけにもいかない。ワンコーラスくらいならまだしも、通しで見せてしまえば本番までのお楽しみが削がれるというもの。

 と、いうこともあり、歌のレッスン、ダンスレッスンでは、あの仕事の無さそうな芸人二人とアナウンサーが時間を決めて今までの振り返りをVTRを交えて話したり、視聴者からのコメントなどを拾い上げて読む、云わば普通の収録番組を行っていた。ポイント・オブ・ノーリターンの発表前後くらいからのことである。

「ムー……」

 一昨日くらいから、である。

 その、ダンスレッスンのVTRで、ちょいちょいミスをする栞の姿が映し出されるようになったのは。前まではここまで目立ってなかったのに。

 もちろん、その前の薫子と染夜親子との会話が原因だろう。アレが前振りになったのだ。

 ――というかわたし、誤魔化してるつもりなかったんだけど。

 脚を高く上げるフリでは身体が固くて思うように脚が上がらなかっただけだし、腰をふりふりする場面でワンテンポズレが生じているのは、本人がワンテンポズレていることに、こうしてVTRを見るまで気づいていなかっただけだ。

 ……それはそれで問題のような気もするが。

 栞の言い分としては、である。

 視聴者はそれで納得してくれるわけではない。

『本当だw誤魔化してるw』

 と言う奴だっているし、

『いや、ただ単にダンス下手なだけじゃね』

 と言う奴だっている。

「恥ずかしいっ!」

 動画サイトにアップされていた動画を再生してみて、自分の顔を覆った。

 こんなんで偉そうに知菜を批評をしていただなんて。元々バランス感覚がなんだって? 自覚している分知菜の方がまだマシである。気づいていなかったのなら尚更悪い。

 思わぬ形で目立ってしまった。

「……」

 あれから――。

 その次の日の昼食や夕食でも、愛はいつもと何も変わった様子は無かった。

 轍は絶対知っているだろうにいつも通りで、就寝時間の早い新垣は騒動事態を知っているのかいないのか。由利穂も変わらず普段通りに見えた。

 知菜と薫子は妙に仲良くなった。

 次の日は宣言していた通り、二人で一日レッスンをサボって、その次の日も二人して遊んでいた。

「ほれー! キャッチングー!」

「次! 次はあたしが投げるわ!」

「じゃあ、次は薫子さんが犬っころみたいに口でキャッチしてあげゆ~」

 ここに来てから一度も聞いたこともないような知菜の笑い声が響く。窓の外を見てみれば、晴れ渡る空の下、フリスビーで遊んでいる知菜と薫子の姿が目に飛び込んできた。

 調子に乗って四つん這いで走る薫子は、こうして眺めているだけの栞でも思わず笑みが溢れてしまうほど。

「あははははっ!」

 お腹を抱えて笑い転げる年相応の知菜が眩しかった。

 ――そういえばお庭は自由に出ていいんだっけ。

 少しだけ、胸がちくっと痛む。

 嫉妬しているのだろうか。知菜と薫子の関係に。

 ――仲良くする必要なんてないのに……。

「バンド……バンド……」

 やっぱりわたしにはバンドしか無いんじゃないか。

 歌は下手。ダンスも下手。人気だってそんなにない。他の人と比べて勝っている箇所なんて自分にはなんにもない。気づけばいつもそうだった。自分には。自分には。数字にだって現れているじゃないか。

 意識せずに呟いていた。そんな独り言でもカメラはしっかりと捕えている。

〈栞、病む〉なんてタイトルで、数時間後にはネットできっちり記事にされていた。


「お風呂行かない?」

「お風呂?」

 ノック――誰だろう? 薫子はノックなんてせずにずばーんと入って来そうなものだし……と思って開けてみれば、Tシャツ短パンの由利穂と、後ろにひらひらした白のネグリジェを着た新垣が立っていた。珍しい組み合わせだ。いつの間に仲良くなったんだろうか。

「お風呂……って、七階にあるとかいう大浴場のこと?」

「そうそう」

「……」

「ね? ほらっ」

「え、ああ、わかったよう。用意するから待ってて」

 扉を閉めてタオル着替え等を用意して、三階の購買で貰った適当なビニール袋に詰める。嫌だなあ――と、口にしそうになって慌てて止める。流石に印象が悪い。

 薫子にも最初の頃に誘われたが断っていた。幸いそんな栞の性格は知っている為、すぐに諦めてくれたが、由利穂はそうじゃない。

 大浴場は苦手――というより、己の体を見られることが苦手なのだ。同年代の女子に比べてやたら発育が良い胸とお尻に若干コンプレックスを抱いていた。中学の修学旅行でも隅で丸まってたくらいなのだ。

「おまたせ」

「うん。じゃあ行こう」

 率先して廊下を歩んで行く由利穂の背中を見て訊いてみる。

「いつの間に仲良くなったの?」

 短パンから伸びる脚がセクシーだ。

「話が合ったの。栞も千里さんとならすぐに打ち解けられると思うな」

「ふうん?」

 エレベーターに乗り込む。新垣が話し掛けてきた。

「浴室は映されないじゃないですか。お話するにはいい場所なんです」

 なるほどたしかに。風呂とトイレはこの企画でも数少ない心安らげる場所だ。肩肘張ってない会話が出来るだろう。同じ家に住む者同士、打ち解けるには良い場所かもしれない。

 打ち解ける必要があるとは思わないけれど。

 やがて大浴場に到着する。

 栞はこのフロアに入ること事態が初めてだった。脱衣場に入る前までは他のフロアと同じようにカメラが設置されているが、当然ながら脱衣場の中には設置されていない。

 広い――と言っても、普通の銭湯などとは比べるべくもない。が、水道が三つ、それに合わせるように籐椅子が三つ、棚に竹籠、床は竹畳になっているこの感じは、昔ながらの銭湯を思い出させる。こぢんまりとした部屋の脱衣場よりも、なんだか心が安らぐ。ほっこりする。

「ほーら、着替える」

 由利穂に促され、恥じらいながらも服を脱ぐ。ちらちらと横目で確認してしまうのは人情というものか。隣でトップアイドルとアナウンサーの二人が着替えているのだ。それも自分と一応肩を並べているライバル達である。ちょっと……ちょっとだけ……と自分に言い訳しながらも上から下まで確認してみることにした。

「わあ」

 思わず見惚れてしまう。

 ネグリジェをパサッと床へ落とし現れたのは、程よく引き締まった肉体。上下黒の下着。栞よりもツーカップは上だろうか。着痩せするタイプだったんだとここに来て思う。栞が見ていたことに気づいたのだろうか、唇が弧を描き、視線を上げればばっちりと目が合った。

「……!」

 恥ずかしくなって今度は反対側へ。

「わあ」

 これまた感嘆の声を上げてしまう。

 Tシャツをぐっと脱ぐ仕草がやたらとセクシーだ。同年代とは思えない。お腹、脇、胸とだんだんと露わになっていく由利穂の体はアイドルらしく、ちょうど良い肉付きをしていた。ぷにぷにしてるというか。もちろん、太っているとか、ぽっちゃりしているとかそういうことではない。思わず手を伸ばしたくなるような、この年の女の子特有のぷにぷに感である。

「ひゃあっ」

「ふわっ、あ、ごめん。思わず」

 気づけば手を伸ばしていた。

「お、思わずで普通、胸に手を伸ばす?」

「えっと、うん。ごめん。おっきいなって……あ、でも触ったの下の方だったし……」

「栞も十分大きいでしょ。ていうか栞の方が大きいでしょっ」

「わひゃあっ、だめっ、ごめんって!」

「何やっているんですか。ほら、もう入りますよ」

 ガラリ、とお風呂場の扉を開ける音が聞こえてきて我に帰る。二人して赤くなりながらいそいそと着替えた。


 中は至って普通の銭湯だった――その事実に驚く。

 大浴場、ジャグジー、水風呂。シンプルながらも、これだけあれば十分だと思わせる作り。なんでこれをもっと早く教えてくれなかったのか。教えてたら来たの? と、薫子は言ってくれそうだが、少しくらいは興味が出たかもしれない。そのくらい普通に銭湯だった。わからないけれど、近所にありそうなやつ。壁に絵がないのが寂しかった。

 どうせカメラに映らないから手抜きしてるかと思ってたのに。

 その証拠に個室に付いてる風呂は小さいのだ。足を伸ばせない。部屋はあんなに広いのに。

「凄いでしょう?」

「うん」

 三人並んで体を洗ってから湯船に浸かった。


「ふぃ~」

 気持ちがいい。昼間の疲れが全て吹き飛ぶようだ。ずっと狭いお風呂を使っていたから尚更思う。鼎ハウスの部屋もそうだが、下北のアパートだって相当狭かった。アレはもう風呂というより桶だった。

「明日も入りましょうね」

「は、はいっ……あ」

 左隣に座る新垣にいきなり話を振られ、反射的に了承してしまってから軽く後悔する。

「なに、栞。イヤなの?」

「イヤってわけじゃ……」

 嫌といえば嫌だけどこの開放感には抗いがたいか。それにもうお互いおっぱいまで触り触られている仲だし、今更恥ずかしがるのもなあ、という気もしてくる。

「……ないけど」

「そ。じゃ決まり。ねえ、それより訊きたかったんだけど、栞ってお休みの時何してるの?」

 なんだろう。その、話すことが無い時に話す、意味は無いけれど、妙に答えに困る質問は。

 何をやってると問われても――。

「ベース?」

「なんで疑問系? 好きな映画は?」

「はあ……ホームアローン?」

「好きな俳優は?」

「俳優かは分からないけどキムタクの演技は好き」

「好きな小説は?」

「小説読まない。エッセイとかなら読むよ」

「好きな漫画は?」

「ヨコハマ買い出し紀行。お父さんの本棚にあったの」

「好きなバンドは?」

「筋少とレディへ」

「どういうところが好き?」

「歌詞が好き」

「好きなアイドルは?」

 ぱくぱくと。口が開いて続く言葉が出てこなかった。

「どうしたの? 好きなアイドルは? って聞いてるんだけど」

「えっと」

 一瞬ザ・セスタやティンキーの名が浮かんだが、突っ込まれた質問をされれば、好きじゃないどころか興味すらないことがバレてしまうと、口を噤んだ。曲名一つ知らなかった。

「やっぱり。答え詰まった。栞、実はアイドル好きでも何でも無いでしょ」

「そんなこと」

「いいよ? ここ、カメラ回ってないし、本当のこと言っても」

「……どうして?」

 どうして分かったの? と訊いたつもりだった。

 隠しているつもりだったのに。

「最初の自己紹介からなんとなく。みんな反応の差こそあったけど、私やアリサさんを見る目とかはアイドルを見るそれだった。愛さんのことなんかもそう。歌を実際に聴いてた時も他の人の感動っぷりは伝わってきたけれど、栞はなんだか感心無さそうだったし」

「……感情表現が下手なだけじゃ」

「だって愛さんが歌ってる時なんか栞、ちょっと半目だったもん。もうしれーって感じ。なんでなんだろう? って、思ってたけど――、その後の薫子さんの歌と、それを見る栞の表情でなんとなく分かっちゃった」

 由利穂は腕をぐっと伸ばしてから、左手で体にお湯を掛けるようにした。

 あの時、栞はただ他のことに気を取られていたという事情もあるのだが。

 歌声には素直に感心していたし。

「なにが分かったの?」

「興味ないんじゃないかなってこと。そういうの分かるんだよね。人に見られる仕事してるとさ。それと、もう一つ。この子はアイドルになんかなりたくないんじゃないかってこと。ひょっとしたら、もう一回薫子さんと一緒にバンドやりたいんじゃないかなって」

「そんなことは」

 ないと言い掛けて止める。実際その通りだったし、由利穂がまた質問してきたからだ。

「さっきの続き。好きなアイドルは?」

「……いないよ」

「アイドルとバンド。やるならどっち?」

「……バンド」

「どうしてこの企画に参加したの? あの時はああ言ってたけれど、本当のことを聞かせて」

 言う必要はない。

 アイドルなんて好きじゃない。アイドルになんてなるつもりはなかった。そんなことを言いながらアイドルをやっている人たちだっている。実際にテレビで見たこともあった。親や友人に勝手にオーディションに出されて、気づいたらアイドルになってましたというアレだ。

 栞だってそうだ。

 縋るしかなかった。あの時は、地元に帰る以外に選択肢が他になかったのだ。

 垂らされた一本の蜘蛛の糸。それが救いの手であるかどうかは別にして、当面生きる糧には困らないと思ったし、違うステージに行ってそれからまた起死回生を図るつもりでいた。

 バンドのことを諦めたわけじゃなかった。

 あの時、あのメールが、例えアイドル企画じゃなくても栞は飛びついていただろう。

 やって来たチャンスがアイドル企画だったってだけだ。

 そしてその後、薫子との思わぬ再会を果たしたことで、何となくだった栞の目論見がより具体的になってしまった。

 ――名が売れた辺りで、かおちゃんにバンド再開を持ちかける。その為に、アイドル活動をやって行く傍らメンバーを募っておく。

 薫子のことは、栞が一番よく知っている。そう思っている。言質も取った。またいつかバンドをやりたいと本人も言っていた。

 ならば――、栞と同じ気持ちだ。

 生半可なことじゃないだろう。突破するべき障害は幾つもあるはずだ。

 しかし、アイドルなんて賞味期限が後十年も無いもの――何時までも続けていけるわけがない。

 アイドル、二十歳すぎれば唯の人。女優への転身? そう考えたアイドルの中で一体何人が業界に生き残っている?

 その点、バンドならば望む限りは何時までも続けていける。そう、いけるのだ。

 ――あんなことさえ起こらなければ。

 理由なんて人それぞれだし、必ずしもアイドルを好きである必要はない。

 そんな栞の内心を見透かしたのか由利穂は言った。

「私たちはまだ完全に決まったわけじゃないけれど、これから同じアイドルグループとして活動することになる仲間なんだよ。こんな企画のせいで、同じ仲間同士なのに、協力することなく、蹴落とし合いみたいな感じになっちゃってるけど」

 それはたった数週間前に彼女が通ってきた道だ。ティンキーの神瀬由利穂未成年喫煙問題。

 今はその繰り返しをしている。なってしまっている。

「嫌なんだよね。企画のせいもあって、あからさまに隠さなくなってきた子だっているし」

 聞き返すまでもなかった。轍のことだ。

 あの日、ソファでの一件だけじゃない。

 昨日も夕食の席で唐突に言い出したのだ。


 ――しっかしまあ、喫煙者の定義ってどっからどこまでなんすかね? 一度でも吸っちゃったらそれは喫煙者とは言えなくもない?

 ――薬物だって一発使用でアウトじゃないっすか。煙草も似たようなもんだと私は思うすけど……。

 ――断れなかった本人に責任が無いとは言えないわけで。


 まるで蒸し返すみたいに。

 いいや。正に蒸し返したのだ。

 お陰で夕食の席の空気は最悪だった。定義、なんてわざわざ荒れそうな言葉を持ち出してきて。当然、コメントもまた荒れる。由利穂は無視を決めこむ。新垣が「轍さん、その辺で……」というまで止めなかった。新垣のその発言一つでコメントにまた荒らしが湧く。薬物なんて持ち出してきたものだから栞まで明奈のことを思い出し、気分が重くなった。薫子も珍しく気分を害した顔をし、知菜は何も喋らずに食事を進めていた。――愛の表情はわからなかった。愛にとっては、自分を隠す盾であるメンバーの問題は喜ぶべきことなのだろうか。そう思った。


「……なんでそんなこと訊くの」

 ぽつり、と口を付いていた。

「意識確認っていうのかな。今のままじゃ上手くいきっこない。私たちはライバルであると同時に仲間なんだ。同じグループなんだよ。みんなその意識が欠けてる。仕方ないとは思う。企画が企画だし。年齢もあるけど、辿ってきた道のりさえもバラバラなんだから。

 信頼し合わなきゃ。誰がどう在りたいか。それさえ知らないまま一緒にやっていくなんて、私はしたくない。感情だけで言っているんじゃない。経験則として語ってる……そうしなきゃ、きっとまた同じことの繰り返しになるから。

 どんな手を使ってでもライバルは蹴落とすってんなら私はそんなグループにはいたくない。

 隠れ蓑としてグループにいることを選んだのならそれだって良いと思う。

 この生活の、さらにその先を見据えているのなら、それだって良いよ。

 けど、わかんないのはイヤ。

 私は……栞が、栞がどうなりたいのかを聞きたい」

「わたしは――わたしはまたバンドがやりたい」

 由利穂の言葉に応えるように告白していた。

「……そう」

「いつか、今じゃなくても良い。また、かおちゃんと一緒にやりたいって思ってる。バンドがあんなことになっちゃって。夢半ばで終わっちゃって。もう諦めるしかないのかなって……そんな時にこの企画の話が来たの。

 嫌だった。アイドルなんて好きじゃない。なりたいだなんて思ってもいなかった……馬鹿にしてたもん」

「だったらなんで?」

「もう後が無かったっていうのもあるけれど――、また一からやり直しなんて時間の掛かることはしたくなかった。ショートカットしたかった。アイドルになって、ある程度有名になったらさっさと抜けてバンドで絶対成功してやるんだって。わたしに付いた悪いイメージもこれで払拭してやろうって」

 あの日、Raybacksの事務所マネージャーから言われた一言は、あれから栞の頭の中を何度も過ぎっていた。

『若いガールズバンドということで、売り出していたのに、イメージが悪すぎる』

「バンドってすごい時間掛かるの。アイドルもそうだとは思うけど……。同年代で楽器できる子なんてまずいない。プロを一緒に目指してくれる子なんて以ての外。だから……時間を掛けたくなかった。わたしは違うんだぞって。起死回生のチャンスだって、自分に言い聞かせて。

 そしたら……鼎ハウスに来てみたら、かおちゃんがいた。運命だ。やっぱり、わたしにはバンドしかないってそう思った」


『ああああああああああああああああああああああああああああ!?』

『いやああああああああああああああああああああああああああ!?』

 声が重なる。音が重なる。

 もう二度と戻らないと思っていた音の重なりがこだまする。約二週間ぶりとなるハーモニーを響かせたのは、思いも寄らない形。

 栞の中では、これが、真の番組スタートとなった瞬間だった。


 ――そう。まさしく、あの瞬間から始まったんだ。

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